手稲区

手稲区

(地理)
ていねく

札幌市手稲区は、北海道札幌市の行政区の一つ。
札幌市の北西部に位置している。
1989年11月6日、札幌市西区の北部を分区する形で発足。
面積は56.77km²、人口は141,165人*1

地勢

札幌市の北西部に位置し、南東は手稲山の山頂から新川にかけて西区と、西は手稲連山の尾根を境として南区・小樽市と、北東は北区・小樽市・石狩市と、北西はおたるドリームビーチのある小樽市と接している。
東西に10.8km、南北に9.4kmの広がりをもっており、札幌市の中では10区中6番目の広さを有している。
市内でもきわめて自然に恵まれた地域であり、特に南西部に位置する手稲山*2は、四季折々の豊かな自然に恵まれ、手稲区のシンボルとなっている。
手稲山にある星置の滝や乙女の滝は訪れる人に雄大で美しい姿を見せており、乙女の滝ルート(自然歩道)や山頂からは石狩平野や手稲山の豊かな自然などの素晴らしい景色を楽しむことができる。
また、手稲山は、春には山菜採り、夏・秋には登山やハイキング、冬にはスキーなど、四季を通じて絶好のスポーツ・レクリエーションの場として市民から親しまれている。
その他、手稲山を源として軽川・三樽別川・中の川・星置川などの河川が市街地を流れており、魚や昆虫、水鳥が数多く生息している。

シンボルマーク(右上)

三角形は、やさしく区民を見つめる手稲の山々と、未来に向かって限りなく発展を続ける手稲区を象徴する。
曲線は、手稲の歴史を刻む軽川かるがわと、人情味あふれる区民相互の協調と連帯の広がりを表す。
色彩は、木々の緑、さわやかな水辺、澄みきった青空を表現し、これらの豊かな自然を大切にする区民の心意気を表す。
※1990年3月制定

沿革

手稲は、明治初期に北海道の開拓を支える交通の要所として開けた街である。
開拓当時、主に小樽港を基点に物資の補給が行われていたので、軽川(現在の手稲本町))やサンタロペツ(現在の富丘)が、小樽港から開拓使本府の置かれた札幌への陸上輸送の中継点となった。
この様に、物資の集散地区となった軽川やサンタロペツには人々が集まり始め、集落が形成されるようになった。
明治中期になると、手稲山口に山口県から、星置には広島県からそれぞれ入植者があり、農耕地の開墾を始めた。
また、不毛の地であった前田や新発寒は、酪農を主とした農場へとその姿を変えていった。
明治終期には、新川の川辺などで土器のかけらが発見され、昭和に入ってからも完全な形の土器が見付かり、本格的な発掘調査が行われた。
その結果、紀元前2000年もの昔に先住民族が生活していたことがわかり、この遺跡は「手稲遺跡」と名付けられた。
明治中期には手稲山で金鉱脈が発見され、昭和初期には鉱山が最盛期を迎えた。
東洋一の選鉱場をもち、賑わいをみせていた鉱山も戦後次第に衰退し、昭和46年に閉山した。
1967年、手稲町は札幌市と合併。以後、新興住宅地が次々とでき、発展のスピードも急ピッチとなった。
1972年に札幌市の政令指定都市移行に伴い(旧)西区となり、また、札幌冬季オリンピックが開催され、アルペン競技やボブスレー、リュージュ競技の会場となった手稲山は世界にその名を知られるようになった。
1989年11月6日、人口の著しい増加に伴ってそれまでの西区から分区し、今の手稲区が誕生した。

*1:2016年8月1日現在

*2:標高1,023m

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