脱積読宣言

日々の徒然に読んだ本の感想書いたり、カープの応援したり、小旅行記書いたりしてるブログです

対T○4−0

広島東洋カープのニュース | 中国新聞アルファ
 一騎当千。若き新星齊藤が逃げ切り優勝を図る阪神を見事に撃破。二回の喜田の3ランを余計と言わんばかりの見事な仁王立ち。サンテレビの絶対崩れるという祈りにも似た超偏向解説が心地よく響くほどの安定感。来年はマエケン独りに話題を独占させるな。
勝齊藤  決勝先制石原

スタメン

二東出
中赤松
左天谷
一栗原
右嶋
捕石原
喜田剛
遊小窪
投齊藤

 とっても新生カープらしい走って踊れる1−3番がステキ。

今日の個人的MVP

 福井のツインタワーから広島のツインタワーへ。

心よ原始に戻れと駿河問いと白鳥外交について

珍しい苗字:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd
大学の総勢20人弱のサークルで一個上の先輩に「大森」、同級生に「森」、一個下に「小森」の黄金ラインが存在してました。


 民主党資金集めパーティ第一弾、京都府議会議員北岡ちはる女史のディナーショー。理事長の金魚の糞で通された席は、なんと最前列のVIP席。久しぶりに魂に冷や汗かきました。

あいつはだめな奴とレッテル貼られたって

魂のルフランカップリング曲

阿修羅姫 - 脱積読宣言

魂のルフラン
東映・東急系映画『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 DEATH & REBIRTH シト新生』主題歌。
唄:高橋洋子*1、作詞:及川眠子*2、作編曲:大森俊之*3
初出:『魂のルフラン/心よ原始に戻れ』(1997.2.21)
収録:『魂のルフラン/心よ原始に戻れ』、『EVANGELION –THE DAY OF SECOND IMPACT-』、『Refrain of Evangelion』『NEON GENESIS EVANGELION DECADE』、『魂のルフラン/THANATOS』
歌詞はこちら

カップリング coupling
1二つのものを一つに組み合わせること。
2〔理〕二つ以上の力学系や電気系その他のシステムが相互作用をしながら結合すること。
3〔機〕ある軸から他の軸へ動力を伝達するのに用いる装置。軸継手。
4〔化〕ジアゾニウム塩に芳香族アミン類・フェノール類を結合させてアゾ化合物(染料)を作る反応。
(『広辞苑 第五版』より引用)


1-1まがる。ア、ゆがめる。ねじまげる。イ、ゆがむ。ねじける。ウ、よこしまである。正直に外れる。
1-2まげる。ア、折り曲げる。イ、本心をまげる。真理をまげる。
1-3よこしま。不正。
1-4くま。隅。地形などの入り組んでいる所。隠れた所。かたよる。かたほとり。田舎。
1-5つぶさに。細かに。隅々まで。細かい。細々したことがら。
1-6ふし。メロディー。
1-7うた。芝居の歌詞・脚本。
1-8養蚕の器具。
1-9碁・将棋の盤面。
2曲逆は河北省にある地名。
国-1くせ。悪いこと。
国-2まげる。ア、盗む。イ、質に入れる。
国-3キョク。ア、面白味。イ、軽業などの芸。
国-4ゴク。古代の音楽で器楽曲をいう。
(『大漢語林』より引用)

 魂のルフランカップリング曲は、初出時の8㎝シングルでは「心よ原始に戻れ」、10周年記念リバイバルのマキシでは「THANATOS -IF I CAN'T BE YOURS-」・「心よ原始に戻れ」・「THANATOS -IF I CAN'T BE YOURS- "Nine Years After Mix"」の計2曲。どちらも、実にエヴァっぽい名曲なので、是非一度ご視聴下さい。

劇場版 「新世紀エヴァンゲリオン」主題歌 魂のルフラン

劇場版 「新世紀エヴァンゲリオン」主題歌 魂のルフラン

駿河問い+拷問

Judgement―死神のKiss― - 脱積読宣言

駿河問い
 江戸初期の拷問の一つ。駿河奉行彦坂九兵衛*4の考案したものといい、手足を後ろに回して纏めて縛り天井から吊るし、背中に重い石を乗せてぐるぐる回すもの。駿河問状。(『日本国語大辞典 第二版』より引用)

拷問
 肉体的苦痛を与えて罪を自白させること。古代には獄令・断獄律に規定があり、中世にも行われた。江戸幕府では、笞打(縛敲)・石抱(算盤責)・海老責・釣責の4種があった。明治以降も暫く存在し、1879太政官布告で制度上は廃止された。(『岩波日本史辞典』より引用)

 『ゲームセンターあらし』の水魚ポーズで吊り下げる駿河問い。実に効果的な責めだったようで、実際に使用された時期と場所が局限されるにも関わらず、抜群の知名度を誇り、石抱きや海老責めなどと並ぶ日本独自の拷問の代名詞の一つとなっています。
 しかし、上記の拷問の辞書的説明を見ていただければ分かるとおり、狭義の拷問*5には当てはまりません。たまに江戸の奉行所駿河問いやってたりしますが、これは100%間違いです。これに限らず、時代劇の時代考証は基本出鱈目なので鵜呑みにしないようにしましょう。折角我々はフィクションよりよっぽど魅力的な史実に恵まれているのですから。

江戸の刑罰 拷問大全 (講談社+α文庫)

江戸の刑罰 拷問大全 (講談社+α文庫)

