マイ定義と無知をもとに「一次資料」の重視を叫ぶ国会議員

good2ndさんが「図書館に所蔵資料の訂正を求める戸井田とおる議員」において紹介された戸井田議員の国会質問を、dempaxさんが国会内閣委員会議事録から転載しておられる。国会図書館収蔵資料への検閲を主張するというぶっ飛んだ発想への批判はすでにおこなわれているので省略して、その他の点について。

ことし,世界じゅうで,天皇の軍隊が組織的にホロコーストをしたとの宣伝映画が七本以上もつくられると報道されています.

一体どこがそんな報道をしたのか知りませんが、国会議員ともあろう方がお気軽に「天皇の軍隊が組織的にホロコーストをしたとの宣伝映画」なんてことを言っていいんでしょうか?

南京問題にしても,七十年もの間,あったなかったと論争があるにもかかわらず,国は何も調査をしてこなかった. 何もと言ったら言い過ぎかもわかりませんけれども,調査をしてこなかったというその不作為は無視することができないな,私は調べれば調べるほどそう思うわけであります.

これについてはまったく同感です。もっとも、日本政府にも言い分があるのかもしれない。サンフランシスコ講和条約を尊重する限り日本政府は東京裁判南京大虐殺に関しておこなわれた事実認定に異を唱えうる立場にはなく、それゆえなんらの調査も行わないのだ、と。旧連合国が南京事件についての日本政府の独自調査に反対するとは思えませんが、せめて資料公開くらい積極的におこなってもらいたいものです。

一九三八年の二月二日,国際連盟理事会第百会期第六会議,支那問題に関する決議が採択されているんですけれども,中国代表が採択に当たって行ったとされる南京攻略戦での日本軍非難演説の内容は,決議文に取り入れられていないと承知しておりますけれども,いかがでしょうか.

例の「国連演説」資料に関する部分ですね。この後、「一方,決議においては,南京事件について明示的な言及はございません」という答弁を得た戸井田センセイはこう畳み掛けます。

今言われたように,国際連盟の理事会は,中国の一方的な政治宣伝との認識を持っていたことにほかならないと思うんですね. それだけの演説をしながら,しかし,それは,今言われているような数の,三十万人の虐殺と二万人の暴行が,その当時,中国の代表が二万人と数千ということを言っているわけです. だけれども,それでも理事会はその中国の演説に対して動かずにいたということ. これはどういうことなのか,どういう意味を持っているのかということを考えたら,まさに国際連盟は相手にしていなかったということなんだろうと思うんですね.

まさか認識から存在を導ける、認識がなかったのだから事件もなかったのだ…といった奇妙な世界観をお持ちだとは思いたくないのですが。いまの国連でもある国を非難する決議に関しては諸々の政治的配慮が加えられ、非難の対象をぼかすなんてことはいくらでもあるわけです。
で、ここで「一次資料」が大切だ、というはなしに移ります。

資料四を見ていただきたいんですけれども,一九八四年に,南京問題一筋に研究している阿羅健一さんが,南京攻略戦に従軍した外国新聞社の記事を調査したものがあるわけであります. 今一般に言われているようなことなど,当時,第三国の新聞記事には載っていない. ニューヨーク・タイムズとかロンドン・タイムズだとか,そういう海外の特派員が当時,南京にいたわけですよね. しかし,本国に送った記事の中に,三十万の虐殺であるとか二万人のレイプだとか,そんなものは出ていないわけであります.

戦争の真っ最中に事件の全貌が直ちに明らかにされて海外に報道される…なんてことが当たり前だとお考えなのでしょうか?

そして,お手元に資料の五をお配りしておりますけれども,これは,一九九八年に雑誌に掲載された南京虐殺派の第一人者であります笠原十九司都留文科大学教授も,そのページの中に線を引いておりますけれども,「南京城内では,数千,万単位の死体が横たわるような虐殺はおこなわれていない. 」というふうに明確に書いております.

笠原教授をひきあいに出すまでもなく、南京事件については犠牲者の多くが城外で殺害されている、というのは60年前からの常識です。これ、最近の否定論のトレンドですね。勝手に事件を城内、さらには安全区内のことだと定義して、「30万人もの死者はいないじゃないか」と主張する。誰も主張していないことに反論しているのだからご苦労なことです。

次に,資料七も見ていただきたいと思うんですけれども,これは阿羅健一氏が南京に従軍した新聞記者,軍人などから聞き書きした「「南京事件」 日本人四十八人の証言」の一部であります. 当時の支局長の中には,我々の政治の先輩であります橋本登美三郎さんも当時おられた. その人の証言もその本の中には入っております. 朝日新聞の山本治上海支局員は,「事件と言うようなものはなかったと思います. 」「朝日でも話題になってません. 」とはっきり答えているんですね.

