元禄10年1月18日。曇。巳刻(午前9時)、わずかに雪が降るが、その後止む。この日から若宮で操りが行われる。太夫は笹尾平太夫。狂言座本は和泉屋十三郎。
元禄9年1月18日。若宮で操りが行われる。太夫は岡本分太夫。狂言座元は和泉屋十三郎。文左衛門は只右・平左・円右と出かけ、狂言若水の井を見て日暮れに帰る。武兵町通、伝馬町西南角の町人新兵衛世倅新八のところで編笠を買う。狂言の役者の中で滝山六郎次は芸上手で三味上手であった。
元禄8年11月19日。若宮での講釈が終了する。
元禄8年11月4日。文左衛門は佐古へ出かけ、勘助に会う。佐古内儀がこの2,3日風邪気味で、食事もせず。医師も難儀していると。忠兵もやって来る。文左衛門はそこから若宮へ出かける。
元禄8年10月28日。曇。昼前から雨が降り始める。夜更けには晴れる。辰刻(午前7時)過ぎ、文左衛門は親と大塩与左と講を聞きに若宮へ出かける。親は最後まで毎日出かける。文左衛門も度々出かけるが、いちいち書き残さず。
元禄8年10月21日。夜、雨が降る。この日から若宮の神主伯耆が神代巻(日本書紀の注釈書)を講じる。
元禄8年6月16日。晴天。祭礼が例年通り行われる。
元禄7年1月27日。この日で若宮の操りが終了する。
元禄7年1月15日。風が吹き、申半時(午後4時)から雪が舞う。風はしばらくして止む。熱田の神事は例年通り行われる。この日から若宮で操りが行われる。太夫は笹尾平太夫、演目は栗嶋由来記で水大からくり。9日から始まるはずが、雨や何やかんやで延期されていた。夜には雪が降る。
元禄6年6月30日。この日より若宮で操りが行われる。演目は蒲御曹司。太夫は笹尾平太夫。見物人はことのほか少なく2、30人ばかりと。