* 偉人といわれる人も           〜「お金の正体」日下公人著より
 どこかで聞いた内容だが、偉人といわれる人も光の当て方を変えると、そんなものかもしれない。
 戦後教育、いや明治以来の国家づくりも、西欧文明の価値観の世界の仲間入りをするため。 開国をして
 国際社会に、うって出なければ世界列強の餌食になっていたのは明らかである。ーその辺りからー
≪ 幕末、イギリスと戦争したり、四ヶ国連合艦隊と戦争したりして、いち早く欧化にめざめ文明開化した。
 だから、それを追い越すためには旧旗本も薩長の下につくのでなく欧米と直結しなくては、というわけだ。
産地直結運動である。そこで、留学生になって欧米に行き、欧化すると自分は薩長より上だという意識になる。
だから新渡戸稲造はクリスチャンになったり、向こうの現地人と結婚したりした。
 野口英世についても、昔「文藝春秋」に書いてあったが、ちょうど同じ時期に東北出身のお医者さんで、
ツツガムシ病の研究と治療法に一生を捧げた人がいた。なぜこっちを褒めないのか。日本人ならツツガムシ病を
治してくれた人のほうがよほどありがたいのに、野口英世ばかり褒めるとは、文部省は常識がないと書いてあった。
そのとおりである。ヨーロッパをぐるっと回ったとき、なぜこんなに熱帯病、熱帯植物、熱帯動物の研究所や
博物館がたくさんあるのかと思った。考えてみれば、ヨーロッパはアジアや南米やシベリアを侵略して、何かを
かっぱらってきて豊かになったのだから、それをもっと盛んにするための研究をしている。アメリカも同じである。
そもそも寒冷地のロンドンやベルギーに熱帯植物研究所とか熱帯病研究所があるのはおかしい。その淵源は、
たとえばタンザニアを植民地にしてコーヒーか何かを栽培すれば儲かるのではないかと、大挙して白人が行ったら、
風土病で半分以上死んだことがある。ここでまず風土病の治療法を研究するが、研究も危険な仕事である。
それを日本人がやってくれるから、大変ありがたい。ともあれ熱帯病の研究所は白人により資源奪略のためのもの。
それを野口英世が学問の最先端と思って、身を投じた。フォード研究所の庭を探すと小さな銅像が一つあるらしい。
それを日本は国家的名誉としている。医学は西洋伝来だからそうなるのも無理はないが・・・ ≫
▼ 日本は、明治維新まで、中国文明の価値観に大きく影響されていた。ところが、その中国を侵略をしていた
 当時の実態を見て、欧米の思想、価値観、を国家一丸として導入し、現在に至っている。世界は、肌色の他に、
地域別でみると、「アジア人 57%、ヨーロッパ人 21%、南北アメリカ人 14%、アフリカ人 8%となっている。
その黄色人種多くを占めるアジアに、重心が、移動している。しかし、世界にはカースト的構造があって、
白、赤、黄色、黒の肌の順に階層化された世界が厳然と存在している。野口英世も、その価値観からみた
偉人?の一人でしかない。「人はすべて一時的世界内存在でしかない」ことを自覚すれば楽である。
・・・・・・
4575, ほめことば練習帳 ー2
2013年09月25日(水)                    
    第1歩 感動を伝えるほめ言葉     「ほめことば練習帳」山下景子著
「感動を多くすることが可能か?」といえば、もちろん可能である。そのためには、積極的に大自然、芸術作品、
小説、一流の人の講演会などに接することである。今ではTV、インターネットで、接する機会が多くある。
まずは、機会を増やして感動量を多く経験するしかない。そうすると、その面積、体積の接触面が大きくなり、
大きくなるにつれて、感動の対象が増えてくる。感動の総量が、その人そのものである。感動は、それまでの
自分の「分」の際(極限)を、破壊することになる。破壊しただけ「分」が広がることになる。
  ーまずは、その辺りの要点をコピーして考えてみるー
【 ほめることは、結局、自己表現。感じ入ったときは、手放しでほめることです。
 わだかまりなく、人をほめることができる人は、幸せな人だといいます。
ということは、「ほめるから、幸せになれる」ともいえるのではないでしょうか。
その第一歩は、自分が感じた心地よさを、素直に伝えること。つまるところ、ほめるとは、
「快」の気持ちを表現することにほかならないと思うからです。
ところで、心や身体が健やかな状態のときは、自然と気持ちのいい言葉が出てくるものです。
羨ましい気持ちをほめ言葉に託したり、ほめてほしくてわざと卑下したりするのは、ちょっぴり心が病んでいる状態。
