「読書会」ML宛ての投稿、一通目

Oさん

先日は「あかね」でのワークショップ、ありがとうございました。今後とも、いろいろとよろしくお願いいたします。「失業者生産協働組合」というコンセプトは、鋭いし、今必要なことだと思います。我々が皆、潜在的にか現実的にか、皆失業者であるのだとすれば……。

『〈帝国〉』関連ではなんともタイミングよくイルコモンズさんのブログにこんなテクストが上がっていたのでついでにお知らせ(もっとも初出時に読まれた方も多いだろうけど)。

http://illcomm.exblog.jp/2896880
http://illcomm.exblog.jp/2897194
http://illcomm.exblog.jp/2897216


私は、図書館から『〈帝国〉』が回って来ず、ずっと待っている状態で、故に読めていないのですが、このブログは初めて読みました。とても興味深いと思いました。『暮らしの手帖』のような実践に注目するのは、或る意味鋭いと感じました。

『暮らしの手帖』の「商品テスト」が、消費者にでなく企業に向けられたものだということ、花森さんが女装?していたエピソードなど、とても面白かったです。

最近、パオロ・ヴィルノの『マルチチュードの文法』、渋谷望の『魂の労働』、ジジェクの『イラク』等を読んだのですが(感想ははてなのブログに書きました)、私としては、テロリストは誰?九条の会がそうであるように、例えば九条改悪阻止のような大文字の政治と、フリーター問題のような生政治?とを両方取り組んでいく必要を感じました。『マルチチュードの文法』の記述からは、現代人の議会政治離れは必然で、非代議的民主主義の方へマルチチュードは向かうのだ、と読み取れますが、(そしてジジェクにもそうした議会制民主主義への軽視ないし憎しみを感じるのですが)それは単純な見方であって、我々は議会を通じた変革の道も手放さず、生政治の実践を通じた内在的な変革(こちらがnoizさんのおっしゃるDIY反戦派でしょうか?)の道も手放さず、といった態度が必要なのではないか、と思いました。

晩年のガタリエコロジー運動・エコロジー政党に深くコミットしていたように、我々もまた、大文字の政治・政党政治を諦めることなく、且つまた、主観性の政治、ミクロ政治「も」手離さないといった態度が必要なのではないか、と思いました。

私は、経済音痴で、レーニンの統計を持ってくる書き方には馴染めないものを感じましたが、世界経済もきちんと理解して、実践に活かさなければならないなと思いました。難しいことなのですが……。

ネグリ=ハートの『マルチチュード』で、現在の帝国段階とかつての帝国主義段階の差異として、国民国家の重要性如何が挙げられていましたが、Sさんも提起されたように、レーニンの問題提起とネオリベの現状分析は結びつき得るのか、否か、私もとても楽しみにしています。

「読書会」ML宛ての投稿、二通目

関連情報を送ります。

市田良彦さんの、「日本でのマルチチュード出現の兆候は、「不幸なことだが、自殺者の増加かもしれません」という。「自殺は文字通り社会の中から消える行為であり、『自分がどこにも位置を占めていない』という強烈な自意識を感じます」 」という分析に、現在の鮮烈な生政治の在り様を感じ、ぞっとしました。渋谷望『魂の労働』でも、ネオリベにおける「宿命的自殺」の回帰について、否定的ではなく両義的な態度なのです。つまり、それは解放の契機でもあり得る、ということを言っているのです。酒井隆史『自由論』のゴースト・ドッグの分析は、それを犬死にだとし、自分は犬死にはしたくない、というものでしたが、渋谷さんの分析は、ゴースト・ドッグの倫理と美学を半ば肯定しているようで、それは如何なものか、と思いました。


