『オタクはすでに死んでいる』への助走(9)

『オタク論!』のつづきオタク論!
その1
P.152「マンガと評論・後編」

岡田: 70年代後半に南沙織という美少女アイドルが『少年マガジン』の表紙になったとき、明らかにマンガの消費のされ方が変わった。それまではみんなマンガを読みたくて雑誌を買っていたんだけど、ある時期から美少女を見たくてマンガ雑誌を買うようになった。もちろんその中の漫画を読んでるけど、主力購買層の目的はグラビア。
そのうちマンガ上でも、グラビアに出てくる女の子のような絵が流行りだした。だから『ヤングジャンプ』にしても『マガジン』『サンデー』にしても、グラビアの女の子で売れ行きが変わるというのは、それでしか説明できないんだ、という話をしたんですね。
でも、そのトーク展開にはみんな乗ってこないんです。なぜかというと「マンガで語ろう」とするからですね。いしかわじゅんは比較的自由なスタンスだから、「あ、そうだよね」と乗ってくる。でも夏目さん(引用者注:夏目房之介)は、その立場に乗っちゃうとマンガ論が成立しなくなる、いわゆる状況論の中のマンガになるから乗ってきてくれない。

これは名著『オタクはすでに死んでいる』第5章<「萌え」の起源>で書いてることと同じ話だね。『オタ死』の該当文は後で詳しく引用比較するけれど、上記<70年代後半に南沙織という美少女アイドルが『少年マガジン』の表紙になったとき>ってのは正確には1972年の『週刊少年マガジン』52号のことであり、<70年代後半>は間違い。対談にありがちなうっかりミス。いや、かりにも「オタク学」謳ってる岡田斗司夫にあって、こういうベーシックなミステイクは問題なのではないの?せめて70年代前半でしっかり覚えておこうよ。
オタクはすでに死んでいる (新潮新書)
『オタクはすでに死んでいる』第5章<「萌え」の起源>は、岡田斗司夫による「萌え」の起源の解説という体裁だが、最後まで読んでいっても<「萌え」の起源>にはたどり着かない。日本文化論としてのロリコン嗜好やら少年週刊誌の変貌やら女オタクや第2・第3世代のオタクへの違和感やらが長々と続き、例えればまぁ、マンガの歴史を紐解くのに「鳥獣戯画」から始めるって意味ではこういう傍系・先駆系を語るのもありなのだろうが、マジメにそういう意図ならば問題だろう(だって「鳥獣戯画」云々は唐沢なおき『BURAIKEN』のギャグだもの)。BURAIKEN (Beam comix)
それはそれとして、『オタク論!』と重なる部分を引用してゆく。


前段要約:話は<「おたく(又はオタク)」の誕生から発展と同じくらいのスパン、つまりこの三十年ぐらい>の日本人の趣味嗜好の変化から始められる。
欧米人の視点からみれば、日本の雑誌やマンガはチャイルドポルノまがいの、若い女性の肌を露出させた写真で埋めつくされている。あたかもロリコンは認知されているかのようである。この嗜好性は上記30年間に誕生・変化してきたものである。その証例として『週刊少年マガジン』の表紙の変遷を紹介する。
おそらく岡田は↑のように論理展開していると思われる。よく読むと分かりにくいんですよ、岡田さんの文(私が魯鈍である、ということだろうけれど)。そして数例の図版('59年の創刊号から問題の'72年52号まで)を解説しながら、
P.91

このようにして『少年マガジン』の表紙の記事は、子供向けの軍記ものから、宇宙ドキュメンタリーにいって、『サンダーバード』のようなキャラクターものになり、一九七〇年代に急に大人っぽくなって、黒澤明まで取り上げだした。
しかし、すべてが変わってくるのは、一九七二年末です。
この年、南沙織が表紙になった。
これ以降、少年マガジンの表紙は一貫してアイドル路線を歩み始めます。それが現在までずっと続いています。

