『今日のつぶやき』リリー・フランキー (著),‎
 お笑いのような、お笑いでないような。そこには悲哀と、自虐が滲み出てる。
本人にとって、曝け出し、独り笑うしかないない心の傷。とすると、ここで度々、
心の安定のために自虐的、偽悪的内容になるのは、自らの治癒のためですか。
その典型的な「つぶやき」の一つを!
<そういえば、居酒屋の親仁が、知ってか知らずか、奥の調理場で呟いている
のが、そのまま聞こえていた。ところが、一人だけの客の私に「あの客、苦手
なんだよな〜」だと。> 
 その店も、道路拡張の恩恵を受けて、何処かに移転?していった。

・ 合コンのときに思う。
  笑わせているんじゃない、笑われているんだ、と…
             (ピエロ君のつぶやき・20歳・大学生)
・ 後ろからナンパされて振り向いたら「すいません」と謝られた。
               (女医のつぶやき・31歳)
・ 「アーナルほど!」  (著名人のつぶやき・49歳のイラストレーター)
・ 勝負下着の出番がない。  (女のつぶやき・ 25歳)
・ そりゃ女だって溜まる   (女のつぶやき・ 20歳)
・ ホームセンターのアルバイトをしていたら、見ていた子供から、
  「子供の頃の夢は何だったの?」と聴かれた。(女のつぶやき・20歳)
・ この歳で尿漏れ。    (女のつぶやき・17歳)
・ 彼氏から「このセックスマシーンが!」と言われた。
              (一年前まで処女・23歳)
・ 高校生から席を譲ってもらった。 41歳。 (男のつぶやき)
・ 僕だけがデートのつもりでした。 (男のつぶやき・26歳)
・ 野グソのときだけ山盛りに出る。 (   )
・ ノイローゼ気味の叔父から「鬼どもが人魂狩りの血祭りだ」という
  手紙が来た。全部赤字で。   (男のつぶやき・23歳)
・ 温めますか?「はい」。今日、声を出したの、これだけだ…。
               (一人暮らし8年目・23歳)  
・ 兄が寝言で大笑い。楽しそう… 。(女のつぶやき・ 23歳)
・ 26歳の彼氏と7回やったら 2人で熱を出した。この歳で何をやってんだか。
                  (女のつぶやき・ 31歳)
・ あなたよりセックスが上手なの」 これほど納得できるフラレ文句は
  今までない。          (男のつぶやき・32歳)
・ 下ネタ、聞くのも、話すのも苦手。断然実際するのが好き(  )
・ 同じ人と二回以上セックスしたことがない。(女のつぶやき・24歳)
・ ブスだけど、性格の良い人を見たことがない。(男のつぶやき・37歳)
・ 2回のベランダに蛙がいた。どうやって来たの? (   )
・ 知り合いのガキに「いくつ?」って聞いたら「10万3歳であ〜る」って
  言われた。          (吾輩は10万29歳の女)

▼ 「つぶやき」「ぼやき」で検索すると…
【「つぶやき」=小さな声で独り言の ように言う。 内容には関係がない。
「ぼやき」=自分の意に適わないことに不平不満を言う。声の大小に関係がない。
つぶやきはほかの人に聞こえなくてもよい発声 による不平不満の表現、
ぼやきは近くにいる人に聞こえるような発声による不平不満の 表現。】
これからして、二つの意味合いは、非常に似ている。聞いて欲しいため、
投稿する野だから、殆どが「ぼやき」とも言える? しかし、ホノボノした
のが「つぶやき」には多い。やはり面白いのが「自虐・下ネタ」。そのまんま
赤裸々になる。<ブスだけど、性格の良い人を見たことがない>は、現実。
<すぐに「やらせろ」って言う男いないかな…。過程が面倒くさいんだよな、
  過程が。 ―発情中の女・24歳> など、何をか言わんで、気にいった。
 男は、金さえ出せば… だが、女性は? 女の職場空間では、断じて言えない。
即座に、「いいわよ、直ぐに、その気になるの私…」と。しかし、それが女史間
に、ふれまわり、息を凝らて事の成り行きを見られる最中で何も出来ようない。
そこで終われば良いが、上記の「つぶやき」のような人が次々と… 色気で、
からかいに! シリアスに、猿のごとく、本能的視線で、相手を見抜く。
それが女の職場。なればこそ、「つぶやき」は、女性の方が遥かに面白く、
下ネタの底が深い。馬鹿の方が多いのは今さら。されど女性は少々馬鹿が良い…。
 振り返れば、そこは大河の濁流。何故か私は、笑っていた。いや笑われていた。
そこは笑い返すしかない、笑いだった? それも今では同じこと?