http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2879218&comm_id=317430

マルチチュード論:「現状肯定」を乗り越える思想−−市田良彦・神戸大教授に聞く

 ◇アントニオ・ネグリマイケル・ハート著『マルチチュード』とは−−邦訳監修者、市田良彦・神戸大教授に聞く

 イタリアの哲学者、アントニオ・ネグリアメリカの文学者、マイケル・ハートの共著『マルチチュード』(上下、幾島幸子訳・NHK出版)が話題になっている。2人の前著『<帝国>』は、現代の世界秩序を帝国と表して論争を呼んだ。続編の本書は、帝国に抵抗する存在「マルチチュード」が全世界で現れつつあるとの仮説を肯定的に展開する。邦訳監修者の市田良彦神戸大教授にマルチチュード論を聞いた。【鈴木英生】
 「マルチチュードとはヨーロッパ中世の言葉で、『自国民かよそ者か何の職業かも分からない、とらえどころのない連中』といった意味です」
 普段、人はさまざまな役割や身分を負って生きている。しかし、難民や移民などになって、自分のいる社会に居場所がないと感じたり、社会自体が危機に直面して既存の価値観が意味を持たなくなった時、誰もが役割や身分を拒否した存在、マルチチュードになる可能性を持つという。
 現代のマルチチュード論は世界秩序としての<帝国>の存在を前提とする。今の世界にはインターネットや多国籍企業、国家間の条約や同盟など、さまざまなネットワークが互いに影響し合って存在する。「帝国とはこの総体が、あたかも単一の権力のように世界中の人々の生を拘束している状況を指します」。地球上に帝国の外部はない。これがマルチチュードが現れつつある理由だ。「帝国からの逃げ場がないからこそ、多くの人が『今、自分がこの社会でどう存在しているか』に、自覚的になり始めています」
 本書は、以上の仮説をホッブズ、ルソーらの社会契約論をはじめ、マルクスフーコーら古今の政治哲学を援用しながら展開する。
 マルチチュードWTO世界貿易機関)反対運動などと重ね合わせる論者もいるが、マルチチュードは運動体として理解できるとは限らないという。一例がフランスの暴動。フランス共和国の理念では、国民は誰もが同質で平等なはずだ。だが、暴動の当事者はフランス国籍なのに移民と呼ばれ、ある意味でフランス人扱いされてこなかった。むろん外国人でもない。
 「彼らは、共和国の根本理念が何を見えなくさせているかを見せた、という点でマルチチュード的なのです」
 ただし、マルチチュード論は暴動一般や、まして9・11のようなテロを擁護するわけではない。
 日本でのマルチチュード出現の兆候は、「不幸なことだが、自殺者の増加かもしれません」という。「自殺は文字通り社会の中から消える行為であり、『自分がどこにも位置を占めていない』という強烈な自意識を感じます」
 マルチチュードが、帝国の権力構造に抗して「絶対的民主主義」を生み出すというのが本書の結論だ。ただし、これは未来の完成された制度や体制ではなく、社会問題が動く瞬間に現れ出るものだという。つまり、「いったん今の社会の根本にある合意を問題にしなくては、どんな新たな制度も作れないという考え方のことです」。言い方を変えれば、既存の社会が位置付けられない人々が、だからこそ社会を根本から問題化でき、その結果、彼ら自身がその社会の中で何らかの位置を占めるという過程を指す。
 マルチチュードは、帝国を前提にした「仮説の仮説」でしかない。だが、著者はこの仮説に極めて楽観的だ。その楽観主義にこそ本書の意義があるという。
 「楽観主義は、既存のものを全否定する彼らの悲観主義の裏返しでしょう。ただし、世間にまん延する単なる悲観主義は、『人間はしょせんこんなものだから、この程度の現状でも認めよう』という安易な現状肯定に結びつきます。彼らは、その『この程度でいい』という話を、もうやめたいのだと思います」

毎日新聞 2005年12月28日 東京夕刊

転載「スラヴォイ・ジジェク−−資本主義の論理は自由の制限を導く」
http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20060109#p1
(原文)http://www.humanite.fr/journal/2006-01-04/2006-01-04-821161

全文がとても興味深いのですが、とりあえずマルチチュード関連を部分抜粋。リンク先は必読!

ユマニテ紙:トニ・ネグリマイケル・ハートが『帝国』−−あなたはそれを「マルクス以前」の著作と呼ぶ−−の中で提唱するグローバル資本主義の分析に対するあなたの批判の根拠は何か。

ジジェク:ハートとネグリは袋小路にはまっている。一方で中央集権化する帝国があるとしながら、もう一方ではマルチチュードが可能とするのだ。しかし−−単純化して言うなら−−彼らは現代の資本主義がすでにマルチチュードのモードで、網目状に機能しているということを認めなければならない。分権化し、多元的で、ノマド的なマルチチュードの新しい運動を表現するために彼らが使う用語のすべては現代資本主義の機能に適用することができる。ネグリが現代の資本主義の最新の発展の中に共産主義の萌芽を見るところへとすべり外れていったのは、そのことの無縁でないと私は考える。そうなると資本主義と闘うことが問題なのではなく、逆に協力すること、その活力に貢献して何が悪いということになってくる。ネグリには今や一種の資本主義礼賛が見られる。

ちょっと古い、糸圭さんの〈帝国〉書評を引っ張り出しました。
http://www.juryoku.org/suga2.html

日本自立プロジェクトML宛ての投稿:「みどりのテーブル」

小林一朗さんが「明るい未来計画」を掲げて立候補した時には、一瞬希望を抱いて、小林一朗みどりのテーブルに投票したのですが、結果は一議席も獲得出来ず、で、現行の選挙制度に問題があるとはいえ、とても落胆した記憶があります。中村敦夫はどう見ても正しい主張をしているのに、落ちてしまった。そのことの無念さは忘れられません。かれのイラク戦争反対の毅然とした意志表明は素晴らしいと思っていました。

小林一朗さんのブログ:日本持続可能性社会新聞
http://blogs.dion.ne.jp/p_e_a_c_e/

小林イチロウと明るい未来計画
http://mixi.jp/view_community.pl?id=9049

みどりのテーブル
http://www.greens.gr.jp/

http://mixi.jp/view_community.pl?id=303843

中村敦夫
http://www.monjiro.org/

そうした経緯もあり、パオロ・ヴィルノ等が言うような「非代議的民主主義」により期待を掛けるようになったのは事実です。現状は議会制民主主義「しかない」にせよ、この形式的民主主義の結果を甘受するばかりでは、変革は望めないのではないか。少しずつでも、直接に生(生活)を変えるといったより直接的な方向での民主主義がなければ対抗は難しいのではないか、と考えるようになりました。参加民主主義、ラディカル民主主義、直接民主主義といったものに興味の重点が移っていきました。

