前回、二張(張昭、張紘)の孫策への仕官時期を考えた。似たところで気になるのは魯粛である。魯粛は孫策に仕えたのか、そもそも出会ったことがあるのか、ということがよく分からなくなる(私が)。また、その頃の魯粛を考えようとした時、整理しなくてはならないのは劉曄、鄭宝のことである。 まず魯粛伝を見ていく。魯粛は「臨淮東城人」と書かれる。これは後代の区分であり、後漢末においては下邳國の東城県の人、となるはずだ。ここには少し問題が残る。というのも、もともと下邳國の地は徐州臨淮郡であり、永平十五年(西暦72年)に改称され、明帝の子の劉衍が下邳王となった。79年に下邳國は拡大する。原文はこうである。>臨淮郡及九…