<アルバイトをしていたら、見ていた子供から「子供の頃の夢は何だったの?」
と聴かれた。(女・20歳)> シリアスで、情けなさが直に伝わる。でもね、
「そういう経験こそ、料理の塩加減になるところが人生」の内なる声も聞こえる。

・・・・・・
5747,なぜ本を読むといいか? 〜8 :マタイ効果 
2016年12月09日(金)
           <本を読む人だけが手にするもの>藤原和博
   * マタイ効果 〜アジャ・パー
 今さらだが、現実社会の実態は弱肉強食の冷酷な世界。住宅地も、歴然と
高級住宅地と下町が分かれている。都会だけでなく、地方も然り。世の中は、
不自由・不平等・憎しみで満ちているため、逆に、<自由・平等・博愛>が
叫ばれる。それも家柄、富で何世代も引継がれ、富める者には富が集まり、
貧者は互いの足の引張りあいで貧しくなる。これが一度、貧者に陥ると、
元に戻るのは難しい。 だから万一の備えが重要。人生が、それを教える。
  〜「マタイ効果」をネット検索をすると、以下のとおり〜
≪ マタイ効果とは、富める者はますます富み、奪われる者はますます
 奪われるという現象です。例えば、面白い情報がたくさんあるところには、
利用者がたくさん集まり、人が集まればその人達に知って欲しい情報が更に
集まってきます。逆に情報が少ないと、人は集まらず、人が集まらないから
情報が更に集まらず、寂れてしまいます。雪だるま式の効果を良い方向へ
回転させることを考えるべきです。仕事のできる人に仕事が集まってくる
現象で、経験が増えるからますます仕事ができるようになり、良循環になる。
だから「仕事は買ってでもせよ」と言われるわけです。それを仕事の中で経験
することが一番人生経験に役立ちます。幸福な人はいつもニコニコしています。
その結果、善人にみえるので人から好かれ、他の多くの仲間が合体して、より
いっそうの地位を固めていきます。厄介なのは、一歩進み始めたマルビとの
コースは、なかなか変更ができないことです。こうして階層の分化が進行して
いきます。この言葉は人々の間での階層分化とその拡大再生産のメカニズムを
述べています。 ≫
 ――
▼ 『貧すれば鈍する』で、経済的余裕、お金が無いと心まで鈍くなる。
 そこで踏んばって『窮すれば通ず』、極限の立場になると知恵が湧出て活路
が開けることがある。『火事場の馬鹿力』『窮鼠猫を噛む』が、これに近い。
科学技術の進化が、ネット社会と情報端末を飛躍的に及ぼし、マタイ効果を
拡張、加速させる。2045年が、人工知能の進化の特異点になって、世界が
一変する可能性があるという。極々、少数の天才が、世界を支配する日である。
最近、シネマで、その類の物語を見たが。 マタイ効果が現れ出ている現実は、
何ともいえない味がする。 味はパッ いや、 アジャ・パー ですか。
 世間とは、アジャ・パーというと、味わい深くなる。 ったく!
・・・・・・
5382,閑話小題 〜2階建オープンバス
2015年12月09日(水)
   * 2階建オープンバス
 家内が義妹とディズニーランドに遊びに行った二日目の昼頃に、東京駅近くで
オープン2階建バスをみつけ、空席が残っていたので、50分で1600円と手ごろ
もあって、乗車した。その車上からの都内遊覧が、何とも優雅。ビューポイント
のガイドは運転手がするが、それで充分とか。分かっていたら、先週の土曜
夕方の同級会の前に一時間早く上京し、乗っていただろう。これも幾つかの
コースがあるようだが、これは御のぼりの時間つぶしのチョイ観光に丁度良い。
東京の一極化と地方の格差は更にすすむ一方。 年1〜2回の上京なら良いが、
住みとなると別問題だが。母校がセカンドステージの1年間の大学生?を募集
しているが、関東圏なら入学するが、週に三日間の上京は、腰痛持ちでは無理? 
   * ISのテロが、本格的に世界各国に飛び火
 アメリカも、カルフォルニアの無差別テロで、ISによる世界各国のテロが
本格的になってきた。ことの本質は、地域間格差と人種格差による差別問題。
それとオゾン層破壊と温暖化による砂漠化による貧困化が格差をよび、テロに
結びついている。特に露骨な格差社会アメリカはテロの温床として、一度
飛び火を始めれば、延焼は避けることが不可能。その意味で、この数ヶ月、
続いているトルコ、パリ、ロシア旅客機の爆発テロ、アメリカの乱射テロは、
大きな転換期の象徴になる。恐ろしいのは一匹狼型のテロ。二年半前の
ボストンマラソンの爆発テロも、周到に計画された二人による、そのテロ。
 これは、テロという手段のゲリラ戦。それが、日本を含めた世界各国で、
日常的に起こる危険に晒されることになる。国対国の大戦から、一匹狼による
ソフトターゲットに対するミニサイズのネット型ゲリラ戦がトレンドとは!
