河野通有(こうのみちあり)は弘安の役(1281年の二度目の蒙古襲来)で活躍した鎌倉時代の伊予の武将です。 それに先立つ承久の乱(1221)において、河野一族でひとり鎌倉幕府に味方した河野通久の孫で、もとの名は通義といいました。承久の乱で幕府方に敗北した河野通信と河野一族は壊滅的な打撃を受けましたが、通有祖父の河野通久の活躍で久米郡石井郷(現松山市)の領有が認められ、かろうじて伊予に命脈を保ったのでした。 河野通有公画像(長福寺蔵) その後、文永11年(1274)に元のフビライ軍の来寇があり、九州勢を主体とした守備軍が苦戦の末に一度はこれを撃退しました。しかし、再度の来襲が予想されたため、鎌倉幕…