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いまだ輝かざる暁の数は、げに多かり    (リグ・ヴェーダ)

2016-09-25

[]フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(5) フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(5)を含むブックマーク フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(5)のブックマークコメント

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前回のエントリの最後の引用で「レエ(=ラー)はみずからの守護のためコブラのようにかの女(=ハトホル、太陽の目)を額につける。」というくだりがありましたが、これは要するに左の写真にあるような額の飾りのことを言っています。このコブラはウラエウスという名前がついています。ここから王の敵をほろぼすための火が出ると信じられていたようです。


さて、エレファンティネで祭られていたアヌゥキス女神は、この「太陽の目」と同一視されるようになったということです。では、引用の残りの部分をざっと見ていきましょう。

これら(=サティスとアヌゥキス)とクヌゥムの関係はどうもはっきりしない。サティスがその夫であることはたしかである。アヌゥキスは第二夫人というより、この夫婦の間の娘とした方がよいのかも知れない。けれども、こうしたすべての操作の年代があいにくと不明なのである。


フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」より

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要するにこういうことですね。上の引用で「サティスがその夫であることはたしかである。」はおそらく「サティスがその夫人であることはたしかである。」の間違いでしょう。


その次の記述は以下のようになっています。

オシリスがこの系譜のなかへ、いつ入りこんできたのかわからない。


同上

これは何を意味するのでしょう? 上の系譜の中にオシリスが割り込んできたということでしょうか? しかし、それについての説明がこの本にはありません。この本では叙述が以下のように続くだけです。

しかし、オシリスは、イシスが君臨していた小島フィラエの真西、ビゲーすなわちギリシアのアバドンに墓を一つもっていた。


同上

今度ひっかかるのは「オシリスの墓」という言葉です。「オシリスの墓」とはいったい何でしょうか? それに答えるにはオシリスとイシスの物語を紹介しなければなりません。


なお、フィラエ島はエレファンティネ島のすぐ近くにある島で、ユネスコの世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」の一部になっている、古代神殿を多く残す島です。

  • (細かいことをいうと、本来のフィラエ島はアスワン・ロー・ダムが出来たときに半ば水没状態になっていたのを、アスワン・ハイ・ダム建設時に、近くのアギルキア島に神殿群を移築しています。ややこしいことに現代では、このアギルギア島をフィラエ島と呼んでいます。ですから、古代のフィラエ島はここから少し離れたところにあります。)

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20世紀始めのフィラエ島。アスワン・ロー・ダムによって半水没状態にある神殿


では、次はオシリスとイシスの物語を紹介いたします。

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2016-09-24

[]フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(4) フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(4)を含むブックマーク フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(4)のブックマークコメント

引用を続けます。

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アヌゥキスは瀑布近辺の中心地としては最大のセヘル島を独占していた。この女神は、その高い羽毛の被りものがよく物語るとおり、まぎれもないアフリカ的性格をもっていた。しかし、これをサティスのようにエジプト化して、南の国にひきこもってしまった怒れる女神、それをエジプトの神々がどうしてもさがしにいかなければならなかったあの「太陽の目」に同化させてしまった。これらとクヌゥムの関係はどうもはっきりしない。サティスがその夫であることはたしかである。アヌゥキスは第二夫人というより、この夫婦の間の娘とした方がよいのかも知れない。けれども、こうしたすべての操作の年代があいにくと不明なのである。


フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」より



私が最初にこの本を読んだ時に、最初に出会った難所が、上の引用で太字にした箇所です。『あの「太陽の目」』と言われても読者には何のことやら分かりません。実は、この本のもう少しあとの箇所(ナイル川のもっと下流に位置するデンデラのところ)にはこの「南の国にひきこもってしまった怒れる女神」の話が出てくるのですが、その箇所には今度は「太陽の目」という言葉が登場せず、読者はこの話が上述の箇所と関係していることに気付きにくくなっています。本当に不親切な本です。私がここの意味が分かったのは、たぶん本を購入してから(若かりし頃)数年後のことだと思います。では、この「南の国にひきこもってしまった怒れる女神、それをエジプトの神々がどうしてもさがしにいかなければならなかった」「太陽の目」の話を説明します。今回、このエントリーを書くにあたって英語版のWikipediaを見ていたらちょうどいい記述が見つかりましたので、まずはそれを引用します。以下の文中、「ラー」というのは古代エジプトで太陽のことで、同時に太陽の神のことをも意味しました。古代エジプトの神界で一番えらい神ということになっています。さて、こういうわけで「太陽の目」と「ラーの目」は同じものを指していると思って下さい。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/00/Sun_Disk_with_Uraei.jpg

ある時、彼は自分自身の拡張である「ラーの目」からの異議にさえ直面する。この「ラーの目」は女神の形で彼とは独立に行動することが出来るのだった。目の女神はラーに対して怒り、彼の前から去っていき、エジプトの地の外の野生で危険な土地をさまよう。彼女の不在によって弱くなってしまったので、ラーは力や説得によって彼女を連れ戻すために他の神々の一柱、シューあるいは別の説では、トト、あるいはオヌリス、を遣わす。ラーの目はソティス星に関係しており、ソティスのヘリアカル・ライジング(=太陽とともに地平線から昇ること)は、ナイル川の洪水の開始を告げるものなので、目の女神エジプトへの帰還は、生命を与える洪水と対応している。彼女が帰還する時、女神はラーの、あるいは彼女を連れ戻した神の配偶者となる。


The reign of the sun god:Egyptian mythology---Wikipedia」より


目の女神がなぜラーに対して怒ったのかよく分かりません。全体に筋のよく分からない神話です。

さて、この「エジプトの神々」での記述は以下のようになっています。ところで以下の引用で「レエ」と書かれているのは「ラー」と同じです。古代エジプト語は子音だけしか表記しなかったため、その読み方がはっきりしません。そのため、同じ神を本によっては「ラー」と書いたり「レー」(あるいは「レエ」)と書いたりすることがあります。今の日本では「ラー」と表記するのが一般的なようです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/29/WLA_brooklynmuseum_Sakhmet_bust.jpg

レエはまだ地上で生活し、みずから人類を統率していた。しかしその娘のハトル=トフェニスはエジプトのレエのそばには住まなかった。かの女は、目をらんらんと光らせ、敵の血肉をむさぼり食う獰猛なおそろしいライオンとなり、ヌビアの東方砂漠に住んでいた。レエは、かの女がその娘であり、かの女を愛しまたかの女の庇護をうるために、というのもかの女の力を知っているがためであるが、そんなこんなでかの女をつれもどそうとする。かれは、シウとトトにかの女のつれ戻し計画を打ち明ける。


フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」より


ここでの記述では「太陽の目」は「ハトル=トフェニス」という名前の女神だとされています。これもややこしいことですが、ハトルという女神とトフェニスという女神が同一視されているのです。しかし、別の神話では別人(別神?)と考えなければならない場合も出てきます。それからもうひとつややこしい話があり恐縮なのですが、今の日本での普通の書き方ではハトルではなくハトホル、トフェニスではなくテフヌトと書きます。(ハトルはあるいは原書にはちゃんとHathorと書かれていたのを日本語に訳した人がハトルと読んでしまって訳したのかもしれません。)

