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2015-12-31

マンスリー・ブリコメンド 2015年の振り返り

毎月おすすめの演劇を掲載しているこのコーナー。
今年もご愛顧ありがとうございました。
おすすめメンバー+おやすみ中のあの方で、振り返りの5本を選んでみました!!(落)



メンバー紹介

落 雅季子(おち・まきこ)@

■落 雅季子の「2015年の5本」

鈴木励滋(すずき・れいじ)@

■鈴木励滋の「2015年の5本」

日夏ユタカ(ひなつ・ゆたか)@

■日夏ユタカの「2015年の5本」


茶河鯛一(ちゃが・たいち)@

■茶河鯛一の「2015年の5本」




落 雅季子の「2015年の5本」


ジエン社『30光年先のガールズエンド』@早稲田どらま館
山本卓卓×北尾亘 ドキュントメント『となり街の知らない踊り子』@STスポット
ロロ『ハンサムな大悟』@こまばアゴラ劇場
OiBokkeShi『老人ハイスクール』@旧内山下小学校
ままごと『ゾウノハナクルーズ』@象の鼻テラス一帯



悩みつつも、もう一度見たいもの、というものさしで選んでみるとこうなった。

『30光年先のガールズエンド』では、1983年生まれの作者本介が、ガールズバンドというモチーフを通して10代という年齢を振り返っていた。何気ない時空の移動がびしっと決まる、切れ味最高の一作。ジエン社には、迷いや自意識というものを、照れないでまっすぐ描くことを続けてほしい。ストレートな中にもおちゃめにひねくれた作家性が滲んでしまうほどには、丁寧に作家として年を重ねていると思うから。

国内外で精力的に活動していた山本卓卓(範宙遊泳)の作品からは、ドキュントメント『となり街の知らない踊り子』を。北尾亘のひとり芝居だったが、踊り手が言いなりになることもなく、演出家が妥協することもなく、自律した状態でコラボレートしていた。人格も時間も超えたタフなパフォーマンスを見た思い。ロマンティックを演じるには、タフじゃないとね。

ロロの『ハンサムな大悟』は、観た翌日も、戯曲を読んで泣いてしまうくらい、戯曲としてたしかな「言葉」で彩られていた。人間関係のよすがとしてのセックスと、生殖のためのセックスの両方をこんなにも肯定的に描けるのは、最強の童貞・三浦直之しかいない。『いつ高』シリーズといい、彼は今、「戯曲」で物語を語れる書き手として、その肩に創作の小鳥が止まってる時期なんだと思う! ピヨ!

3月、11月と、今年二度も岡山にOiBokkeShiを観に行ったおかげで、行こうと思えばどこにだって行けるんだ! という気分になれたのは、来年以降の活動の指針になりそうな気がする。菅原直樹さんにインタビューできたことも大きな収穫だったし、89歳の俳優・おかじいから溢れる、コメディアンとしての魅力と、人生のせつなさは、生涯忘れ得ぬものだ。

『ゾウノハナクルーズ』は、柴幸男とシアターゾウノハナメンバーの爆発力を存分に味わえた大傑作(こういう作品にこそ、この言葉を使いたい!)。シアターゾウノハナは、柴が創作・演出のコントロールを意図的にやらないようにする場として3年かけて成熟してきたように思う。船の中での上演ということで、どうなることかと思って乗り込んだら、光瀬指絵率いる海賊団に乗っ取られたり、インターポールのとっつぁん(青年団の山内健司だ)が船を追いかけてきたり、観光ガイドだった女優が実は海賊に宝を奪われたゾウの国の姫だったり……。「うそばなし」として、ひとつひとつの設定のクオリティの高さ、横浜の海の眺めの良さ、すべてが混ざりあって凄まじく楽しい時間だった。

アートフェスティバルが各地で盛況な中、野外での上演を見る機会も増えた。パフォーミングアーツは、上演時間に凝縮して人が集まるから、フェスティバルとしても集客の成果が見えやすいのだろうとも思う。しかし、イレギュラーな状況が起きがちで、設備も何もかも不安定な野外では、戯曲をかっちりと、意図したとおりに上演するのは難しい。環境・観客にどれだけ委ねて、「自分だけの演劇」を手放すことができるか、作り手たちはその懐の深さを試されているのかもしれない。でも劇場の中の演劇でも、劇場の外を歩く演劇でも、結局は「面白い」か「面白くないか」の違いしかないのだ。自分を、社会を、この世界をあたらしく発見できるのであれば、私はどんな場所での演劇だって、観ていきたい。(雅季子)




