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Les jardins suspendus de Babylone このページをアンテナに追加

2017-05-21

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昨年度・今年度と、新入生向け宿泊セミナー企画担当として、講義共通テーマの設定に関わった。事前指導用に作成し学生に配布した「講義テーマ趣旨」は、私自身の関心を再確認するものでもあるので、メモランダムとしてこちらに。

2017年日本文学文化セミナー事前指導 講義テーマ場所記憶記憶場所趣旨


 場所には、そこで生起した様々な出来事痕跡が蓄積していきます。それは公的な「歴史」として叙述されたり、その場に記念碑が建てられて顕彰されたりすることもあるでしょうし、伝承説話のような形で生き永らえることも、「痕跡」としてその場に留まることも(今となっては何を意味しているのか判読できないが、それでも「何か」の印であり続ける―そういう忘れられた古代象形文字のような役割を、痕跡が担うこともあります)、あるいは共同体における集合記憶のような形で残り続けることもあるでしょう。例えば、名所・名跡と名指された場や、遺跡廃墟には様々な「場所記憶」が留められていますし、地縛霊などもまた「場所記憶」と結びついた存在といえるでしょう(亡霊を指すフランス語の一つにrevenantがありますが、これは回帰(revenir)してきた者という意味です)。

 他方で、近代以降に公的な制度として設置されるようになった「記憶」の蓄積のための場が、ミュージアム美術館博物館)やアーカイヴズ(資料館・図書館文書館)です。視点を変えれば墓もまた、死者の記憶をその場に留めるための場所といえるでしょう(18-19世紀フランス美術史家カトルメール・ド・カンシーは、美術館芸術作品の墓に擬えました)。

 今回の講義テーマには、あえて「記憶」という語を用いました。「歴史」は選択的に語られた過去であり、そこには歴史を叙述する主体価値判断や政治性が忍び込みますが、対して「記憶」は未だ言語化されていないものや忘却されたものをも含む、より広範で多様性複数性をはらんだ概念です(より詳しく知りたい方は、アライダ・アスマン『想起の空間文化的記憶形態と変遷』安川晴基訳、水声社2007年などを読んでみてください)。


 佐藤勝先生には「『奥の細道』における歌枕」と題して、和歌伝統において「歌枕」として詠われ継がれてきた名所の記憶が、松尾芭蕉による『奥の細道』ではどのように詠まれているのかを講義していただきます。

 駒見和夫先生講義は「遺跡が解く記憶」というタイトルで、私たちのキャンパスのある国府台の地層に眠る古代からの記憶と、この土地歴史的意義を、遺跡の発掘調査結果も踏まえつつ解き明かすものです。

 2日目午後には、国立歴史民俗博物館見学が予定されています。博物館は、まさしく文化的記憶の収蔵と展示の場です。そこで過去の人々による文化的実践とその残存物とが、どのように「語られているか」にも注目してみてください。

 岩下裕一先生には「パワースポットとは」と題して、神や妖怪と結び付けられた場所の有り様について、具体例も交えつつお話しいただきます。

 木村尚志先生講義は「能舞台記憶」というタイトルで、「場所記憶」としての老松や橋掛かりなどの様々な意匠を持つ能舞台という場所と、その能舞台に歴史を刻んで来た人の関係について論じるものです。


 以上の講義が形づくる網目を通して、「場所記憶記憶場所」という一つのテーマから派生する学知の豊かな広がりと、さらには言葉イメージ(視覚像)−空間の3項が織りなす相互連関とが、浮かび上がってくることと思います。そして、セミナーが終わった後も、このテーマについて、あるいはこのテーマから出発して、皆さんがそれぞれの思考を紡いでいっていただければ幸いです。

2017-05-07

[]都市記憶

犬の記憶 (河出文庫)

犬の記憶 (河出文庫)

人間が持っているように、街も夢や記憶を持っている。人間記憶がさまざまな混成系であるように、街もあらゆる物質と時空が交錯する混成体である。街は、人間の持つすべての欲望相対的絶望をもしたたかに蚕食して生きつづけてきた。人間は大昔から、無数の夢とともにこの地上に絶えず街を作ってきたが、欲望はさらに欲望を追うことで、また無数の街を地上から失っていった。そうした人間欲望絶望痕跡を、街はひたすら記憶にとどめつづけることによって、つねに新たなる夢を人間に問いかけてくる。地上のすべての街は、たとえその街がいくたび時間のかなたに風化しようと、かつての夢の記憶を確実に次代の人々に伝えていく。僕はよく、いま自分の立っている地の下に、いったい幾多の街々の記憶が層をなしているものかという、名状しがたい思いにとらわれてしまうことがある。それは太古から現在、そして未来へと流れる時空の河に架けられた橋にたたずむような途方もなさである。僕がいま、カメラを手に実際の街なかを歩くことは、かつて在った街が語りかけてくる夢の記憶に耳をかたむけつつ、来たるべき街の夢に向けて、あるささやかな実証をもくろんでいることに他ならないのだと思う。

