土方歳三、一本木関門にて戦死 ✱この章(龍馬と歳三のすれ違いを探る)は、歴史年表に基づき両雄が接近した拠点を探り出し、実際に京の街を徒歩で測ったものです。 明治2年5月11日、新政府軍による函館総攻撃が始まる。島田魁らが守備していた弁天台場が新政府軍により包囲されたことを知ると、歳三は篭城戦を嫌い僅かな兵を率いて出陣。敗走してくる兵に喝を入れ進軍する。「我この柵にありて、退くものを斬る」と発した。七重浜より攻めくる新政府軍に応戦、馬上で指揮を執った。その乱戦の中、1発の銃弾が歳三の腹部を射抜く。落馬した歳三に側近が駆けつけた時にはすでに絶命していた。坂本龍馬が逝って1年半後、奇しくも土方歳三の…