白鳥+日独伊枢軸論

君がため、惜しからざりし命さへ - 脱積読宣言

白鳥敏夫
 明治二十(1887)〜昭和二十四(1949)年。昭和期の外交官。千葉県出身。東京帝国大学法科大学経済学科卒業。1914外務省に入り、奉天領事補から駐米大使三等書記官、外務省事務官などを経て、'29情報部第2課長、'30情報部長。この頃アジア派として活発に動いた。'33スウェーデン公使、'38イタリア大使となり、'40松岡外相*6の下で外務省顧問に就任し、日独伊三国同盟をリードした。外務省内では「革新官僚」の指導者として特異な位置を占め、親枢軸外交を推進して「白鳥派」と呼ばれた。'42衆院議員、敗戦後A級戦犯となった。(『コンサイス日本人名事典 改定新版』より引用)

日独伊三国同盟
 1940.9締結された日独伊間の軍事同盟条約。'39の日独間の防共協定強化交渉はソ連を対象としていたが、'40.7成立した第二次近衛内閣の松岡洋右外相の下で、英米を対象とした軍事同盟が計画され、'40.9松岡とドイツのスターマー*7特使の会談によって一挙に成立。ドイツが対米戦に突入した場合に日本が自動的参戦の義務を負うかが論議され、日本側は参戦の時期と方法については「自主的」に行うという主張を貫徹した。ドイツ側は、アメリカの対独参戦を防ぎ、日本側は南方政策に対するアメリカの介入を抑止することに目的があったが、却ってアメリカを刺激し、対米関係を悪化させた。又近衛首相*8や松岡外相はソ連を加えて「四国協商」とする計画であったが、独ソ関係の悪化で実現しなかった。(『岩波日本史辞典』より引用)

 先の大戦で日本を敗北に導いた三国同盟昭和天皇にも名指しで罵倒された白鳥敏夫はどのようにして日独伊枢軸論にたどり着いたのかを簡単に述べてみたいと思います。
 
 白鳥が世に知られ始めたのは外務省情報局長時代。満州事変前後の、時まさに風雲急を告げる動乱の時期でした。対アジア強硬政策を主張し、持ち前の弁舌と奇妙なカリスマとで「アジア派」と呼ばれる少壮官僚集団のオピニオンリーダーとなった彼ですが、その過激な主張と性格を憎まれスウェーデンへと「左遷」されてしまいます。元々アジアの権益死守のため、対ソ同盟の必要性を主張していた彼ですが、ロシア嫌いのスウェーデンの水に染まり、益々反ソ感情を燃やします。そんな彼が必然的に辿り着くのは反共産を標榜するナチスドイツとの連合。駐独武官の大島浩と連携し、日独同盟の成立に暗躍します。そんな中イタリアに赴任した白鳥は、今度もまたイタリアの風に当てられ、ムッソリーニを心酔するイタリア党になりました。そうすれば、元々はみご同士で仲の良かったナチスとファシス党の連合は必然。こうして、白鳥敏夫の日独伊枢軸論が完成を見ます。これに全く別の思惑絡みで松岡洋右*9近衛文麿*10の二大スターが乗っかり、全国民一丸となって、日独伊三国同盟ひいては太平洋戦争への道をひた走り始めるのでした。

世界で私だけはあの人を好きでいたい

 「今度はイタリア抜きでやろう」ってのが、日独の合言葉ですが、真面目な話、白鳥の夢見た対ソ連包囲網としての日独伊枢軸論は今こそ必要とされているのではないでしょうか。大統領の座は譲っても引退する気さらさらなし、超大国ソ連魂のルフラン、ウラジミール=プーチン駿河問いの拷問すら甘いと思わせるような冷酷極まりないそのまなざしを見る限り、ソ連とロシアは所詮同工異曲に過ぎないとおもいしらされます。やはり「西側諸国」のカップリング相手はイスラムなんて小物ではなく、最強最大の大国ロシアでないとつとまりません。

帰ってきた今日の一行知識

イタリアは第二次世界大戦で一切戦争計画を立てないまま宣戦布告した。*11
流石伝説のイタリア軍。こんなんと組んで勝てる訳ないや。

*1:ペーハーサウンド所属。代表曲:「残酷な天使のテーゼ」、「夜明け生まれ来る少女」、「蒼き炎」他。

*2:代表曲:「残酷な天使のテーゼ」、「東京」、「愛してマスカット」他。

*3:代表曲:「GHOST SWEEPER」「EXTRICATION」「蒼き炎」(作曲)他。

*4:光正。幕府直属の土木技術者として、駿府の街づくりに尽力。

*5:江戸時代法律で定められた牢屋で行われる尋問、海老責・釣責のこと。岩波日本史辞典にある笞打・石抱は正確には奉行所で行われる拷責もしくは拷訊に分類されます。

*6:洋右。第二次近衛内閣外務大臣。「満州の弐キ三スケ」が一。リットン調査団の調査結果に反発し国際連盟を脱会し、一躍国民的英雄となる。その卓越した弁舌と絶大な人気を背景に、「松岡外交」と呼ばれる親独ソの独自路線を展開。結果、英米との亀裂を決定的なものとする。戦後、A級戦犯として東京裁判公判中に病死。

*7:駐日大使。伯爵。リッペントロープの腹心として、日独同盟の成立に尽力。

*8:文麿。第34・38-39代内閣総理大臣。公爵。父篤麿、母(前田)衍。孫に細川護熙。「革新貴族」の代表として全国民の期待を背に首相となるも軍部の暴走を掣肘できぬまま退陣。戦後GHQの出頭命令に絶望し服毒自殺。

*9:三国同盟を足がかりに日独伊ソ四国同盟を夢想。

*10:バランスシートの調整、反英米の対立軸としてのナチスドイツとの連携。

*11:ナチスドイツの電撃戦大成功に乗り遅れじと参戦したはいいものの、現場はなんの準備もできてなかったというオチ。