そういう意味では爽やかにほめられるかどうかは、心の健康のバロメイターといえるかもしれません。
だからこそ、幸せな人ほど、よくほめるということでしょう。その逆手をとって、ほめることによって、
幸せになることもできるのではないでしょうか。】
   第一歩の感動を伝えるほめ言葉
{凄い/素晴らしい/兜を脱ぐ/目覚ましい/見事/立派/目の肥やし/流石/快挙/天晴れ/溜息が漏れる/拍手/喝采/
 感心/美味しい/甘露/行ける/頬っぺたが落ちる/昧わいがある/こくがある/芳醇/口当たりがいい/口果報}
▼ 感激するような美味しい料理や、音楽や、大自然に出会ったとき、そのまま、言葉で表現出来ることが重要になる。
 記憶として残すためである。 そのためには健康な心が必要となる。対象の波動に共振し反応した言葉の蓄積こそ、
その人そのもの。 感動、感激、感謝は、心が純真で、張り詰めてこそ大きく振動する。と同時に、それを感じるとる
素養が無ければならない。人生は如何に多く、感動し、感激し、それに感謝するかである。苦しみの先に、その機会が
多くある。産みの苦しみがあるから、母親は子供に対する喜びの感動がある。感動を伝えることも、与えてくれた
対象に対し言葉として、表現することで、対象も、自分の心にも残ることになる。ロッキーの大自然の光景に接した時、
「これを見た『前』と『後』といえるほどの感動だ」という言葉が自然と出てきた。一級品、一流の人、絶景に
接すれば、素養に比例して言葉が自然と出てくる。それには全力で自分から近づくしかない。
・・・・・・
4200, 閑話小題 −スマート家電
2012年09月25日(火)
   * スマート家電
 「パナソニック」がスマートフォンと連動した「スマート家電」シリーズを発表したが、「変?」と思ったのは
私だけでないはず。外出先からの遠隔操作でエアコンや、炊飯器のスイッチをいれたりするのが、果たして便利な
生活なのだろうか?それも付加価値と称して値段が何割、いや何倍も高いのは、消費者ニーズとは大きくかけ離れる。
発表された「スマート家電」はエアコン、ドラム式洗濯乾燥機、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、体組成バランス計、
活動量計、手くび血圧計の八製品という。洗濯機や炊飯器、電子レンジは、スマホは主に外出先からの「リモコン」
として使われるもの。 スマホの専用アプリでメニュー選択し、製品にかざし、設定内容が転送される仕組みのもの。
近く発売のドラム式洗濯乾燥機は、洗剤や柔軟剤の分量や洗濯の目的に合わせたコースの設定をスマホに入力し、
これを洗濯乾燥機に「タッチ」するしろもの。こんなものを誰が必要とするのか。スマホが家電のコントローラー
としても使うのは、それで良いが、値段が問題。その辺を間違うと、致命傷になる。これではサムスンに負ける訳だ。
   * 母の命日
 昨日は母親の17回目の命日。亡くなって、16年経つ。やはり、その年月は長い。今でも2〜3ヶ月に一度は、
母の夢をみる。先日、倉庫で母親のアルバムを見つけた。四人姉妹の末娘の姉と、旅行先で当時の映画俳優と記念
写真を撮っていた。戦後、戦中、戦後という激動の中に生きてきた逞しさがあった。当時の男も女も皆そうだったが、
平時の数倍の人生を生きてきた。私の知恵は、こと何かあると両親に語りかけることから生まれることが多い。
夜半に問題を語りかけると、思いもよらない答えが出てくる。
読書は著者との対話でもある。愛読書を読み返すとは、最も信頼する著者の魂と対話していることになる。
両親は、自分の限界であり、かつ土台である。両親は、私にとって限りなく純粋で愛情の塊のような人だった。
独り何かを求め続ける、これが両親から学んだこと。
・・・・・・
3835, ツール(道具)について考えてみる ー2
2011年09月25日(日)
  ー 道具とは 何かを「日本大百科全書小学館)」でみると ー
【 道具に限らず、われわれの身の周りにある機械や器具は、人間の器官の働きを外の世界に置き換え、さらに
 その働きを拡大したり延長したものといえる。たとえばカメラは目の働きを外化し、その映像の記録を保存できる
ようにしたものであり、コンピュータは大脳の働きを機械に置き換えたものである。ドイツの技術哲学者カップ
(1808―96)は、これを器官射影ということばで表現し、器官射影とは内なる機構の外の世界への置換である、
としている。また哲学者ノワレ(1829―89)は、道具はある働きを遂行するための手段であり、創造してゆく原理に
