恵美押勝の乱

恵美押勝の乱

(一般)
えみのおしかつのらん

藤原仲麻呂の乱とも。
奈良時代は淳仁天皇の代、天平宝字8年(764年)9月に藤原恵美押勝(藤原仲麻呂)が起こした反乱。
光明子(光明皇太后)の崩御後、孝謙上皇の権威回復に焦った押勝が反逆を企てたが中途で発覚し鎮圧された。この乱で押勝は討死。道鏡が重用されるようになり、淳仁天皇はこの乱に加わったとして廃位、孝謙上皇が重祚し称徳天皇となる。
押勝はその子孫を次々と要職に就けて藤原氏本家にも対立者を生んでおり、根回しに失敗して孤立していたと考えられる。

経過

  • 9月2日 押勝が播磨や畿内四ヵ国などの軍事を司る兵事使に就く
  • 9月11日 発覚
    • 孝謙上皇により淳仁天皇御所の駅鈴、天皇御璽を回収
    • 押勝と乱に加わったとされるその子孫から藤原姓が剥奪される
  • 9月12日 孝謙上皇により押勝が太政官印を持って逃亡したとして北陸道で太政官印が無効となる
  • 9月18日 押勝討死
  • 10月9日 乱に加わったとして淳仁天皇が廃位
    • 淳仁天皇は親王の位を与えられ(大炊親王)淡路に幽閉


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