鎌倉時代の二度の蒙古襲来、日本を救った暴風雨とは。■フビライ=ハンの海外への意欲的な野心モンゴル5代皇帝のフビライ=ハンは1264年、大都(現・北京)都を移したのち、1271年に国号を大元と改称します。これで政治的中心がモンゴルから中国へと移ります。そしてフビライは周辺諸国への侵略を繰り返します。1274年には1回目の日本遠征(文永の役)、1281年は2回目の日本への本格的な侵攻(弘安の役)、1287年にはベトナムへ遠征、1292年にはジャワへと侵攻した。■文永の役1274年、元軍が攻めてくる。数はおよそ4万人。対馬に侵攻後、そして壱岐にも上陸し奪ったのち、今度は本土に到達。博多湾から箱崎付近…