ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

庄司紗矢香さんの登場後...

音楽ジャーナリストの伊熊よし子さんのブログ(http://blog.yoshikoikuma.jp/?eid=182880)から引用させていただきます。伊熊さんに関しては、(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090705)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110924)もご覧ください。

2012.06.24 Sunday
庄司紗矢香


 ヴァイオリニストの庄司紗矢香には何度かインタビューをしたことがあるが、デビュー当初の初々しい笑顔と、素直な受け応えはいまも鮮烈な印象として残っている。


 インタビュー・アーカイヴ第39回は、そんな彼女の12年前のインタビュー。ときが経つのは早いものだと、この記事を見てもつくづく感じる。庄司紗矢香は声に特徴があり、とても低くてハスキー。記事を見ていると、その声がどこからか聞えてくる感じがする。


アサヒグラフ 2000年5月19日号]


昨秋のパガニーニ・コンクールに続く栄誉
スケールの大きい、のびやかな演奏が特徴


 昨秋、イタリアのジェノヴァで行われた第46回パガニーニ国際ヴァイオリン・コンクールで優勝の栄冠に輝いた庄司紗矢香が、今度は第10回「出光音楽賞」を受賞した。


 これは主として30歳以下のクラシックの音楽家を対象とし、意欲、素質、将来性などを考慮して選考されるもので、前年の音楽活動に対して賞が贈られる。毎年、演奏や作曲、学術研究、評論などの各分野にわたり5人が選ばれているが、今回、庄司紗矢香は、パガニーニ・コンクールにおいて史上最年少の16歳で優勝したことが大きく評価された。


「こんなにすばらしい賞がいただけて光栄です。これまで、『出光音楽賞』を受賞されたかたは、すばらしいかたばかりなので、多くの先輩を見習って頑張っていきたいと思います」


 ステージでは、スケールの大きい自由でのびやかな音楽を披露する彼女だが、素顔はシャイで礼儀正しく、ひとつひとつのことばを慎重に選びながら、ゆっくりと話す


パガニーニ・コンクールは子どものころからの夢だったんです。いつか受けてみたいと思っていました。でも、まさか優勝できるとは思いませんでしたから、賞状をいただいてもなんだか夢を見ているみたいで、現実味はなかったですね」


 その夢から覚めたのが、審査委員長の語ったひとことだった。審査委員長を務めていた作曲家のフェラーリは、授賞式で庄司をこう紹介した。


「46年のこのコンクールの歴史のなかで、これまで日本人は何人もファイナルに残ってきた。ただし、第1位を獲得する人はいなかった。庄司紗矢香は今回、史上最年少の優勝者であるばかりではなく、日本人として初の優勝者なのです」


 庄司は1983年に東京で生まれた。4歳のときに画家である母親がイタリアへ勉強に行くのに同行、1年間をシエナで過ごす。このころからヴァイオリンに目覚め、帰国後5歳で本格的なレッスンを始めた。現在はケルンで名教授といわれるザハール・ブロンに師事している。


 小学校時代から国内の学生コンクールで優勝したり、さまざまな賞を受賞してきたが、1995年の国際モーツァルト・ジュニア・コンクールを皮切りに、メルキュール・コンクール、ヴィエニャフスキ国際コンクール(17歳までの部門)、ヴィオッティ・バルセシア国際コンクールと、たて続けに優勝。ついにパガニーニ・コンクールの覇者となる。


「イタリアのコンクールで第1位をいただけたのが一番うれしかったですね。パガニーニ・コンクールのときはシエナ時代からの友だちがみんなテレビで見ていて、応援してくれました小中学校時代にも、よくシエナの夏期講習を受けに行っていたので、イタリアというのは第2の故郷のような感じがしているんです」


 パガニーニのヴァイオリン協奏曲を初めて演奏したのも、このシエナの夏期講習の場だった。当時、12歳。その演奏を耳にした指揮者のルドルフ・パウムガルトナーは、ルツェルン国際音楽祭に参加しないかと声をかける。14歳になった彼女は、ここでパウムガルトナー指揮ルツェルン祝祭オーケストラと共演した。


「その後、パウムガルトナーさんは、このオーケストラのドイツ、オーストリアのツアーにも招いてくださったんです。一番印象に残っているのは、ウィーンのムジークフェライン(楽友協会ホール)で演奏できたこと。いまでも、あのときの感動は深く心に残っています」


 ムジークフェラインはウィーン・フィルの本拠として知られる、音響のすばらしいホール。彼女はここでJ.S.バッハとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏した。


「このツアーでは、最初メンデルスゾーン1曲という予定だったんですが、結局2曲のコンチェルトを弾くことになり、私にとってはとても荷が重かったんです。そんな私に、パウムガルトナーさんはそっとささやいてくださった。『このホールは内部の色が金色なだけではなく、音も金色なんだよ。だから頑張っていい演奏をしよう』って。それでとても気が楽になり、肩の力を抜いて、ホールの音響を楽しみながら演奏することができました


 こうした出会いが、若きヴァイオリニストの大きな糧となり、音楽の成長につながっている。今年もフランス、スイス、ロシアなどの音楽祭に招かれ、著名な音楽家との共演も目白押し。大きな舞台が続く。


「いま音楽大学ではソロの勉強とともに、オーケストラや室内楽の演奏にも参加しています。学科の勉強もありますし、ドイツ語も習っているので本当に時間がたりない。大好きな読書や絵を描く時間も限られてきますが、勉強しなければならないことが山ほどあるので、もう毎日必死です。もっといい演奏をしたいからです」


 このときは、日本音楽財団所有の1736年製のストラディヴァリウス「ムンツ」を使用していた。その後、国際的なヴァイオリニストとして世界中で演奏するようになり、日本でも高い人気を誇る。


 今日の写真はそのときの雑誌の一部。現在も、髪型や表情などあまり変わらない。変化したのは演奏のクオリティーである。

(引用終)

確かに、早くも30歳近くになった紗矢香さん、最近は少し大人びた表情になってきましたが、16歳でパガニーニ国際コンクールに優勝した時のテレビ映像の記憶は、この記事からもまだ鮮明です。それまでの固定観念のようなものを打ち破った日本の可憐かつ大胆な少女、という印象でした。
「体が小さいならば、オーケストラは無理だ」「親も音楽家でないと、無理だ」「ある程度以上の裕福な家でないと、楽器も揃わず、いい先生につけない」みたいな噂が、まことしやかに蔓延していた頃でしたから。
持って生まれた個性が、強い意志と努力と、周囲の理解があって、このように開花したのでしょうか。うらやましいような感じもしますが、一方で、彼女の演奏会には頻繁に出かけており、そのおかげで新しく覚えた曲目も少なくなく、いい刺激を受けています。
庄司紗矢香さんについては、このブログで何度も登場させていただきましたが、この辺りで、一覧表をどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071027)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080305)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080310)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080520)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080525)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080804)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080923)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081018)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081118)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081215)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090202)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090426)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090504)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090602)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090610)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090628)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090701)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100418)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100601)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100602)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100623)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110220)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110909)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110927)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111018)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120609)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120610

最近、ある人々やテーマについてのブログ一覧表を作っているのも、そもそも、ダニエル・パイプス先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120623)のウェブサイトが同じようなことを定期的になさっているのを知って、勇気づけられたからです。