これ、考えてみれば、宗教戦争? 文明の相克である。
・・・・・・
5017,幸福優位7つの法則 −7
2014年12月09日(火)
   【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著
  * 法則6: 20秒ルール
 森(現役)から、サバンナ(御隠居)の生活に移動するについて、まず考えた
ことは、ウツ対策。そこで、毎日の習慣を、更に厳格にする実行することにした。
< 4時起床。この文章の修正と完成、アップの後、一時間のミニサイクリング。
 9時から11時半まで、読書と、ブログの下書き。
午後からは、スポーツジム、ポタリング、図書館、テレビなど自由時間にあて。
17時から20時までは、居間で食事やテレビなど。そして20時過ぎに就寝。>
 20分ほどの誤差は出るが、ほぼ毎日この日程である。我ながら真面目だが、
習慣(日程)は第二の天性と信じ、このパターンを続けている。この20秒
ルールを、早速、取り入れたが、早朝など、寒さで布団から出れない時、
ピッチャーから投球を受け、制限時間20秒以内の投球動作のイメージを持つと、
何故か不思議に行動に移れる。コツはキャッチャーが球を渡すタイミング。
  ー要点を纏めるとー
≪ 私たちは「単なる習慣の塊」。そして、習慣は「初期設定」を変更しないと
 変えられない。そして初期設定は、一番楽なこと、に集約されていく。
著者はギターが趣味だが、忙しくて弾く機会がなかった。そこで一念発起、
「毎日30分ギターを弾く」誓いを立てた。 習慣が身につくには21日かかる
研究結果から、21日分のカレンダーに✓マークをつけることを想像していたが、
その計画は4日で頓挫。そこで、著者が学んだのは、[一番の問題は、「ギターが
ギターケースに入れられ、リビングのソファーから歩いて20秒かかるクローゼット
にしまってあること」] そこで著者はギタースタンドを購入、ソファーの座る
位置から手が届くよう配置したところ、21日後に著者は、✓マークが21並んだ
カレンダーと、ちょっと上達したギターのテクニックがついたという。 
この二つの事例の違いは、クローゼットまでギターを取りに行く、20秒しか
かからない行動の「面倒くささ」が習慣化を拒んでいた、ということ。 
重要なのは、「望ましい行動」を「最も抵抗の少ない道にする」ということ。
 著者は正反対の実験へと自らを進める。彼は帰宅後にだらだらテレビを観て
しまう習慣を何とかしたいと思いつつ、やめることができずに、オフィスから
自宅に戻ると、リビングのテーブル上にあるリモコンでまずテレビのスイッチ
を入れてしまうのだ。そこで、テレビのリモコンから電池を抜き、リビング
から20秒かかる部屋の引き出しにしまい、代わりに積ん読の本を自分が座る
位置に置いた。もちろんギターも手に届く場所にある。当初は、帰宅すると、
電池が抜いたことを忘れてリモコン操作してガッカリしたが、そこで引き出し
まで電池を取りに行ったか? 面倒だから行かないのである。立ち上がって
テレビまで行って操作するのも面倒だと。その代わりに、すぐそばにある本を
手に取ってパラパラめくったり、手許にあるギターを弾いて時間を過ごすよう
になった。著者は、テレビ番組に対する興味が薄れている自分に気づいた。
そしてその代わりに読書とギター練習という、より「望ましい」習慣を
身に付けた自分を発見した。≫
▼ 老齢化には、これは有効に働く。とにかく、億劫になってしまうが、
 ピッチャーの20秒以内の投球制限のイメージを持って次の動作に移る
習慣化は、有効になっている。これは実際に回数を重ねるしかない。で、
「大リーグで、来年から更に厳格に実行される」とニュースで報じていた。
・・・・・・
4650, 老後の生活破綻、そして死 ー3
2013年12月09日(月)
     「老後の生活破綻 - 身近に潜むリスクと解決策」西垣千春(著)
  * 健康面から見る、高齢社会の現実
 ー健康面から、高齢社会の現実を要約するー
《日本人の要介護期間は平均約七年と、2008年にWHOより報告されているが、
軽いものを含めると十年前後。介護を要するきっかけは、脳血管疾患が最も
多いものの、認知症や老衰、関節疾患、骨折・転倒とばらつきがある。認知症
老衰、関節疾患の多くは緩やかに進行するが、脳血管疾患や骨折は突然起きる
ことが多く、生活の急変をともなう。65歳以上の死因別死亡率は、約半数が
心疾患、ガン、脳血管疾患の三大病で亡くなっている。後期高齢者は増加すると、
肺炎や、老衰で亡くなるものが増える。注目するのは、不慮による事故による
死亡が死因の6番目にあること。 交通事故、入浴中や、転倒によるもので、
予期せぬ人生の終末は、周囲のものにとっても後悔を残す。
60歳以上の自殺者は、全体の3割を占めている。
55〜65歳で三番目の死因が自殺。
高齢者の自殺原因で、健康問題が半分、経済問題4分の1が動機になっている。
まずは、ウツになり、それが自殺につながる。目先に迫ってくる死の影に慢性
の鬱症がつきまとう。 恩師、上司、同年代の友人、配偶者、時には子供の死
などが身の回りに次々に起きて、周りのつながりが、どんどん減る。さらに
体調が悪くなり慢性的に不調を抱え、収入も減り、医療費の支出が増えたりして
経済的に不安定になる。それらが増るのに対し、鬱憤を晴らすチャンスが減る。
それが自己否定になり、生きている意味を感じられなくなる。高齢者の自殺の
6割が健康問題。その中で、ひたすら峠を歩くことになる。・・・ 》
▼ 峠からみる下界も時に美しく光り輝くこともあるが、人間の肉体は生もの。
 時間とともに、腐っていくのが老いであり、病気である。それをカバーする
には、運動と読書と趣味の深耕を続けること。その気力が衰えれば、思い出の
宮殿に入るしかない。欧米の公園で年寄りがボンヤリ座っている姿は、思い出の
宮殿の中にいる抜け殻の姿。50歳代で、数人の友人が亡くなったが、老いの
経験をしないで済んだプラス面もある。としても、長く生きたい。
特に、これから10年、厳しいが面白いはず。眺めは良いが、風は冷たく強い。
荷物を一度下ろして、思いきった整理の時!