鈴木励滋の「2015年の5本」


マームとジプシー『ヒダリメノヒダ』@KAAT大スタジオ
山本卓卓×北尾亘 ドキュントメント『となり街の知らない踊り子』@STスポット
うさぎストライプ『いないかもしれない2部作』@こまばアゴラ劇場
甘もの会『わたし今めまいしたわ』@新宿眼科画廊地下スペース
飴屋法水『ブルーシート』@豊島区旧第十中学校



 昨日12月30日、つれ合いと大阪日帰りの旅へ出た。あちこち廻った最後に西成区にあるココルームというカフェを訪れた。「闘争へですか?」と訊かれてよく判らないというつれ合いの反応を見て、店の人は寄せ場としての釜ヶ崎の歴史からココルームのやっていることや「釜ヶ崎芸術大学」のこと、行政のあれこれがストップする年末年始に野宿して餓死や凍死をする者を出さないための「越冬闘争」のことを話してくれた。彼女は次にやってきたお客さんにもいろいろ問われて応えていた。彼女とは詩人でココルームの代表をしている上田假奈代なのだが、彼女に薦められて三角公園の「越冬ステージ」へ、釜ヶ崎芸術大学の合唱部の人々が唄うというのを聴きに出向いた。

 公園に入ると狭山事件の冤罪を訴える支援団体のブースがあり、奥まったところにステージが設けられていて、中央にいくつか炎をあげているドラム缶があり、その周りを中心に多くの人々が集まっていた。ひと組が唄い終えた後、いくつかアピールがあり、進行する主催者らしき男性が釜ヶ崎芸術大学合唱部を紹介した。したのだが、練習会場から到着していないみたいで出てこない。男性は間をつなぐように今年起ったさまざまな政治の残念なもろもろについて語り始めた。それを聞きながら、そしてその後の合唱部の歌声を聴きながら、わたしはココルームの重要さ、芸術の可能性について考えをめぐらせていた。

 もちろん越冬闘争というものが1970年から連綿と続いてきたという、運動に関わるいろんな人々の努力には敬意を抱く。でも、それだからといってわたしが足を運ぶことはなかったと思う。狭山事件と反原発と「戦争法」反対と辺野古の闘争と釜ヶ崎がつながっているのは理解できる。もとより、わたしの日々の実践ともつながっていると感じている。だからこそ、別にそこに行かなくてもともに闘うことはできるのだとも言えてしまう。

 けれど、釜ヶ崎の運動の優先順位が低いということを話したいわけではない。縁をつなぐ人の大切さについて語りたいのだ。

 ステージで活動家たちが訴えたことの多くが圧倒的に「正しい」ものだった。そしてそれはわたしの考えと決して相容れなくもなかったのに、まったくといってよいほど響かなかった。かたや合唱部のひとびとは、歌詞、声、呼吸、動き、表情、それらの総体としての存在そのもので、生きることをとにもかくにも肯定していた。ヘンテコな歌詞できれいではない声でピタリと揃わない呼吸で奇妙な動きだがみんな晴れ晴れとした表情の合唱が、自分が生きていること、あなたが生きていること、あなたもわたしも生きていくことを肯定していた。理屈をひとつもこねなくても、さまざまな社会問題に呼応していた。活動家たちの訴えは、この合唱によって、ようやくいくばくか聴衆のもとに届けられたのではなかったか。

 「正しさ」や「技量」が要らないとは思わないが、正しいだけでも上手いだけでも他者には響かない。わたしが惹かれる表現者は、切実な想いを抱えているのみならず、それを他者に響かせることにこそ貪欲な人たちである。そのためには他者への深い敬意と丁寧な関わりが不可欠である。すぐにでもステージに駆けつけなくてはならなかったのに、一人ひとりにココルームの活動について、相手の反応を見ながら説明をする上田の振る舞いは、まさにそれであった。

 舞台表現、とりわけ演劇において、ここで言う“他者”というのはなにも受け手/観客だけではない。俳優やスタッフもそうだろうし、登場人物も他者である。自己表現への切要なる想いだけでなく、他者に対しても同じように強い志向を感じられた五組を選んだ。上演期間順に並べてある。

