先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

何か本質からズレてる、原発事故汚染被災地へのアーティスト慰問

NHKで、AKBが浪江町民のところへ慰問にいったときのことをリポートしてる。


激励したいとか、かわいそうって、そういうパターンは古来から不変で
自国の戦争の激戦地とか、
遠い他国の戦地で飢えに苦しむ市民たちとか、そういうもんだ。


つまり、そうは教えないが、
日本における原発事故汚染・大津波被災の、重度被災地は「戦災犠牲」の土地と思われてるのだ、感覚的には。


兵隊さんを励ますために歌姫を慰問に出向かせた…
ガザなど各地の戦争や不作に苦しむ子供たちや大人たちに食料や衣類やお金を寄付…


それは、震災被災地を本質的には救っていない。さっさと救えないほど根深い戦地であるとはいえ…
しかも、次々にタダでAKBとかが来てくれるので、「甘やかされてしまう」


では、なにをすればいいかといえば、これは難しい。


だって本当に、戦争地帯の一種だからだ。
ガザのように、手のつけようがないし…津波被災地でさえ復興という名の原状回復には何十年でもかかる。
まして、放射能汚染はセシウム半分になるまで30年、95%なくなるまで200年…ほかにも様々な放射性元素が少ないとはいえバラまかれ、それぞれ半減期は異なる。
放射能は化学毒ほど露骨にすぐに作用しないので、原因不明の疾病の手助けになる程度のサイレントキラーである(やけに疲れやすい一生とか、何世代か後で次々に出てくる妙な奇病とか→アトピーも高度成長期の旺盛な公害毒がいまごろの世代に出た結果だという)。そうやって『機序がわかりづらい脅威』というのは不気味がられていわゆる風評被害的な主因となるが(昔の人々が正体不明の病気を悪魔のせいにしたり無駄にパニックをあおったりしたようなもの)、しかし実害はあるのだからただのデマですともフォローできないし…(これだけやっかいな時点で原発の存在意義などないんだが…軍事から転用するための口実、原発による核の傘の維持)


しかも崩壊して放射性ではなくなっても別の化学毒性を持つ物質に変わる…
放射性セシウムは関東一円に多量にばらまかれているが、崩壊してバリウムになって地面や河川に多量に存在し続け、それが人体や自然の動植物にどう影響するのかもわかっていない。『元素が崩壊し別の元素になっても、なくなったりはしない』


カネにならないみちのく=道の奥の僻地なので、急いで復旧させる意義がないから、なおさら放置される。東京や大阪ならどんな手を使ってでもとっとと復旧させただろう。


だから、市民草の根レベルで、被災地民が自覚すべきと言うか、すでになんとなくわかってることの再認識をすべきは
・戦地の一種に住んで生活しているということ
・十分な補給や、抜本的な勝利に導く作戦は期待できず、慰問ばかりがメインであり続けるだろうと言うこと
・汚染という『敵兵』を、無視しての経済復興とか、汚染地帰還で自治体復旧…たとえ成功してもそれは敵に刺され続け戦い続けることであること(心が戦いをみないふりをしても、体は戦い続ける)


誰もが、銃殺されるような戦地へわざわざいく戦争ジャーナリストを、ばかだなーと思うことはあるだろう、昨年も犠牲者が出たし。
でも、似たようなことが、東京と福島の間にはある…ここは認めなくてはならない「現実」だ。


本質を見極めた上で、夢や慰労へ逃げてみる時間があっても別にいい。
けど、慰問やニセ経済復興が本質だとカンチガイしたままでは、自覚なき戦争犠牲者となる確率が高い。


将軍や閣僚としては、なるべく兵士には阿呆で学習能力がないままで、あってほしいのだ…
戦争時代は、子供まで戦争に行くのが当たり前だと思い、兵隊が一番のあこがれで、おもちゃも兵器だった。
兵器や戦争をいやだと言えば、右翼や創価が飛んできて非国民だとののしった。兵隊や警察に告げ口した。今も同じ仕組みが同じ作用をしているね。


