奈良時代の僧侶。生年不詳〜宝亀3年(772年)4月7日。
『続日本紀』没伝によると河内国出身の弓削氏。兄弟に弓削浄人がいる。
疑わしいが物部守屋(物部弓削守屋)の末裔や皇胤*1とする説もある。
宇佐八幡宮神託事件で有名。戦前教育では平将門、足利尊氏と並ぶ三悪人とされていた。
称徳天皇に寵愛され、太政大臣禅師に、次いで法王位を授かり、天皇と同様の待遇を受けた。大宰主神・習宜阿曾麻呂に誑かされて皇位を狙うが、輔治能清麻呂(和気清麻呂)の懐柔に失敗し逆上(宇佐八幡宮神託事件)。称徳天皇が崩御すると後ろ盾を失い、皇太子(後の光仁天皇)の令旨によって造下野国薬師寺別当に左遷され、その地で没した。
が、称徳天皇の崩御時の様子や宇佐八幡宮神託事件の記述に妙な点が多く、(称徳天皇の意思はともかく)道鏡による皇位簒奪の話は光仁天皇即位の正当化や藤原氏の勢力挽回を図った作為が含まれるのではないかと論争がある。
蘇我氏同様に戦前は異国の宗教・仏教を広めたのみならず皇位簒奪を企てた大悪人とされており、また和気清麻呂を祭る神社もあるため、逆賊という見方はあまり疑われない。。。
称徳天皇に寵愛されたことから平安時代以降に二人に男女関係があったという説が唱えられたが、道鏡は還俗されていないため俗説である。
*1:戒名に俗姓をつけて弓削道鏡と称するのはそれを払拭するためと考えられる。