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2016-11-17

kamayan2016-11-17

[][]近況その2 21:50 近況その2を含むブックマーク 近況その2のブックマークコメント

1

仏教関係の本をここんとこ読んでいるけど、釈迦が言ったことってのは

「転生なんてないよ、人生は一度きりだよ、穏やかな言葉を使って人生終えろよ、座禅瞑想(ヨガ)すると脳内麻薬的に苦しみが緩和されるよ」

な気がするけどどうなんだろう。

2

煩悩だらけな我が老母からの仕打ちが酷いので、すぐ近所に禅宗の寺があって早朝座禅ウエルカムらしいので、老母からの仕打ちに脳内麻薬的に対抗するために早朝座禅に行こうかと検討中。ちょっと躊躇しているのはその禅僧は悟りとは無関係っぽい感じなため。

3

代表取締役交代のための書類作成にあたり、書類取り寄せするのにけっこうな距離にある町役場まで老父に同行してもらうのは老父にとって難儀だから委任状を書いてもらう方がいいと町役場から助言され、委任状を書いてもらったら、それが我が老母の逆鱗に触れものすげえ剣幕で一日を終えた。我が老母は狂人だから間違いなく明日以降も引っ張る。狂人との生活はつらい。

4

キャンプ場の組合のおっちゃんたちと旅行する直前に狂人な老母からのパワハラが酷すぎて、狂人な老母の生霊背負って旅行していたけど、そんな悪霊背負っていたから旅行中の自分の言動が我ながら修復困難なレベルで酷くて残念でならない。

5

俺の人生の最大の分岐点だった大学生時代のくだらないつまらない記憶が日々思い出されて悔しさに涙で枕を浮かべているが、我が嫁によると俺は酔うたびに大学生時代のことを管巻いているそうだ。俺はそんな自覚が全くなかったが。そうか。人生で最も知識を蓄えるよう社会的に設定されていた時期に脳味噌に何一つ入れなかったことが実に残念だ。残念だ。

6

我が娘に伝えおきたいことは

1;家業はお前にとってボーナスだ、おまけだ。お前はボーナスとしては悪くないものを持っている。それに振り回されず人生を生きろ。俺は狂人で愚人な母親により振り回される必要のない家業に無駄に振り回された。

2;お前にとって学んで楽しいこと、考えていて楽しいことが、お前の進むべき道だ。俺は狂人な母親と狂人な同級生により、全力でその辺ぶち壊されたが、ぶち壊されるのはあるべき姿ではない。

俺は自分にとってこれが当然だろうと感じることをしている間は信じられないほど遠くまで行けた。あまりに遠くまで行けるのでビビった。だがもっと遠くまで行くべきだっただろうし、大学生時代にまじめに勉強していたら堂々と自信をもってもっとずっと遠くまで行けただろう。

我が老母の錯乱に付き合ったら犬小屋の範囲、アウシュビッツ収容所な範囲で生涯を終えることになった。煩悩の塊で狂人な我が老母はこの収容所を俺に俺が囚人なまま譲り与えるのが惜しくて堪らんらしいが、こんな収容所なんぞあくまでオマケとしてお前はお前の人生を正しく生きろ。正しく生きればかなり遠くまで行ける。

3;お前は穏やかな言葉を使う天性に生まれたようだ。その天性をお前はたぶん失わないだろうが、俺と嫁はお前の天性を損なわないように可能な限り頑張る。

お前が俺のことを臭くて洗濯物を別にしてほしいと感じて近くにいたくないとお前が感じるようになる日を俺は心待ちにしている。通常中学生の頃までにはそういう感覚を俺に抱くだろう。俺は寄宿制の中高一貫校とかにお前をやりたいのだが、残念ながらこんな田舎ではお前にその受験合格能力があってもほとんど選択肢がない。が、大学以降は俺と無縁な人生をあまり不自由なく送れるようできるだけ頑張っておくから、同世代よりわりと好スタートラインについていることを自覚し、己にとって有意義な人生を歩んでくれることを願う。

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黒帯忍者黒帯忍者 2016/12/02 22:10 >仏教関係の本をここんとこ読んでいるけど、釈迦が言ったことってのは
「転生なんてないよ、人生は一度きりだよ、穏やかな言葉を使って人生終えろよ、座禅瞑想(ヨガ)すると脳内麻薬的に苦しみが緩和されるよ」
な気がするけどどうなんだろう。