汚染地帯で戦い続ける兵隊一家であることが、当たり前とならないでくれ。


30シーベルトを患部に当てて壊死し腐敗しての戦い…化学療法もはんぱない。うまくいかなければ再発。
それだけの闘病だから見舞いもたくさんくる。いくら励まされてもおそろしい苦痛と2年も闘う、いつ死ぬか本当にわからない日々。
そんな過去を持つおれからの、メッセージだ。


 ◇



これだけ原発事故後に、事故収束作業がギクシャクを繰り返してやまないということは…


・いかに政府・官庁・電力業が、事故を前提にした体制を敷いてこなかったか
・いかに、下請けに丸投げして、ウエはなにも理解しない体制だったか、オカミ神様絶対主義だったか


を、物語る。
けっして、民主党が悪かったとか、自民が原発をやってきたとか、そういう単純な話ではない。それらは問題だが、一番の問題はもっと根深く、ツタのように絡み合っている。


だいたい日本においては、役所や政治家が民間の現場に口を出したり、まして指揮統制をすると「ロクなことにならない」(それがカネになる産官学連携PJとかなら別…規制違反とか事故発生とかで役人が乗り込んでくる場合だ、金融銀行システムトラブルで金融庁が口を挟みに現場へくると必ずブーイングが出るような)
…だから企業単位とかで作業体制を完結させるのが理想的だが、事故原発でそれはどんな国でも不可能だ…『最悪の事故に対して、最悪の体制で臨まねばならない』。そこに菅政権だからとか民主党だからなどと言っても無意味で、どうせ自民政権だろうがどんぐりの背比べだ…欠点のレーダーチャート分布が異なるだけだ。閣僚という”お飾り”を筆頭に次官が指揮する官僚集団が口を出しに来る体制が問題だからね。
そういう不毛な中で菅総理原子力専攻だったのはプラス要因も大きかった…事故直後に官邸にいた民間登用の審議官、「官僚など官邸にいる人間が全員、地蔵のように固まって口も手も動かさないでいる中で、総理一人だけがてきぱき動いて電話して指示をしている異様な光景」とツイートしている。事故原発における吉田所長のデスクも指示決済のために長蛇の列が絶えなかったという。
ないないづくしの最悪の体制で、ギリギリ機能性が高かったのが総理と所長だった…彼らは凡骨で冴えてなかったとしても、そもそも彼らがいなかったらひとつも進まなかった…消去法にせよヒーローで頼みの綱だった。おそらく菅総理が一般市民出で、世襲のような坊ちゃん議員でなかったことが幸いした…人生で培わされてきた人間性が吉田所長のような現場側ボスに近かったためだ。政権の総理には映えなくても、事故現場のボスと疎通したりあれこれ世話を焼くのに向いていたし、専門知識もあった。洋画ID4で大統領が戦闘機で出撃したアレに似ている。とにかく専門家先生方も、世襲議員様方も、エリート官僚さまがたも、現場でネジ一つ閉めたことがない…専門分野の知識はあっても実作業を知らなかった。手で触れたこともない。

https://twitter.com/ken1shimomura/status/175972283779780609
民間事故調/2】まず、大きく報道された、《電源喪失した原発にバッテリーを緊急搬送した際の総理の行動》の件。必要なバッテリーのサイズや重さまで一国の総理が自ら電話で問うている様子に、「国としてどうなのかとぞっとした」と証言した“同席者”とは、私。但し、意味が違って報じられている。


https://twitter.com/ken1shimomura/status/175972480681381889
民間事故調/3】私は、そんな事まで自分でする菅直人に対し「ぞっとした」のではない。そんな事まで一国の総理がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように動かない居合わせた技術系トップ達の有様に、「国としてどうなのかとぞっとした」のが真相。総理を取り替えれば済む話、では全く無い。2012年3月3日 - 7:54