 ちなみに、合唱が終わったあとで会場の人々に、釜ヶ崎芸術大学合唱部へのお誘いのチラシが配られていた。(励滋)



日夏ユタカの「2015年の5本」


鈴木ユキオ振付『春の祭典』 (ダンスがみたい!17) @d-倉庫
立教大学現代心理学部映像身体学科 2015年度松田正隆ゼミ卒業制作 『東京ノート』 作・平田オリザ 演出・脚色・福井歩@立教大学新座キャンパス6号館2階ロフト1(N623教室)
本牧アートプロジェクト2015 @横浜・本牧エリア一帯
青葉市子×ミロコマチコ『野生の呼び声』@お二人のセッションは、2015年2月にキチムでおこなった『野生の呼び声』以来、二度めです。
山本卓卓×北尾亘 ドキュントメント『となり街の知らない踊り子』@横浜 STスポット



観劇リピート推奨派なのだけれど、昨年2015年はおそろしいほど、繰り返しては観られていない。前半に体調を崩し、体力的、時間的に観劇回数が減ったのが最大の理由。実際、昨年にリピートできたのは、
キラリふじみ レパートリー新作 日韓共同制作『颱風奇譚(たいふうきたん)』演出・多田淳之介
寺山修司生誕80年記念『書を捨てよ町へ出よう』上演台本・演出 藤田貴大
『ブルーシート』作・演出:飴屋法水
くらいだ。

いずれも秋以降に体調が回復してからのリピートで、あらためて繰り返し観るたのしさを感じながら、こういう生活が今年以降もつづけられることを、願う。

そして今年の5本。昨年2015年4月から休止してしまった小劇場レビューマガジン「ワンダーランド」の年末回顧では、毎年のように前記の多田淳之介、藤田貴大、飴屋法水の作品を「私の3本」として選んできたのだが、今年から発表する舞台も替わったこともあり、あえて、べつのアプローチ、新しい出会いを重視して5本を選んでみた。並びは、再演/再現可能性の低さ、みたいなことも踏まえての順番にもなっている。

まずは、鈴木ユキオ振付『春の祭典』。
それぞれのダンサーが上演機会1回だけで『春の祭典』に挑む、という「ダンスがみたい」の企画のなかの1本だが、鈴木ユキオのアプローチはとてつもなく真摯なものだった。20世紀の近代音楽の傑作ともいわれるストラヴィンスキーの『春の祭典』 をいかに21世紀/現代/現在に置換できるに腐心した結果、はじまりは映像中心(と壁作り)で、途中に本人のトークが挟まり、そして壮絶なダンスに至る、というやや異色の構成に。そこで描かれる春は、プラハやアラブなどの革命の春か。対して“いま”は、ベルリンの壁が壊れてなお、冷戦時と変わらぬ寒い冬の時代。かならずくるはずの春を迎えるために自らを生け贄のように捧げるダンスの温度は高く、それが伝わった客席の拍手もまた2015年でもっとも熱を帯びていたように思う。

『東京ノート』 は大学生たちの卒業制作。戯曲は平田オリザの『東京ノート』に忠実でありながら、東京デスロック版を踏まえ、観客は観劇中の入退場はもとより、床への直座りも立ち見も、さらには移動も自由に選択できるという上演スタイルだった。
その効果は広々としたロフト/教室で威力を発揮し、さらに大学の図書館を借景としたり、外光も計算ずくで多く取り入れることで、青年団による実際の美術館での上演よりもなお、人が行き交う、文明や文化の交差点でもある美術館という舞台をその場に現出させることに成功していた。
もっとも再演の可能性の低い作品ながら、強く、この次を、この先を観たいと願っている。

今年で3回目となる 『本牧アートプロジェクト 2015』は、本牧地域の元映画館、地区センター、古民家、公園などを舞台に行われた演劇やダンスなどのアートイベント。バスツアーも含めれば、2日間の会期中にすべての作品を見尽くすことはほぼ不可能で、選択や移動に頭を悩ましたりしなければならないところも野外フェスっぽく、楽しい。観られなかった作品の他人の感想を読んで残念がることすらも面白がれる、ならば、だけれども。
1日だけの参加となったが、「play」のもつ“遊び”の部分が刺激される、素晴らしい体験となった。