・・・・・・
4285, 閑話小題 ー痴呆老人?の罵声
2012年12月09日(日)
  * つれづれに ー痴呆老人?の罵声と娑婆
 最近、近所で徘徊している?80歳過ぎの痴呆のような老人がいた。
一年前から2〜3回見かけるが、服装は普通だが何か変。一月以上前になるが、
駅に向かっていたところ、その老人が突然、7mほどの道路の反対側で並列
状態で歩いて大声で喚き出した。私を罵倒しているような、しかし何を言って
いるか意味不明。見ると目をさける。100mほどすると、そこは土手で民家
が無くなる。恐ろしくなったのか、少し離れて更に大声で喚いていた。
汽車時間がギリギリだったので、通り過ごしたが、列車に乗ってから急に腹が
立ってきた。帰った後に警察に相談に行って「収容をしないのか?」というと
「無理」。それと「言っていること自体が本当かどうか?」と。実は痴呆でなく、
私の現状を近所で聞きかじった「寂しい老人性欝病者の鬱憤ばらい」か、
など考えてしまった。それにしては異常な怒りかた。上下の黒スーツに
白ワイシャツ、14時からして、「近所の孤独死をした老婆の49日法要の
帰りで酒が入った勢いか?」と仮説を立てると、怒りは増す。
「怨みの時代」の一現象だろうか、何だろう、これは。 私の事業整理は内情を
知らない人からすれば計画倒産そのもの。 私には外海の大津波(金融恐慌)
が内海に向って押し寄せているのが実感できるので、この事業整理には割り
切りが出来ている。しかし倒産にしては、今でも自宅に住み続けているし、
大型車はそのまま。(20年乗った査定ゼロ車など知る由もない)毎日、何処
かに出かけ、それまでと変わらない生活。誤解され罵倒されても仕方ない状態。
その上、旅行バックを持っていれば・・ あれは軋轢のあった地元の人の罵声を
代表したと思えば、一つの具象として分かる現象。シラミの世界は、こんなもの、
真当に生きれば当然!と、納得するしかない。地元に住む限りは半年に一度は、
と割切っているが・・ ゾンビ?は無感覚で襲いかかってくる。 
私が「死にぞこない!」と怒鳴り返せば大打撃だろうが、痴呆老人との言い争い
レベルに下がる。でも、面白い? あの怒り、色いろな顔を思いかべ当てはめる
とドレもコレもピッタリ。その数の多さに今さらの感がする。神様は丁度良い
タイミングにボケ老人を遣わし、忠告したと感謝するしかない。 ここで、
アメリカ、中国、韓国、そして日本の選挙と政権交代が進行中。 変動期には
何かが起こる可能性が大きい。株式・国債相場の暴落か戦争を機会に世界経済は
恐慌に入る。ある朝、突然に始るが、それを境に想像を遥かに超えた日々になる。 
特に経営者は厳しい。それより何気なく病院で検査を受けた結果が、
死の病の宣言!の方が、よほど恐いか。人生は喜劇、かつ悲劇。 
・・・・・・
3910, ファイナル・クラッシュ ー2
2011年12月09日(金)
           「ファイナル・クラッシュ!」石角完爾著
 常日頃いっている、リーマンショックを史上稀なる大地震とすると、
ファイナル・クラッシュは「大津波の本体」の言葉の違いでしかないと言えば、
それまでのこと。 何とか今年におそってくる筈だった大津波を先送りをして、
体力の弱い中国・インドに世界中の資源会社を買収させたり、ゴールドの蓄積
をさせて、来る恐慌に対して準備期間を与えている。それを声高々に述べている。 
具体的にシンガポールとかオーストラリアに、泥舟日本からの脱出を勧めている
という面では、読むべき価値は十分にある。恐慌の恐ろしさを99%以上の人は
実際に分かってないし、オボロゲに分かっても手の打ちようがないのが現実。
一億以上の資産があったら、手順を踏んだ方がよいという。これから10年で
日本は豊かな国から貧しい国になる。
 ーこの本には原書のネタ本がある。それを知った経緯の部分を書き出しすー
  * 原書のファイナル・クラッシュとの出会い
 ファンド、とくにヘッジファンドが行っているデリバティブ金融派生商品
CDS(信用リスクを移転する取引)の売買は、基本的に相対取引であり、なお
かつ口頭か、紙ベースで行われている。コンピューター時代の今も、一般人が
アクセスで計るパソコンのスクリーンには一切出てこないのだ。誰がどういう
動きをしているかは、そういう閉ざされた情報交換の中に入らない限り、
わからないしくみになっている。日本の金融関係者でそうした場に参加できる
者はほとんどいない。この秘密の会合の一つを組織しているクラブの本部が
ロンドンにある。私はその会員となった後、クラブの主催者から「カンジ、
これはすごい本だから、ぜひ読んだほうがいい」と勧められ、一冊の本を
プレゼントされた。 それが「TheFinalCrash」だった。主催者自身、一冊
しか持っていないという貴重な本。主催者は女性であった! その本を入手
できたのは、著者もまたこのクラブの会員で、自著をクラブ主催者に直接
プレゼントしたからだった。主催者の勧めに従って一読し、私はその内容に
驚愕した。「これは本物だ。大変なものだ」そう感じた私は著者に直接話を
聞きたくなり、本をくれた主催者に「会わせてもらえないか」と頼んだ。
そして彼女は、イギリスとフランスの間にあるタックスヘイブン、ガーンジー
島に住み、そこからほとんど出てこないという著者に連絡をとってくれた。
ガーンジー島は、ロンドンから空路で一時間ほどの距離にある。
対岸のスウェーデンに住む私と互いの予定を合わせ、クラブの本部がある
ロンドンで三人で会うことになった。二〇〇九年のことである。本で紹介
されている簡単な経歴によれば、著者はイギリスの全寮制の名門パブリック
スクールの一つ、ラグビー・スクールを出ている。ここは、数学者で
不思議の国のアリス』著者・ルイス・キャロルや、五九代イギリス首相
のネヴイル・チェンバレンなどが輩出した有名校である。
  ー 目次 ー  
 第1章 借金が市場を炎上させる    第4章 日本経済の行方
 第2章 世界経済ブラックアウト    第5章 自分の資産をどう守るのか 
 第3章 迫り来るメルトダウン     第6章 クラッシュ後の世界

つれづれに

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今日のYoutube

昨日は、『オリエント急行殺人事件』をみる。 評価は85点。
内容は、これまで見てきたのと変わりはないが、撮影技術の
進歩のためか、迫力が違って飽きない。 空撮で空から列車と、
景色を鳥観する場面などがシバシバ出てくる。

内容:
≪ トルコ発フランス行きの豪華寝台列車オリエント急行で、アメリカ人富豪の
