社民党阿部知子議員 阪神大震災で自衛隊の対応を批判 2ちゃんねるで祭りに

(゚д゚) これは相当にイタイ発言…


もう社民党は潰れてくれていいよ…




衆議院議員 阿部知子のホームページより抜粋
http://www.abetomoko.jp/

阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経て後のことであった
日本の場合、自衛隊は軍隊ではないし、国土保安隊※として出発し、防災のたねにも働くことを任務としてきた特別な生い立ちがあるのに、である


※現在は警察予備隊と訂正


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阿部センセイのウェブサイトで上記のレポートが掲載され2ちゃんねるに晒されたことによって、いわゆる「祭り」状態になっています。(秘書さんのブログのコメント欄も凄いことになってる)

ご承知のように、阪神淡路大震災が発生したときは自社さ連立政権であり、総理大臣は社会党村山富市氏でした。
村山内閣の震災発生後の初期対応の拙さは、以下のとおり明らかになっています。



■以下 Wikipedia阪神・淡路大震災より抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%83%BB%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD

自衛隊災害派遣については、伊丹駅へ近傍出動を行った第36普通化連隊を除き、神戸市中心部への自衛隊の派遣は直ちにはなされなかった。これは、兵庫県知事による災害派遣要請が直ちにはなされず、4時間後に代理により依頼されたことと、神戸市担当の部隊が姫路市の第3特科連隊であり、神戸市まで距離があったことによる。

村山富市総理大臣(日本社会党)から政治的判断がなかなか示されなかった事から大規模派遣も後手になり、更に交通渋滞や被災者が犇く中で部隊の移動・集結に手間取り、大規模な災害派遣部隊が現地に展開して救助活動を開始するまでに、3日間を要した。

一方、村山首相はなぜ自衛隊派遣が遅れたのかを問われ、「なにぶんにも初めてのことですので」と答弁し、内閣支持率の急落に繋がった。この村山内閣の対応の遅れは、広く国民から強い批判を浴びた最も早く救援体制を敷いた米海軍第七艦隊(横須賀)が、「艦艇を神戸港に入港させて、ヘリコプターによる負傷者の救援」を政府に申し入れたところ、政治的理由を盾に拒否した

日本は地震多発地帯でありながら、被害地域の惨状を把握する手立てすら持ちえておらず、各国からの支援の申し出にも対応できない状態が続いた。「官邸をはじめとする政府、国の機関はもとより、地元の行政機関、防災関連機関にとってもテレビ・ラジオが最大の情報源だった。国土庁が独自に情報収集手段を持たず、また関係省庁からの情報の集約を十分に行えなかったことから 、情報が官邸に十分伝わらなかったという制度上の問題点が指摘された。」(阪神・淡路大震災教訓情報資料集『内閣府・(財)ひょうご震災記念21世紀研究機構』)。 当時は、インターネットや携帯電話の商用利用・個人利用は、始まったばかりの段階で、未だ大衆化はしていなかった。又、当時は「近傍派遣」という例外を除いて知事の要請がないと自衛隊の派遣ができなかったが、現地の貝原俊民兵庫県知事(当時)の現況把握に時間がかかり、出動要請が駐屯地司令に届いたのが発生後4時間以上後だった点も、自衛隊の派遣が遅れた理由の一つである。県知事からの派遣要請が為されていない事を知った高見裕一新党さきがけ議員)が、携帯電話で東京の議員会館にいる秘書を通じて、防衛庁に緊急要請を行なった際も、東京では“大げさだ”との認識しかされていなかった(『官邸応答せよ』)。尚、正確には要請は知事公邸から県庁舎にたどり着いていなかった知事ではなく、防災担当の参事が行った。

(引用ここまで)


震災当時も関西(滋賀県)に住んでいた私は強烈な揺れに目が覚め、テレビを見ると倒壊した高速道路・ビル・あちこちで起こる火災…地獄絵のような惨状に絶句し、負傷者のいち早い救助を願いました。テレビ画面を見ているだけで、少なくとも地震発生日の午前8時頃にはこの震災が今まで我々が経験したことのない類の甚大な被害をもたらす規模の災害であるということは容易に想像できました

■それが、大規模な災害派遣部隊が現地に展開して救助活動を開始するまでになぜ3日間もかかったのか!

■迅速な対応がなされていたならば、いったいどれ程の人が尊い命を犠牲にしなくて済んだのか!

■政治的理由で米海軍の支援を断った…国民の人命より大事なイデオロギーってあるのか!


確かに、あのような大規模災害を想定することは困難であり、パーフェクトな対応を政府に求めるのは困難なことは承知していますが、今改めて当時のことを思い出すと、当時の村山内閣の対応には虚しい憤りを覚えます。




それから阿部センセイについては、過去にもこんなことがありました

阿部知子は第一回小泉訪朝の後、「私も拉致議連に入れてくれ、ブルーリボンもちょうだい」と平沢勝栄に願い出たが、平沢に「アンタちょっと空気嫁」みたいなことを言われて断られた。

後日平沢とともに「テレビタックル」に出演。その時の事を持ち出し、「ひどいんですよ平沢さんは、協力したいのに私を仲間外れにした」等とわめいたが、平沢に「あのね、社民党は家族会から疑われているんです、信頼が無いんです」とはっきり言われ、絶句していた。


この場面は、たまたまテレビで見ていたので私は拉致問題解決のブレーキでしかない社民党が、今さら何ド厚かましいこと言ってるんじゃこのオバハン!」と激怒したのを覚えています。



話が逸れましたが、

今回の阿部センセイの阪神淡路大震災を巡る自衛隊批判を被災者の方や犠牲になられた方のご家族が聞いたらどういう思いを抱くでしょうか?

阿部センセイのこの発言には、信じられないほどの想像力の欠如と過去を反省し教訓とできない不まじめな姿勢を感じるのは私だけでしょうか?



もう、こんなアホな政治家はいらん!社民党はとっとと潰れてくれ!




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