兵庫県宝塚市米谷字清シ1番地にある寺で、真言三宝宗の総本山。
宇多天皇の勅願をもとに平安時代のはじめに創建されたという古刹である。正式には「蓬莱山清澄寺」。通称の「清荒神」は鎮守神の三宝荒神社のことで、竃の神の荒神などを祀り、広く崇敬を受けている。
境内には富岡鉄斎の作品を展示する『鉄斎美術館』があり、西国七福神の札所の一。
参考資料:西国七福神>清澄寺
清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ) 昭和の雰囲気がある参道の街並みだけど、参道はよく整備されていた。 シャッター商店街 清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ) 長い名前だが、子供の頃は清荒神と言う名前で親しんだ。 「荒神」さんなので神社かと思っていた。 参道に鳥居がある。 お寺?神社?両方。 神仏習合の典型かもしれない。 山門を潜ると 真正面に本堂が見える。 本堂に向かう途中で左に上がる朱塗の手すりのあるスロープの先に鳥居、その向こうに拝殿があった。(神道) 親や親戚に連れられて何度も行ったような記憶がある。 「清荒神」と言う名前をよく耳にしたのだろうか。 大人になってからは、30…
昨日、大阪日帰りをしてきたのですがこの写真は本町にある小原流研修会館の丁度裏手の写真です。 左側にある球体は流祖小原雲心先生が逝去した後に二世小原光雲家元が全国に呼びかけて寄付を募り宝塚の「清荒神清澄寺」の境内に国風盛花塔という小原流のシンボルを立ました。そこには全国から小原流の会員達がメッカとして集まり花展など開催されていました。 それが二世光雲先生逝去後、三世豊雲家元の時に清澄寺側から盛花塔の場所に富岡鉄斎美術館を建てるため盛花塔を移動して欲しいと言われます。そこで当初、豊雲先生は宝塚に代わりの場所を探していたのですがなかなか見つからず、知り合いから宝塚ではないけどいい場所があるというので…
本日は兵庫県のお寺「清荒神清澄寺」にお参りに行ってきました。 台所の神様で関西では有名なお寺さんで、とても遠いのですが 年に1回、かならず2月にお参りしお札をいただくようにしています。 土日はとても混雑しているお寺さんですが、本日は平日で しかもお天気もかなり寒かったからか参拝されている方はとても 少なかったです。ご年配の方がほとんどでした。 ご年配の方にたくさんお会いしたので、今日はご年配の方の姿勢の話を したいと思います。 日本人のご年配の方は腰が極端に曲がってしまう方がとても多いのですが 実は海外では日本人ほど曲がっている方は少ないと言われています。 その違いは①骨格(骨盤)の違い、だと…
先日、職場の30代の子に「富山に住んでた」云々と話したら 「爺ちゃんが富山に住んでました」なんてことを言い出し、 「へえ、富山のどのへんよ」と聞いたら 「トイザらスのすぐ近くです」なんて言う。 むむ、これは富山市か高岡市かと思いつつ 「近くに路面電車とか走ってた?」と聞いたら 「それで富山駅から行ってました」とも言う。 まじかー、間違いなく五福あたりではないか。 俺も近くに住んでたんだよーとテンションあがりつつ、 「つーことは父ちゃんは富山生まれつうことか」となり、 「大学進学でこっち来たそうです」 と、兵庫県内の超有名国立大学の名前を挙げ、 「???」とのけぞりそうになりつつ、 「つーことは…
三宝荒神(さんぽうこうじん)とは? (Amazonより:柘植 三宝荒神 立像 29cm 木彫り 仏像) 三宝(さんぽう)とは、「仏・法・僧」のこと(仏教における大切な三つの宝)。三つの宝を守る、荒ぶる性格の神様(荒神)が三宝荒神。日本古来の神様が仏教(の民間信仰)に取り入れられた形式なので、日本にしか存在しません。江戸時代以降は、不浄や災難を焼き尽くすことから、火や竈の神となりました。そこから守備範囲が広がって、食物・農耕の神としても信仰されるようになります。詳しい特徴を見ていきましょう。 広告- - - - - - - - - - // 三宝荒神(さんぽうこうじん)とは? 三宝荒神像の特徴 …
{あけましておめでとうございます!有馬温泉 太閤の湯に行ってきたよ!} {駐車場に入ったら、まずは温泉街を散策かなり広い・・} {⇩なんだか、京都にいるみたい・・} {⇩間欠泉 うわなりの湯きりきずの治療に良いらしい} {⇩なんだか昭和を思い出すかんばん} {⇩有馬籠と言う工芸品のお店、主に花器として茶道の中で愛用されたらしい現在は、インテリア、ハンドバックなど、ライフスタイルにあった竹工芸品を造っているそうな・・} {⇩何故か瓦が通路に・・} {⇩階段を上がったところで見下ろすと結構高い山なんだなぁと・・} {さて散策も終わり、風呂とサウナに入ろう・・風呂上がり汗もかいたので「ありまサイダー…