https://twitter.com/ken1shimomura/status/175972630229291008
民間事故調/4】実際、「これどうなってるの」と総理から何か質問されても、全く明確に答えられず目を逸らす首脳陣。「判らないなら調べて」と指示されても、「はい…」と返事するだけで部下に電話もせず固まったまま、という光景を何度も見た。これが日本の原子力のトップ達の姿か、と戦慄した。


http://twitter.com/ken1shimomura/status/176350926196584449
民間事故調/7】報告書P.77「官邸が電源車を用意手配したにも関わらず、11日夜から12日にかけて電源車に繋ぐコードが無い等の報告があり…」⇒これ、私も見ていた通り。この文から2つの事が判る。つまり、総理室詰めの技術陣は電源車の手配にも即応できず(だから「官邸」が手配)、更に…


http://twitter.com/ken1shimomura/status/176350986787487744
民間事故調/8】「電源車が現場に到着したら、電気を原発側に送るコードが要る」ことにも前もって1人も気付かなかった。この後も、こうしたトホホは信じ難いほど続く。当時の私のノートの走り書きより:「うつむいて黙り込むだけ、解決策や再発防止姿勢を全く示さない技術者、科学者、経営者」


http://twitter.com/ken1shimomura/status/176351114952851457
民間事故調/10】自分だけ冷静だったように振り返るのはフェアじゃないから、正直に言う。私自身、あの時は人生最大の緊張状態にいた。眼を合わせない専門家さんに、「頼むから、1つの作業が始まったら、次に何を備えなきゃいけないか、先回りして考えて下さい!」と懇願したのを覚えている。


http://twitter.com/ken1shimomura/status/177081646003142656
民間事故調/13】震災翌朝。福島の現場では、東電本店との電話で「吉田所長が首相の突然の訪問予定に…『私が総理の対応をしてどうなるんですか』と激しいやり取りをしていた。」これは、来る菅への怒りか?(世間の見方) “総理対応はそっちの役割だろう”と本店を怒ってたのか?(私の見方)


http://twitter.com/ken1shimomura/status/177081712168280064
民間事故調/14】なぜ私が後者の見方をするかと言えば、それが当時官邸にいての実感だったから。目の前にいる面々にいくら訊いても情報も判断も出て来ないなら、直接現場に行くしかない。で、実際、菅・班目氏らと現場に行って感服した。吉田所長は、総理を迎える態勢など、何も取っていなかった。
ken1shimomura 2012-03-07 02:22:24


http://twitter.com/ken1shimomura/status/177081769286316032
民間事故調/15】この視察は儀式ではなく、状況把握作業だ。どうか本末転倒な歓迎準備になど人手を割いていませんように、と案じながら到着してみると、歓迎の人垣の代わりに建物内で総理を迎えたのは、毛布にくるまって廊下にゴロゴロ転がる疲れ切った人の群れだった。我々は、その隙間を進んだ。
ken1shimomura 2012-03-07 02:22:38


http://twitter.com/ken1shimomura/status/177081820448436224
民間事故調/16】間近な最前線での闘いから時間交代で戻って来て、ぐったり仮眠しているその人達は、10cm横を今総理が歩いていることなど、全く気付いていなかった。その《総理扱いの放置ぶり》に、「ああ、これなら作業のお邪魔は最小限で済んでいる」と私は安堵した。そして会議室へ。


http://twitter.com/ken1shimomura/status/177798122293051392
民間事故調/17】報告書P.79◆福島の会議室で東電副社長が、ベントできぬ理由を「電力が無くて電動弁が開けられないと説明すると、(菅首相は)『そんな言い訳を聞くために来たんじゃない』と怒鳴った」…確かに、Whyに答えたら“言い訳するな”と叱られた、というのは理不尽にも見えるが⇒
ken1shimomura 2012-03-09 01:49:10


