南九州の歴史というと、どうしても島津(しまづ)氏ばかりが取り上げられる。というのも、薩摩国・大隅国・日向国の諸勢力を平らげた勝者だからだ。敗れた側の歴史は次第に語られなくなるものである。 中世に大隅国で繁栄した一族に、肝付(きもつき)氏がある。肝属郡高山(こうやま、現在の鹿児島県肝属郡肝付町高山)を本拠地とし、薩摩国や日向国にも支族がいた。南九州においては島津氏よりもずっと古い。南九州の歴史の要所要所で肝付氏は存在感を放ち、一時は島津氏をしのぐほどの勢力を持っていたのだ。 肝付氏の居城、高山城跡 下の写真は盛光寺跡。文永9年(1272年)に5代・肝付兼石が創建したとされる。現在は廃寺となってい…