ジャーナリスト。
1935年生まれ。大分県出身。小山台高校を経て、早稲田大学政治経済学部卒。元朝日新聞記者。
本多勝一(朝日新聞での同期)らが名を連ねる、雑誌「週刊金曜日」の編集委員。
朝日新聞では、返還前の沖縄特派員のほか、1978年から1982年までテレビ朝日の「日曜夕刊! こちらデスク」のパーソナリティーを務めた。その後、1984年「朝日ジャーナル」編集長に。
在籍中、参院選でミニ政党「無党派市民連合」を支持し、選挙広報の司会役として出演したため同社から処分を受けたこともある。同社で最後に、「編集委員としてNY駐在」という特殊な形になったのはそれが理由との見方が強い。また、与党勢力からの立候補を検討していた辻元清美に出馬の決断を強く勧め、「政治家・辻元清美に製造物責任を持つ」と自称するなど、政治フィクサー的な活動も行った。報道姿勢ではリベラル色が強く、憲法9条の改憲やタカ派に対しては否定派である。否定されがちでありながらも少数派であることを自認している。
1989年、朝日新聞社を退社し、現在までTBS『筑紫哲也NEWS23』のキャスター・編集長を務めている。以降、TBSまたはテレビ朝日の特番のみの出演と、限られていたが、トリビアの泉、森田一義アワー 笑っていいとも!に出演経験がある。2003年から早稲田大学大学院公共経営研究科教授。
2007年5月14日、自身の番組冒頭で初期の肺がんであることを告白、番組を降板し療養に入った。
2008年11月7日、肺がんで死去。享年73。
交友関係ではさだまさし、吉川晃司などといったミュージシャンもいたため、人脈が広いことでも知られていた。滝廉太郎とは血縁関係があったことも有名。
【主な著作】
多事争論メディアと権力
筑紫哲也のこの「くに」の冒険
ニュースキャスター
筑紫哲也のこの「くに」のゆくえ
紫哲也の小津の魔法使い
情報は誰のものか
メディアの内と外―ジャーナリストと市民の壁を超えて
筑紫哲也の現代日本学原論1 働く
「政治参加」する7つの方法
ニューヨーク発 対論・日本の興亡―2001年への選択
【研究・批判本】
筑紫哲也「妄言」の研究―『News23』、その印象操作&偏向報道の作られ方 (別冊宝島Real (056))