仏を「本地」(=本体・本源)として、神をその投影形態(=「垂迹」)とする、仏教を優位に考える神仏習合の思想。
釈迦=大宮、阿弥陀=聖真子、普賢=三宮、文殊=王子宮、摩利支天=山末、大威徳=牛御子、弁才天=岩滝、如意輪=聖女、龍樹=小禅師、不動=早尾、虚空蔵=下八王子、地蔵=十禅師、千手=八王子、薬師=二宮、十一面=客人、毘沙門=大行事、吉祥天女=新行事、大日=気比、愛染=悪王子、不動倶里伽羅=剣、不動毘沙門=夷、などなど。
そんなわけで、この時期本格的に国政に仏教が入ってきたのであるが、今まであった日本古来の神道はどうなったのか。他国においてはこういう場合、今まで信ぜられていた宗教は破棄、ないしは上書きされてしまう場合が多いのだが、日本においてはそうならなかった。 そもそも仏教が伝来した時から、日本の人々によって「神」と「仏」は、漠然と同じようなものとして信仰されていた。仏は「蕃神」つまり「外国の神」として捉えられていたのである。また仏教は初めはバラモン教、後にはヒンズー教が強かったインドで生まれ、発展していった宗教であったから、多神教的な味付けを加えられていたことも大きい。古代日本人の一般的な認識としては、あく…
日本、日本人論、続けます。 ◯融合する日本 本地垂迹説、両部神道、尊いものがいると感じ、神も仏も信じているのが、日本人でしょう。草木国土悉皆成仏。大日如来は、アマテラスオオノカミなのです。 政教分離であれば、元より、神父や修道女が学校施設に入ってはいけないのです。しかし、日本では、キリスト教の学校も、靖国神社のそばにあります。先生も、神父であったりします。仏教徒で宗派が違うのに、結婚もできるのです。誰も何も気にしません。 神話とダーウィンの進化論が、共存できたのです。 かたじけないもの、畏れ多いもの、聖なるものは、その土地にあった形で、どんなとこにも現れるという感じです。 つまり、日本人は、な…
はじめに 明石海峡、住吉大社、天照大神高座神社 が同緯度で直線で繋がる理由を考えていると #天照大神 #八幡大菩薩 が出会う歴史の変わり目と、その時代の様子が垣間見えます #阿弥陀如来 #薬師如来 #本地垂迹 #法隆寺金堂 #石清水八幡宮 目次 住吉大社ラインが明石海峡を指す理由・考 東の天照大神と西の八幡大菩薩【石清水八幡宮】 東の薬師如来と西の阿弥陀如来【法隆寺金堂】 本文 【摂津・河内平野 二本の【太陽の道】が指すところ。明石海峡】 www.zero-position.com 摂津・河内平野 二本の【太陽の道】は明石海峡を指す 住吉大社ラインが明石海峡を指す理由・考 宇佐八幡(大分)をは…
私は、城址城郭や神社仏閣にとても興味がある。 WEB上には、いろいろな情報をデータベースとして利用できるサイトが多くある。 EPWINGという電子辞書形式のファイルを作ることを、熱心にやっていた時期があった。 神社の情報を集めて、「神社辞典」を作ったことがある。 その時に、神社について調べてみた。 日本全国に、神社が10万くらいあることがわかった。調べ方で違ってくるかもしれない。 文部省の調査だと81158となってる。お寺は、77256だそうだ。 神社といっても、誰でも知ってるような香取神宮や鹿島神宮のような立派な神社から、小さな建物があるだけの神社まで、いろいろである。 日本では、ある程度の…