http://twitter.com/ken1shimomura/status/177798197958287360
民間事故調/18】やはりあの場面は、「電力が無くて電動弁が開きません」オワリ、じゃなくて「だから次は○○という方法を試みます」と続けるのが、責任ある者の答だろう。あの緊迫の数日、前者のような、次の一手の提示を伴わない単なる「出来ません」発言を、どれだけ技術系から聞かされたか…


http://www.h-yamaguchi.net/2012/03/post-017c.html

一番頼りになるはずのお父さんが、狼狽して真っ先に逃げちゃったような状況だよな、これ…
なんでもかんでも民主党菅総理のせいにしてしまった官僚たちは、歴史の教科書にまで菅総理は悪かったとウソを明記させている…学校がウソを教えるようになったのだから日本はモラルハザードで滅ぶ運命だ。なんせ放射能汚染は文科省の領分…教科書は言うまでもなく。




おれは、原発事故直後から2ちゃんねるツイッターも奔走し、専門家たちと会話しながら国内・海外のネット文献をあさって情報を集め、半端なプロより詳しくなり、線量計を買ったらすぐ関東一円と福島と関西まで計測に行った。
http://hakatte.jp/report/gaogai/
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&msid=216896075475772757370.0004af5254669affdb05e
そうして交流したり激論した論客の中には、このハッピーさんも、その仲間のTS氏も、彼らの仲間の原発従事者数名もいる。東大など名うての教授たちもいる。当ブログ[原発]カテゴリーをみれば、震災後の情報がおおかた残っている。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013050502000119.html
つぶやく福島作業員 政府・東電に振り回された2年間

2013年5月5日 朝刊

 東京電力福島第一原発事故の発生当初から収束作業に従事し、現場の様子をツイッターでつぶやき続け、その内容を七万超の人が注目している「ハッピー」さん。福島第一の近くに家があり、作業員としてここで長年働いてきた。このほど本紙の取材に応じ、二年間を超える収束作業で感じた疑問などを語った。 (片山夏子)
◇まるで戦場

 二〇一一年三月十四日昼、3号機原子炉建屋で水素爆発が起きた時、ハッピーさんは近くで作業をしていた。突き上げる衝撃、すさまじい爆音に襲われ、がれきがバラバラ降ってきた。

 「ここで死ぬかもしれない」

 まるで戦場だった。建屋から煙が上がり、すすで全身が真っ黒になった人、防護服が血に染まった人もいた。怒号が飛び交う様子はとても現実とは思えなかった。

 ハッピーさんがツイッターを始めたのは水素爆発から六日後の二十日のこと。

 理由は二つあった。一つは情報が錯綜(さくそう)し、不安をあおる報道もあったこと。もう一つは、福島県南相馬市に小さな子どもと住む知人に、現場で起きていることを冷静に伝え「必要以上に心配することはないよ」と伝えるためだったという。

 つぶやきの中で自分のことを「オイラ」と書き、「です」ではなく「でし」で結ぶことが多い独特のメッセージ。初めのころ、読み手は子どもがいるお母さんが多かった。「助けられました」「救われました」というお礼や温かい言葉が寄せられた。
◇命は二の次

 ハッピーさんのつぶやきには現場で感じる政府や東電への率直な疑問が多い。

 政府や東電が、根拠のない楽観的な見通しを示したり、きちんと説明しない発表をするたびにいらついた。事実をありのまま伝えないことで、かえって不安をあおっていると感じたという。

 事故発生当初、作業工程の調整がなされないまま、現場に指示が飛んだことにも閉口させられた。電気系と配管系の作業が同じ場所で同じ時間にぶつかり、片方の作業ができなくなるなどの混乱が起きた。