相応している、と述べている。いいかえれば、道具にしても機械にしても、物をつくりだすために人間の器官の
働きを助けるためのものである。】とあった。
 道具は目的に対する手段の意味に使われるが、前にも書いた手段が目的を変えることもある。 自分の目的に
最適なツールに出会えるかどうかが、その人の範囲を決めてしまうことになる。 学生時代を振り返ると、努力の
わり成績が良くなかったのは、どうも大学ノートのマトメ方が上手くなかったことにある。 試験直前になってから
何時も慌てていたが、成績の良い人は、授業中と、その直後にノートを整理していたようだ。少し考えれば分かり
そうなことだが、兄や姉は、そういうことを教えてはくれなかった。
 ところで、毎日のように、lPadの便利さに驚いているが、アプリ(ソフト)は、まさに人間の最適な機能を
外に置きかえたもの。どれ一つとっても、人間の叡智の塊。 それが無料か、無料同然(価値からみて)で入手でき、
手軽に使えるのだから驚異的である。銀行の支店の一つや二つの全機能が小さなチップスに幾つでも入ってしまう
御時世。 これらがネットで世界中に瞬時にコピーされ普及していくのだから、世界の体制が混乱するのは当たり前。
「目的遂行のための内なる機構の外の世界への置き換え」されたベストのツールを使わない手はない。
それもホボ無料で入手できるのだから。現時点で最良のツールが、私にはiPadと、そのアプリ。
 ・・・・・・・・
3470, 昨日は母の15回忌
 2010年09月25日(土)
 母が亡くなって10年あまりと思っていたが、昨日(9月24日)で、まる14年になる。 
両親の家の寝室を寝床にしているので、現在でも月に一度は夢に出てくる。それがリアルな内容、夢から醒めて
暫くはその境に漂っている。亡くなる前の5年半は痴呆症になり正気と痴呆の間を行ったりきたりしていた。
亡くなって暫くしてフト日常を振り返り、「痴呆症の身内を抱えてない家庭は、こんなに楽な生活をしているのか」
と驚いてみた。家族総がかりで24時間、気が休まることがない。本人のエネルギーは、自由に出歩けないので
溜まっており、その捌け口で徘徊を始める。本人にとって、部屋や家に閉じ込めらるのは監獄に入っているよう。
それでも週二回のデー・サービスと、二ヶ月に一度の10日間ほどのショート・スティーで、どれくらい助かったか。
したがって、その時分は年に2〜3回の家内との秘・異郷旅行にショート・スティーにあずけて、出ていた。
亡くなった後も、その習慣が最近まで持続していた。(さすが60歳を過ぎて年一回になったが)
50歳まで働きづめで家庭内の問題から悩みぬいて心筋梗塞になり死線を漂った後、そのエネルギーを趣味に切り替え、
茶道に、舞踊に、華道に、俳句に、アマチュア写真に、次々と自分のモノにしていった。一つ目標を見つけ、それに
向かって全力を注いでいる姿は、それを見ているだけで勉強になる。まずは、その世界を見つけ、純粋に、集中をし、
設定したライバルに対する競争心をエンジンとし、邁進する。 その対象が違えてしまえば、道筋は同じである。
両親が42、38歳の8人兄姉の末っ子で育ったため、人一倍、両親に愛されたのが、一番の私の財産だったことが、
現在になって分かった。冬期間を除いて庭には母が植た花が年中咲いている。この家は両親の墓場で、天国である。
 ・・・・・・・・
3095,久々にジョーク −3
2009年09月25日(金)
 ジョーク・ハンターからいうと、面白いと思えるのは滅多にない。
 その時の自分の心情とレベルもあるから尚のことである。 
 ネットで調べても、ジョーク全集を探してもである。 その中で、やっと次のを見つけた。
  ージョークあれこれー
* ある熱心なユダヤ教徒が神に祈った。
 「神様、うちの息子がキリスト教に改宗してしまいました。 どうしたらいいでしょう?」
  神様、答えていわく。 「うちの息子もじゃ」             解)好きだね、こういうの!
*「 知ってるかい? ナポレオンが赤いマントを着ていたのはな、
  自分が流血しても部下にショックを与えないためだったんだとさ」
 「 それでわかったよ。 ヒトラーが何故褐色のズボンを穿いているのかが 」     解)これも!
* ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。 それを父親が目撃し止めに入る。
 父 『コラコラどうしたんだお前たち』
 兄 『どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ』