女性アイドルを表紙に使って部数を伸ばした「少年マガジン」に倣って「少年サンデー」や「少年キング」も女の子の表紙を使いはじめ、<この傾向は少年誌の枠を超えていきます>。それが80年代の女子代性ブーム、女子高生ブームにつながり、活字・放送メディア全般に及んだ――そんな話の展開となり、
P.94

ともあれ、ほとんどの男性向け雑誌が女の子の表紙になっていきました。さきがけは『少年マガジン』だったかもしれませんが、本格的なムーブメントになったのは80年代です。こうして外国人が「ロリコン天国」と勘違いする日本になったのです。

この結果<アニメファンの変容>や<断絶>を引き起こした。『バーバパパ』や『超時空要塞マクロス』を同列に見ていた視点がなくなって、「美少女主義の台頭」「ジャンル間の断絶」を生んだ。この傾向が一般化して<二〇〇〇年代>に「萌え」が生まれた。――と結論付けられている。



その2

「週刊少年マガジン」 五〇年 漫画表紙コレクション

「週刊少年マガジン」 五〇年 漫画表紙コレクション

[『週刊少年マガジン』五〇年 漫画表紙コレクション]
この本は『週刊少年マガジン』の「マンガが表紙のメインになったもの」を集めたもの。ここに掲載されているマンガ表紙1289枚は、<創刊号から一九九〇年代までのほぼすべてと二〇〇〇年代の大部分を網羅(注:解説文より引用、以下同)>している。<『週刊少年マガジン』五十年の歴史でいえば、全発行号数二千四百三十六号(増刊号は省きます)の半数を超える号の表紙は、漫画キャラクターで飾られてきたわけです。>
10年ごとにトピックスと名付けて解説があり、70年代のところにこんな記述がある。
P.112

同じ年、表紙デザイナーにグラフィックアートの第一人者、横尾忠則が起用され、大胆な表紙構成で当時のカルチャーシーンに大きな衝撃を与えました。(中略)「時代の雑誌」となった『週刊少年マガジン』の人気は過熱し、一九七〇年には発行部数百二十万部を突破します。同年四十三号には、演歌歌手で、全共闘学生のアイドルだった藤圭子宇多田ヒカルの母親です)が表紙に登場(写真C)、ヒット曲『命預けます』の歌詞が小さく刷り込まれました。
一九七二年三十三号には少年漫画誌で初めて水着アイドルの表紙(写真D)が登場、山口いずみが表紙を飾ります。
同じ年、長く『週刊少年マガジン』の表紙デザイナーを務めた水野石文が、鶴本正三に交替しました。後に雑誌『スターログ』を発行する鶴本正三は「激写」の写真家、篠山紀信(=カメラ小僧)とコンビで、新しいアイドル路線を開始します。栗田ひろみ(写真E)から始まり、麻丘めぐみ南沙織天地真理森昌子アグネス・チャン浅田美代子桜田淳子山口百恵等が七〇年代の表紙を飾りました。

この本に掲載されている「70年代の漫画表紙」は296枚。10年間の総号数が五百プラスαなので、「70年代の非漫画表紙」は二百枚と少々、その中には横尾忠則起用のような企画モノやスポーツ選手が表紙といったケースも含まれるので、アイドルが表紙になった号はもっと少ない。年代を経るとアイドル系が増えるかと思いきや、続く80年代全502枚のうち、アイドルの表紙が約110枚。残りのほとんどがマンガだという。そもそも創刊号からしばらく『週刊少年マガジン』の表紙は「非漫画表紙」であり、'63年の年間4枚から始まって少しずつ増えていった。
そして篠山紀信が登用された事情は、前年'71年『明星』が9月号から表紙撮影を篠山紀信に起用して紙面を刷新したことが大きい(『明星』の篠山紀信表紙は10年続く)。

「明星」50年601枚の表紙 カラー版 (集英社新書)

「明星」50年601枚の表紙 カラー版 (集英社新書)