議会を変える道として、最近でも「平和への結集」が提案されており、私もそれに賛同していますが、議会政治に介入しそれを変えよう、という方向(だけ)では駄目ではないか、と思い始めています。流行りの概念で言えば、「生政治」が問われ実践されなければならないのであり、自分が生きているその生を内在的に変えるのでなければどんな実践にも意味がない、と思うようになりました。

私が参加しているテロリストは誰?九条の会のような団体でも、大文字の政治、つまり九条改悪阻止のような政治とともに、生政治、身近なところにある実践や政治(例えばフリーター問題)に両方取り組んでいるわけです。その両方の政治がないと駄目なのではないか、と思います。

晩年のガタリエコロジー運動に積極的に取り組んでいたように、私達もエコロジー運動に政治・政党レベルで、そして生政治や主観性の(ミクロ)政治のレベルで取り組んでいかなければならないと思いました。

出生

1975年、大分県に生まれる。父親はサックス吹き、母親はピアノ弾きだった。生後数年で、父親の病気(結核)・家庭内暴力が悪化、両親は離婚する。母親に引き取られ、その後小学生時代までを大分県で過ごす。

関東へ

中学から私の進学のために一家で関東(千葉県船橋市)に引っ越した。愛犬のチロも一緒だった。中学は七林中学校、高校は津田沼高校だった。大学は早稲田大学第一文学部哲学科に進学。中学の時、初めて男の子(同級生)を好きになる。中2(14歳)で、不登校吉本隆明島田雅彦高橋源一郎を読み耽る。ホロヴィッツのピアノに出会い、魅せられる。高校時代、バド・パウエルセロニアス・モンクに出会う。

大学院

早稲田大学大学院文学研究科に進学。修士課程で、ドゥルーズの超越論的経験論を研究する。とはいえ、語学力等、足らないものが多過ぎて、研究者としては続けていけなかった。指導教官の先生の退官等の事情もあり、修士で大学院を出る。他の大学院に進む等のことは考えていなかった。

NAMとフリーター生活

大学院を出て、讀賣新聞社等を受験するが受からず、自宅にて引きこもりに近い生活を続けていたところ、文芸誌で柄谷行人が資本と国家を揚棄する社会運動NAMを始めると知り、web検索したところホームページがヒットしたので、即座に入会を決める。これこそ、人生の「私的教師(private teacher)」である柄谷行人からの「呼び掛け」に他ならないと確信し、それに「応答」したのである。NAMでは、メールを書き過ぎて、それが無職故の暇さからくるものだろうと、飛弾五郎さんから紹介されて、埼玉の受験情報を扱う会社進学データシステムにパートタイマーとして入社した。

NAMでは私は、地域系東京の副代表、ジェンダーセクシュアリティ系の連絡責任者、センター事務局の副事務局長等「NAM内官僚」として振る舞う。地域通貨Qが出来てからは、Q普及に邁進した。

911同時自爆事件のショックで、不安障害を発症、職場の人からの勧めもあり、精神科(高根台メンタルクリニック)を受診、今日に至る。

Q-NAM紛争とイラク反戦

Q-NAM紛争(その詳細については『重力03』を参照して欲しい)に際して、NAMの原理の原理主義者として、西部忠吊るし上げ等を行い、最終的にQ代表団やQそのものの誹謗中傷・破壊活動を行う。

NAM解散後、アメリカのイラク攻撃が近づき、美術家の岡崎乾二郎の呼び掛けもあり、進学データシステムを退職して無職になっていた私は、生活を賭けて反戦運動に没頭した。精神的に異常な状態でありながら、デモ、集会等に積極的に参加する。

また、無職になった私は、早稲田にある交流フリースペース「あかね」で女装してスタッフを勤め始めた(相方はさんだー杉山さん)。

週一日の「あかね」当番の他は、ネット上でのまた路上での反戦運動で日々が暮れていく、そんな毎日を1年ほど過ごし、これでは駄目だ、と「仕事をください」というメールを各MLに発信。ハローワークに通い、明光義塾鎌ヶ谷大仏教室に事務担当アルバイトとして採用される。

フリーター生活

私のフリーター生活は、基本的に月給5万円から多くて7万円で、一日4時間労働であり、病気から回復途上にあった私には丁度良い具合であった。明光義塾での上司はモラロジーを信奉するネオリベの「勝ち組」だった。1年と少し勤めた後、上司が退職することが決まり、上司から「おまえもいつまでもフリーターやっててもしょうがないだろ?」と言われ、明光義塾退職が決まる。ハローワークや直接応募で10社ほど受けたが、どこも正社員採用はされなかった。