 父 『お前たち……』 うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしくなでて 部屋をあとにした父親。
   すると、また言い争いが始まる
 兄 『お前のほうだよ!』 妹『お兄ちゃんよ!』 解)これも!親父が聞いていた方が面白いと思うが!
* 愛のVIP戦士
  故郷を遠く離れて大学生活を謳歌していた弟から久しぶりに電話があった。
 「あ、姉さん。ぼくだよ。それよりキティは元気かい?」 家に残してきた愛猫の様子が知りたかったらしい。
 「あ、あんたの猫ね。こないだ死んじゃったわ。近所の酔っ払いの車に轢かれてね」
  受話器の向こうで弟は絶句し、やがて「思いやりがない」と非難した。 「そういう時は…姉さんだって
  ぼくがキティを可愛がっていたの、知ってたんだから。嘘でもいいからこう言うんだよ。
 『キティは昨日、木に登ったのよ』って」「なによそれ。人の話、聞いてる?。あんたの猫は酔っ払いの…」
 「黙っててよ。そしたらぼくが、『え、それでどうしたの』とたずねるだろ。
  そしたら『みんなで助けようとしたけど、自分でどんどん上の方に登ったのよ』って言うんだよ」「…」
 「そう聞いたら僕にだって心の準備ができるだろ。 で『それからどうなったの』と聞かれたら
 『かわいそうだったけど、木から落ちてしまったんだよ』って言うんだ。
  そしたら僕だってひどいショックを受けなくて済むじゃないか」「…わかったわよ。これからは気をつけるわよ…」
 「…いいよ、もう。…それより、母さんは元気?」 「母さん? ああ、母さんは昨日、木に登ったのよ」
                        解)私なら、最後の捻りは「猫と木に登っていたよ」にする
 ・・・・・・・・・・
2730, 恐慌前夜 −1
2008年09月25日(木)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
再び副島隆彦の本である。
発効日が今月の15日というから、8月末に書き上げた本だが、その半月後に予告どおりに
リーマンブラザーズが倒産した。そして、恐慌前夜というより世界恐慌そのものの様相になってきた。
世界恐慌が今日、突入しました」と誰も言わない。あとで、あの日(9月15日)が・・、といわれるのである。
ーアマゾンの、この本の紹介文からー
アメリカの住宅市場危機(サブプライムショック)に発する金融不安は底なし沼の様相を呈している。
7月13日、米政府系住宅公社2社の経営危機が表面化。 NYダウは下落の一途をたどった。
アメリカでは今年8月末時点で10の銀行が破綻、取りつけ騒ぎが起きている。
現在のアメリカは、まるで「住専」処理に追われ血を流した10年前の日本のようだ。
しかし金融危機は米国内だけの問題にとどまらない。農林中金など日本の大手金融機関が、
信用毀損した米住宅公社債を大量に買い込んでいたことまで判明したのである。
かねてから「アメリカ帝国の崩壊と没落」を政治・経済の両面から唱えつづけてきた著者は、本書でこう断言する。
  「やがて米国経済は恐慌状態に陥る。米ドルはさらに暴落してゆく」
  それは1929年「暗黒の木曜日」の再来なのか。そのとき、日本はどうなるのか。
 ーー
9月15日以来の一週間の大激震は、この本の次の箇所に集約されている。
「ついに私たちは生き延びた。惨めに撤退するナポレオン軍を、じっと見つめるロシアの英雄のような気持ちだった。
 アメリカの金融侵略軍は、今静かに日本から撤退を開始した。戦後62年目で、アメリカはついに崩れ始めた。」
 ーまずは「はじめに」の書き出しの部分であるー
 (字数数限のため、カット12年09月25日)
・・・・・・・・
2007年09月25日(火)
 2366, わたしと仕事、どっちが大事? はなぜ間違いか
「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか  ー読書日記ー
    ―弁護士が教える論理的な話し方の技術   谷原 誠 (著)
図書館の返却コーナーで数日前に見つけて借りてきた本である。弁護士の論理の立て方の内容だが、一般人の考え方、
対話の曖昧さを指摘。いま一度、その一つ一つを見直して世間様レベルの思考法からの脱却を勧めている。
考え方、言葉の組み立て方を冷静に見つめなおすのに適している本である。この本のタイトルの「わたしと仕事、
どっちが大事?」を、論理の落とし穴の1つ「誤った二分法」の例として挙げている。「わたし(恋人・妻)」と
