飽きる、このことは理屈ではない わたしは飽きることに、自然法則、自然の神秘すらかんじるのだ 笑 飽きっぽいというのは、なんか軽薄というか、身勝手なイメージがある。もちろん、子育てとか、動物の飼育などなど命を扱うことは飽きた、といって簡単に投げ出していいわけがない。 だが単なる個人的な趣味や、なんとなくの惰性の習慣や関係、わかってはいてもなかなかやめられない悪習慣、とか 特にひととの悪縁が切れる、のに飽きるほど良い切れ方はないと感じる。 いい切れ方というか、完璧な切れ方である。再発性がない。自然に切れることは、やせ我慢や、自分への言い聞かせ、などが一切ないから続くのである。ジャンクフードももう見…