転生なんてないよという見解はもともとは、和辻哲郎や、アンベードカルが主張したことで、学会に強い影響を与えたという経緯があるみたいですね。
それと、カマヤンさんの仏教書のチョイスがちょっと偏っているかなと感じました。。。
あんまり、内容が偏ってない仏教思想の通史としては『インド仏教の歴史』竹村牧男 (講談社学術文庫)がお勧めです。仏教は原始仏教から学ばないと混乱してわけがわからなくなりやすいので、中村元の『原始仏典』(ちくま学芸文庫)とか増谷文雄の『根本仏教―阿含経典講義』などで原始仏教を学ばれると良いと思います。『ブッダとそのダンマ』アンベードカル (光文社新書)も必読です。学者であり、現役のスリランカの僧侶であるA・スマナサーラ長老の著書も参考になります。

2016-11-15

kamayan2016-11-15

[]近況 23:04 近況を含むブックマーク 近況のブックマークコメント

1

10月第3週頃、無理くり休暇を作って、嫁と娘と、ユニバーサルスタジオジャパンへ遊びに行った。水族館と天王寺動物園と道頓堀と大阪城にも行った。

河口湖から三島まで車で、そこから新幹線に乗り換え、大阪へ。

ユニバーサルスタジオジャパンはNHKでの特集見て以来、行きたいなあ、と思っていた。ホテルはユニバーサルスタジオジャパン入口のホテルをとった。ホテルに3歳の娘大喜び。

ユニバーサルスタジオジャパンのアトラクションのうち3歳児が遊べるところは限りがある。パレードも楽しみにしていたが。ディズニーランド最強だなあ、という結論が。

天王寺動物園は保育園児幼稚園児だらけだった。今まで行ったことのある動物園と比べ、掃除が行き届いていないのか排泄物臭・動物の体臭がわりときつく、娘が音を上げた。

道頓堀クルーズは予想以上にお洒落で、すげえ、と思った。

大阪城は娘の昼寝タイムと重なったので、俺だけ大阪城内を駆け足で見た。もっとゆっくり見たかった。大阪城近くの庭園を見物したら娘が蚊に食われまくった。我が施設に庭園的なものを造る際、蚊が発生しないよう配慮しよう、と思った。

2

我が自営業の代表取締役を老父から俺に引き継ぐ、という話がやっと現実的になった。司法書士交えて話をした。

その前後の老母からの俺への嫌がらせの酷いこと酷いこと。老母は俺に嫌がらせしているという自覚は毛ほどもない。早く死ねばいいのに。

3

先週、キャンプ場の組合の旅行で、広島県宮島厳島神社と、原爆ドーム平和公園へ行き、豪華クルーズ船飛鳥2に泊まった。

厳島神社と宮島弥山はブラタモリで得た情報を脳内反芻し、色々感心した。

平和公園のデザインにも感心した。平和記念資料館を見る時間が少なくて駆け足で見たのが残念だ。平和公園へ行く直前、仲間の一人が迷子になりそれで時間が無くなった。

豪華クルーズ船飛鳥2http://www.asukacruise.co.jp/で広島から横浜まで2泊した。うち中1日は軽く船酔いしていて、あまり楽しめなかった。出港時のシャンパンを飲み過ぎたのと、同行していた一人の風邪をうつされたらしい。

旅行直前我が老母からあんまりに酷いパワハラを被ったので、旅行中ずっと我が老母の生霊を背負っていた。老母からの悪口が延々聞こえ、統合失調症の症状ってこんな感じがもっと悪く出るんだろうな、ていうか自分は統合失調に近くなっているんではないかと懸念した。俺は精神的にかなりやばいと旅行中ずっと思った。

豪華クルーズ船飛鳥2の乗船料金は馬鹿みたいに高いのだが、俺一人が支払ったその金額で俺と嫁と娘の3人で同じ日数バリ島旅行できるくらいの金額で、でもって全然リフレッシュできなくて、ずっと我が老母の生霊からの罵詈雑言を「内なる声」として聴き続けていて、経験としてはまあああ経験だなあとは思うが、コストパフォーマンス的には金の無駄だった。