「仕事」は同類のものではない。同じ基準でこそ比較が可能であり、この質問自体が間違っていると指摘。
この質問に対する答えを考えてみると、
・「比べる対象ではない」ことを相手に主張する
 相撲取りと、砲丸投げの選手とドッチが力が強いの?と、 同じような質問と 理解させる。
・「もちろん君の方だよ」と、相手の求める返事をする 。
 求めている答え(相手のニーズ)は、そう言ってほしいだけ。
・「それは何と何を比べてるの? どっちかと言えば貴女を選ぶけど、ネバならない仕事なら、それをするのが
 会社勤めの最低条件。その兼ね合いは注意するけど」と答える。などが考えられるが、私の実感としては、
 「収入が入らなくなったり、転職をしたらゼロからやり直しになる。 収入が激減することを考えてみろよ。
 そうすれば、今より貴女との関係が悪くなる。  (字数数限のため、カット09年09月25日)
ーーーーーー
内容の概要)
(字数数限のため、カット09年09月25日)
・・・・・・・・
2006年09月25日(月)
2001, 二千日の随想日記!       おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・       
この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも何かの因縁である。
千回時の達成感ほどではないが、やはり2千回は・・・。といって意識したのは3日前だから、千回の時ほど
達成感がないのは事実。 千回時ほどの心理的な圧迫感がないが、常に黒い影?に追われている感覚は同じ。
あまり深刻に考えないで、書けることを書けばよい!と気楽に思うようにしている。一種の気楽な喜〔苦〕業と
思えばよい。 次は三千回が目標になるが、楽しむ?しかない。
2009年6月某日になるが、どうなることか。千回はきつかったが、二千回の労力は半分になった? 
楽しまなかったら、続かない。良寛の{たくほどは 風がもて来る 落葉かな}と同じで、習慣の流れに
まかせて、 書くほどは 知恵(空)がもて来る 話・題(色)かな  というところか!
だいたい2〜3つ位は時間の合間に下書きを用意し、寝る前に30分かけ一応書き上げ、当日の朝に修正をする。
朝は一時間はかける。テーマ探しと、下書きの時間を入れると合計三時間は一文章にかける。 その三時間の
プロセスは考える時間になる。そのために毎週図書館と本屋に通ってテーマ探しをする。アウトプットを習慣づける
ことによって、インプットを図るのが目的の一つになる。もう一つのプラスは五年分の同月・同日の文章を
読み返せること。未来の自分の眼に対して、好い加減な文章をかけなくなる。毎日読み返すことは、このような
コントロールがはたらく。最大の読者は未来の自分である。書いた文章を会社に行って読み返すと、数時間の
経過後の冷徹に自分の文章を見ている自分に驚く。自分が初めの読者であると同時に、一番の批評家になっている。
これは、書き重ねるほど鋭くなっていく。これは読書力の強化につながっている。 \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・・
2005年09月25日(日)
 1636, ローズパレード
昨日、何気なくNHKのBSHVをまわしたら、ど派手のパレードを放映していた。アメリカのロス近くにあるパサデナ
ローズパレード」であった。花や自然植物で作られる豪華な山車や行進が見もののお正月恒例のパレードである。
   (字数数限のため、カット09年09月25日)
・・・・・・・・・
2004年09月25日(土)
1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2
十数年前のこと、新潟に著名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の「新潟木鶏クラブ」で、
彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。   (字数制限のためカット2013年9月25日)
・・・・・・・・・・
2003年09月25日(木)
904, 讃岐うどんの店−2
 9月2日に『讃岐うどんの店』というタイトルで書いてから、3週間経つ。
   (字数制限のためカット2010年9月25日)
・・・・・・・・・
[161] 自然体(自然態)
 2001/09/25 07:01
 (字数制限のためカット2013年9月25日)