トトはあらゆる魔術とあらゆる弁舌の主で、女神の怒りをしずめ、和らげることができた。二柱の神は、女神が住んでいる遠いブゥゲムの国へでかけて、かの女に近づくため猿に姿をかえた。かれらのそのときの話題の内容は、レエ、国土をつらぬくナイル、耕されて緑なす田畑、組織立って一つの国をなす村落や町々によってなる国、エジプトの完成についてであった。もし女神帰国してくれれば、いくつも神殿を建て、そこで毎日かの女が常食としているカモシカや野生の山羊をささげるつもりである。さらに、酔って心を浮きたたせる酒もそなえましょう。前庭では音楽や歌や踊りもかかさないようにいたしましょう、などという。トトは、話に身振りをまじえ、はじめて酒瓶をさしだしそのなかに魔法の言葉を混入する。さすがの女神も、この二柱の使いの神がこぞってさしのべる誘惑には抗しきれない。にぎやかな行列が編成される。猿や、グロテクスな道化者の小人ベースとヒティも、竪琴やリュートを奏しながら一行に加わる。


同上

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/S_F-E-CAMERON_EGYPT_2006_FEB_01385.JPG




ベース


一行はまずフィラエに到着し、そこでおとなしくなった女神は、歌ったり踊ったりしながら振鈴(スィストル)とタンブリンの音で迎える女たちから、花冠のついた頭をうけとる。司祭たちも、背にカモシカを負い、酒瓶や花束や、没薬(ミルラ)や花冠を供しながら、竪琴とフリュートを奏して女たちに加わる。聖水で清められたライオンは、文字通り愛の女神となって、美しい顔立ち、ゆったりとした巻毛、まばゆいばかりの眼、豊かな胸をみせるのである。


同上

レエはみずからの守護のためコブラのようにかの女を額につける。こうして愛の女神となったかの女は、かつて血に飢えたライオンであったころのはげしい気性を抑圧した。


同上

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2016-09-22

[]フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(3) フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(3)を含むブックマーク フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(3)のブックマークコメント

Wikipediaにエレファンティネ島のクヌゥム神殿遺跡の写真がありました。

f:id:CUSCUS:20160922105134j:image:right






上陸してみましょう。


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残念ながら、神殿はほとんど崩れ落ちてしまっています。


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ナイル川の水源としてのクヌゥム神


古代のエジプトの神官たちは、エレファンティネにナイル川の水源がある、と主張していました。エレファンティネよりも上流にもエジプト神殿は残っているので、古代エジプト人自身が、ナイル川がエレファンティネよりさらに上流に続いていることは百も承知だったことでしょうが、神話上の話としては、ここエレファンティネからナイル川が始まることになっています。つまり、ここのどこかにある深い穴から、ナイル川の水が湧き出している、と考えられていました。前回の引用で

  • この地の岩から噴出しているとされた豊饒の水を・・・

と書かれていたのは、このことを指しています。なお、当時の地理上の通念としてはこの滝までがエジプトで、そこから南はヌビアという別の世界である、という認識になっていました。ここ、エレファンティネはエジプトの南限にあたるのです。古代エジプト神殿巡礼の旅を始めるにはふさわしい場所です。引用を続けます。

かれ(クヌゥム)にはのちに、きわめて古めかしい、うたがいもなくずっと南国産の女神が二柱、脇侍してくわえられた。サティスはたぶんヌビアの射手とかかわりがあったろう。ずっとのち、その名がシリウス星ソティスと似ていたところから、ソティスとイシス同化された。被りものとしてこの神には、角をそえた上部エジプトの白い王冠が与えられた。アヌゥキスは瀑布近辺の中心地としては最大のセヘル島を独占していた。この女神は、その高い羽毛の被りものがよく物語るとおり、まぎれもないアフリカ的性格をもっていた。


フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」より

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/74/LD-III-141.jpg



上段左から、アヌゥキス、サティス、クヌゥム、一番右の人物はセティ1世


南国産の女神が二柱

  • というのは、そのあとで名前が出てくるサティスとアヌゥキスのことです。

サティスはたぶんヌビアの射手とかかわりがあったろう。

  • これについては私は何も知りません。

ずっとのち、その名がシリウス星ソティスと似ていたところから、ソティスとイシス同化された。

  • 「ソティス」というのがシリウスエジプト名です。そしてこの星は、女神イシスの星と言われていました。それについては、オシリスとイシス神話に関係したいわれがあるのですが、のちの適当な箇所で述べることにします。サティスはソティスと名前が似ていたために、ソティスと同じものと考えられるようになり、ソティスがイシスの星であったことから、さらにはイシスと同じと考えられるようになった、ということです。この同化は、古代エジプトの神々の世界の大きな特徴です。いろいろな神が同じ神であるとされ、最後には何が何だか分からなくなるほど同化が進みました。日本でも神仏習合というのがありましたが、それのもっと、はなはだしいものです。

被りものとしてこの神には、角をそえた上部エジプトの白い王冠が与えられた。

  • 上の図にある通りです。ここから角をはずしたものは、上エジプトの王冠でした。

アヌゥキスは瀑布近辺の中心地としては最大のセヘル島を独占していた。

  • セヘル島は、エレファンティネ島のすぐ南にあります。やはり、ナイル川の中の島です。

この女神は、その高い羽毛の被りものがよく物語るとおり、まぎれもないアフリカ的性格をもっていた。

  • ここでいう「アフリカ的性格」というものがどんなものか私にはよく分かりません。
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2016-09-20

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さて、古代のエジプトが上エジプトと下エジプトに二分されることをお話しました。この本「エジプトの神々」では、上エジプトから神殿巡礼の旅を始めています。その出発点となるのは「エレファンティネ」というナイル川の中にある島です。

 だから、昔のやり方にならって、エジプトを南から北へと歩きまわってみよう。そして、それぞれの地でおこなわれた祭式がどんなものかをみるとしよう。(中略)

 いわゆるエジプト南端、ついに水流が花崗岩の障碍をつらぬいて、自由な土地と海への道をきりひらくところ、そこには、当地でおこなわれていた象牙交易から名をとったエレファンティネという町があった。その町は、瀑布の最北の島によっていて、今日知られるもっとも古い記録にその名がみえる。


フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」より


上に引用した文章のうち、「ついに水流が花崗岩の障碍をつらぬいて、自由な土地と海への道をきりひらくところ」という表現は、要するにここにナイル川の滝があった、ということを表現しています。今は、アスワン・ダムとアスワン・ハイダムの建設によって古代とは随分景観が変わったことと思います。「そこには、当地でおこなわれていた象牙交易から名をとったエレファンティネという町があった。」  エレファンティネはアスワンの町の近くにあります。ところで、エレファンティネという町の名前は英語のエレファント(象)を連想させ、その名前が古代エジプト語ではない疑いを持たれるかもしれません。その疑いは正しくて、このエレファンティネという名前は、この町をギリシア人たちが呼んだ名前でした。古代において(と言っても紀元前500年ぐらいからの話)ギリシア人があちこちに植民したので、エジプトの固有の町にも、ギリシア語の名前をつけられることが多々ありました。その後、アレクサンドロスによるエジプト征服や、その後のギリシア人によるプトレマイオス朝によって、ギリシア名のほうが後世のヨーロッパに伝えられたのでした。この町の元々の名前、つまり古代エジプト語による名前は、私のブログにコメントを書いて下さった奇特な人によって、私は知ることが出来ました。「アブー」というのが元々の名だそうです。日本語版のWikipediaには載っていないので英語版のWikipediaを見たところ、確かに「アブー」と書いてありました。


「その町は、瀑布の最北の島によっていて」。ひょっとして「瀑布」という言葉がなじみがない人もいるかもしれませんので、一応、説明を入れます。「瀑布」とは滝のことです。

そこで神クヌゥムが祭られていた。その聖獣は牡羊だった。またこの神はつねにこの獣の頭をもって表現される。


フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」より

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/01/Chnum-ihy-isis.jpg



クヌゥム神の画像の例を示します。右側がクヌゥム神です。

クヌゥム神の有名な属性は、ろくろを用いて人間を形作る、という役割でした。


しかし、この本のこの箇所ではそのことについての言及はありません。その代わり、次のような記述があります。

かれは瀑布を司っていて、そのもっとも好む宗教行事の一つは、その名を付した水差しでもって、この地の岩から噴出しているとされた豊饒の水を、かれの前にそそぐことであった。