突然ですが! ここで問題です! 今回は宝塚線が多いので阪急宝塚線の難読駅名である 売布神社 清荒神 雲雀丘花屋敷 さて何と読むでしょうか!? 正解はこのブログの最後にあります! はい!雨男です☔️ 今回は 「阪急阪神New Year Ticket」で 乗り鉄を楽しみながら初詣をしてきましたので、その思い出を書きます! メインは初詣の社寺巡りになります! 興味のある方は最後まで見てくださいね! 「阪急阪神New Year Ticket」とは 阪急全線 阪神全線 神戸高速全線 以上の路線がなんと1日1000円で乗り放題になり、対象の社寺に参拝すると祈念品もいただけるという超お得な切符です! 昨年は…
清荒神清澄寺 参拝客でいっぱいです 台所、かまどの神さま 手塚治虫記念館の前を通って 往復3時間半のお散歩
今日も早朝から初詣へ行きます まずは清荒神清澄寺へ 阪急電車清荒神駅から参道を上がります 約20分の上り坂です 本殿から順番に参拝します 最後はここで一礼です 来た道を駅へ戻ります おや~喫茶店がオープンしてました(パスします(^_^;)) 駅へ戻り中山観音へ こちらは参道は駅から5分かかりません 大門から本殿へ 中山観音は安産の神様です、石段も有るのでエスカレーター完備です(妊婦さんに優しいです) 参拝後太子殿へ ここからは朝日が見えるんですが~今日は雲が多くて見えませんでした あと、寺内数社参拝して駅へ戻ります 電車で大阪梅田へ向かいましょう 午前8時になりました、モーニングへ行きましょう…
職場でふと耳にした『がんせんじ』という言葉。 『岩船寺』と書くと聞いて、俄然興味が湧き早速その週末に参拝。 あいにくの雨なのですが、私にすればラッキーな雨。 『雨だと自転車に乗れないから・・・。』とは主人。 そんな訳で、ここ最近の我が家の参拝事情は雨の日が恒例となってしまいました(笑) 岩船寺の道中にはまだ参拝に伺ったことのない浄瑠璃寺があり、雨でもそこそこの人が参拝に来られていました。 その横を通り過ぎ、更に山頂目指して車を走らせた先に目指す岩船寺はありました。 タイミング良く秘仏開帳の期間と重なり、家族全員で来れたことに感謝。 ただ、降りやまぬ雨の為に三重塔の初層の開扉は中止とのことで、こ…
孫が作ったぎゅうぎゅう満員電車 うちにあるすみっコぐらしのネコちゃんを阪急電車に集めて乗せて遊んでいたので、招き猫の置物も出してやってふと見るとこんな満員電車が…☺️ 可愛い💕 元々はこういうものです。 「阪急沿線西国七福神めぐり」で満願達成するともらえるミニチュア電車です。 阪急沿線(宝塚線)西国七福神集印めぐりとは? 宝塚沿線の以下の7寺社を巡るものです。 ☆東光院・毘沙門天(曽根駅)☆圓満字・福禄寿(蛍池駅)☆西江寺・大黒天(箕面駅)☆龍安寺・弁財天(箕面駅)☆呉服神社・恵比寿神(池田駅)☆中山寺・寿老神(中山観音駅)☆清荒神清澄寺・布袋神(清荒神駅) 参拝印を全部集めると阪急電鉄オリジ…
朝の8時。 降り立った先は阪急清荒神駅 今回は一度に三社を参拝する為、清々しい朝の参拝からスタートです。 ほぼ開いていない商店街。 人影で分かる通り、今日はジン友と一緒。 清荒神さんまでは駅から1キロ程ですが、その参道を龍に模した案内がありました。 まだ龍のお腹くらいの位置になるようです。 魚拓のたばこと魚ならぬ、石灯篭と人。 とてもつもなく大きい石灯篭で、ふと浮かんだのがピラミッドを守るスフィンクス。 まるで清荒神を守る門番かのよう。 8時過ぎということもあって、人影もなく朝のしんとした空気がとても清々しく感じます。 清荒神清澄寺へやって参りました。 宝塚市の天然記念物、樹齢400年にもなる…
売布神社は、兵庫県宝塚市売布山手町にある神社。 最寄り駅は、阪急宝塚線「売布神社」駅。 阪急宝塚線は、「大阪梅田」駅から兵庫県の「宝塚」駅間を結ぶ路線。 「売布神社」駅の前後は有名な寺院の駅。神社近くに両寺院への道標があった。 宝塚側は「清荒神」駅は、「清荒神清澄寺」と呼ばれ、真言三宝宗[1]の総本山の寺院。境内には三宝荒神社もあってこちらの方が著名である。子供の頃よく親に連れて行ってもらった。 大阪側は「中山観音」駅は「中山寺」は真言宗中山寺派の大本山の寺院。本尊は十一面観世音菩薩。西国三十三所第24番札。安産のお寺。妊婦さんが安産祈願の腹帯を求めるにお参りする。「中山さん」と呼ばれ親しまれ…
秋晴れ 清荒神清澄寺の樹齢400年のイチョウはまだ青々 真っ赤に色づいている紅葉もあります
兵庫県寺院探訪 蓬莱山 清荒神清澄寺 住所 兵庫県宝塚市米谷清1 宗派 真言三宝宗 総本山 拝観 無料 駐車場 無料 ランク ★(1.7)(5段階) 清澄寺本堂・大日如来(重文)を安置。 🔴清荒神清澄寺は、火の神・台所の神「荒神さん」として親しまれている寺院です。 境内には、荒神社と清澄寺が混同しており神仏習合の形態を今に残してます。 宇多天皇の勅願寺として、寛平8年(896)叡山の静観僧正を開山に迎え創建され 天皇より「日本第一清荒神」と下賜う由緒ある寺です。 源平合戦や戦国期の荒木村重の乱などで焼失し、安政年間(1855~60)頃 荒神社のある現在地に移転しました。 庶民信仰も盛んで、門前…