つれづれに

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 今日のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=cVLDLtuxgyQ\;
https://www.youtube.com/watch?v=zwoQ7Ojd610

 ある学者の本に、
「朝、起きてから30分ほど、何もしないで、30分ほど、机の前にただ座っている」
に、何か考えさせられた。一種の、瞑想だろう。座禅、瞑想というと、構えるが、
ただボッと座っているなら、誰でも出来る。 時々、パソコンで、随想日記を
書いていて、ひと段落した時、20分でも30分でも、そのまま、ボッとしていればよい。
 で、実際にしてみて、10分もすれば、自然と何か、次の行動をしたくなる。
ようするに、潜在意識の世界に、一歩、足を入れている時間である。
それなら、夜半に布団の中で、ウトウトしている時間に似ているが、それが、
机の前だと、少し違ってくる。



・・・・・・
2001, 二千日の随想日記!
2006年09月25日(月)

この随想日記が昨日で2千回目になった。
母の十周忌の命日というのも何かの因縁である。
千回時の達成感ほどではないが、やはり2千回は・・・。
といって意識したのは3日前だから、千回の時ほど達成感がないのは事実。
千回時ほどの心理的な圧迫感がないが、常に黒い影?に追われている感覚は同じ。
あまり深刻に考えないで、書けることを書けばよい!と気楽に思うようにしている。
一種の気楽な喜〔苦〕業と思えばよい。
 次は三千回が目標になるが、楽しむ?しかない。
2009年6月某日になるが、どうなることか。
千回はきつかったが、二千回の労力は半分になった?
楽しまなかったら、続かない。
  良寛の  たくほどは 風がもて来る 落葉かな 
と同じで、習慣の流れにまかせて  
書くほどは 知恵(空)がもて来る 話・題(色)かな
というところか!
だいたい2~3つ位は時間の合間に下書きを用意して、寝る前に30分かけ
一応書き上げ、当日の朝に修正をする。朝はそれでも一時間はかける。
テーマ探しと、下書きの時間を入れると合計三時間は一文章にかける。
その三時間のプロセスは考える時間になる。
そのために毎週図書館と本屋に通ってテーマ探しをする。
アウトプットを習慣づけることによって、インプットを図るのが目的の一つになる。
 もう一つのプラスは五年分の同月・同日の文章を読み返せること。
未来の自分の眼に対して、好い加減な文章をかけなくなる。
毎日読み返すことは、このようなコントロールがはたらく。
最大の読者は未来の自分である。書いた文章を会社に行って読み返すと、
数時間の経過後の冷徹に自分の文章を見ている自分に驚く。
自分が初めの読者であると同時に、一番の批評家になっている。
これは、書き重ねるほど鋭くなっていく。これは読書力の強化につながっている。
             \(^▽^*)バイ!
 千回目の日記が懐かしい!
ーーー
2003/12/30
1000, \(~o~)/千日の随想日記!

 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35~40が合わない。
調べてみると206~222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、
また「遺言」のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)
だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、
実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた
日を境に自分が間違いなく変った。一日一日が本当に充実したのだ。
50人位の人に毎日読まれていると思うと、誰かに見守られているような
感覚になる。作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。
 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。
そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
 ところで実感としていうと
 一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯
・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し
・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。
 ス~と書ける日はよいが、全く書けない日がある。
それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。
書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。
 来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿んだり、
土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている?
このまま続けると、ある日突然「や~めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に
切り替え集中しなくてはならない。
 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?
どうなるか?自分でもわかりません。
 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!

・・・・・・
2005年09月25日(日)
1636, ローズパレード

昨日、何気なくNHKのBSHVをまわしたら、ど派手のパレードを放映していた。
アメリカのロス近くにあるパサデナの「ローズパレード」であった。
花や自然植物で作られる豪華な山車や行進が見もののお正月恒例のパレードである。
一時間の番組もアッという間に過ぎてしまった。
アメリカ全土だけでなく、世界からも多くが参加。100チーム以上が参加している。
アメリ海兵隊、カナダ騎馬隊、大学のチアガールチーム、企業体、などが
それぞれのテーマを決めて行進する。これに参加すること自体が、アメリカでは
大きなステータスになっている。参加するには厳しい審査のパスが必要という。
リオのカーニバルと違い、ど派手だが、控えめな演出?で心打つものが
次々と出てくる。実際にみたらTVとは違った感動があるだろう。
このパレードを見るために全米から100万人が集まってくるという。
TVでは終始生放送で、その様子が一日中流されている。
前夜には、道に泊り込んで場所確保する人達で込み合う。
指定席もあり、かなり高い値段がする。
そのローズパレードは、毎年1月1日の朝8時から始まり、
パサデナ市内のメインストリートの コロラド通りを多くの山車などが練り歩く。
その山車も年々豪華になっている。それと並行してローズクイーンコンテストも開かれる。
またこのパレードが終わると全米カレッジ・フットボール勝戦のローズボールが行われる。

ローズパレードの始まりは1888年迄遡る。
今年で116回目という。七十数回も参加しているチームもある。
当時、キツネ狩りで有名なプライベートクラブ バリーハントクラブがあって、
クラブのメンバーが1890年1月1日に四輪馬車をきれいに飾りつけて
パレードしたのが始まり。
ヨーロッパの<バラ>の祭りを手本にして、山車(フロート)に沢山の花を飾って
自然の美しい輝く太陽を本当に楽しそうに行進している。
この中で美しさ、パレードのテーマ、デザイン、独創性、花の使用、また花の新鮮さや
参加者のコスチュームなど数々の項目で審査され、賞が決定される。
このパレードに使う山車(フロート)1台の平均費用は、1000万円という。
1台で10万本の花が使われまれ、まさしくローズパレードといわれる所以である。
お祭りは、TVでみていても楽しさが伝わってくる。世界は広い、そして深い!

