〈阿倍仲麻呂と安南都護府〉 阿倍仲麻呂は7世紀末か8世紀初めに生まれ、遣唐使の一員として唐に留学。科挙に合格し、玄宗の信頼を得て高官になった。日本に帰ることを望みながら長安で没した。帰国をめざしたものの遭難した船旅に出発した際に「天の原 ふりさけみれば 春日なる みかさの山に いでし月かも」と詠んだ。
中国名は朝衡、中国の詩人の李白・魏萬・王維・儲光羲・趙驊・包佶たちとの親交がある。
今年のお盆は、熱帯低気圧や湿った空気の影響で、不安定なお天気ですね。 遠出の予定なし。 私はお休みだけど、夫は普段通りの在宅勤務で、 家に居るのはなんとなく気が詰まる。 まずはお弁当を準備。 冷ご飯 ゆでブロッコリ マカロニサラダ 豚肉・かぼちゃ・玉ねぎの甘酢炒め たくわん 残り物をドサドサ詰めて30秒で出来上がり! これを持って、近くのファミレスっぽい喫茶店へ。 モーニングを注文します。 コーヒー税込み520円だけの値段で、トーストとゆで卵がついてくる。 Wi-Fiあるし、充電もできる。 朝7時半からやっていて、駅から遠いせいかあまり混んでいない。 持ってきた本は、井上靖著 天平の甍。 初刊…
VIVANTがまた始まるそうで、前作のダイジェスト版が盛んに放送されています。「国家情報会議」や「国家情報局」を創設する国家情報会議設置法が先般成立したので、前回放送時よりも客観情勢はだいぶ変わったのではないでしょうか。一匹狼的な「別班・諜報員」が国家情報局に公然と反旗を翻す、などという小説を期待したいところです。それはそうと「実は別班なんだ」とかいうセリフがどこかのバーの片隅で語られるような気もしますし、別班がらみのロマンス詐欺など起こらなければよいと思います。しかし、物語の世界と現実とが、ごっちゃになるのは単純に笑える話でありません。古い話ですが「ミッション・インポッシブル/デッドレコニン…
第10回の源賀に続き,第11回は百人一首7番の詠み手,阿倍仲麻呂です。 en.wikipedia.org Abe no Nakamaro (阿倍仲麻呂; c. 698 – c. 770), also known by his Chinese name Chao Heng (Chinese: 晁衡), was a Japanese scholar and waka poet of the Nara period. He served on a Japanese envoy to Tang China and later became the Tang duhu (protectorate gov…
通説では大唐帝国に無謀な戦いを挑んだとされる「白村江の戦い」。ところが、日本書紀は唐軍に対して我が国が劣勢であったとは言っていない。それどころか『余裕で勝てる戦いを落とした』と言っているように見える。 日本書紀の歴史認識 『継体持統㉜:白村江投入勢力試算 - 上古への情熱』で述べたとおり、「白村江の戦い」時に我が国から渡海していた勢力は、水軍400艘4万人、陸軍1万5千人の、総軍5〜6万人。 これに対し、唐軍は水軍170艘。170艘に乗れる人数として2万人程度。高句麗があって唐本国から陸送できないことから、この170艘で上陸できた兵力しかいないとなると、唐軍は極めて心細い勢力しかいなかったこと…
玄宗皇帝【電子書籍】[ 塚本青史 ]価格: 1140 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 李隆基の幼少期は「武韋の禍」。祖母の則天武后が行なった恐怖政治の後、譲位した中宗の妃・韋皇后が娘の安楽公主と謀って、夫の中宗を毒殺する。その上隆基の叔母で武后の娘である太平公主とその取り巻きとの暗闘もあり、王宮は女性を中心にさらに混迷を深めていた。 隆基の従兄が韋后に叛旗を翻すも失敗したのを見て、隆基は宦官の高力士と慎重に陰謀を巡らして行く。臆病な性格を演じて周囲を安心させ、まずは太平公主と協力して韋皇后一派を一掃した。武則夫により廃位された父睿宗が復位すると、兄に代わって皇太子となる。そして712年に玄宗…
長安(現在の西安)から日本に帰ってこれなかった遣唐使の阿部仲麻呂さんの記念碑のある興慶宮公園を訪れる。 西安で最大と言われる興慶宮公園というのは東京ドーム65個分の広さで公園と言うには気が遠くなるような公園だ。 公園は一周ぐるりと見て回る気も起こらないほどのだだっ広さを体感する。 一事が万事、広大な面積の史跡・宮殿の跡と言われる公園は建物は残っておらず、復元も出来ないので、空は広く、大きな凧が遠く遠く小さくなってしまうまで揚がっている。 街なかでこんなに空高く、遠くまで凧を飛ばす事ができるという広大な公園。 その公園の片隅に阿倍仲麻呂さんの記念碑がひっそりと佇んでいる。 阿倍仲麻呂さんは日本に…
ランキング参加中旅行 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出し月かも (安倍仲麿・古今集) ※今回は前回投稿の続きです。 山の辺の道を歩く - よそもんが京都で暮らす 大神神社からのバスが桜井駅に着いたのが14時過ぎ。まだ京都に戻るには時間があったので、安倍文殊院に行ってみる。駅から歩いて行ける距離ではなく、バスの便数も限られているので、タクシーを使う。1000円はかからない。 安倍文殊院は、大化元年(645)に創建された日本最古のお寺の一つ。近鉄が運営する「奈良しあわせ散歩」というウェブサイトには、次のように解説されている。 奈良しあわせ散歩〜パワースポット&カフェ&雑貨 | 近畿…
日本人初の中国留学生としての軌跡阿倍仲麻呂‐上海美知中国語学校 日本人初の中国留学生としての軌跡阿倍仲麻呂‐上海美知中国語学校 日本と中国の関係は、古くから文化的、経済的に密接な繋がりを持ってきました。その中でも、学問や知識の交流は特に重要な役割を果たしており、初めて中国へ留学した日本人が果たした役割は大きな歴史的意義を持っています。本稿では、日本から初めて中国へ留学した人物とその影響について詳述します。 初めての日本人留学生:阿倍仲麻呂 日本から初めて中国へ留学した人物として知られるのは、奈良時代の阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)です。彼は、日本の遣唐使として中国に渡り、唐の文化や知識を学びまし…
大和政府と蝦夷の戦いといえば「坂上田村麻呂」が有名ですが、それよりも200年ほど前に蝦夷と戦った人物がいました! その名も阿倍比羅夫(あべのひらふ)です。 日本の火祭り青森ねぶたより
2024年になった。 元旦にNHKでお遍路特集のような番組をやっていた。何番目かのお寺で「こちらは夜のお参りも人気です」という紹介。夜、登った月が山にかかる感じが素晴らしいそうな。弘法大師もこの風景を見ていたのかなと思って、さらに思い出すのは「三笠の山にいでし月かも」、阿倍仲麻呂。以前にも少し書いているけど。 NZに住んでいる当時、自分も少し似たことを考えたことがある(自分の場合は、ちゃんと故郷に帰れたけど)。ちょうど、その時は何十年に一度のなんとかスーパームーン(最近は〇〇ムーンが多すぎて分からないし、ありがたみが無くなった)。結構世界的にフィーバーだったと記憶している。なにせNZでも騒いで…