(上掲書、116ページ。)

〈すべての記憶は、墓地の窪地を埋める沼地や、廃墟のにごった冷たい水のようだ。世界のすべての記憶破壊を無視できるが、われわれはこの世界記憶を断片的にしか持たない。瞬間や事件の数々だけが残るだけだ〉とマルセル・プルーストは「失われた時を求めて」のなかで書いている。僕の舞鶴の町への追憶の発端は、むろん記憶といいかえてもいいが、それはもともと僕が直接に見たものではなく、スクリーン映像を、コピイされたイメージ垣間見たことからはじまっている。そしてそれら多くのイメージの断片を手がかりとして、僕はさらに幾重もの時間風景をつみ重ねていく。他者記憶から端を発した事実は、その破片を僕に植えつけることによって、経験想像時間との媒介によって、しだいに僕自身現実となりかわってくる。

(上掲書、175-176ページ。)

2017-04-21

[]イベントのご案内

建築の記念性をめぐる、下記のイベントに参加いたします。

ぜひご参加ください。


日本建築学会『建築雑誌2017年7月特集建築は記念する」公開対談

鈴木了二×小澤京子「歴史のイマジナリーラインズ」(司会:戸田穣)


【日時】2017年4月21日(金)18:00〜20:00頃

場所早稲田大学 西早稲田キャンパス 55号館N棟1階大会議室

https://www.waseda.jp/fsci/access/

申込不要無料

*この公開対談は建築学会機関誌建築雑誌』の特集企画ですが、建築学会非会員の方でも自由にご来聴いただけます。


概要

モニュメント(monument)という言葉があります。一般には「記念碑」「記念物」と訳されますが、建築場合にはとくに「記念的建造物」の語が用いられることもあります。« monument » は、ラテン語動詞 « moneō » に由来する名詞 « monumentum » が語源で、「思い起こすこと」を語義としています。なにかのできごとが将来において思い起こされるために建立されるオブジェモニュメントと呼ばれます。そこから建築記憶と結びつけられます。その最たる形式は墓でありましょう。しかし未来への忘却不安だけから、人はモニュメントを立てるのではありません。今日この日の記念に、わたしたちは碑を立て、建物を建てます。祝祭のはじまりに。あるいは災厄のあとに。

本対談では、今年2月に『ユートピアへのシークエンス』(LIXIL出版)を上梓された建築家鈴木了二氏(早稲田大学栄誉フェロー)と、博士論文をまとめたクロード=ニコラ・ルドゥ論『ユートピア都市書法』の出版を控えた小澤京子氏(和洋女子大学准教授)を迎えて、この建築の記念する力(建築がそなえる記念性)について考えます。


主催日本建築学会 会誌編集委員会 共催:早稲田大学創造理工学部建築学科

詳細(日本建築学会ウェブサイト):https://www.aij.or.jp/index/?se=eventlist&ac=view&id=1779

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2017-04-20

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熊谷謙介編『破壊のあとの都市空間ポストカタストロフィー記憶青弓社2017年に、「瞬間と持続、暴力と審美化の間で:リスボン震災からフランス革命に至る時期の廃墟イメージ」を寄稿いたしました。

すでに書店でも発売となっているはずです。ご高覧いただければ幸いです。


青弓社サイト上のページ:http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-3412-4

Amazonのページ:https://www.amazon.co.jp/dp/4787234129


このような学知と思考協働の場にお誘いいただいたことを、編者の熊谷さんをはじめ神奈川大学先生方、また青弓社の方々に感謝申し上げます。

2017-04-04

[]フーリエの理想都市計画と「換気」

シャルル・フーリエ伝―幻視者とその世界

シャルル・フーリエ伝―幻視者とその世界

すでに1796年12月ボルドー市当局宛の手紙の中で彼は、フランス全土を旅行して「われわれの現代的な街並の単調さに衝撃を覚え」、「新しいタイプの都市モデル」を構想したと主張してはいた。この都市モデル計画に従えば、「大火災を予防し有毒な腐臭を消し去る」ことができる。というのも、悪臭こそ「大小の都市で人類を襲い真に戦いを挑んでくるもの」だからだ、というのである。

(上掲書、56ページ。カッコ内の引用は、上掲書原注第2章56によれば、1796年12月10日ボルドー市政府の市民(?)宛のFourrier[sic.]と署名された建議書より、AN 10AS 15 (18)。)