東大路通から松原通を西に、坂道を少し下りた処で「大椿山・六道珍皇寺」。 創建は平安前期の782年~805年、門前から少し西の西福寺辺りまでが平安時代は「鳥辺野」と呼ばれた風葬の地で、仏教でいうあの世とこの世の境目「六道の辻」とされます。 創建当時は愛宕寺(おたぎでら)と呼ばれた「六道珍皇寺」の開基は、空海の師慶俊建立説・空海建立説・小野篁建立説・鳥部氏の宝皇寺後身説・山代淡海氏建立説など諸説あり定かでは有りませんが、当初は東寺真言宗に属し鎌倉時代以降の荒廃で建仁寺から聞溪良聰が入山して再興し建仁寺臨済宗に改宗現在に至っています。 平安時代初期の公卿「小野篁公」との関係は、「小野篁公」が昼間は朝…