エドワード・ラチェット(ジョニー・デップ)が刺殺体で発見される。偶然列車に乗り合わせて
いた探偵のエルキュール・ポアロケネス・ブラナー)が、鉄道会社に頼まれ密室殺人事件の解明
に挑む。乗客のゲアハルト・ハードマン教授(ウィレム・デフォー)やドラゴミロフ公爵夫人
ジュディ・デンチ)、宣教師のピラール・エストラバドス(ペネロペ・クルス)、キャロライン・
ハバード(ミシェル・ファイファー)らに聞き取りを行うポアロだったが……。
これまで幾度も映像化されてきたアガサ・クリスティの傑作ミステリーを映画化。
ヨーロッパ各地を巡る豪華列車を舞台に、世界的な名探偵エルキュール・ポアロが客室で起きた
刺殺事件の解明に挑む。『ヘンリー五世』『世にも憂鬱なハムレットたち』などのケネス・
ブラナーが監督と主演を兼任。さらにジョニー・デップミシェル・ファイファーデイジー
リドリー、ジュディ・デンチペネロペ・クルスら豪華キャストが集結する。



・・・・・・
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3910, ファイナル・クラッシュ ー2
2011年12月09日(金)
           「ファイナル・クラッシュ!」石角完爾著
 常日頃いっている、リーマンショックを史上稀なる大地震とすると、
ファイナル・クラッシュは「大津波の本体」の言葉の違いでしかないと言えば、
それまでのこと。 何とか今年におそってくる筈だった大津波を先送りをして、
体力の弱い中国・インドに世界中の資源会社を買収させたり、ゴールドの蓄積
をさせて、来る恐慌に対して準備期間を与えている。それを声高々に述べている。 
具体的にシンガポールとかオーストラリアに、泥舟日本からの脱出を勧めている
という面では、読むべき価値は十分にある。恐慌の恐ろしさを99%以上の人は
実際に分かってないし、オボロゲに分かっても手の打ちようがないのが現実。
一億以上の資産があったら、手順を踏んだ方がよいという。これから10年で
日本は豊かな国から貧しい国になる。
 ーこの本には原書のネタ本がある。それを知った経緯の部分を書き出しすー
  * 原書のファイナル・クラッシュとの出会い
 ファンド、とくにヘッジファンドが行っているデリバティブ金融派生商品
CDS(信用リスクを移転する取引)の売買は、基本的に相対取引であり、なお
かつ口頭か、紙ベースで行われている。コンピューター時代の今も、一般人が
アクセスで計るパソコンのスクリーンには一切出てこないのだ。誰がどういう
動きをしているかは、そういう閉ざされた情報交換の中に入らない限り、
わからないしくみになっている。日本の金融関係者でそうした場に参加できる
者はほとんどいない。この秘密の会合の一つを組織しているクラブの本部が
ロンドンにある。私はその会員となった後、クラブの主催者から「カンジ、
これはすごい本だから、ぜひ読んだほうがいい」と勧められ、一冊の本を
プレゼントされた。 それが「TheFinalCrash」だった。主催者自身、一冊
しか持っていないという貴重な本。主催者は女性であった! その本を入手
できたのは、著者もまたこのクラブの会員で、自著をクラブ主催者に直接
プレゼントしたからだった。主催者の勧めに従って一読し、私はその内容に
驚愕した。「これは本物だ。大変なものだ」そう感じた私は著者に直接話を
聞きたくなり、本をくれた主催者に「会わせてもらえないか」と頼んだ。
そして彼女は、イギリスとフランスの間にあるタックスヘイブン、ガーンジー
島に住み、そこからほとんど出てこないという著者に連絡をとってくれた。
ガーンジー島は、ロンドンから空路で一時間ほどの距離にある。
対岸のスウェーデンに住む私と互いの予定を合わせ、クラブの本部がある
ロンドンで三人で会うことになった。二〇〇九年のことである。本で紹介
されている簡単な経歴によれば、著者はイギリスの全寮制の名門パブリック
スクールの一つ、ラグビー・スクールを出ている。ここは、数学者で
不思議の国のアリス』著者・ルイス・キャロルや、五九代イギリス首相
のネヴイル・チェンバレンなどが輩出した有名校である。
  ー 目次 ー  
 第1章 借金が市場を炎上させる    第4章 日本経済の行方
 第2章 世界経済ブラックアウト    第5章 自分の資産をどう守るのか 
 第3章 迫り来るメルトダウン     第6章 クラッシュ後の世界


・・・・・・
3545, 「そう思う」と「本当に、そうである」とは違う
2010年12月09日(木)
 これまでの人生で、「そう思う」を、「本当に、そうである」と勝手に思い込んで失敗した
ことは数知れず。これは、人間の判断を大きく間違えさせてしまう。 行動するの「行」には判断
という意味が含まれている。判断し、動くのが行動である。その判断の基がいい加減になっている
ことに人は気つかないで、大体が「そう思った」で、 「そう動いてしまった」ことになる。
 ー池田晶子は、そのことを以下のように述べている。
【 「本当に、そうである」とは、如何いうことか? というと、間違っていたとしても、それが
 正しいと思えば、「本当に正しい」と思うようになる。だからといって、それが正しいということ
にはならない。正しいことは正しいし、誤りは誤りである。 では、正しいとは何か?というと、
考えつくし誰もが認めることが正しいということになる。「そう思う」から「本当に、そうである」
にいきつくには、「考える」ことによって、はじめて可能になる。誰にとっても正しい定規、たった
一つの正しい定規である。・・・ 】
 振り返ってみて、考えて生きてきたつもりだったが、まだ考えが足りなかったと、この歳になって
シミジミと思う。10年前から真剣に哲学書を読むようになってから、その思いは深まる一方。考えて
考えてきたつもりだったが、振り返ってみれば、まだまだ考えが足りなかったことに気づく。
良書との出あいが少なすぎたということか。 「そう思う」を一度、「そう思っている、このことは
本当に正しいのか」と一度、考えて、「そう考える」まで、練ってから判断をしないと、大きく間違う
ことになる。事業計画がそうである。「本当に、そうである」と信じて実施したことが、時代の激変で、
「そんな激変するとは」に様変わりしてしまう。 それより、日常の情報も同じである。
「そう思わせる情報操作」で、簡単に「本当に、そうである」に一般大衆は洗脳されている。情報化
社会で、情報が溢れている現在、それぞれが考える能力を養っておかないと、気の毒な大衆に陥る。
 ・・・・・・・・
3170,つれづれに ー閑話小題 
2009年12月09日(水)
* 長岡の死体遺棄事件の背景は不況!
