母を病院に連れて行った。その目の前に五所明神がある。佐伯藩の一宮である。加茂、春日、住吉、梅ノ宮、稲荷の五所の明神を祭神とするのでそう呼ぶ。佐伯藩時代には旧切畑村の八坂神社から宮司を出してもらい名字も本家の橋迫から遠慮してか橋佐古に変えた。今はその大元を凌ぐ隆盛成った神社である。その宮司にお会いし話を伺った。寺の和尚は大概恰幅がいいが、ここの宮司は細身でより神様のお側に仕えている風に見えた。一般的に神社の方が寺に比べて世俗性が薄いのがいい。久々の快晴に鎮守の森は新緑で輝いていた。今の時期の新緑に適う自然美はない。(ブログ投稿「山笑う」) 柴田姓ルーツ探しが再開したのである。佐伯藩時代に神職を務…