『野生の呼び声』は、昨年15年には舞台『cocoon』や『レミング〜世界の涯まで連れてって〜』に出演もしている音楽家・青葉市子と、『オオカミがとぶひ』で第18回日本絵本賞大賞を受賞している画家・絵本作家のミロコマチコによる、一夜限りの音楽とライブペインティングのセッション。吉祥寺のカフェがいつしか深い森に染まっていき、じぶんが新しい生き物として生まれ直すかのような、濃密な時間だった。
※2016年1月10日(日)に、名古屋テレビ塔3F特設会場において、ふたりによる二度目のセッション『カイツブリがはこぶもの』の開催が決定している

『となり街の知らない踊り子』はおそらく、山本卓卓のスタイリッシュな演出や、ひとりで何役も、というより街全体を演じきった北尾亘の演技が評価されたり注目されることが多かったかもしれない。ただし、個人的にもっとも魅力的だったのが戯曲。観たかぎり、昨年のナンバーワン、だろう。まさにいまの時代が濃縮された終盤と、世界が反転するラストの素晴らしさ。2016年2月11日と12日にYCC ヨコハマ創造都市センター 3F にて再演されるようなので、くわしくは語らないけれど。(ひなつ)



茶河鯛一の「2015年の5本」


モダンスイマーズ『悲しみよ、消えないでくれ』@東京芸術劇場 シアターイースト
中野成樹+フランケンズ『ナカフラ演劇展 vol.2』@シアターノルン
MCR『死んだらさすがに愛しく思え』@ザ・スズナリ
『気づかいルーシー』@東京芸術劇場 シアターイースト
こふく劇場『ただいま』@こまばアゴラ劇場



観た順です。

『悲しみよ、消えないでくれ』は、ありきたりな表現ですが、まさに“悲劇と喜劇は表裏一体”を体現した作品でした。
これ以上は、演劇を観る習慣がそれまでなかったというブログ主による、こちらの感想を読んでいただいたほうがその魅力を伝えられる気が。
モダンスイマーズ「悲しみよ、消えないでくれ」を三日連続で見てきたので感想を述べます - この国では犬が
ブログでも言及されていますが、一見正面しか向いていない美術でありながら、三方向から視られることをきちんと意識している演出が印象的でした。

vol.1もそうでしたが、『ナカフラ演劇展』はコース料理になっています。
一品ずつ食べてももちろん美味ですが、次に上演される機会があれば、是非通しでご覧いただきたいと思います。
プログラムとプログラムのそこはかとないつながりを見つける楽しみが味わえます。
vol.2では大田区の道みちにモリエールを重ねてくれました(私が引いたカードの場合)。

多作の人であることもあり、同じパターンを違うシチュエーションで見せることも少なくない櫻井智也ですが、時々本気を出します。
『死んだらさすがに愛しく思え』は以前から題材として暖めていたという実在のシリアルキラーをモデルにした作品。
シリアルキラーを演じた川島潤哉と奥田洋平の冷たい狂気も見事でしたが、それを特別なものとして扱わず、現代日本とつなげることで普遍性とシーンの軽快さを獲得しました。

松尾スズキによる『気づかいルーシー』の原作は大人がその気になれば1分で読み終わる短い絵本です。
舞台化の脚本・演出を担ったノゾエ征爾は、原作のシュールなエッセンスを十二分に残しつつ、
気づかいの連鎖が生む一級のシチュエーションコメディを繰り出してきました。
また、田中馨と森ゆにによる生演奏も物語の進行を大いに盛り上げました。

これまでこふく劇場の作品は機会はありながら何となく観てこなかったのですが、今はその不明を深く悔いています。
『ただいま』では、生きるということが日常の積み重ねから成り立っていること、生と死は隣り合っていて決して遠く離れたものではないこと、等々を全編宮崎弁で柔らかく、ユーモラスに描いていました。
音階が意識された発話、そして折々に挿入される歌と音楽性が強く、それが人の生き死にを扱うこの作品の儀式性を高める効果を生んでいます。

以上、特に統一的なテーマはありませんが、特に心が強く揺さぶられたと記憶している作品を選出しました。
来年も(いや、私だけ、今年も、ですが…)このような作品に数多く出会うことができたらいいなと思います。(茶河)




 


 

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