 長岡の死体遺棄事件で、大手製造機器メーカーの営業課長が殺人容疑で逮捕された。
取引先からの発注の取消しのイザコザで殺害したものだが、業界不況が背景にある。
このリーマンショックで、「売り上げが半分以下」で、ツガミも一月に人員整理に入り、
埋め立てた場所も閉鎖になった工場という。 ここで1000万円の穴は、即刻首である。
本人は納品したといっていたが、集金はまだということになっていたという。
何処もかしこも、こういう話である。 長岡の北部には工場地区があるが、
それが去年のリーマンショックで直撃を受けた煽りの事件である。 日本炎上?
* 翠点(すいてん)
 南方熊楠は 「世の中の事象は、曼荼羅の、因果の世界である。しかし、これら因果は無秩序に
支配されているのではなく、ある一点に集まってくることもある。核の周りを動く電子の軌跡のような
線と、そこにクロスする直線いくつかの自然原理が必然性と偶然性の両面からクロスしあって、多くの
物事を一度に知ることのできる点、それが「翠点」である!と、マンダラの中に翠点を発見した。 
分かったような分からないような論だが、「モノゴトを色いろな角度から俯瞰し、一点に交わるところ
(翠点)を探ると、その翠点付近は、物事があいまいな状態で存在している」という発見である。
「要点」の意味に似ているが、マンダラの中で見つけたところがミソ。 
* 国家予算の六割が借金!
 この予算が組めるのは、来年で終わり。 それ以上は、国債の暴落と株の暴落を引き起こす。
もちろん、それを株式や、為替の相場は織り込んでいる。 その最後の予算が、これ。
株は半年先を読んで動くというから、来年春から夏にかけて株式と国債の大暴落があることになる。
デフレスパイラルの行着く先は、ハイパーインフレである。その時にデノミが行われる可能性がある。
来年も大波が襲ってくる。 二番底である。 本格的な世界恐慌のウネリが貨幣価値の下落という
カタチで現れてきた時が、恐慌と表現される。 事態は深刻である。
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2805, オバマという人物
2008年12月09日(火)
 オバマという人物を、いま一つ解らない部分がある。父親がケニア人で、母親がアメリカの白人。 
しかし経歴といえばアメリカ社会のエリートコースを登りつめ、史上初の大統領にまでなった人物。
しかし何か得体の知れない危なげな匂いを感じもする。そのことを産経新聞の「世界を斬るーオバマ
アメリカ」の岡本行夫佐藤優の対談で、佐藤が次のような見方をしている。
 ーまずは、その部分である。ー
オバマさんはキメラ(多様な要素を併せ持つギリシャ神話上の生物)だと思います。何者でもあるし、
何者でもない。よい目つきで見ると、エリートの要素も、低い要素も、すべてを備えているように見える。
国民の能動性を引き出すのもうまい。勝利演説でネットで5ドル、10ドル、20ドルを入れてくれた人に
感謝していますね。政治参加する人は少額でも、100万ドル、1000万ドル払う人と権利が全く同じだと。
アメリカ人とは何かという根本的なところで、アメリカを思い、アメリカのために行動する人が
アメリカ人だと。新たな統合原理をつくることに今のところ成功していると思う。
   (字数制限のためカット 2010年12月9日)
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2007年12月09日(日)
2440, 哲学の効用とは?
              ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は~♪
最近、コペルニクス的に世界の見方が変わってきたのは、情報化による情報の質量のレベルアップと、
還暦を過ぎた為と思っていた。 しかし哲学書をこの数年間読んできたことも大きく影響していた!
