『G・H・ミードの社会学』

 「創発」という概念を中心に読み解いたミード論で、これまで読んだ二次文献のなかではいちばん腑に落ちるものだった。役に立ちそう。それに、アダム・スミスとつきあわせをした議論にはじめてお目にかかったし、マルクスとのつきあわせも面白い。ただし、あらかじめミードを座標軸にして切っていくやり方は、あまりフェアなものには思えないし、発生論的な視点を評価するというのなら、もっと別につきあわせてよい議論もあったのではないかと言わざるをえない。「創発」という概念はたしかにユニークなのだが、これで事象を説明しきれていることになるのかは、もうちょいと立ち入って考察を加えてみたい気がする。

新版 G・H・ミードの社会学 (社会学史研究叢書)

新版 G・H・ミードの社会学 (社会学史研究叢書)

 
 これは重要な二次文献らしい。
George Herbert Mead: Self, Language, and the World

George Herbert Mead: Self, Language, and the World

 

『復興計画』

 これからどうすればいんだろうというとき、これまでどうしてきたんだろうと振り返ってみるのは基本かと。その点、この本は勉強になる*1。ただし、関西淡路大震災だけは記述のスタイルが異なり、著者の当時の提言と具体的な復興事業に対する評価がなされている。
 まずは、やはり「大風呂敷」後藤新平のご登場ということに相成るわけだが*2、あらためてその豪快さに驚くと同時に、これくらいのことは考えなければならないのだろうなと。いまはなき同潤会アパートはこのときにできたのですね。戦争の問題とも絡んでくるのでしょうけれど、全般に戦前の方が都市計画が考え抜かれているように思える。新宿や梅田をはじめ駅前広場も1930年代に整備されていて、それを逸したところとの落差が今も残っていることになる(なんか、町田あたりが念頭に浮かんでしまうのだが)。昭和の三陸津波も、復興都市計画事業として、集落の移転や敷地のかさ上げ、防波堤の整備が行われ、それがこれまで被害を軽減させてきた。
 戦後はGHQの無関心やドッジ・ラインの影響で、復興都市計画が縮小していくのだが、それに抵抗して大胆な計画を実行できた都市もあったし、それでも高度経済成長を支えるインフラを作りあげることはできた。しかし、1950年代に都市計画の基本発想と財源が大きく変化し、「都市計画の独自性、総合性は弱まり、道路整備の一環としての都市計画が開始され」る(194頁)。たとえば、戦前は自動車交通だけを意識した「道路」と都市空間を意識した「街路」が区別されており、「街路構造令は歩車道の分離、広い歩道、植樹帯、樹苑、橋詰広場などを規定して」いたが(95頁)、それが1958年に廃止されて「自動車交通容量を重視した現行の道路構造令に一本化」されてしまったそうな。
 名古屋も戦災復興の都市計画をうまくやりとげた一つなわけだが、住んでいて思うに、いまや都市部が拡大したため中心部から離れれば離れるほど概して道路事情が悪いし、大型車両が頻繁にとおることもあって大きな道路の周辺はかなりほこりっぽい。都市高速もずいぶん作ってるし、事実上、車がないと生活が不便になるような都市設計になってしまっている*3。最近は、自転車用の道路整備なんかも一部で進み始めていたりして、いろんな試みもしてるみたいだけど、道路整備はどのように考えの下に進められているのだろうかと思ったら、こういうことになってるらしい*4。でも、いまのように車が市内を走りまくることが前提は変わってないといってよさそう。乱暴な運転をする車が多いから怖いのに。さっきも、右折してからウィンカー出した車がいたよ*5
 また、市内には昔ながらの木造家屋がマンション等の間に散乱するかたちで数多く残っており、災害時に火災が広がる危険は大きい(最初は、長屋が残っているのを見つけて「おお」とか思ったが、歩き回るうちにいくらも残っていることが分かってしまった)。一方、世代交代が進んでいるせいで、ここ数年はこうした木造家屋の建て替えもすすんでおり、多くの場合、無計画にマンション等が建てられている(多分、十数年もすれば名古屋市街の感じががらっと変わってしまうのではないかと思う)*6(追記)。しかし、大きな緑地はあるけれど、町内に手頃な公園がなかったり、住宅地に必要なインフラが整っているとは言いがたい。といった感じで、わたしには、事実上の再開発が進行しつつある現在、きちんとした都市計画が必要じゃないのかと思われるわけだが、そういう議論をしている人っているのだろうか*7
 「二一世紀は都市化が終了した時代であり、大都市に安全で快適に、スマートに、多数の人が住めるよう整備し、一方で国土の七割を森林として保全とするよう政策転換することが、賢い国土経営である」(240頁)というのだが。
 