4

この頃読了した本は以下。ざっと記憶だけで書くので間違いがあると思う。

日本の仏教 渡辺照宏

日本の仏教 (岩波新書)

日本の仏教 (岩波新書)

道元と空海を高く評価し、それ以外の宗派への点は辛い。東大印度哲学科でサンスクリット語パーリ語にまで遡って仏教を研究した渡辺照宏は同様に学究肌のこの二者並びに忍性たちを評価している。「法華経」は後世の在家集団が作った経典だと見なし、それを根本経典とみなす天台宗日蓮宗への評価は低い。

仏教第二版 渡辺照宏

仏教 第2版 (岩波新書)

仏教 第2版 (岩波新書)

仏教経典は漢訳が最も多く残り、チベット語訳がそれに次ぎ、パーリ語訳はそれよりだいぶ少ない。

シャーキャムニが生まれたのはガンジス川沿いの王国で、そのころ古代インド人は子供を育てた後、出家するという文化があった。ジナ教は仏教と共通する要素が多い。ジナ教は現在もインドに残るが仏教はインドでは消えた。

仏教が前提するバラモン教世界観では人間は延々転生するという業にある。その業を離脱し「自由」を得たのがブッダである。修行者はヨーガによりニルヴァーナを得る。ニルヴァーナを得たものが阿羅漢であり、阿羅漢へ至る修行僧がボサツである。

お経の話 渡辺照宏

お経の話 (岩波新書)

お経の話 (岩波新書)

華厳経維摩経法華経密教経典などについて。

日本仏教のこころ 渡辺照宏

ざっと言って道元への評価が高い。

宗教で読む戦国時代 神田千里

宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)

宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)

キリスト教が戦国時代どんな風に日本へ布教したかについて。宣教師たちから見た仏教があまりにキリスト教に似ていて宣教師たちがたまげるさまがいい。

信長たち世俗支配者としては、穏やかに布教する限りはどんな宗派もオッケーだが異教を排撃する攻撃態度だとノーだ、キリスト教は異教排撃の態度が強かったから秀吉や家康により禁教となったのだ、という神田千里の理解は、そういう側面は確かにあるだろうけど俗流な理解に終わっているんじゃないかと感じる。

空海の思想 竹内信夫

空海の思想 (ちくま新書)

空海の思想 (ちくま新書)

読者を馬鹿にしている感があちこち見えて、自己満足だけで書かれている感があり、面白くない。

5

キャンプ場組合の旅行から帰宅して数日、霊感というか霊告があり、俺に憑いていた幸運やら強運やら守護霊やらそういうたぐいのものが我が娘に移行したようだ。

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2016-10-29

kamayan2016-10-29

[][]「湖のひみつ」、エレキング 00:51 「湖のひみつ」、エレキングを含むブックマーク 「湖のひみつ」、エレキングのブックマークコメント

1

ツイッターで風上旬という人がウルトラ怪獣擬人化計画のマンガを描いているということを知った。知ったのでフォローしていた。フォローしてだいぶ経ってから、どういうマンガなのかamazonで評判を見てみた。風上旬ウルトラ怪獣擬人化計画は高評価で、それ以外のウルトラ怪獣擬人化計画はそうでもないと知った。

2

円谷の怪獣擬人化計画は複数あり、擬人化計画というよりは萌えキャラ化計画で、萌えキャラ化のデザイナーラインも円谷ラインと別ラインがあるらしくて、風上旬はPOPという人の萌えキャラ化ラインを漫画化したようで。で、POPという人はどういう人なのかというと「もえたん」の人だそうで。え? 「もえたん」? それを読んだことはないが口をつぐむべきという作法ははてなブクマから教わった。

3

風上旬版『ウルトラ怪獣擬人化計画』を購入する前に、アニメ『怪獣娘http://kaiju-gk.jp/anime/を見てみた。まあまあ面白かった。そのアニメの存在も風上旬のツイッターで知った。

アニメ『怪獣娘』がまあまあ面白いのなら漫画版にも金を出していいだろうと思って風上旬版『ウルトラ怪獣擬人化計画』を購入した。この漫画はすげえ面白かった。風上旬氏は原典へのリスペクトの深い漫画家で、萌え記号のセンスが良いと感じる。