中島義道の「哲学の教科書」を読んで気づかされた。
世の中の価値観や、常識を自分の頭で根底から疑ってみる習慣が少しずつ付いた結果である。
考えるということは、驚き、感動し、根こそぎ新鮮な感覚で周囲を見直すこと。
元々、その傾向は強いつもりだったが、それがマスマス強くなった結果である。
 まずは、その部分を抜粋してみる。
(P・228)     -中島義道「哲学の教科書」
メルロ"ポンティは「哲学とは世界を見なおすことである」と言っております。
この言葉は、先に挙げた(第2章第3節)プルーストの言葉「芸術家がわれわれに与える喜びは、われわれが
もっている宇宙の上にもう一つの宇宙を教えてくれるところにあるのではないだろうか」に比べると、
やはり哲学の特性を表している。ここに「見なおすこと」と言って、「思索しなおす」とか「解釈しなおす」
とか言っているのでないことがミソです。次章でゆっくり話しますが、私が法学をやめて哲学をしようと
思いたち、大森荘蔵先生のお宅に伺ったとき「哲学にとって一番重要なことは何ですか」と新聞記者のような
ことを聞いたことがあります。その答えは、やはり「よく見ることです」というものでした。前章で考察した
ような哲学の問い「時間」「因果律」「私」「他人」「意志」「存在」などは、われわれがちょっと注意して
「よく見れば」足元にころがっているものです。私は「哲学の小道」という類のものを信じません。それは、
じっと腕を組んで「善とは?」とか「自由とは~」とか瞑想に耽リながら散歩するのによい静かな小道。
哲学とは何よりもまず「よーく見る」ことですから、必ずしも、こうした浮世離れした環境は必要としない。
とくに、「今」とか「よい」とか「ある」とか「私」とか「意志」といった卑近な言葉のうちに謎のすべてが
詰まっておりますので、ホームドラマやスポーツ解説や、天気予報からもいろいろヒントを受けることができます。
さきほど申しましたように、哲学は何の役にもたたないのですが、こうした言葉を使うとき前提されている底を
打ち破ってみせることは、間接的にでも何らかの役にだつのかもしれません。つまり、哲学はすべてのことを
徹底的に疑うところから出発します。 普通の人々が前提している善悪の骨格を揺さぶります。
したがって、例えば、戦争が悪であるのは第一に戦争は人を殺すからですが、哲学者は「聖戦はあるのか」とか
「原爆投下は正しかったか」といったレベルの議論にではなく「なぜ人を殺すことが悪なのか」といったレベル
の議論に照準を合わせます。もちろん哲学者とて、その社会に適応した人間ですから「人を殺してよい」と
思っているわけではなく、殺人犯をえらいとは思いませんが、ありとあらゆる論調が殺人を当然のごとく
非難する現状を見ますと、そこに思考の停止を認めて揺さぶりをかけたくなるのです。
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世界の見方が変わってくると、過去の自分が恥ずかしくなる。 「おい、お前、何を考えていたんだ!」
「あの時の、あの人は、こういう考えではなかった」とか、違う視点で己を振り返ることになり、
ある意味では辛いことになる。 それだけ自分が拡がったと言い換えることもできる。
情報の溢れかえる時代に、逆に独りジックリと考える時間こそ求められる。 w(′┏▽┓`●)w
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2006年12月09日(土)
2076, 経験についての一考察
       オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
経験について考えてみよう。
「経験」は、「経験を積む」や「経験者」のように『くり返しおこなってきたことから得られた知識や技術』
をさす。それに対して「体験」は、「面白い体験」「戦争体験」など直接感じた行為経験をいう。
「人生経験」を例にとると、体験などを通して腑に落ちること、了解したことをいう。
その蓄積が人生経験豊富ということになる。経験は、過去の積み重なねとしての現在の自分を構成している。
したがって、年を重ねただけ了解した蓄積が多く、何をしても、何を読んでも、そのプールが面白くなっていく。
経験そのものも貴重だが、それ以上に、そこから何を、どのように学ぶかが重要である。
バーナードショーは、「人間が賢くなるのは、経験によるのではなく、経験に対処する能力に応じてである」と
いっている。経験から学ぶことこそ「経験を生かすノウハウ」。人は経験から学ぶと同時に、忘れる動物である。 
忘れるから生きていける部分もあるが、喉もと過れば何とかで、経験を消化する前に忘却してしまうのが人間の性。 
汝自身を知れ!、そう消化しないで忘却する自分を知れ!こそ経験を無駄にしないことになる。汝自身を知れとは!
とは、この意味で考えると腑におち、納得できる。消化できない自分の無知さえ自覚できない愚かな動物である、
ということを経験といえば他人の経験からも学ぶことができる。それが文化・文明をつくり上げてきたのである。 
他人の不幸・失敗は、その経験則を把握さえすれば、自分の経験則に織り込むことが可能になる。これが「合理的・
合理性」である。この歳になり、過去が未来より圧倒的に多いと実感してくると、他人の経験則の吸収と、自らの
経験を消化する知力の至らなさを痛切に後悔するようになる。生きるとは、失敗こそが意味を教えてくれる切り口。 
失敗こそが人生である。全てが失敗といってよい。最近は後悔すべき過去がフラッシュのように、頭を過る。 
しかし、人生は失敗・後悔の塊と割り切ってしまえば、深く人生を見直すこともできようし、分別もできよう。 
砂に喩えれば、砂金も少しはみつかるだろう。石ころも混ざっているが!大したことがあるわけない人生、意味など
今さら考えても仕方ないが。意味は価値だろう、価値の後つけほど馬鹿馬鹿しいものはないのに、自信がないから、
裏づけが無いから、記億の修正のため、そして疾しさを正当化するため、経験を歪めてしまうのである、
経験は、先生である! 先生の話は、よーく聞くべきだった!         (。^0^。)ノサイナラ!
