源氏の君の美しい童形《どうぎょう》を いつまでも変えたくないように帝は思召したのであったが、 いよいよ十二の歳《とし》に元服をおさせになることになった。 その式の準備も何も帝御自身でお指図《さしず》になった。 前に東宮の御元服の式を 紫宸殿《ししんでん》であげられた時の派手やかさに落とさず、 その日官人たちが各階級別々に さずかる饗宴《きょうえん》の仕度を 内蔵寮《くらりょう》、 穀倉院などでするのはつまり公式の仕度で、 それでは十分でないと思召して、 特に仰せがあって、 それらも華麗をきわめたものにされた。 清涼殿は東面しているが、 お庭の前のお座敷に玉座の椅子《いす》がすえられ、 元服され…