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統帥権干犯問題

(社会)
とうすいけんかんぱんもんだい

大日本帝国を崩壊させる遠因となった事件の一つ。もともとは単なる与野党間の政争の材料。
1930年(昭和5年)、ロンドン海軍軍縮条約に調印した濱口雄幸内閣に対して、これが統帥権の独立を犯すものだとして野党政友会が攻撃した。これに軍令部や右翼がのっかる形で政府を攻撃した。
結果、政治軍事を統率する力を失い、最終的には(この問題で政府を攻撃した当の本人である)犬養毅五・一五事件によって射殺されて政党政治は終わりを告げた。

統帥権

大日本帝国憲法には以下のように書かれている。

第十一條
天皇陸海軍ヲ統帥ス
第十二條
天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム

第五十五條
國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス

と書かれており、現実には大抵の国事行為は関係する国務大臣の補弼を受ける事になっていた*1
要するに統帥権の独立が明文化されていたわけではなく、どこまでが統帥権の範囲で、どこまでが(国務大臣の一人である)海軍大臣の補弼を受けるべき範囲か、はっきり決まっていたわけではなかった。
この第十二条に定められた権限(いわゆる編制大権)が統帥権に含まれるか、それとも国務の範囲なのかを争点としたのが、統帥権干犯問題の法理論的な側面である。

*1:第三条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」となっており、つまり天皇は責任を負わないので、代わりに国務大臣が「責ニ任」しているとも言える

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