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2005年12月09日(金)
1711, 道路の経済学     ー読書日記   
 学生時代の武澤ゼミの一年後輩から一月ほど前に電話が入った。 (。・ω・。)】ゝモシモーシ (*´o)8 ohisasi
  あるプロジェクトの相談である。 その詳細は書けないが、かなり難しい問題である。
 ・戦略の失敗を戦術でカバーできないか?ということか、
 ・再構築のための情報収集ということか、その両方だろう。その時の電話で、現代新書から
 「道路の経済学 」を出版したところ、半年たらずで3万部も売れたので是非読んでほしいという。       
 そこで、先日ネットで発注して読んだが、道路に対して全くの素人の私も理解できる内容であった。
 彼が不動産鑑定士をしているという話は10数年前のゼミOB会で会ったときに聞いていた。
 現在、不動産鑑定士だけでなく、明冶大學や母校の大学院で講師をしているという。 【dou ro】
 私がまとめた概略を記してみる。その前に、この本をネットで調べた内容をコピーしておきます。
                           マ ~~匸Pヽ(・ω・`) coffe ーデモ…
著者: 松下文洋  現代新書
ー私の概略と感想を書いてみるー
字数の関係でカット(2007年12月9日)
(^_^)/~~ja~
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2004年12月09日(木)
1346, 23歳の日記-5
実際のところ、書きうつしていて気持ちの良いものではない。三十五年前の自分と直面するのも恐ろしい。
正常と異常の塀の上を一日一日歩いているようなものだった。それが若さということなのだろう。
何か焦りと焦燥感がつきまとっていた。黒い影に常に追われている気持ちであった。20代は毎日が変化の激しい
息詰まるような日々であったようだ。もっとも誰もがそうだろうが。それと当時から理屈っぽいのがよく見てとれる。
デズニーのミッキーマウスなどのキャラクターはみな頭がデカイが、若い時はそれでもよいのだろう。
パンドラの箱を開けて、覗き込んでいるような気持ちである。
4月20日 ー1969年
現在は仕事面でも、私的な面でも日々に流されているに過ぎない。それを乗りこえなくてはなるまい。それに
しても、週に一回同期と飲む酒の上手さも格別だ。二軒の店を開拓した。我われに丁度良い居酒屋があるものだ。
自分の考えが、あまりに理屈っぽいということは解る。 一日一日を毅然としているしかないが。
「転ぶのはそれでよい、立ち上がる事が、立ち上がるその姿勢が、良いのだ。」転ぶのを恐れてはいないのか。
4月26日(土曜日)
現在、会社の一端を知ってきて、不安と不満と安堵感が入り混じった状態である。8割が女性社会ということは、
はっきりいって知らなかった。働いている女性の生き生きした姿を身近で見るのも初めて。それにしても、
いろいろな人がいるものだ。 自分はハッタリだけでないかと自己嫌悪に陥る。
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字数の関係でカット(2008年12月9日)
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2003年12月09日(火)
979, 結婚30年
 一昨日で、結婚30周年になる。昨日気がついた。今までは結婚祝いなどしたことはない。
結婚という視点からいうと、「30年は短かった」というのが実感である。
女性問題でもめたことは一切ないし、夫婦の危機は一度もなかった。
(字数制限のためカット 09年12月09日)
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2002年12月09日(月)
 ある時間の断片-19
10月12日 1968年
8時起床。 11時半に長岡に出発する。15時過ぎに帰宅。家はやはりよい。 両親が帰ってくる。
学校町と柏崎のおばも来る。兄の三郎さんが婚約したという。どんな人か早く会ってみたいものだ。
長岡の街を歩いてみる。街が禅寺に行っていたせいか何かよい。西村さん夫婦は旦那の実家に行っていた
ため会えず。夜半の3時までオリンピックをみる。世の中も変わったものだ。小学生の頃のメルボルン
大会をラジオでやっと聞こえたのに。12年でカラーTVで見れるのは夢のようだ。
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2001年12月09日(日)
 264,税務調査ー2
野村沙知代が脱税で逮捕された。
悪質の為だが、それにしても実の息子に告発されるとは異常だ。国税局の査察の場合大部分が内部告発だ。
全国の会社の15?で経理の不正が行われているという。そしてあまり表ざたにならないのは、多かれ少なかれ、
脱税が行われているからだ。「ことを大きくすると全てばらすぞ!」それがあるから、足元を見て不正をする。
国の政治家があれだけ悪い事をし、官僚もたかり放題。やりたくなるのも解るが、それをいちゃーおしまいである。
それにしても今まで、税務調査に入らないのもおかしい?野村監督も知らないではすまないはずだが、ここが日本の
甘い体質がそのまま出ている。うちの会社の税務調査の一年後の去年に、至近のホテルに税務調査が入った。
そして一億数千万を追徴されたという。税務署も当社の数字を参考に、調べあげたと予想される。敵もさるものである。
旧約聖書に税のちょう収人が、かなり身分の低い人としてイヤシメられて書いてあるが、嫌われる仕事だ。
中国に旅行した時、定年退職したばかりの税務署所員が4人できていた。中国の金で一万円相当を貸してやったが、
帰国した新潟空港で円が下がってると9500円を返した返した。こうなると卑しいと卑下したくなる。
いや、その職業でなく人間性か!
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12月9日 1968年
  9時半起床。11時45分に上野へ、正子さんを迎えに行く。上野の寿楽で食事をしていると、軽井沢で知り合った、
  小林君と大井君でバッタリ会う。 彼等と一時間話をする。やはり方向に迷っているみたいであった。
  その後、正子さんの希望で京成電鉄で「成田」へ行って、お札を納めてくる。17時にニューオータニに着く。
  姉がチェックインをした後、18時に川崎達と会うため赤坂見附へいく。18時20分に彼等と落ち合う。
  車が四人乗りで、横浜は無理である。以前石川と行ったレストランで食事をする。その後、ゴーゴーバーへ行く。
  赤坂見附の近くの「ムゲン」という店である。このような店で踊ったのは初めてである。 姉とその友人とも踊る。
  サイケ調でその世界に引きずり込まれてしまった。 その後、「アシベ」というクラブで飲む。
  遠藤周作がいた。 22時半に姉達を送っていく。