ボートの選手は、一本一本のオールを手離さないことでもって、ついには天地晦冥の無意識の中に陥ってゆくが、この時に、彼はむしろ、ほんとうのフォームに立ちいたり、それを会得し、自分の会心、自分のペースに邂逅しているのである。この闇を貫かずしては、彼は、自分が対決するところの、光の中に回帰できないのである。 闘うこころの正しさ、爽々(すがすが)しさを、毅然として支える清浄さを、悦楽と云うならば、娯楽の根底にはかかるものが横たわらなければ、ほんとうの永遠の娯楽にはならない。たとい、競馬のファンでさえ、その悦楽の底には、かかる本質への回帰を、はるかなる意識の奥底にもっているのであるが、帰り道のアリアドネの…