(1763-1827) 江戸後期の俳人。幼名、弥太郎、名は信之。別号、俳諧寺など。信濃国柏原生まれ。一五歳で江戸に出、俳諧を葛飾派の二六庵竹阿に学び、のち夏目成美の庇護を受ける。方言・俗語を交え、不幸な境遇を反映して屈折のある異色な作風を示した。老年帰郷し結婚したが、不遇の中に没した。著「おらが春」「父の終焉日記」など。三省堂提供「大辞林 第二版」より
(1763-1827) 江戸後期の俳人。幼名、弥太郎、名は信之。別号、俳諧寺など。信濃国柏原生まれ。一五歳で江戸に出、俳諧を葛飾派の二六庵竹阿に学び、のち夏目成美の庇護を受ける。方言・俗語を交え、不幸な境遇を反映して屈折のある異色な作風を示した。老年帰郷し結婚したが、不遇の中に没した。著「おらが春」「父の終焉日記」など。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
おらが世や そこらの草も 餅になる 小林一茶 〈現代語訳〉 春ともなれば、そこら辺に生えている蓬(ヨモギ)の若草を摘んで、草餅にして食べよう。有難い世になったものだなぁ。
江戸時代の三大俳人 松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶は、 江戸時代を代表する三大俳人として知られています。それぞれが俳句の発展に大きく貢献し、独自の作風を確立しましたが、時代背景や個性が異なるため、俳句の表現やテーマにも違いがあります。 松尾芭蕉 (1644–1694) 芭蕉は俳諧を芸術の域に高めた人物で、「蕉風」と呼ばれる独自のスタイルを確立しました。彼の俳句は「わび・さび」の美学を重視し、自然や人生の儚さを詠むことが特徴です。代表作には「古池や蛙飛びこむ水の音」や「夏草や兵どもが夢の跡」などがあります。芭蕉は旅を愛し、その経験を『おくのほそ道』などの紀行文にまとめました。 与謝蕪村 (1716…
小林一茶(こばやし いっさ)は、 江戸時代後期を代表する俳人の一人で、松尾芭蕉や与謝蕪村と並び称される存在です。彼の俳句は庶民的で親しみやすい「一茶調」と呼ばれる独特の作風で知られています。 本名 小林弥太郎(こばやし やたろう) 生年月日 1763年6月15日 没年月日 1828年1月5日(享年65歳) 出身地 信濃国柏原(現在の長野県信濃町) 生涯の概要 一茶は信濃国柏原の農家に生まれましたが、幼い頃に母を亡くし、継母との関係が悪化したため、15歳で江戸に奉公に出されました。江戸で俳句と出会い、葛飾派の俳諧師として修行を積みました。その後、東北や西国を巡る俳諧行脚を行い、俳句の腕を磨きまし…
名月を取ってくれろと泣く子かな 小林一茶
男性の自宅での小用方法に『筆洗(250217)』は思う▼日本排尿機能学会の調査によると男性の約6割が自宅では座って用を足すそうだ。ついに多数派となる時代となった▼若い世代ほど座る割合が高い。20、30代の既婚者に限れば75%が座って用を足すという▼夫婦で家事を分担するのがあたりまえの時代であり、「失敗」すれば、自分で掃除しなければならない事情もあるだろう。コロナ禍を経て、衛生意識が向上したことも背景か▼欧州でのある調査によると、ドイツ60%、スウェーデンは50%、デンマーク44%。英国はどういうわけか低くて25%。自宅に限った調査ではないので単純に比較はできないが、日本の6割は高い数字かもしれ…
本日は、中秋の名月ですね。雲がなく、きれいなお月様を見ることができました。 名月を取ってくれろと泣く子かな 小林一茶 名将を獲ってくれろと泣く子かな いちドラゴンズファン この季節は、もう何年も消化試合を見せられていますね。中日ドラゴンズは2012年以来、クライマックスシリーズ(CS)に出場していません。12球団でCSから最も遠ざかっているチームは中日ドラゴンズです。だから、今のドラファンの子どもたちはCSのドキドキを味わったことがないのです、残念です。 さぁ、9月20~21日は敵地神宮でヤクルト2連戦、今年最後の裏天王山です。3年連続最下位になるのか、回避できるのか?ドキドキする展開です。あ…
南無阿弥陀佛 みなさんこんにちは(^O^) 今日は淨蓮寺にある 小林一茶の句碑をご紹介!! この句碑は、ブログを始めて まだ間もない頃に 一度紹介しましたが それ以来、 だいぶ日が経ちましたので 改めてご紹介します(*^^*) この句碑は平成28年11月 淨蓮寺開創400年を記念して 建てられたものです 揮毫は、私の書道の師匠です 小林一茶と淨蓮寺のご縁は 一茶はたびたび南房総に 足を運んでいるようですが その時に淨蓮寺に 宿泊していたようです 文化3年(1,806年)5月19日 房総捕鯨の祖であり、俳句をたしなんでいた 醍醐家4代目醍醐新兵衛定信の招きによって 勝山を来訪し浄蓮寺に宿泊してい…
ご訪問いただきありがとうございます。 まだまだほんの少しですが、アクセス数が増えていくと、とても励みになります。 いざいなん 江戸は涼みも むつかしき 江戸時代の俳人で、松尾芭蕉・与謝蕪村と並び、江戸の三大俳人と称された小林一茶の一句です。 小林一茶は、人生における数々の苦労からか、日常の些細な出来事や身近な風景を詠んだ句が多く、温かくて親しみのある作風の俳句が多くあります。 また、『雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る』を代表するように、小動物に対して優しい気持ちの作品が多いことも特徴です。 さて、『いざいなん 江戸は涼みも むつかしき』の句ですが、 さあお暇しよう。江戸は人が多くて涼むのも…
日本の文学史において、俳句は特別な位置を占めています。その中でも、小林一茶(こばやしいっさ)は、俳句の巨匠として知られています。彼の生涯と作品を通じて、その魅力と影響力を探ってみましょう。 1.生い立ちと経歴小林一茶は、1763年に現在の石川県金沢市に生まれました。本名は小林重喜(しげき)といいますが、俳号として一茶を用いました。一茶は、幼少期から俳句の才能を示し、若い頃から俳句の修行に没頭しました。 2.作風と特徴一茶の俳句は、その独自の観察力と繊細さで知られています。彼は、自然や日常の風景からインスピレーションを得て、短くて力強い句を生み出しました。その作品には、深い哲学的思考や情緒が込め…