 
著者の今回の震災に対する見解の一端はここで分かる。
http://blog.goo.ne.jp/cityplanning2005/e/5008dbd154b3020747c6fda73ab5a440
 しかし、この人、面白い。こんな本も出してる。ちなみに、ハルピンはロシア人が作った街で、おそらく中国唯一のヨーロッパ風の都市。建築物も一風変わっているし、ロータリーなんかがある。満州の首都は長春(新京)で、こっちは日本人が都市計画をしたはず。日本の国会議事堂を模した旧国会議事堂などがいまでも残っていると思う。
満州国の首都計画 (ちくま学芸文庫)

満州国の首都計画 (ちくま学芸文庫)

哈爾浜(はるぴん)の都市計画 (ちくま学芸文庫)

哈爾浜(はるぴん)の都市計画 (ちくま学芸文庫)

東京都市計画物語 (ちくま学芸文庫)

東京都市計画物語 (ちくま学芸文庫)

東京の都市計画 (岩波新書)

東京の都市計画 (岩波新書)

 

低線量放射線被曝のリスクについて

http://blog.goo.ne.jp/chemist_at_univ/d/20110501
 

*1:こんな反応も。http://shoji1217.blog52.fc2.com/blog-entry-310.html

*2:私事ではあるが、後藤新平のことを初めて知ったのは、間違いなく中学時代に星新一が親父の星一について書いた次の二冊の本を読んでのことである。

明治・父・アメリカ (新潮文庫)

明治・父・アメリカ (新潮文庫)

人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫)

人民は弱し 官吏は強し (新潮文庫)

明治の人物誌 (新潮文庫)

明治の人物誌 (新潮文庫)

星新一ショートショート以外の本を書いているというわけで、いま読めば、植民地台湾で何をしてたんだろうとか、いろいろ書かれていないこと等への疑問が湧くかもしれないけれど、面白い本だった。で、そこで、星一後藤新平にかわいがられたという話が出てきて、紹介されていたこの本を読むことになる。そこから、やはり後藤にかわいがられたという右翼杉山茂丸の存在を知り、
百魔―正続完本

百魔―正続完本

さらに、その息子が夢野久作であること、
ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ(下) (角川文庫)

ドグラ・マグラ(下) (角川文庫)

夢野の小説に挿絵を描いていた竹中英太郎の息子が竹中労であるという不思議な系譜を発見することになる。

*3:放置自転車が多くなるのは車を使わずにある程度の距離を移動しようとすると自転車に頼らざるをえなくなるからではなかろうか?名古屋の街って区画がでかいのだ。

*4:http://www.city.nagoya.jp/shisei/category/53-3-2-5-0-0-0-0-0-0.html

*5:昨日(5/8)は、側道から走ってくる車が見えて、こんなとき一時停止しない確率はかなり高いし、いかにもそんな走り方だったので、毎度ながら怖いので自転車を止めたら、意外にも止まったのでこっちが優先と走り出そうとしたら、こっちが止まったのを見て向こうもアクセルを踏んだ。今日(5/9)はウィンカーすら出さないで右折してくる車が。まあ、いずれもよくあることなのですがって感覚、絶対おかしいと思うのだが、これが当たり前だと思わないと命にかかわる。それでも、これまで生きてるのが不思議だ。

*6:市有地の無計画な売却も進んでいる模様。http://www.city.nagoya.jp/shisei/category/60-6-0-0-0-0-0-0-0-0.html

*7:名古屋市ではこういうことになってるらしい。http://www.city.nagoya.jp/shisei/category/53-10-9-0-0-0-0-0-0-0.html