同上

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2016-09-19

[]フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(1) フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(1)を含むブックマーク フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(1)のブックマークコメント

文庫クセジュの「エジプトの神々」

エジプトの神々 (文庫クセジュ)

エジプトの神々 (文庫クセジュ)

は、私にとって大切な本のひとつです。この本では、エジプトの各地をめぐって、その土地土地の神殿、祭式を取り上げ、紹介する、という叙述形式を取っています。それは体系的な叙述であるよりも、旅行記的な叙述になっています。また、説明自体が簡潔すぎて謎めいているところが多々見られ、そのほかに翻訳ミスではないか、と思える箇所もいくつか見受けられます。こう書いていると私がこの本をけなしているように見られてしまうかもしれませんが、私はこの本をとても大切に思っています。


今回、久々にブログに書こうと思ったのは、この本の叙述をたどりながら、私が疑問に思った点にはそれを書き、私が、この叙述には補足が必要と思った箇所にはその補足を入れる、というような、そんな記述が出来たら、と思ってのことです。


では、今から3000年の時を遡り、古代のエジプトを旅してみましょう・・・・・、と、言いながら、それでも、いくつか事前にお話したほうがよい、と思えることに思い当たります。


まず、古代エジプトというのはどの範囲か、ということです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8b/Egypt_Topography.png

現代のエジプトの領域は上の地図に示す通りですが、古代のエジプトというのは、この中の極狭い地域、つまりそれは、ナイル川の両側の地域を指します。古代において、それ以外の土地はほぼ、人が住めない地域です。いや現代においても、人口のほとんどが、ナイル川ぞいに集中しています。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/64/Egypt_2010_population_density1.png

この図は、エジプトの人口密度を示した図だそうです。

この図からもある程度分かるのですが、古代エジプトは風土的に、2つの地域に分かれていました。1つは、南側に長く続く、ナイル川に沿った、いわば一次元的な世界であり、これを「上エジプト」と呼んでいます。もう1つは、北側の地中海に面した、ナイル川が何本もの支流に分かれ、大きな三角形に広がって土地をうるおしている(いわゆる「ナイル川デルタ地帯」)、二次元的な「下エジプト」です。今から4000年以上も前というとてつもない昔には、これらは別々の国だったそうです。そして、考古学の知見によれば、紀元前3150年頃、上エジプトのナルメル王によって下エジプトは征服され、上下エジプトは1つの国になったということです。しかし、かつて2つの国であったなごりはその後も残り、古代エジプト人は自分の国のことを「タウィ」つまり「二つの国」と呼んでいました。

  • 横道にそれますが、この「ウィ」というのは古代エジプト語で双数形を表す語尾です。古代エジプト語では、名詞は単数形、複数形のほかに双数形という形があったそうです。双数形というのは、そのものが2つある、ということを示す形です。

エジプトの守護神はハゲタカの女神、ネックベトでした。そして、下エジプトの守護神はウト、こちらはコブラの姿をした女神でした。歴史時代のエジプト王はすでに上下エジプトの王と称していましたが、その冠には、上下エジプトの守護神たちの加護の下に王があることを示すために、ハゲタカとコブラの姿が象られていました。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b1/Baphomet_Thoutankamon.jpg



ツタンカーメン王のマスクのひとつ。額のところにコブラと、ハゲタカの頭部が象られている。


https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/78/Wedjat_%28Udjat%29_Eye_of_Horus_pendant.jpg






「完全」を意味する「ホルスの目」を左右から守護するネックベトとウト。ネットベトは上エジプトの王冠をかぶり、ウトは下エジプトの王冠をかぶっている。


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