〈阿倍仲麻呂と安南都護府〉 阿倍仲麻呂は7世紀末か8世紀初めに生まれ、遣唐使の一員として唐に留学。科挙に合格し、玄宗の信頼を得て高官になった。日本に帰ることを望みながら長安で没した。帰国をめざしたものの遭難した船旅に出発した際に「天の原 ふりさけみれば 春日なる みかさの山に いでし月かも」と詠んだ。
中国名は朝衡、中国の詩人の李白・魏萬・王維・儲光羲・趙驊・包佶たちとの親交がある。
玄宗皇帝【電子書籍】[ 塚本青史 ]価格: 1140 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 李隆基の幼少期は「武韋の禍」。祖母の則天武后が行なった恐怖政治の後、譲位した中宗の妃・韋皇后が娘の安楽公主と謀って、夫の中宗を毒殺する。その上隆基の叔母で武后の娘である太平公主とその取り巻きとの暗闘もあり、王宮は女性を中心にさらに混迷を深めていた。 隆基の従兄が韋后に叛旗を翻すも失敗したのを見て、隆基は宦官の高力士と慎重に陰謀を巡らして行く。臆病な性格を演じて周囲を安心させ、まずは太平公主と協力して韋皇后一派を一掃した。武則夫により廃位された父睿宗が復位すると、兄に代わって皇太子となる。そして712年に玄宗…
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも (あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも) 阿倍仲麻呂 〈現代語訳・口語訳〉 大空を振り仰いで眺めると、美しい月が出ているが、あの月はきっち故郷の春日の三笠の山に出た月と同じ月だろう。 ※阿倍仲麻呂(あべのなかまろ) (698年~770年) 奈良時代の遣唐留学生。姓は朝臣(あそん)。筑紫太宰帥・阿部比羅夫の孫。中務大輔・阿部船守の長男。弟に阿部帯麻呂がいる。唐名を「朝衡・晃衡」とする。唐で国家の試験に合格または推挙で登用され唐朝において諸官を歴任して高官に登ったが、日本への帰国を果たさずに唐で客死した。…
長安(現在の西安)から日本に帰ってこれなかった遣唐使の阿部仲麻呂さんの記念碑のある興慶宮公園を訪れる。 西安で最大と言われる興慶宮公園というのは東京ドーム65個分の広さで公園と言うには気が遠くなるような公園だ。 公園は一周ぐるりと見て回る気も起こらないほどのだだっ広さを体感する。 一事が万事、広大な面積の史跡・宮殿の跡と言われる公園は建物は残っておらず、復元も出来ないので、空は広く、大きな凧が遠く遠く小さくなってしまうまで揚がっている。 街なかでこんなに空高く、遠くまで凧を飛ばす事ができるという広大な公園。 その公園の片隅に阿倍仲麻呂さんの記念碑がひっそりと佇んでいる。 阿倍仲麻呂さんは日本に…
日本人初の中国留学生としての軌跡阿倍仲麻呂‐上海美知中国語学校 日本人初の中国留学生としての軌跡阿倍仲麻呂‐上海美知中国語学校 日本と中国の関係は、古くから文化的、経済的に密接な繋がりを持ってきました。その中でも、学問や知識の交流は特に重要な役割を果たしており、初めて中国へ留学した日本人が果たした役割は大きな歴史的意義を持っています。本稿では、日本から初めて中国へ留学した人物とその影響について詳述します。 初めての日本人留学生:阿倍仲麻呂 日本から初めて中国へ留学した人物として知られるのは、奈良時代の阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)です。彼は、日本の遣唐使として中国に渡り、唐の文化や知識を学びまし…
大和政府と蝦夷の戦いといえば「坂上田村麻呂」が有名ですが、それよりも200年ほど前に蝦夷と戦った人物がいました! その名も阿倍比羅夫(あべのひらふ)です。 日本の火祭り青森ねぶたより
2024年になった。 元旦にNHKでお遍路特集のような番組をやっていた。何番目かのお寺で「こちらは夜のお参りも人気です」という紹介。夜、登った月が山にかかる感じが素晴らしいそうな。弘法大師もこの風景を見ていたのかなと思って、さらに思い出すのは「三笠の山にいでし月かも」、阿倍仲麻呂。以前にも少し書いているけど。 NZに住んでいる当時、自分も少し似たことを考えたことがある(自分の場合は、ちゃんと故郷に帰れたけど)。ちょうど、その時は何十年に一度のなんとかスーパームーン(最近は〇〇ムーンが多すぎて分からないし、ありがたみが無くなった)。結構世界的にフィーバーだったと記憶している。なにせNZでも騒いで…
間もなく源氏は本官に復した上、 権大納言《ごんだいなごん》も兼ねる辞令を得た。 侍臣たちの官位もそれぞれ元にかえされたのである。 枯れた木に春の芽が出たようなめでたいことである。 お召しがあって源氏は参内した。 お常御殿に上がると、 源氏のさらに美しくなった姿を あれで田舎住まいを長くしておいでになったのかと人は驚いた。 前代から宮中に奉仕していて、年を取った女房などは、 悲しがって今さらまた泣き騒いでいた。 帝《みかど》も源氏にお逢いになるのを 晴れがましく思召《おぼしめ》されて、 お身なりなどをことにきれいにあそばしてお出ましになった。 ずっと御病気でおありになったために、 衰弱が御見えに…
【中古】天翔ける女帝価格: 4380 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 持統天皇の血統を継ぐ聖武天皇と、藤原氏出身の光明子の間に生まれた阿倍媛。同じ両親で待望の男子基親王は、幼いまま亡くなってしまう。 病弱で祈りと写経に没頭する父聖武天皇に会いたくて内裏の奥に忍び込むと、夜父聖武の番をする夜叉の姿があったが、それは神宿るものだけが見えると言われていた。母光明皇后からは神宿るものは幸いだけでなく、災いをも負うことになると諭される。そして同じく夜叉が見える異母姉の井上内親王からは、自分は皇后になり、阿倍媛は女帝になると予言される。 父聖武天皇も神が宿り、未来を見ることができる。聖武はやがて天皇にな…
七歳から夜も昼も父帝のおそばにいて、 源氏の言葉はことごとく通り、 源氏の推薦はむだになることもなかった。 官吏はだれも源氏の恩をこうむらないものはないのである。 源氏に対して感謝の念のない者はないのである。 大官の中にも弁官の中にもそんな人は多かった。 それ以下は無数である。 皆が皆恩を忘れているのではないが、 報復に手段を選ばない恐ろしい政府をはばかって、 現在の源氏に好意を表示しに来る人はないのである。 社会全体が源氏を惜しみ、 陰では政府をそしる者、恨む者はあっても、 自己を犠牲にしてまで、源氏に同情しても、 それが源氏のために何ほどのことにもならぬと思うのであろうが、 恨んだりするこ…
🌸🎼月夜の空中庭園 written by こおろぎ🌸 「ただ今まで御前におりまして、 こちらへ上がりますことが深更になりました」 と源氏は中宮に挨拶《あいさつ》をした。 明るい月夜になった御所の庭を中宮はながめておいでになって、 院が御位《みくらい》においでになったころ、 こうした夜分などには音楽の遊びをおさせになって 自分をお喜ばせになったことなどと 昔の思い出がお心に浮かんで、 ここが同じ御所の中であるようにも思召しがたかった。 九重《ここのへ》に霧や隔つる雲の上の 月をはるかに思ひやるかな これを命婦《みょうぶ》から源氏へお伝えさせになった。 宮のお召し物の動く音などもほのかではあるが聞…