宝永4年12月25日。馬廻300石米倉喜左衛門が改易となる。使いは目付牧野伊左衛門・供番永井藤左衛門。以前からとても行いが良くなかった。家ではいつも4,5人の女に踊り、歌わせ、踊りに女遊びが絶えなかった。昨年秋菰野へ湯治に出かけたが、召仕の女2人を連れて行った。この女は密かに京から呼び寄せていた。2人の内1人は悩み事があって一緒には行かず、後から婆が付いて菰野へ出かけていた。菰野ではこの女2人とその土地の遊女を呼び寄せ、毎昼夜踊りを楽しんでいた。神宮寺の智海と永安寺の末寺で禅宗永安寺の隣にある性雲寺もこの会に出ており、どうしようもなく度を外れた者どもであった。喜左衛門は女2人が妬むのを面白がっ…