風上旬版『ウルトラ怪獣擬人化計画』は女子高生に転生したメフィラス星人を主人公とし、同様に女子高生に転生した怪獣たちとの生活を描いている。副主人公はエレキングメトロン星人とテンペラー星人だ。

ウルトラ作品中最も知性的に際立ったメフィラス星人を読者視点とすることで、読者がツッコミしたいところを主人公であるメフィラスがツッコミするのが自然となっている。メタ視線をメフィラスが持つことが不自然ではない。

風上旬の偉いところは、原典への言及が不自然でない程度に、初見の読者・ウルトラの原典を知らない読者がついてこれる程度に「原典ではメフィラスはこういうエピソードでした。メトロンはこういうエピソードでした」と説明をしていて、その説明自体がギャグというかユーモアのネタとして昇華されているところが偉い。

風上旬版『ウルトラ怪獣擬人化計画』の主人公・読者視点はメフィラスだが、ヒロイン役はエレキングだ。

知的生命たる宇宙人、それも人類を超える知的生命である宇宙人と、その使役動物(家畜)な怪獣が、擬人化女子高生という同じ地平で同じ萌えキャラとして違和感少なく成立させている力業がすごい。

4

で、そのエレキングが富士五湖に来る話が風上旬版『ウルトラ怪獣擬人化計画』の中にあり、エレキングが「ここ! 私が育った湖だよーっ」と叫ぶシーンがある。

え? エレキングって富士五湖で生まれたの? だとしたら円谷と組んで「エレキングの里」みたいな売り方を観光業でできないかな、と思って原典ウルトラセブン『湖のひみつ』を確認してみた。

5

原典の作中ではエレキングは「木曽谷吾妻湖」に生まれ育ったことになっているが、木曽谷吾妻湖というのは実在しない地名だ。

撮影現場は西湖なので、「西湖」の反対「東湖」→「吾妻湖」というネーミングになったのかもしれない。

幼生エレキングを釣ったシーンはたしかに西湖なようだが、『湖のひみつ』全編はむしろ川のシーンが多く、こんな川は富士五湖には存在しない。webで検索したら川のシーンは青梅での撮影なようだ。

http://doguuchan.jugem.jp/?eid=66

http://members.jcom.home.ne.jp/qqq7/kawa.htm

http://members.jcom.home.ne.jp/ryuq/mizu.htm

上記検索していたらウルトラマン9話電光石火作戦が西湖キャンプ場をロケ地にしたと書いてあって、西湖キャンプ場オーナーとはわりと親しいこともあって、ほおお、そおなんだあ、と感じ入った。西湖キャンプ場は現在は営業していない。

6

ウルトラマンの撮影にしろ、ウルトラセブンの撮影にしろ、1965-1967年頃の撮影のはずだが、西湖は1966年根場地域の大災害があって、そんな大災害の前後というかたぶん直後に撮影があったのは「撮影で支援、宿泊で支援」的な何かが当時もあったのかなとか思う。

7

11/3追加

http://www.nicovideo.jp/watch/sm29656884

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2016-10-28

kamayan2016-10-28

[]英雄アフガーニー略伝、19世紀最大のムスリム改革者 18:24 英雄アフガーニー略伝、19世紀最大のムスリム改革者を含むブックマーク 英雄アフガーニー略伝、19世紀最大のムスリム改革者のブックマークコメント

タミル・アンサーリー『イスラームから見た「世界史」』455p〜491pから、英雄アフガーニーについて以下抜粋する。

第十三章 改革運動  西暦1737〜1918 

イスラームの改革と復興への三つのアプローチ

18〜19世紀、オスマン帝国後期から、イスラム世界は西洋文明に押され、ムスリムは自己改革を迫られるようになる。

イスラムの改革運動は大きく三分類できる。

1;ムスリムがなすべきことは、西洋の影響を排して、原初の純正なイスラームを復活させることである。 → サウード-ワッハーブ同盟〔原理主義的方向〕

2;ムスリムは迷信を一掃し、科学や世俗的な活動と両立しうる倫理体系としてイスラームを見直し、信仰を西洋式に近代化すべきだ。 → 代表人物サイイド・アフマド〔世俗主義近代主義、欧化主義〕

