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Gabbardの演習林−心理療法・精神医療の雑記帳 RSSフィード

2013-12-31

さようなら、大瀧詠一さん

 大瀧詠一さんが亡くなった。ナイアガラ・カレンダーナイアガラ・フォール・スターズを聴きまくっていた中学時代の僕にとっては、iconというべき巨人だった。

 ネット上では一部のやりとりしか紹介されていないようだが、日本のロック史を考える上で高い資料価値があるものなので、「日本語ロック論争」として知られる、内田裕也大滝詠一の間でかわされた議論をここに引用する。人名表記、バンド名などは原文ママとした。「新宿プレイマップ」70年10月号の喧論戦シリーズ「ニューロック」から。

大滝:ボクはついこの間までGSみたいな事をやってたけど、去年の夏くらいから日本のロックについて考えているんです。つまり日本の中に外国のロックを持ち込んでも何となく馴染めないという原因は、言葉の問題が一つにはあると思うわけです。そこで日本語でロックをやってみたわけです。今度ハッピーエンドというバンドを作って五月にレコードが出るんですけど、何かそういう試みをみんながやってみたらと思いますね。

(中略)

大滝:ボクは別にプロテストのために日本語でやってるんじゃないんです。何か、日本でロックをやるからには、それをいかに土着させるか長い目で見ようというのが出発点なんです。ボクだって、ロックをやるのに日本という国は向いていないと思う。だから、ロックを全世界的にしようという事で始めるんだったらアメリカでもどこでも、ロックが日常生活の中に入り込んでいる所へ行けばいい。全世界的にやるんならその方が早いんじゃないですか。でも、日本でやるというのなら、日本の聴衆を相手にしなくちゃならないわけで、そこに日本語という問題が出てくるんです。でも日本日本と言うからといってボクらは国粋主義者でも何でもないから誤解しないで下さい(笑)

内田:でもロックが日本で土着した状態というのは具体的にどういう事をキミは指すの?土着に成功して、ロックが地方を廻わる興行システムになっちゃうという事?

大滝:ボクらは成功するかしないかじゃなくて、ただやるかやらないかだけなんですよ。

内田:それもいいけど、成功しないかもしれない事をやる気はないね。オレ達が何かやるのは、やっぱり、成功する事で自己の存在を確認して行くという点なんじゃないのか。

大滝:でも成功したいという理由でコピーばっかりやってるというのは逃げ口上じゃないですか。

内田:日本語のオリジナルが好きな奴もいるし、向こうのコピーの好きな奴もいるし、アナタはコピーを馬鹿にした言い方するけど、アナタは自分のバンドよりうまくコピーできる自信があるわけ?

大滝:向こうのバンドより以上に出来るバンドがあったら聞きに行きたいですね。みんなそれを目指してやってるんじゃないですか。

内田:だからどの程度だい。

大滝:そんな事自分じゃ判らないんじゃないですか。

 若さゆえの気負いとプライドが感じられる両者の議論だが、この時22才の大瀧さんが発した、「ボクらは成功するかしないかじゃなくて、ただやるかやらないかだけなんですよ」という言葉に胸打たれるのは、きっと僕だけではないはずだ。近視眼的に成功を追うのでなく、本当に大切だと自分が信じる道を歩むことの大切さを、この大瀧さんの言葉は教えてくれる。

 この言葉と、この言葉をつらぬく信念と、そしてこの信念から生み出された数多くの楽曲を、僕たちに遺してくれた大瀧さんに深く感謝したい。ありがとう。

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2013-12-25

多和田葉子『言葉と歩く日記』より

 今月21日に発売された、多和田葉子言葉と歩く日記 』(岩波新書、2013)を読む。文ひとつひとつが立っていて、独特の魅力があるので、ついついと読み進めてしまう。魅力があるというのは、たとえばこんな一節。

 日本語にはトルコ語と似たところがある、ということを当時、時々耳にした。構造が似ているので、ウラル・アルタイ語族というものに両者とも属している、と考えていた言語学者も過去にはいたそうだ。一体どんなところが似ていると思われたのか訊いてみると、冠詞がないこと、名詞に文法的性がないこと、前置詞がなくて後置詞(助詞)があることなどだ、と言われたが、わたしは当時この主張をとても不合理に感じた。インド・ヨーロッパ語族を中心とした言語の見方に神経質になり始めた時期だったからだと思う。インド・ヨーロッパ語族を中心と違う者はみんな同じ穴の狢だ、と言われたようで腹がたった。これでは、鍋が自分中心に世界を見て、「ミシンとコウモリ傘は似ている」と主張するようなものではないか。鍋から見れば、ミシンとコウモリ傘にはいろいろ共通点がある。まず蓋がないこと、そして仕事中熱くならないこと、更には調理の役に立たないこと、など。これは鍋の理屈に過ぎないのではないか。世界の言語には冠詞のない言語の方が冠詞のある言語よりずっと多いに違いない。文法的性だって、ない方が普通だと思う。マイノリティであるインド・ヨーロッパ語族が自分を世界の中心だと思っているのではないか。(p159)

