『不完全性定理』 クルト・ゲーデル 林晋&八杉満利子 訳 岩波文庫

ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)

ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)

知性体が発見する真理でもっともかっちょええ真理、

宇宙一の天才のクルト・ゲーデルの「不完全性定理」!

論文の全訳は70P弱で、

残りの200P強は林先生の解説だが、

ゲーデルの「不完全性定理」が、

何故難しいのか、何故誤解されて流布されるかの分析が素晴らしい。

不完全性定理」は形式的な数学の不完全性を証明したに過ぎないが、

全ての数学に通用する定理だと拡大解釈されて、

人間知性の限界を証明したという説まで現れてしまった、

数学史哲学史を最新の知識で紹介しているので、

知性に興味がある人は必読の本である。

数学の一ジャンルの定理でしかない「不完全性定理」を、

数学論として拡張した奴がいるから話はややこしくなるのだ。

不完全性定理」が証明されて、

数学は完全ではないと証明されたが、

不完全でも、実は、数学者は別に困っていないという現状報告はとても面白いです。

正しい命題なのに証明出来ない命題が多数見つかるジャンルは、

研究者は見つけなかったことにして、

不完全性定理」にひっかかからないジャンルを研究しているそうです。

いまだに数学は無尽蔵。

不完全性定理」のパラドックスというものまで囁かれているそうです。

ゲーデルの『不完全性定理』によれば、数学は不完全だが、現実は完全に近いように見えるのは何故か?」

不完全性定理」にひっかかる研究などしなくても、

数学者のネタは尽きることはないという感じですな。

ゲーデル以後の面白いネタとしては、

構成的数学とか逆数学が最近のはやりらしい。

数学といえば、論理的帰納法は外せない筈だが、

その帰納法を制限して思考するという逆数学が、

面白そうですぞ!

ゲーデルでさえ、形式的帰納法の正しさを証明するのに、

数学的帰納法を使わざるを得なかった。

超数学という凄い訳が一般的になっているが、

数学基礎論とか応用数学とか計算機科学とか数理哲学と同じように、

超数学も単なる数学の一ジャンルに過ぎない。

林先生は超数学に証明学という判り易い訳も提示してます。

幾何学は図形の真理を証明する。

代数学は数の真理を証明する。

集合学は集合の真理を証明する。

超数学というジャンルは、証明そのものを研究する学問である。

超数学者による定義の研究により、

ゲーデルの「不完全性定理」の甘いところも発見されている。

形式的数学を完成されたのは、ゲーデルではなくて、

アラン・チューリングである。

ゲーデルネタの本の主人公は、実はヒルベルトになるパターンが多いが、

本書もゲーデルに至る数学史を語る過程で、

ヒルベルトが大活躍w

数学史的には、ヒルベルト勝利者で、

アンチヒルベルトの数学者は、

無限の概念も理解出来ない小物の悪呼ばわりされるが、

クロネッカーもブロウアーも70%正しかった。

実はヒルベルトも70%しか正しくなかった。

無限を数学で扱える集合論は、

ヒルベルトの時代には最適の方法だったが、

無限に近いようなどえりゃあデカイ有限しか考えなくても、

その有限のアルゴリズムを消化する速度が速くなれば、

実は生産性が高くなって実用的なのである。

計算文が長くなって実質には解けないと言っていい証明をするクロネッカー

実用的でないとヒルベルトは否定し、

具体的に数値を提示しなくても、

存在することが証明されればそれでいいという証明方法を広めたが、

天才とは手抜きの方法を発見するもので、

ヒルベルトは天才であり、

数学の歴史は手抜き計算を可能にする歴史(足し算の一部は掛け算として計算した方が速い!)

なので、ヒルベルトのアプローチが数学史的にはその時点で正しかったのだが、

コンピュータがある現在、

手抜き計算しなくても、

論理のみで推定しなくても、

実際に計算して答えを見つけることが出来るのである。

ヒルベルト問題には円周率に関する問題もあるが、

無限に続いて計算不可能に思われたπの小数点以下の問題も、

現在は具体的に何億桁目に出てくるという計算結果で証明されています。

形式主義とは機械主義、コンピュータで計算出来る問題か否かということである。

証明出来るということは、有限回の行為ということである。

数も論理記号も論理式もゲーデル数という有限の自然数に変換して、

計算して証明したゲーデルはまさに人間コンピュータ。

全ての思想は自然数に変換出来る。

コンピュータは全てを二進法で表現する。

ゲーデルの天才性は、

数学を機械にやらせる糸口をつけたことであると思う。

何度もいうが、コンピュータで計算する形式数学を完成させたのは、

アラン・チューリングである。

チューリング博士はホモだったのはナイスだよね。

ゲーデルはババコンだったがw

コンピュータに証明を任せればいいのに、

自分で考えて晩年はきち○いになったゲーデルは哀れだよな。

無限問題は、無限の能力を持つ神と結びついて、

哲学的、神学的問題にすり替わるからダメポ。

無限を思考するべきではないと言ったクロネッカーの再評価を求むw

クロネッカー自然数しか認めない公理系で、

ゲーデルの「不完全性定理」を判り易く説明するという野望が擡げて来ましたww

負の整数さえ使用しない。

−1はx+1=0という公理で定義される世界。

これは方程式ではなくて公理である。

xは変数ではなくて、代入してはいけない不定元であるww

公理を集めた公理系は、矛盾した公理がなければ、OK。

そして公理は証明する必要がない。

この負数が存在しない公理系では、

負数の存在を証明出来ない。

だが、負数は存在する。

負数の存在を証明するには、上位の公理系が必要。

「無矛盾の公理系には必ず証明出来ない正しい命題が存在する」

というゲーデルの「不完全性定理」とはこんだけのことである。

上位の公理系を重ねれば、

証明出来ることは増えるので、

宇宙の真理の全ては証明出来ないが、

それは、逆に言えば、

永遠に新しい真理が発見出来るということである。

ゲーデル厭世哲学に嵌ってはダメポ。

ゴールドバッハ問題はいまだに未解決だが、

コンピュータの計算能力が上がれば、

そのうち解決すると科学教の信者は信じるべきである。

ゴールドバッハ問題が、

正しいのに証明出来ない命題なら、

コンピュータは永遠に反例を見つけられずに計算しつづけることになるがなww

で、林先生は野崎先生より、

数学者としての能力は上だと思ったが、

一般読者向けの解説者としては、

致命的な間違いがあったのが気になる。

この本では、ゴルディアスをゴルディオスと表記している。

小松左京の「ゴルディアスの結び目」も、

イダ タツヒコの漫画「ゴルディアス」も、

ゲームフロントミッションのショルダーミサイル「ゴルディアス」も、

ゲーム幻想水滸伝の男だけの村「ゴルディアス」も、

林先生は知らないらしい。

宇宙英雄ローダンシリーズでも、「ゴルディアスの結び目」と表記してます。

いまどき、ゴルディオスなんて表記するとは、

林先生は、世間の常識を知らない学者馬鹿だと思われるよな。

共著の場合は、メジャーな方は名前貸しただけというパターンもあるので、

林先生の責任ではなくて、八杉満利子のみの責任かもしれんが。

小さな世界に生きている学者馬鹿はいやねぇww