拓海広志「日本丸航海記(2)」

 これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々心許ないのですが、当時の練習船の雰囲気を知っていただく上では多少意味があると思いますので、思い切って当時の文章をそのまま活かした日記をここに転載しようと思います(ただし、友人たちのプライバシーに関する記述については削除しました)。


 ただ、今回この古い日記を読み直して気がついたのですが、当時の日常そのものだった航海のことや訓練のこと、仲間たちとの交流についてはあまり克明に記されておらず、むしろ自分の心象風景が中心に記されているようです。プライバシーの保ちにくい練習船の船内生活でもあり、当時前者の方はあまりにも日常のことになっていて、かえって書きにくかったのかも知れません。そんな半端な日記の連載ですが、当時船の中で読んでいた本、観ていた映画、聴いていた音楽などの紹介と共にご笑覧ください。


   *   *   *   *   *


★4月12日
 朝一番に中京テレビが取材に来た。主役はやはり船長と女子の練習生。男子の練習生は彼女らのまわりで枯木の賑わいだ(笑)。
 午後からはセールドリルを行う。セールドリルというのは船を岸壁につけた状態のまま解帆(マストに登り、ヤードに縛り付けてあるセールをルーズすること)、展帆(デッキ上でロープを引き、ルーズしたセールを拡げること)、絞帆(デッキ上でロープを引き、セールを絞ること)、畳帆(マストに登り、セールを再びヤードに縛り付けること)という一連の作業を行うことで、半分は訓練のために、半分はショーとして行われる。
 勿論、展帆したときに船が走り出すと大変なことになるので、風が弱いときにしか行えないし、船尾にはタグボートを付けて、本船が走り出さぬよう引っ張っておかねばならない。今日は1万人にも及ぶ人が見学に来てくれたので、作業を行う我々の方も熱が入った。
 夕方、友人のJさんが船を見学に来てくれたが、彼女もセールドリルを見ていてくれたそうである。感謝!


★4月14日
 名古屋港発。岩手県の大船渡に向かう。


★4月15日
 駿河湾から相模湾にかけて2回目の初期帆走訓練が行われる。


★4月16日
 大船渡港外にアンカー。大型帆船が珍しいからか、漁船がひっきりなしに近づいてくる。


★4月17日
 大船渡港に入港。大漁旗を掲げた50隻に及ぶ漁船の群れが本船を取り囲むようにして海上パレードを開始する。海上保安庁の巡視船と巡視艇、また水上警察署警備艇がそれをうまく誘導しているところを見ると、念入りに計画された行動なのだろう。
 このとき、僕は船橋配置についていたのだが、双眼鏡で港の方を見ると、岸壁の上から防波堤の先に至るまで黒山の人だかりとなっており、ビックリしてしまった。また、小高い丘の上の学校では大勢の生徒達が校庭に出てこちらに向かって手を振っているではないか!
 本船が入港するとさっそく歓迎式典が催されたのだが、挨拶に立たれた大船渡市長の話では、地元の産業を活性化させるために様々な活動をしている大船渡JCの人たちの尽力で今回の寄港が決まったそうで、岸壁上にはテントが張られ、海産物を売る店も作られていた。


★4月18日
 今日は終日一般公開なのだが、8時半頃に岸壁を見てまたビックリ! 凄まじいばかりに長蛇の列が続いているのだ。聞くところによると、近隣の県からも観光バスを連ねて泊りがけで本船を観に来ている人たちがいるようで、頻繁に帆船が出入りする神戸に住む僕にはちょっと信じがたい光景だった。
 夕方、町を散歩してさらにビックリしたことに、商店街が正に「日本丸フィーバー」という感じで盛り上がっており、小売店からスーパーに至るまでが「日本丸入港記念大安売り」なんてことをやっているのだ。う〜ん、凄い・・・。


★4月19日
 今日も午前中は一般公開を行い、午後からはセールドリルをやった。日曜日ということもあって昨日よりも人が多いように感じたが、セールドリルの際にマストの上から港を見下ろしてビックリした。そこら中が人・人・人で、足の踏み場もないほどに埋め尽くされているのだ。後で聞いたところでは、大船渡市の人口を上回る10万人もの人が我々のセールドリルを観に来たそうで、この熱狂ぶりにはもう絶句するしかない。
 しかし、大船渡市の盛り上がりはこれだけでは収まらない。今夕から明日の夕方まで練習生には総員上陸許可が出ていたのだが、これに大船渡JCが目をつけて、練習生全員をJC会員の各家庭に1晩だけホームステイさせたいと申し入れてこられたのだ、セールドリルを終えた我々は教務担当のMファーストオフィサー(次席一等航海士)の召集を受けて食堂(兼講義室)に集まり、その話を聞いた。練習生一同に異存はなく、ありがたくその話を受けることになった。
 お世話になる家は抽選で決められたが、僕はK君と共にSさんという方のお宅に泊まることになった。Sさんのお父さんは東北の銘菓として知られる「かもめの玉子」を生み出した方なのだが、現在S製菓の社長職はSさんのお兄さんが継いでおられるそうで、僕らはSさんのお兄さん宅で夕食をご馳走になった。
 Sさんの話では、JCの中で大船渡活性化のために日本丸を招こうという案が出たのは2年前のことで、それから会長ら幹部が何度も東京へ足を運び、運輸省の役人に頼み込んでようやく実現したのだという。日本丸には、僕らの知らないところでいろいろな人の様々な思いが寄せられているわけで、僕はそういう気持ちを大切にしなければと思った。


★4月20日
 朝からS製菓の工場を見学させていただき、出来たての「かもめの玉子」を試食させていただく。卵とミルクの濃厚さが美味しいが、甘さは控えめで、舌触りも軽やかなため、とても食べやすい。その後、Sさんの車で遠野めぐりをした後、再び本船まで送っていただいたのだが、そこでまたまたビックリ! 
 なんと今度は本船側の岸壁でJCと日本丸乗組員・練習生の交流大バーベキューパーティーの準備が行われていたのである。この情熱とホスピタリティにはもう圧倒されっぱなしである。


★4月21日
 今日で大船渡旋風ともお別れし、神戸へ向かう。出航前にSさんがご両親とS製菓の従業員の方々を連れて来られたので、K君と一緒に船内をご案内する。出港時にはまた大勢の人たちが岸壁に見送りに来てくださり、我々が答艢礼のためにマストに登ると、JCの人がマイクで「ありがとう、日本丸!」と絶叫し、その声が大船渡のなだらかな山々にこだました。そして、僕らも負けずに大声で叫んだのである。「ごきげんよーっ!」。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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