紀ノ川での戦い 出雲口伝によると、紀ノ川に到達したモノノベのイツセ勢は、紀ノ川を遡り、ヤマトに入る予定で、河口の南岸に上陸しますが、対岸にヤマト王国の軍勢が現われ、モノノベ勢を押しとどめました。 この軍を指揮していたのは、王家の王子である大彦ということです。 この大彦が、いわゆる記紀で神武天皇に抵抗した、ヤマトの指導者である長髄彦(ながすねひこ)と言われる人です。 モノノベ軍のイツセは、紀ノ川河口から守りのために名草山(なぐさやま)に登ることにしました。そのとき、名草村の女村長である戸畔(とべ)の攻撃を受け、毒矢がイツセの肘と脛に命中し、イツセはその地で亡くなったそうです。 その遺体は、近くの…