こういうことを言う一方で、「強制については元慰安婦の証言しかない」なんてことを主張するのだとしたら、ダブルスタンダードもいいところです。ちなみに、『「南京事件」 日本人四十八人の証言』について秦郁彦は次のように言っています。

(…)
その精力的な東奔西走ぶりには敬服するが、「数千人の生存者がいると思われる」兵士たちの証言は「すべてを集めることは不可能だし、その一部だけにすると恣意的になりがちだ。そのため残念ながらそれらは最初からカットした」という釈明には仰天した。
 筆者の経験では、将校は概して口が固く、報道、外交関係者は現場に立ち会う例は稀で、クロの情況を語ったり、日記やメモを提供するのは、応召の兵士が大多数である。その兵士も郷土の戦友会組織に属し口止め指令が行きわたっている場合は、言いよどむ傾向があった。
(…)
 その結果、阿羅の本は「虐殺というようなことはなかったと思います」、「見たことはない。聞いたこともなかった」「聞いたことがないので答えようもない」式の証言ばかりがずらりと並ぶ奇観を呈している。ここまで徹底すると、クロを証言する人は避け、シロを主張する人だけをまわって、「全体としてシロ」と結論づける戦術がまる見えで喜劇じみてくる。
(『昭和史の謎を追う』、文春文庫、上巻、181-182頁)

だいたい、「一次資料」が大切だと言いながら、なぜ戦後の聞き取りを真っ先に挙げるんでしょうか? せめて『南京戦史資料集』くらい挙げられなかったのでしょうか? その他、戸井田議員が無視しているしこれからも無視するかもしれない資料のリストを青狐さんが整理しておられます。

次に,栄典行政について質問をさせていただきます.

あれ、南京事件問題は終りかな? とおもったら…。

○戸井田委員 私の手元に,中国の南京軍事法廷で,通称百人切り競争の実行犯として,たった一回の公判で死刑になった向井敏明少尉に叙賜されたことを証明する文書があります. 昭和四十五年の六月二十七日,政府は向井少尉に勲四等旭日章を叙賜したことになっています. そして,毎日新聞なんかでは,現在でも大武勲の事実報道をしていたとしていますが,当時,大武勲があれば必ずや逆に授与されたはずの金鵄勲章が,向井,野田両少尉には叙賜されていません. この事実は,日本政府が毎日新聞の記事が創作だったと判断していることになるわけでありますけれども.


現在,南京大虐殺記念館などに展示されていて,毎日新聞に掲載された両少尉の写真を撮った,元東京日日新聞カメラマンの佐藤振寿さんは,九十歳を過ぎていますが,まだお元気なんです. 佐藤さんは,平成十六年の東京地裁に百人切り競争の裁判の証人として出廷したのでありますが,そのとき供述書で,百人切りはうそである,浅海はうそを書いたと同僚だった記者を批判して,百人切りはうそと断言しているのであります. それもこれも,当時の軍隊がどれだけ軍紀に厳しかったか知らないからこんなことになるんだというふうに思うんですね.


お手元に,軍事刑罰令の一部をコピーしたものがありますから,見ていただきたいと思います. 強姦,捕虜を死亡させたら,七年とか死刑とかなんですよね. これは原本を見てもらったらわかるんですけれども,これは靖国神社からお借りしてきたんですね. こういうポケットタイプのものをみんな軍服のポケットに入れているわけです. 僕もこれは初めて見ましたよ,こういう小型の. 軍人手帳というのはよく恩給なんかのあれでもって見ることはありましたけれども. こういうものがあって,みんな軍人一人一人が持ってしているんですね. その中に全部そのことが書かれているわけであります.


そのことをすべて承知して,向井敏明少尉は犯罪者でないと認定したことになると思うんですけれども,福下さん,間違いないでしょうか.

第十軍の法務部が残した陣中日誌、軍法会議日誌を読めば、実際には殺人や強姦をおかした将兵が「おかまいなし」になっている例がいくつも見つかる(ここのコメント欄参照)のですが、一次史料を重視する戸井田議員はご存じなかったのでしょうか?
この質問に対する答弁は次の通り。

○福下政府参考人 お答えいたします.


賞勲局の保管している資料には,向井敏明さんに金鵄勲章が授与されたという記録はございません. 一方,昭和四十五年六月二十七日に,戦没者叙勲といたしまして勲四等旭日小綬章が授与されておられます.


ただ,賞勲局といたしまして,その向井敏明さんが犯罪者であったかどうかということをお答えする立場にはございませんので,答弁は差し控えさせていただきたいと思います.