3;ムスリムは真の宗教だが、西洋の科学技術を吸収しなければならない。ムスリム独自のやり方で近代化ができる。科学はムスリムの信条と両立する。近代化は必ずしも西洋化ではない。 → 代表人物アフガーニー〔イスラーム主義者の近代主義、「和魂洋才」的方向〕

サイイド・ジャマールッディーン・イ・アフガン(アフガーニー)

アフガーニー〔1839年-1897年〕は19世紀最大のムスリムの改革者だ。アフガニスタン人はアフガーニーをアフガニスタンのアサダーバート町出身だと主張する。イラン人はアフガーニーはイランのアサダーバート町出身だと主張する。

今日のムスリム諸国政府の多くはアフガーニーを極めて高く評価している。が、生前はいずれの政府も彼を厄介者とみなして国外に追放した。

アフガーニーは18歳前後でインドへ行った。マッカ巡礼中インドの大反乱(セポイの乱 1857-1859年)が起き、急遽インドへ戻った。イギリスによる報復行為を目撃した。植民地主義への反感を終生抱いた。

アフガニスタン

バーラクザイ朝国王の信認を得て長子ムハンマド・アーザムの家庭教師に雇われた。アーザム王子に改革主義的思想を叩き込んだ。アーザムの治世は短かった。従兄弟がイギリスの支援の下、アーザムを王座から追放した。アーザムはイランに亡命し没した。アフガーニーは小アジアへ渡った。

小アジア

コンスタンティノープル大学で講演を行なうようになった。ムスリムは近代科学を学ぶ必要があるが、同時にイスラームの価値伝統歴史を子どもたちに教えなければならない。ムスリムイスラームそのものの中にイスラーム流の近代化に不可欠な要素を一つ残らず見出すことができる。このメッセージは好評を博した。オスマン帝国政府高官になることも夢ではなくなった。

アフガーニーはウラマー〔イスラム法学者たち〕を科学の遅れの元凶として激しく非難した。有力な宗教指導者たちはアフガーニーを敵視し、結束して彼を国外に追放させた。1871年、アフガーニーはエジプトに移住した。

エジプト

アフガーニーはアズハル大学で学生に講義し講演した。

アフガーニーは裕福な有力者たちの腐敗を批判した。

アフガーニーは議会制民主主義を要求した。民主化は必ずしも西洋化ではないと主張した。イスラーム流民主主義の基盤は、シューラー(合議)とイジュマー(合意)というイスラーム独自の二つの概念に見出した。

最初のシューラーは、第二代カリフのウマルがおのれの後継者を選ぶために設けた少人数の委員会だった。このシューラーは彼らが推す候補者をマディーナのムスリムたちに承認してもらわなければならなかった。当時のムスリム共同体は小規模だった。シューラー民主主義はタウン・ミーティングと同様の直接民主制だった。こうしたモデルをエジプトのような巨大な国にいかに適用するかは別な問題だった。

イジュマー(合意)は、預言者ムハンマドの「わがウンマ(イスラム共同体)は誤りにおいて合意することなし」という言葉に求められる。ウラマー(法学者)はこれをウラマーの合意と解し、その合意へ新たな疑問を呈したり議論することは許されないと主張した。アフガーニーはその適用範囲を広げた。シューラーとイジュマーを根拠に、「イスラームにおいては、臣民の支持なくして統治者は正当性を有さず」とアフガーニーは主張した。

1879年、アフガーニーはエジプトを追放された。インドへ向かった。

インド

サイイド・アフマド(前述)の始めた欧化主義運動をアフガーニーはイギリスにへつらう腰巾着とみなし、公然と批判した。イギリスはアフガーニーを投獄し、国外追放した。パリへ向かった。

パリ

アフガーニーは英語、ペルシャ語、アラビア語ウルドゥー語、フランス語で書いた論説を様々な雑誌へ寄稿した。彼はこれら言語をすべて流暢に操り明晰に表現できた。

当時のフランスではエルネンスト・ルナンという文献学学者・宗教史家が、ムスリムは生まれつき科学的な思考ができないと論じていた。ルナンは中国人は「手先は驚くほど器用だが名誉を重んじる心をまったく持ち合わせていない人種」であり、ユダヤ人は「不完全」であり、「黒人」は畑を耕しているときが一番幸せであり、ヨーロッパ人は生まれながらの主人と兵士であり、それぞれの人間が「そのためにつくられた」ことだけをしているなら、世界は万事うまくいくだろう、と述べていた。