 混乱の跡は、二年たった今も福島第一の各所に残る。ほぼ同じ場所に汚染水の移送ホース、電源ケーブルや機器を制御するケーブルが乱雑に設置されている点などがそうだ。緊急作業だったとはいえ、誤作動や漏電の恐れがあり、今後の不安要因になっている。

 「総理が二十四時間作業しろと言っているから何とかしろ」。こんな指示が現場に飛んだこともあった。無理やり二十四時間体制のシフトを組んだが、作業効率が落ちた。

 現場の状況も考えず毎月発表された工程表にも悩まされた。「政府がやるって発表しちゃったから作業を急いでくれ」と言われ、準備もできていないのに夜中に駆り出されたこともあったという。

 特に、防護服を着ての夏の作業では何度も倒れそうになった。「休め」とは言われるが、工程表はそのまま。作業員の命や安全は、二の次になっていると感じた。
◇コスト優先

 一一年九月、ハッピーさんの耳に、政府と東電が「冷温停止」に「状態」をくっつけて新語をつくり、年内にも福島第一が「冷温停止状態」になったと宣言する、との情報が入ってきた。

 だが、溶け落ちた核燃料の状態もわからない。原子炉の冷却にしても、ポンプ故障だけでなく、配管の詰まりや破損などで止まる可能性がある。原子炉の温度計が不安定な動きをし始める中で、炉内が一〇〇度以下と言えるのかどうか…。「冷温停止なんてあり得ない」と思った。

 さらに十一月ごろには、「事故収束」まで宣言するらしい、との情報が入ってきた。

 「まさか」と思ったが、十二月に実施する予定だった2号機の格納容器の穴開け作業が年明けに延びるなど、宣言の妨げになるかもしれない危険な作業は延期され始めた。

 これまでも「選挙があるから、それまで危険な作業はするな」「担当大臣が明後日、海外に行くから今日中にやれ」と現場で指示されるなど、政治の動きに振り回されてきたが、まただった。

 収束宣言後、事故現場では、コスト優先の契約が目立つようになり、危険手当や給与の削減など作業員の雇用条件が悪化した。事故後に福島第一に導入された設備類は、保守管理のことを十分考慮していない仮設のものが多い。耐久性のあるものに交換すべきだと東電に提案しても、「予算がない」と却下されることも増えた。

 ハッピーさんは、東電が会社再建を急ぎながら、事故収束も進めることに大きな疑問を感じている。コスト優先では、経験豊かな作業員も雇用が安定しないため集まらず、廃炉作業も進まない、と危機感を抱いている。

 「国がいくら税金を投入しても、東電の借金になるだけ。東電が民間企業である以上、コストを優先するのは当然。これでは廃炉は遅々として進まない。世界を揺るがした原発事故なのだから、国と東電は収束作業を専門に担う組織をつくって強力に進めるべきだ」


 ◇


内部被曝検査の数値上は、芳しい検査結果が目立つようにはなってきている。


しかし、事故直後の放射線量は、落ち着いてきた頃の数倍かそれ以上だ。
東京都心でも胸の高さ1マイクロシーベルト飯舘村浪江町では1ミリシーベルト近い地面もあったという。
甲状腺がんの原因であるヨウ素は事故直後から10日間ぐらいで猛威をふるいつつ激減してしまう。
まずはこれの脅威が一点。


もう一点は、検査ではトレースできない影響だ。
やや極論だが、福島民は検査にも恵まれ、汚染食料も避けるよう徹底されている。
しかしそれ以外の地域ではそれらはほとんど施されず、市民たちの意識も低く無防備だ。
へたな低い汚染レベルの福島県内地域より、千葉県北西部のほうが高い汚染レベルであり…こうしたなかに、トレーサブルではない『抜け』が存在する可能性…
かつて台湾で、原発の構成材だった鉄でつくられたマンションに住んでしまい、重度の被曝症になった住民が相次いだ事件があった…おなじような『意外性』により出現する被曝病患者が出てくると言うこと…人口比率は少ないだろうけど、たとえ百万人にひとりでも、当人にとっては『すべて』なのだ。おれもかつてそういうレアながんになった。
福島ではいまも1マイクロや2マイクロのなかで普通に暮らしている…ほんとうにこの外部被曝は無害か微害なのか…?個人差は考慮しなくていいのか…科学とは網羅した範囲の科学であり全知全能ではない…


