「站樁は一体何の妙用があるのか?」 「站樁の練習は、一種の整勁、つまり身が到り歩が到り、躯幹で四肢を帯動する整勁を養成することができる」 「しかし、この種の整勁は完全に動態拳技から得ることができる。国内の通臂拳や螳螂拳、また国外のボクシングや柔道などの流派は、どこも身が到り歩が到り、躯幹で四肢を帯動するものであり、どうして站樁だけが整勁を追求するのか?」 「これは…」 数年前、大成拳を苦修しながらも実質的な突破ができなかった私の脳裏には、いつも2つの自分が争っており、正方の観点の私はしばしば反方の私に言い負かされてしまう。もっとやっかいなのはその後だ。 「試力とは何か?」 「試力は樁法の空間へ…