アフガーニーはソルボンヌ大学でルナンと史上名高い、少なくともムスリムのあいだではよく知られた論争を行ない、イスラームはキリスト教ほど「科学的」でないように見えるだけで、それはイスラームのほうがのちに創始されたがゆえに、キリスト教よりいくぶん発達が遅れているからに過ぎないと主張した。

パリ滞在中、アフガーニーはエジプト人の弟子ムハンマド・アブドゥとともに『固き絆』と題した新聞・政治評論誌の発行を開始した。一八号までで資金が尽き停刊した。が一八号までで「汎イスラーム主義」と称される信条の核心部分を確立した。彼は以下のように言明した。当時のさまざまな局地的紛争は別個の闘争ではなく、イスラームと西洋という二つの地球規模の存在が繰り広げている大きな闘争なのだ。アフガーニーは史上初めて、イスラームと西洋という二つの言葉を同格のカテゴリーとして、歴史的に対立するカテゴリーとして用いた。

この頃短期間、アメリカも訪れた。その後ロンドンへ向かった。

ロンドン

ウィンストン・チャーチルの父ランドルフ・チャーチルなどイギリス政界指導者たちと何度か会い、イギリスのエジプト政策について議論した。

この間ドイツも訪れ、ロシアの首都サンクト・ペテルブルグにもしばし滞在した。

『固き絆』が停刊となったため、ヨーロッパにとどまる理由がなくなり、ウズベキスタンへ移動した。

ウズベキスタン

ロシア皇帝統治下にあるムスリムクルアーンを広めるため、帝政ロシア政府当局と交渉しクルアーンを出版する許可を得た。中央アジアでは過去何十年も手に入らなかったイスラーム文献を翻訳出版して普及させる許可も取り付けた。こうした努力が実って、中央アジア全域でイスラームが復活した。

アフガーニーはこの地で久しく暖めてきた構想に肉づけをした。ムスリム諸国が自力で独立した生存権を獲得するためには――ロシアと提携しイギリスに対抗し、ドイツと提携しロシアに対抗し、英仏と提携してロシアに対抗するというように――ヨーロッパ列強間のライバル意識を利用する必要がある、というものだった。かかる構想は20世紀に国際的「非同盟運動」の中核戦略として現出した。

1884年にアフガーニーはイランに移った。

イラン

イランでは司法制度改革を目指したため、地元ウラマー(イスラム法学者)と正面から対決することとなった。事態が紛糾しアフガーニーは中央アジアに逃げ帰った。

1888年、イラン王ナーセロッディーン・シャーが宰相としてイランに戻るようアフガーニーに要請した。イラン国王は臣下のウラマーとの権力闘争で進退窮まっており、アフガーニーの「近代主義」が国王の大義を救うと期待した。

アフガーニーは王の特別顧問としてイランに戻った。

それにもかかわらず、アフガーニーは国王その人と王が植民地主義列強に経済的「利権」を売り渡していることを非難するにいたった。

アフガーニーのイラン滞在中、タバコ利権を入札なしにイギリス投機家に譲渡したという利権売渡の最悪の事例が出来した。

アフガーニーはタバコのボイコットを呼びかけた。これはのちにさまざまな地域に多種多様な政治活動家、インドのガンディーなど、が採用することになる戦略の嚆矢となった。民衆はイランの通りという通りでシャーに抗議するデモ行進を繰り広げた。

アフガーニーの手紙に刺激されたシーア派最高指導者はタバコ使用の禁止教令を発した。

シャーは軍隊をアフガーニーの家に派遣し、国境まで彼を連行させた。アフガーニーは1891年イスタンブルへ向かった。

イスタンブル

オスマン帝国のアブデュルハミト2世〔34代スルタン〕はアフガーニーに家と固定給を与えた。

アフガーニーは教育と執筆と講演に従事した。イスラーム世界のあらゆる地域から、知識人や活動家が彼のもとを訪れた。

この偉大な改革者は彼らに対して、イデュティハードすなわち「自由な思考」こそイスラームの最も重要な原理であるが、自由な思考はクルアーンハディースムハンマドの言行録〕に基づく根本原理から出発しなくてはならないと説いた。

