一方、頼朝は鎌倉を立ち、足柄山を越えて駿河国 黄瀬川《きせがわ》に着いた。 甲斐、信濃の源氏勢が馳せ加わり、 浮島《うきじま》で勢揃いした時には二十万騎になっていた。 その頃、平家方では都に文を届ける源氏勢の雑兵一人を捕えた。 手紙は女房のもとへ送る他愛のないものであったが、その雑兵を忠清は尋問した。 「源氏の勢はいかほどか、隠さず申し述べよ」 といえば、 「下郎《げろう》の身にございますれば、四、五百、千までの数はわかりますが、 それ以上はわかりませぬ。軍勢が多いのか、少いのか、わかりかねますが、 凡《およ》そこの七日八日の間というものは野も山も武者で埋まってしまいました。 昨日《きのう》黄…