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2004年09月25日(土)
1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2

十数年前のこと、新潟に著名な教育者が講演に来た。
その夜、勉強会の「新潟木鶏クラブ」で、彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。
そしてそのままホテルに泊まってもらった。
翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。
二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。そして直に旧知の友のようになった。
知らないうちに、昨日書いた母の生い立ちと、それゆえの不幸の出来事の話と、
不条理の話に及んだ。本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、
新潟の田舎の風情を楽しんでいたようであった。
それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。
「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ
「すごい内容だ。是非うちで開いている勉強会で話してくれないか」と依頼されたという。
いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。
「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」と断ってしまったのだ。
こういう機会でなければ、森信三という戦後日本最大の教育者とは、会う機会が
なかったのに、本当に惜しいことをした。
また、そこに聞きに来ている人はふだん会えない、凄い人ばかりのはずである。
後悔あとに立たずである。森信三氏も似たようなことがあったというが。
それから数年後の1992年に、森信三氏は亡くなったのだ。
本当にバカのことをしたものだ。

話は元に戻るが、母の7人の兄弟・姉妹のうち、母の実父の上の三人は
幸せな人生をおくり、下4人は?
ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。「事実は小説より奇なり」というが、
母方の姉妹をみていると軽く一冊の小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。

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2003年09月25日(木)
904, 讃岐うどんの店-2

 9月2日に『讃岐うどんの店』というタイトルで書いてから、3週間経つ。
その後、新潟の郊外にある店に7~8回通っている。何かヒントがあるようだからだ。
・いつも感心するのは、お客の滞店時間が短いことだ。平均15分で出ていく。
・並んでからレジまで3~4分で済む。ウドンは注文をして、平均15秒で出てくる。
・毎回、色いろな組み合わせができ、何回通っても飽きない。
・値段が安いことも驚きである。特に100円のかけウドンは価値がある。
・外国の飛行場などにあるセルフ方式で、トッピングできるのがよい。
若い女性や女子高生が平気で一人で食事をしている。
 面白そうなので、今マスコミで話題を集めている「はなまる」という
讃岐ウドンのチェーン店のFCの説明会にいってきた。
新潟のワシントンホテルの会場で、社長が直接説明をしていた。
「まだ100店だが、数年のうちに1000店にする」と言っていた。
聴く前はハッタリだろうと思っていたが、可能性は充分あるようだ。
婦人ファッション関係の出身で、
「ダサイ讃岐ウドンの店を、若い女性でも平気で入れるブテック的な店」
が店舗のコンセプトと言っていた。聴いていて、これは本物かと思った。
・今まであるものを、
・時代のニーズに合わせて、
・提供方法を変えることで、
価値を作りかえることー業種から業態に置き換えることー
を忠実に実行している。

ホームセンターも、スーパーも、
・郊外に大きい店と駐車場をつくり
・セルフ方式で
・より多くのアイテムを
・ディスカウントにして売る
業態にしただけである。

その意味で、面白い可能性のある商売であろう。ホテルも、いま一度
新しい業態という視点で、見直す時期に来ている! 一番の課題である。

去年の今日も焼肉屋の『新業態』の店の分析をしていたー後にコピー
たくもう、全く成長してない自分を見る思いだ! 分析している暇があったら、
ホテルの新業態を死ぬほど考えろ!という言葉が心の奥から聞こえてくる!

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 讃岐うどんの店 -1
- 2003年09月02日(火)

 最近ブームになっている讃岐うどんのチェーン店に行ってきた。
100円からの讃岐うどんを食べられる客単価400円の店だ。
揚げ物などを皿に取り、うどんを注文して勘定をする方式をとっている。
社員食堂のセルフ式をそのまま讃岐うどん屋に取り入れた業態である。

・一回目に食べたのが「肉コロッケと、掻き揚げと、普通の讃岐かけうどん」
で約500円であった。
・2回目は、「100円の小のかけうどんにオニギリとハンペンと天ぷら」で
400円であった。

 客層は家族ずれからサラリーマン風とOL とばらついていた。
一組あたりの滞店時間が20分位で、非常に短いのが特徴だ。
近くにあったら週に一度はいくだろう。
気軽で300~400円で済むからだ。

