1964年6月21日生まれ。岩手県水沢市(今の奥州市水沢区)出身。 2ちゃんねらー/うる星やつらチルドレン/コミスター 後藤は本名だが、「寿庵」は同郷出身である武士(伊達政宗の家臣)の名前から取った筆名。
アリシア・Y (にんじんコミックス)
童貞白書 (SANWA COMICS No.)
天正5年(1577年)? - 寛永15年(1638年)?。岩手県の武将。彼の作った大規模な用水路・「寿庵堰」が、現在でも史跡として残っている。
今週のお題「読んでよかった・書いてよかった2024」 gogonoyokoana.hatenablog.com gogonoyokoana.hatenablog.com 仙台藩から逐電した寿庵は何処へ消えたのか───? www.town.fukushima.hokkaido.jp 寿庵およびカルワ-リュ(カルバリオ)神父は、仙台藩の討手の来ることを知り、福原館に多くの宗徒を集め、キリスト御降誕節(クリスマス)の聖祭を行い、寿庵は南部領内に逃散し、カルワ-リュは福原館を発し、胆沢川を遡り、二十五キロメ-トル程離れた横手(秋田県)に入る山道から左側の沢中颪江(おろせ)の千軒原の鉱山に逃れた。この銀…
後藤寿庵(ごとうじゅあん)という人物がいる。 寿庵という名前は洗礼名…所謂クリスチャンネームで洗礼者ヨハネ(せんれいしゃヨハネ)ヘブライ語: יוֹחָנָן הַמַּטְבִּיל, Yōḥānān スペイン語: Juan el Bautistaの名前を授けられている ちなみにヨハネと言う名前の意味は「יהוה(ヤハウェ)が深く恵む」という意味だという。 陸奥国磐井郡藤沢城主・岩淵秀信の次男として誕生。 天正年間(1573年 - 1591年)、豊臣秀吉により主家・葛西氏共々岩淵氏も滅ぼされる。 慶長元年(1596年)、長崎に住みキリシタンとなるが、迫害によって五島列島宇久島に逃れ、ここで洗…
筆者の生まれた山間の村落(豊後国・海部郡・旧中野村支郷三股村)の目の前で佐伯地方最大の河川・番匠川に”久留須川”が合流している。また、この村落には大分県で最も”柴田姓”の人数が多く集住している。昔の大字に該当する単位である。どうして久留須川と言うのだろう。番匠川の謂れは凡そ自分なりに解明したが久留須川のそれは未だ判然としない。どうしてこんな過疎の一村落に柴田姓が固まって多いのだろう。この二点が迷走の始まりである。 九州各県に市町村単位で柴田姓の最大集住地を調べると福岡県に突出して多い。特に北部海岸沿いに集住していて、あの”伊都国”の糸島半島周辺に圧倒的に多い。また、その多くがかつてのキリシタン…
1644年から1873年までの230年間、禁教の時代を文字通り潜伏して生き抜き、明治になって禁教が解かれたときにカトリックに復帰した信者たちを「潜伏キリシタン」、一方で、カトリックに復帰せずに潜伏期以来の儀礼や行事を守ってきた人たちを「かくれキリシタン」といいます。 寿安堰の生みの親として、胆沢平野の開墾に大きな功績を残した後藤寿庵。寿庵は、慶長17(1612)年から元和9(1623)年までの12年間、現在の水沢市と胆沢町の一部の領地を治めていましたが、水不足に苦しむ領民の姿を見かね、私財を投じて胆沢川の水を引く用水堰の開削に尽力します。しかし、熱心なキリスト教信者だった寿庵は、年々厳しさを増…
茂井羅堰の原型は、角塚古墳の主と、貞任が開鑿 600年 角塚古墳時代 稲作のためには用水路整備が重要であり、朝廷側の技術により、水陸万頃の胆沢平野に農業が導入される。現在の茂井羅堰が主流で、大歩、小歩、愛宕、永徳寺周辺の集落民(開拓民)が中心に、胆沢川から堰を掘る。(大歩には安倍貞任の子孫あり) 800年 胆沢城時代 茂井羅堰をメインに胆沢城までの水路を完備する。 砂金採取のため、多くの開拓民が胆沢に入る。公益事業であり労働者のための給与(米)が多く必要となる。 朝廷側は、蝦夷に、より多くの農業拡大と砂金採取のための労働や税を迫り、蝦夷は反発する。朝廷は氾濫をおさえるため、戦を仕向ける。この時…
gogonoyokoana.hatenablog.com 館跡を見学した自分は国道397号線沿いにあるという寿庵堰を見に向かってみることにしました。 最初に到着したのが寿庵堰水系を含む胆沢川から分岐した水を分けるための円筒分水工 駐車場の地面にはどんぐりがびっしりと落ちてます ここにも時代は新しいですが後藤寿庵記念碑がありました 傍に控える両名の説明は後ほど… もうすぐ夕暮れの中日本最大級の円筒分水工に到着 現在は改修されていますが寿庵堰からの水もここで分岐しているようです 今現在は分水工が出来て水争いには無縁となりましたが二つの堰間で争いが絶えなかったとか… gogonoyokoana.ha…
2024/7/23火曜日 4時に起床し朝食作り。 5時過ぎに畑へ。 昨日、急遽購入したミニトマトの苗を植えたら水遣り。 今日は竹酢液入り。 そして、わいの大好物のカボチャを初収穫。 コルクはまだそれ程茶色くなってないけれど、ここから追熟する。 ついでに種取り用のビーツも収穫。 こんなに大きくなった(笑) 下の赤味が残っている部分は柔らかいのでありがたく食べる事に。 シャワーを浴び洗濯物を干したらベランダでの水遣り。 9時過ぎに買い物へ。 10時半に帰宅。 やっと、読書の時間。 昨日に引き続き大泉光一著「暴かれた伊達政宗『幕府転覆計画』ヴァティカン機密文書館史料による結論」 1611年、伊達政宗…
https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2021/11/15/193225 「ゴールデンロード⑤…遠野と金山,水銀との繋がり、そして修験道の関与は?」… https://tekkenoyaji.hatenablog.com/entry/2023/11/10/195717 「ゴールドラッシュとキリシタン-34…最新キリシタン墓研究と「火山灰直下の墓」の共通点についての備忘録」… 「ゴールデンロード」と「ゴールドラッシュとキリシタン」…両シリーズで攻めてみたい。 ・様似のゴールドラッシュの伝承と状況… https://tekkenoyaji.hatenab…