事実関係を整理すると、『週刊少年マガジン』にアイドルが登場したのは、
(1)<全共闘のアイドル>藤圭子起用の'70年43号
(2)<初めて水着アイドルが登場>した山口いずみ起用の'72年33号
(3)鶴本正三篠山紀信の<新しいアイドル路線>が開始された栗田ひろみ起用の'72年48号
の三説あるということである。いずれにしても岡田斗司夫の<南沙織起用の'72年52号>は、なんの起点にもなっていない間違い。栗田ひろみの数号後だし。岡田寄りに考えてみると、岡田の脳内で栗田ひろみより南沙織のほうが「美少女」に相応しいと判断されているのかも知れず、論説の補強のために栗田を引っ込めたのかもしれない。そうだとすると、栗田ひろみは君のリスペクトする「みうらじゅん」の(かつての)心の恋人だった女性、もう少し丁重に扱いなさいとアドバイスしておこう。

けっきょく『オタク論!』の<ある時期から美少女を見たくてマンガ雑誌を買うようになった。><主力購買層の目的はグラビア。>、『オタクはすでに死んでいる』の<これ以降、少年マガジンの表紙は一貫してアイドル路線を歩み始めます。>という記述はすべて誤りである。また、「'72年末の南沙織表紙によってすべてが変わった」といったような篠山紀信アイドル路線は、短期間で終了したシリーズであるうえモトネタを辿れば『明星』のヒット企画の流用しているわけで、特に「革新」的とは判断できない。それを「革新」的と見るならば、むしろ本家の『明星』を語るべきであろう。発行部数120万部突破という躍進は、アイドル路線や横尾忠則アート路線など他雑誌・他メディアの取り込みという努力の結果である。すなわち雑誌の読者層の拡大(幼少年限定から青少年・成人層獲得へ)及び定期愛読者の成長への対応の一環としてアイドル路線などナンパな側面も取り入れていったということであり、本質的には<空想秘密兵器シリーズ>や<「サンダーバード」「2001年宇宙の旅」などのTV・映画シリーズ>と変わるものではない。

さらに50年の漫画表紙を眺めていると、『オタク論!』の<そのうちマンガ上でも、グラビアに出てくる女の子のような絵が流行りだした。>というのにも疑問が沸いてくる。たしかに「グラビアに影響されたような絵の表紙」はある。特に80年代前半の表紙は著しく多いように見える。具体的に言えば『The かぼちゃワイン』や『胸騒ぎの放課後』『バリバリ伝説』などが表紙になるとその傾向が強まる('81年17号、28号、水着特集の'83年34〜36号など)。が、『ミスター味っ子』が表紙になりはじめた80年代中期以降落ち着き、90年代に入ると躍動感のある(それこそマンガ的な)漫画表紙がメインになる。「グラビア的」な要素が絶滅したわけではないが、売り上げなどに影響ということは無いのではなかろうか?まぁ、『はじめの一歩』より『魔法先生ネギま!』が表紙のほうが売り上げが伸びるという事実があるのなら、そうかも知れないね、と言うしかないですが。
ネギま!』表紙の源流に『かぼちゃ』や『放課後』の表紙があるのは認めるが(太モモ強調の構図や水着ね)、『かぼちゃ』や『放課後』を「萌え」に繋げるとすると、超えなければならないハードルが論旨展開上いくつも存在するように思います。TheかぼちゃワインAnother 1 (プレイコミックシリーズ)魔法先生ネギま!(28) (講談社コミックス)バリバリ伝説―グン&秀吉、永遠のライバル!! イッキ読み1024 (KCデラックス)ミスター味っ子(1) (講談社漫画文庫)

そういったわけで、はじめの『オタク論!』のとこに戻ると、夏目センセェは別に「状況論になるから乗ってこなかった」ワケでもなく、単に眉唾だと思って言葉を濁しただけなのではないでしょうか(よく知らないけれど)?


追記:個人的にはマガジンというと、『かぼちゃ』や『放課後』なんかより『ツッパリ刑事彦』や『コンポラ先生』の印象が強い(あと『カワリおおいに笑う!』や『ひとりぼっちのリン』とか)ので、取り上げた作品に特に思うことはありません。