 ガソリンスタンドと同じで、セルフ方式そのものが受け入れられている。
セルフ方式を取り入れて、美味しい?ものを安くしているところがミソだ。
家族で美味しいものを食べにいくところではない。
お腹を満たす為に行くところだ。

 新潟駅前の自社の事務所の近くに牛丼の「松屋」も開店予定だ。
おそらく週に一度は行くことになる?だろう。
遅かれ早かれ、この業態の讃岐うどんチェーン店も出てくるだろう。
客単価の低いところをねらった店が求められているからだ。
今までの単価の半額が目安である。

 これは一時的ブームで済むのか、このデフレの時代の大きな潮流にそった
ものなのか、今のところ判断はできない。
しかし、セルフ方式の合理的システムは流れに沿っている。

 最近の居酒屋チェーンも闘いの中から、必死にそれぞれの新しい業態の
店を創ってくる。いかに消費者に受け入れられるかの闘いである。
その闘いを避けた店は受け入れられなくなる。
その意味で個人経営の居酒屋はますます苦しくなっていくだろう。

 飲食店のウォッチングは身近で判りやすく面白い!
趣味といってよい。

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 530,焼肉屋の新業態の店?
- 2002年09月25日(水)

郊外に以前地元のホームセンターが経営していた焼肉の店があった。
一昨日、代替わりをして新しい焼肉屋なっていた店に入ってみた。

以前の店に2~3回同じ時間に行ったが誰も入ってなかった。
入ってビックリ、17時なのに9割がたの席の埋まりであった。
一時間後の18時に帰る時には3組の待ち客がいた。

客は殆どが若い人であった。
前の店は値段の割りにおいしい店で、カルビが¥480円だった。
周辺に同じような店が5~6軒もできた為もあるが。

新しい店は内装は全く変えてなく、変わったところは「しゃぶしゃぶ」
と「焼肉」が食べ放題で、1480円であった。
普通の単品もあり、以前の店より単品は一割ほど安い程度であった。

ハナマサの食べ放題」もあるが、違うのは普通の焼肉屋
同じメニューで、その皿の肉はどれでも注文をすればその都度持って
くる方式である。

前の店もこれと同じやり方をすれば、上手くいったと思われる。
100席以上の郊外型の店で、店員が数名が走り回っていた。

焼肉の新しい業態の店である、よく考えたものだ。
しゃぶしゃぶの単品で「牛ロース3人前と野菜と丼物とビール2本」
で3500円辺りであった。
肉は決して美味しいとはいえないが、その業態がなかなかよい。
「cha cha]という店で、何処かのチェーン店の新業態かと「検索」で
調べたが、全く無かった。

店に入ると必ずどういう業種で業態で時代に合っているかどうかという
視線で見るとなかなか面白い。
こうすればいいのにな~と思う店があまりに多いが、
いうわけにいかない。

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[161] 自然体(自然態)
2001/09/25 07:01

 あまり気張らず、心配せず、そのまま、自然のまま、なるがまま、
生きていく生き方。目の前の出来事に気を取られず、
その背後の流れに従う行き方。「自然体の経営そして生き方が大切」

 15年前かパレスホテルの経営セミナーに出ていたとき、
その時の時勢の勢いにのっていたある経営者がいった言葉である。
丁度必死に仕事をしていた時の不自然の自分にピッタシの言葉であった。
浪人を何回か経験していて少なからず身につけていが、
しかしかなり印象深い言葉であった。

 丁度ホテルという長期物件を手がけて、
その意味‐長期の装置産業の難しさにきずき始めた為もあった。
その後この言葉に生き方がかなり影響された。
目の前の困難に対してあまりジタバタしないで済んだのも、この言葉のおかげだった。

 7~8年前南アフリカを旅行した時、あまり添乗の経験少ない中年の女性の添乗員が、
出発前に成田で言った言葉が印象的であった。
「この旅行全てのトラブルが起こるはずです!起きた時に一つずつ
解決していきましょう。自然体しかありません。無理せずそのままでいきましょう」

「なるほどいいことを言うな、でも素人だな!」とそう思った、
そしてそのとうりになった。その言葉が最期まで利いていた。
トラブルも旅行の一部、慌てずそれをうけとめ、そしてそれを楽しむこと。
自然体そのものであった。たしか法華経自然法爾(じねんほうじ)という
言葉があった。イスラムの「すべてアラーの神の思し召し」もこれに似ているところが面白い。

もうひとつ似たのに、名人の域に達した落語家もこれに近い。