ウクライナベラルーシでは、こんな1〜3マイクロシーベルトの中で暮らす人々はほとんどいない…違法居住者はいるが、強制疎開疎開推奨により多くが無人となった。
あちらでメジャーなのが
・低い線量の地域へ疎開したが、貧乏な国なので汚染度の高めな森の木の実などをとって食べており、内部被曝のベクレル値が高い患者が多い
では福島などでメジャーな
・高い線量の地域に依然として住んでおり、汚染された食物に触れる機会はないので内部被曝ベクレル値は低い
これは本当に、被曝病患者続出はないとなり得るのか…これは今後20年ぐらいの統計を待つテーマであろうが…
普通に考えて、ガラス片を、飲むのと、手を切るのでは、別の傷病になるのは一目でわかる。だからおそらく、『ウクライナと日本では、続出する症状が異なるだけではないか』と考えている。


ウクライナは、低い線量を浴びて高い線量を食べることを選んだ。
日本では、高い線量を浴びて低い線量を食べることを選んだ。
両国とも、どこかにはイレギュラーな人…高い線量を食べて浴びてる人々がいることだろう。


低い線量だから大丈夫とか、外部被曝だけだから年間20ミリ以下はOKとか…いうのはいかがなもんか。
メスで一気に切り裂いて治療する方が、傷も早く癒えて治癒も早かろう。
毎日毎時間、カッターで肌をわずかに切り刻み続けるとか縫い針を刺し続ける自傷行為が、はたして無害と言い切れるのか…
中世や近世の拷問は、さっさと終わらせるむごい仕打ちより、毎日毎日欠かさず持続的にいためつけることを重視した…心も体も参るからだろう。ときには公開処刑さえも…
長い入院生活で何年も毎日毎日おなじ部位に針を刺し続けると、だんだんと治癒が鈍ってきたり、治癒がおかしくなってくる。そこは針も刺せなくなるし、ぼろっちくなって動かすのもなんだか痛いようなつっぱるような感じになる。血管がそうなりすぎるのを防ぐために医師が「ここはもう刺さない」と診断するぐらいだ。


ウクライナベラルーシでも、学校の子供たちは低い線量の地域に住んで、日本と同じような検査済みの給食を食べて、内部被曝検査結果も良好で、それでも心臓疾患系の重症患者や持病持ちばかりになってしまった30年後がある。彼らが果たして、いつごろのどんな影響でそうなってしまったのか、トレースできていない。はっきりできるのは甲状腺がんぐらいだからだ。


事故から一年後ぐらいまでは、そこそこ内部被爆ベクレル値が高い結果が出る人がいたのは、報道ベースで記憶にある。
最近は低くなったのであり、ずっと低かったわけではない。

http://apital.asahi.com/article/fukushima/2013020100003.html
2013年2月 2日


去年の夏頃の検査でセシウム134と137併せて、3000Bq/body程度検出する方がいました。40代の成人男性で体格はやや細身、職業は事務でした。
その時は、何かしら高度汚染食品を摂取したのかなと思っていたのですが、腑に落ちないところが少しありました。

このブログでも何度か触れていますが、去年の夏頃から、ほとんどの方が検出しない(検出限界以下 250Bq/bodyぐらい)という状況を維持しています。それこそ小児は99.9%以上のケースで、検出限界レベルを超えることはありません。大人であっても、相馬・南相馬なら90%以上は検出しない状況です。