 僕もまた、「日本語とハンガリー語が近いから、ハンガリー的な治療態度が日本に受け入れられやすい」などと簡単にいったりするけれど、そういう視点そのものがインド・ヨーロッパ語族を中心とみる思考習慣に影響を受けているのかもしれない。

 ただ、そうした多和田の指摘そのものも面白いけれど、鍋とミシンとコウモリ傘の比喩が何より楽しい。ミシンとコウモリ傘が互いを比べあっている姿が目に浮かぶから、厳しい批判だけれど、主張が嫌みにならず、すっと胸に入ってくる。力が抜けていて、それでいて巧妙な文体がとにかく魅力的だ。

 しかし鍋もこんなところに突然引き出されて、どうも落ち着かない思いをしてるんじゃないかなあ。

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2013-03-28

土門拳『写真随筆』より

 土門拳の『写真随筆』(1979,ダヴィッド社)の一節によい言葉があった。引いておく。

 ・・・その結論が、対象に淫してはならないの一言に尽きるのである。・・・いい古されたことだが、対象に対してきびしい主体性を確立しなければダメである。・・・主体性とは、人間としての、おのれみずからのまなこで、見きわめずにはいられないものをもっているおのれみずからであるということである。それは本質的に悟性的な立場であって、好きだから撮る、撮りたいから撮るといった感性的、恣意的な立場とは異質である。(p.252)

 「鬼」と呼ばれた土門らしい厳しい発言だが、本質を衝いた言葉だ。玩味したい。

写真随筆
写真随筆土門 拳

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2012-11-20

ダニエル・スターン死す

 発達心理学者ダニエルスターンが亡くなった。享年78才。The New York Times誌の死亡記事はこちら

 僕は、彼の著作にはいつも関心を寄せてきた。それは彼の著作には常に、乳幼児のこころを理解する視点の確かさと、人間の発達や変化の本質をつかみ、自らの言葉でそれを表現しようとする真摯な努力が満ちあふれていたからだ。

 2008年に横浜で行われた世界乳幼児精神保健学会で彼の姿を見たが、温厚で紳士的で、そして異なる意見に対する寛容さと率直さのバランスがとれた成熟した人、という印象だった。

 近年もなお、思考を喚起するすぐれた著作を著していただけに、今回の喪失はあまりに大きい。もっと書いてほしかった。残念だ。

 スターン関連の過去のエントリ:Forms of vitality 解釈を越えて

母親になるということ: 新しい「私」の誕生
母親になるということ: 新しい「私」の誕生ダニエル・N・スターン ナディア・B-スターン 北村 婦美

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2012-11-06

現代夢研究の入門書

 J.Allan Hobson著『Dreaming』。Oxford University PressのA Very Short Introductionシリーズの一冊。夢研究の第一人者、Hobsonの手になる夢についての入門書。これまでの夢研究の歴史、現在の到達点などがシンプルにまとめられて、とても読みやすく、かつ有益な本だ。

 著者は、この本で次のような主張を行う。古来夢研究は、主に内容に焦点が当たってきた。しかし夢を科学的に捉えようとするなら、その形式に注目しなくてはならない。では夢の形式的な特徴は何だろうか。覚醒時と比較して、その特徴を抽出するならば次の二つがあげられる。まず覚醒時より強調される側面があるということ。たとえば内側から生まれてくる知覚や情動は強調して表現される。逆に、覚醒時より弱くなる側面もある。たとえば記憶、思考、自己内省的な気づき、ロジカルな推論力などは低下あるいは消失してしまう。

 このような覚醒時と睡眠時の脳活動の違いは、脳内部のchemicalな違いに依拠しているとHobsonは言う。つまり覚醒と睡眠の違いは、セロトニンノルアドレナリンの放出水準の違いによって生み出されているというわけだ。

 では夢は、どのような神経学的基盤があるのだろうか。Hobsonは、次のように説明する。REM睡眠においては、まず橋から電気的活動がランダムに発射される。この活動は視床を介して大脳皮質のさまざまな領域を活性化し、それによって多数の知覚や情動が引き出される。これらの諸要素を大脳皮質が連合し、筋の通った一つの話に合成する。これが夢として体験されている精神現象なのだという。そしてこの理論モデルが、著者らが1977年に提唱した夢の「活性化-統合モデルactivation-synthesis model」の説明ということになる。

 その他にも興味深い主張が多い。たとえば夢の中でネガティブな情動が多いのはなぜか、という問いについては、それはそちらのほうがより生存に重要な情動であり、古い脳領域の活性化から生じる情動だからだ、と答えている。

 また多数のコラムも挿入されていて、これも興味深いものばかりだ。たとえば、動物は夢を見るのか、夢は白黒なのか色つきなのか、夢は未来を予知するのか、といった問いについて、わかりやすい解説を載せている。

 さらにフロイトの夢理論のどこに問題があったのかを、現代の夢研究の知見をもとに整理して示しているところも、心理臨床家にとっては非常に参考になる部分だ。

Dreaming: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)
Dreaming: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)J. Allan Hobson

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