治承4年(1180年)、平維盛を総大将として派遣された頼朝追討軍と、それを迎え撃つ源頼朝および甲斐源氏連合軍の戦い。 10月20日、富士川を挟んで両軍対陣。夜半、武田信義が後背に回り込もうとしたところ、水鳥が一斉に飛び立ち、その羽音に驚いた平家方は戦うことなく都へと退却した。
翌日、頼朝は追撃しようとしたが、坂東の足固めをすべきとの進言を受け入れ、黄瀬川宿に帰陣。そしてこの地で奥州より駆けつけた弟源義経と対面している。
夜は白々と明けた。静かな暁である。 定められた六時、勢揃いした源氏は天にもとどけと鬨《とき》の声を三度あげた。 東国武士の野性をおびた声が朝の空気をふるわせた。 平家の陣は死んだように静まりかえって物音一つない。 敵の策かとしばし様子をうかがったが、やがて偵察の侍が放たれた。 「人みな逃げ落ちています」 と呆《あき》れ顔で報告すれば、やがて敵の忘れた鎧を手にして戻るもの、 平家の大幕をかついで帰るもの、いずれも口を揃えていうのである。 「平家の陣には蠅一匹飛んでおりませぬ」 これを聞くと、頼朝はさっと馬から降りた。 兜をぬぎ、手水《ちょうず》うがいをして身を浄めると、京都の方を伏し拝んだ。 「…
福原には、頼朝謀叛の兵を起す、との情報が絶え間なく流れこんでくる。 彼のもとに集る源氏の兵力もその数を刻々増してゆく情勢である。 公卿会議が急いで開かれ、敵の兵力が増さぬうちに一日も早く追手を、 という意見が一致して採られ、 大将軍に小松の権亮少将維盛《ごんのすけしょうしょうこれもり》、 副将軍に薩摩守忠度《さつまのかみただのり》が命じられ、 侍大将の上総守忠清《かずさのかみただきよ》が先陣ときまる。 その勢合せて三万余騎である。九月十八日が新都出発の日である。 大将軍の維盛は生年二十三、容姿端麗な青年であったが、 重代のきせなが唐革縅《からかわおどし》の鎧《よろい》をかつがせ、 自分は赤地の…
こんばんは!旅人サイファです! NHK大河ドラマ【鎌倉殿の13人】ざっくりコラムをお届けします。 ついに頼朝の反攻が始まりました! 房総半島で再起の旗を挙げ、鎌倉へ入った頼朝率いる源氏軍。ここから一気に反転攻勢!京の都から差し向けられた平家の追討軍を、駿河富士川で迎え撃つことになります。 この段階では、各地の源氏の血筋が「我こそが源氏の棟梁である!」と正統性を主張しあっていました。そのうちの一人が甲斐の武田信義でした。 この武田信義は、源義家の弟・義光から続く名門。今回名前の出てきた常陸の佐竹も同族です。彼らも、源氏の棟梁として立つ資格があるとして、あわよくば源氏の大将に成り上がろうとしている…
アニメ平家物語6話で強面で東国武士の勇猛さを語り、維盛をこれでもかと怯えさせた斎藤実盛(画像最左)です。 平家物語原典でも「東国武士は親が討たれても子が討たれても構わず、その屍を乗り越え乗り越え戦う。その引く弓は鎧の2、3着を重ねて、たやすく射通する。」と記述はその通りあったようですね。 然しながら、自分の持っている実盛のイメージは優しく・潔い老兵です。これからの和数の限られているアニメ平家物語、そしてメインはが鎌倉となる鎌倉殿の13人では取り上げられるかわかりませんが、その物語について、簡単に触れてみます。 1.幼い木曽義仲の命を助ける。 斎藤氏は藤原北家を祖とし、越前を中心に北陸一帯に勢力…
【4902】コニカミノルタ 498円 いい具合に上がったなー。 配当利回りが6%だもんな。 でも赤字だから減配リスクは否めない(笑) --------------- 7:20に三島のホテルジーハイブを出発、 8:00ちょうどに対面石八幡神社。 そして八幡神社の近くの黄瀬川から見た富士山。頼朝と義経は「黄瀬川の対面」と伝えられる、その黄瀬川。 ここからはまじめに走って写真なし。 沼津市内を抜けて海沿いの旧東海道へ。 自宅も旧東海道に近いので感慨深いものがある。 品川宿の東海道も、沼津の東海道も江戸時代の道幅と同じ。 そういう細かいところが歴史マニアにはたまらん(笑) だから何だか知らない史跡とか…