検出する方がいらっしゃっても高齢の男性が多く、検出値が4桁に到達することは少ないです。5桁の値を検出する方は、ごく数名おられましたが、出荷制限が既にかかった食品を、未検査で継続的に摂取されていることが明らかでした。


千葉県の柏市でもこのぐらいは見つかる。事故直後に報道で騒がれたやつがベクレル換算で40万bqぐらい。
はっきり言ってねえ…3マイクロsv超えたから、40万ベクレル超えたからって、緊急除染するという発想がそもそもおかしい。ここから先が警戒区域ですってのと同じで、閾値を厳格に決めて「ここまでは動かない」って言うのは科学的医学的ではない。
はっきりいって福島県中通り地方、こんなのは『氷山の一角』で、計測調査に慣れた人々がどんどん調べていけばどんどん出てくるよ。千葉〜埼玉〜23区北東部にまたがる高汚染地域もね。
おれなんか、年一回だけ日帰りで福島県内にいって車載で線量計を動かしてくるけど、1〜2マイクロがあちこちで出てくる郡山や二本松だって長居はしたくないもんな。ずっとバイクで一日中だからN95マスク着けるし。SOEKSだとずーっと黄色だぜ…地面に乗せると真っ赤だ。

http://www.asahi.com/national/update/0507/TKY201305070424.html
福島の駐車場、土から高濃度セシウム 立ち入り禁止に


写真:「花壇に沿って線量の高い場所があります。近づかないで下さい」と呼びかける紙が張られ、立ち入り禁止になった福島市立図書館・市公会堂の植え込み付近=7日、福島市松木町、本田雅和撮影


 【本田雅和】図書館や美術館などの公共施設がある福島市内の敷地2カ所の駐車場の土を、NPO法人が採取し測定したところ、最高で1キロあたり43万ベクレル超の高濃度の放射性セシウムが検出された。空間放射線量も、高い地点で住民の避難の目安を上回る毎時3・8マイクロシーベルトに達した。連絡を受けた県と市は7日、現場を立ち入り禁止にした。近く緊急に除染を行う。

 NPO法人は「市民放射能測定所」(CRMS)。付近住民の依頼で4月29日から今月2日にかけ、採取と測定をした。

 CRMSによると、市立図書館や市公会堂がある市有地(同市松木町)の駐車場の3カ所で、土1キロあたり22万ベクレル以上、最高で43万3772ベクレルを検出。県立図書館と県立美術館がある県有地(同市森合)の駐車場の4カ所の土からも12万ベクレル以上、最高で28万9144ベクレルを検出した。これらの地点の高さ1メートルの空間線量は毎時0・6〜3・8マイクロシーベルトだった。


 ◇


本エントリーに補足するが


おれは1ヶ月だけ頭部のピンポイントへ30シーベルトを照射する治療を受けたがその後何十年も生きてる。


けど年間10ミリシーベルトだか知らないが、ずっと全身へ24時間365日休みなく浴び続けるわけでしょう(線量計線量計本体が感じ取った被爆地だから、厳密に人体の各部の被曝量を示しはしない)
年間10ミリとしても10年で10シーベルトじゃないですか。30年で30シーベルトだよね…なんか飯舘で「おれは年間6ミリしか浴びてないしー」って勝ち誇ってる人もいるようだけど…ハヤノあたりを盲信してさ。


プロに一回殴られても、すぐ治癒するじゃないですか。
けど年間休みなくずっと嫌がらせされたりねちねちいじめられたら、変な病気になったり精神的に追い詰められて最悪は死ぬよね…職場いじめ20年間とか、職場公害20年間とか…その手の健康被害って深刻でしょ。


手術でメスやのこぎりで切り貼りされても、いっときだからすぐ治癒する。
でも一年中休みなく針を刺されたりひっかかれたりくすぐられたりを休みなく続けば、心か体がおかしくなるでしょう。


いわゆる休みない低線量被曝とは、そういうものです。絶え間ない神経痛一つで人はおかしくなります。