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さらば革命的世代 第1部 隣の全共闘 (1)全共闘の“革命”は何を残したのか

■「血が騒いだ」
 「血が騒ぐというか、懐かしかったですね」。メーデーの1日、ある地方都市の喫茶店。男性は「労働者の祭典」にはさしたる興味を示さず、テレビで見た長野の聖火リレー中継の話題でひとしきり盛り上がった。
 中国という大国と、それに弾圧される少数民族チベット支援者らの闘い。一方で中国は社会主義国家であり、チベット支援者の中には右翼団体まがいの格好をした者もいる。
 「どちらにつくのかと問われれば今は、弱者という点でチベット側だと思う。というよりもあの場にいたかったというのが本音かもしれない。小競り合いで流血した場面なんかは本当に身震いがしましたよ」
 男性は村岡正さん(60)=仮名。2年前に小さな出版系会社を早期退職し、警備会社でアルバイトをしている。妻と独立した子供2人がいるという。
 村岡さんはかつて、ある有名私大の全共闘メンバーだった。当時はセクト(党派)にも属し、闘士として自分なりに「革命」を目指していたという。
 就職とともに運動から離れ、今は政治とは縁のない生活を送っているが、先ごろ、全共闘時代の仲間たちによる同窓会に参加した。
 「中小企業の社長や大企業の管理職クラスも何人かいた。孫のいる女性もいた。たいした話はしていません。『バリケードは本当に寒かった』とか『マル機(機動隊)にやられて死ぬかと思った』とかね…」
 会場はシティホテルのパーティールーム。会費は1万円。立食のバイキング形式で、会場には大書した「全共闘OB会」の看板が掲げられた。

■同窓パーティー
 学生運動が最も高揚したとされる昭和43(1968)年から40年。当時20歳だった学生たちは今年ちょうど還暦を迎える。
 ひところ、大量退職などで話題になった「団塊の世代」ではあるが、イコールではない。当時の大学進学率はわずか15%。「革命」を叫んだ若者たちは紛れもなくわが国のエリート層でもあった。
 早稲田大時代の自身の全共闘体験を元に描いた小説「僕って何」で芥川賞を受賞した作家、三田誠広さん(59)は「僕らの世代は確かに理屈っぽくてプライドが高い人が多い。下から見ればうっとうしい世代だったのではないか」とした上で、こう指摘する。
 「そうした世代が会社を離れると、精神的空白からニートのような存在になる。それでメタボになり病気になり、家族から見放される人もいるかもしれない。そんなふうになるなら20歳の頃に気持ちを戻して『老人全共闘』でもやったらいいと思う。今の年金や格差の問題にしても何も思わないのかという気がする」
 聖火リレーの混乱に「血が騒ぐ」と話した村岡さんも、実際にこの問題で行動を起こしたわけではない。年金や自衛隊の海外派遣など「気になるテーマは多い」としながらも、声を上げることはない。一方で、さきの同窓会は「本当に楽しかった」という。
 「定年を迎えてね。ゆっくりと思い出話ができる相手は貴重なんです。青春時代の革命の話なんて、当時の仲間にしか分ってもらえんでしょうから」
 同窓会の終盤では、会場に「佐藤訪米を阻止するぞ!」というシュプレヒコールがこだまし、大いに盛り上がったという。
 「佐藤」とは学生当時の首相、佐藤栄作のことだ。最後はソ連国歌でもあった社会主義歌「インターナショナル」の大合唱でお開きとなった。
 おみやげには、当時の自分たちの「闘争」を記録したDVDが配られたという。

■鎮魂の集い
 華やかなパーティーだけでなく鎮魂の集いもある。
 日大全共闘の墓参の会。メンバーは年に1度、千葉県八千代市の霊園に眠る中村克己さんの墓前に集まる。
 日大全共闘は、全国の全共闘の中でも、大規模な学内民主化運動として、東大と並んで象徴的な存在だった。
 中村さんは昭和45年、駅前でビラまきをしている最中、対立する学生グループの襲撃を受けて命を落としたという。22歳だった。
 墓参は今年も2月17日、派手なセレモニーも余興もなく静かに行われた。
 メンバーのほとんどは闘争の終焉とともに政治活動から離れた。
 この日集まった人も自営業者、定年を迎えた会社員、公務員と、その後の人生はさまざまだった。
 ただ、先の同窓会メンバーと違うのは、彼らが当時の闘争を「思い出話」としていないところだ。
 「ノスタルジーなんかではない。誰が何と言おうとあのころ私たちは命がけで闘った。毎年墓参にくるのは、40年近くたっても彼の死が心の中でトゲのように刺さっているからです」
 墓碑に刻まれた「全共闘戦士」の文字を見つめるメンバーらはそうつぶやき、重い口を開き始めた。
     ◇
 かつてわが国に「革命」を訴える世代がいた。当時それは特別な人間でも特別な考え方でもなかった。にもかかわらず、彼らはあの時代を積極的に語ろうとはしない。語られるのは中途半端な武勇伝だけであり、「そういう時代だった」と片付ける人もいる。そして、私たちの“隣人”としてごく普通の生活を送っている。彼らの思想はいつから変わったのか。また変わらなかったのか。あるいは、その存在はわが国にどのような功罪をもたらしたのか。彼らが社会から引退する前に、長期連載で“総括”してみたい。(毎週掲載)

  ■全共闘 各地の大学で昭和43年ごろに結成された学生組織で、全学共闘会議の略。全国の主要大学のほとんどにあたる約160校で結成された。新左翼政治党派(セクト)だけでなく、ノンセクト・ラジカルと呼ばれた党派に属さない学生たちも参加。バリケードストライキをするなどして、学内課題やベトナム反戦などの政治課題について訴えた。44年1月の東大・安田講堂攻防戦は全共闘運動の象徴的事件になった。

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○1968全共闘だった時代
http://www.z930.com/
○日大闘争
http://www.geocities.jp/zenkyoutou2002/
○日大闘争BY日大全共闘
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5328/
○日大農獣医学部闘争委員会
http://www.akahel-1968.com/
○31年たって全共闘について思うこと
http://www.mane-ana.co.jp/chiba43/kawana9911.html