ムスリムはすべて男女にかかわらず聖典と啓示を独自に解釈する権利をもつが、共同体としてのムスリムは啓示に埋めこまれた諸々の根本原理を体得しなければならない。

ムスリムが犯した大きな過ちは――それがムスリムを弱体化させる原因となったのだが――西洋の教育制度や社会慣習を信奉する一方で、西洋の科学に背を向けたことだ、とアフガーニーは主張した。

ムスリムはその正反対のことを実行すべきだった。つまり、西洋の科学を信奉しつつ、西洋の教育制度と社会慣習には門を閉ざすべきだったのだ。

1896年イラン学生がイラン王ナーセロッディーン・シャーを暗殺した。イラン政府はこの事件の責任をアフガーニーに負わせ、イランに引き渡すようオスマン帝国に要請した。

オスマン帝国アブデュルハミト2世はイランの要請は拒否したがアフガーニーを自宅軟禁した。

この年、アフガーニーは顎の癌に侵された。ウィーンで治療を受ける許可を求めたが、スルタンはこの要望を却下し、侍医をつかわし治療に当たらせた。この宮廷医は癌を治療すると称してアフガーニーの下顎を取りはずしてしまった。

アフガーニーは1897年3月に亡くなり、小アジアに埋葬された。その後、彼の遺体はアフガニスタンに移送されて、改めて埋葬された。彼の墓はアフガニスタンのカーブル大学キャンパス中心部に置かれている。

アフガーニーは指導者として公式の称号や地位を得なかった。軍隊を持つこともなかった。いかなる政府においても正式な官途に就かず、政党を創設することもなかった。使用人も部下ももたず、彼から命令される立場の人は一人もいなかった。

アフガーニーはまとまった数の著作を残さなかった。

アフガーニーは純然たる論客であり、民衆扇動家であり、反逆者だった。

それでいながら、彼はイスラーム世界にとてつもなく強烈な影響を及ぼした。それは彼の「弟子たち」のなせる業だった。彼はある意味で預言者のように行動し、そのカリスマに満ちた強烈な個性が彼の赴く先々で導火線に火をつけた。

弟子のムハンマド・アブドゥはアズハル大学学長になり、エジプト屈指の宗教学者となった。彼はアフガーニーの近代主義思想を練り上げて体系化した一連の書物を著わした。

アフガーニーの弟子ザグルールはワフド党を結成した。ワフド党は民族主義政党に発展し、エジプトの完全独立を目指す広範な大衆運動を指導した。

スーダンでは宗教指導者となったアフガーニーの弟子ムハンマド・アフマドが「マフディー〔救世主〕」宣言を行い、民衆の支持を得てイギリスに激しく抵抗した。〔マフディーの反乱〕

イランではタバコボイコット運動によって一群の活動家が生まれ、20世紀の立憲運動を推進した。

アフガーニーはアフガニスタン生まれでトルコ在住の知識人、マフッムード・タルズィーにも感銘を与えた。たるズィーはアフガニスタンに帰国し、アフガーニーに倣って、王子アマーノッラーの家庭教師になった。王子はやがて近代主義を奉ずる国王となった。アフガーニーの誌から22年後、イギリスからの完全独立を達成し、アフガニスタンを主権国家と宣言した。

アフガーニーの弟子にも弟子たちがいた。弟子から弟子へと伝えられるにつれて、その信条やメッセージは変化していった。ある一派は過激な政治的立場をとるようになり、別の一派は民族主義を志向した。また、ある一派は開発至上主義を奉じるようになった。

ムハンマド・アブドゥの弟子でシリア人の神学者ラシード・リダーは、イスラームを国家の基礎に据えるための理論を練り上げた。

やはりアフガーニーの知的子孫とみなせるのが、ムスリム同胞団を創設したサン・アル・バンナーだ。

アフガーニーという、情熱と機知に富んだ人物の影響は、彼が慌ただしく彷徨したイスラーム世界の隅々にいたるまで、今日もなお響き渡っているのである。

イスラームから見た「世界史」

イスラームから見た「世界史」

関連

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20130403/1365011432

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20130407/1365289368

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20130407/1365289368

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20130407/1365337682

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