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紙屋研究所


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2016-07-25 ぼくも7kg痩せたが… 『モリタクの低糖質ダイエット』

森永卓郎『モリタクの低糖質ダイエット ぶっちぎりのデブが4カ月で19.9kg減!』



ぼくの場合 7kgダイエット

 引越しをしてからも元の住所のところに行ったりする。

 数ヶ月ぶりに会った人たちから「紙屋さん、痩せました?」と必ず聞かれる。病気ではないか、とかガンではないかとも言われる。

 ちょうど引越しの頃からダイエットをして、現在まで続いているが、約7キロほど痩せたからである。最高61kgあった体重は現在54kgほどでだいたいキープしている。体脂肪率は風呂上がりに20%前後だったものが14%くらいで落ち着いている。この水準に落ち着いたのはすでに3か月以上前であり、現在は安定的に推移している。


 もともとそんなに太っては見えず、「中肉中背」という印象があったので、なぜダイエットなどしたのだと聞かれるのだが、簡単に言えば職場の健康診断の数値が悪かったからである。1回悪かったというのではない。毎年中性脂肪コレステロールの値が基準を超えており、必ず再検査を診断される。職場でもそういうデータを明かすと「痩せてるっぽいのにw」と笑い者になっていた。

 加えて、肝臓の値が悪くなっていてびっくりした。

 日常的には酒はほとんど飲まないので、肝炎とかガンではないかと心配したのだが、検査の結果それはなくて、どうも非アルコール脂肪肝(NASH)ではないかという疑いがかかった。エコーをとると、肝臓がうっすらと白い。「フォアグラみたいになっているんですよ」とよく行く内科の医者は言った。

 それに加えて、尿に時々血が混じるらしい。「腎臓に小さな石ができ始めていますね。アブラものばっかり食べてるせいでしょう」と担当の医師は言う。「このままいくと尿路結石です」という警告を受けた。

(あと、時々健診で尿に蛋白が出ていたのだが、これは前日だけ禁欲すれば出ないのではないかと思い、そうしたらてきめんに改善した。)


 医者はアブラとカロリーを控えて、野菜や魚を取るようにしてほしいという常識的な意見を述べた。

 ぼくは中性脂肪コレステロールが基準値を超える程度なら、まあだましだましやればいいかと思っていたのだが、肝臓の値が悪くなるにいたってはやばいと思うようになったのである。


 非アルコール脂肪肝については何をすればいいですか、と担当の医者に聞いたら、「うーん、まあ市販脂肪肝対策の料理本買ってきて2〜3冊も読んで実践されるといいですよ」といったので、その通りにした。


ぼくの3つの指針

 ぼくがよく読んだのは『脂肪肝・NASH・アルコール脂肪肝の安心ごはん』(女子栄養大学出版部)と『これならできるコレステロール中性脂肪を下げるレシピ 』(新星出版社)だった。

 とくに『脂肪肝・NASH・アルコール脂肪肝の安心ごはん』はわかりやすかった。


 そこで得た方針は、

  1. カロリーを1日1500kcal(最大1800kcal)にコントロールすること
  2. 「黄・赤・緑」のバランスを崩さないこと
  3. 野菜を350g/日取ること

の3つだった。


脂肪肝・NASH・アルコール性肝炎の安心ごはん (食事療法はじめの一歩シリーズ) この『脂肪肝・NASH・アルコール脂肪肝の安心ごはん』には、「炭水化物は適切な量をとる」という項目があり、低血糖は重大な問題を引き起こすことがあると警告した上で、

炭水化物だけを悪者にする最近はやりの低炭水化物ダイエットには、注意が必要。日本で肥満糖尿病が急増した時代には、炭水化物の摂取量はむしろ減少しています。問題は脂質のとりすぎなのです。(『脂肪肝・NASH・アルコール脂肪肝の安心ごはん』p.22)

としている。

 上記の指針のうち、「1日1500kcal」を続けるためにはかなりの工夫と改善が必要になった。もっとも重要な点はおそらくここだったのだろう。

 朝は、どんぶりに野菜(冬だったので、白菜・ネギ・キノコ・わかめが多かった)と鶏肉(ササミ)を50gを入れてモチを一つ(110kcal)だけ入れるという食事が続いた。スープは味噌。つまり雑煮というか味噌汁というか。そして汁はあまり飲まなかった。

 昼は、こぶし2つほどの温野菜(というか、もう事実上煮てしまってある)を弁当箱に入れて持って行き、おにぎり1つと納豆1杯にした。これだけだと腹が減るのでフルーツを少し食べた。りんごなら半分(1日150g)。

 夜はどんぶりに温野菜を入れてポン酢とか低カロリーのドレッシングなどで食べた。これに、ごはんをミニ茶碗1杯、レシピ本で自分用に低カロリーのものを用意した。『脂肪肝・NASH・アルコール脂肪肝の安心ごはん』に載っているが、例えば「鶏肉ときのこの和風マリネ」は257kcal(鶏肉はモモ100gで脂質は14.5gとされている。しょうゆ、みりん、酢で味付け)。

 間食は根絶した。その代わり、腹が減るとコーヒーを飲んで気分を紛らわせた。

 また、夜は少し物足りなく感じるようになり、ノンアルコールビールサントリーの「オールフリー」)を1本(350ml)飲んだりした。炭酸なので、1本だけ晩酌するだけでも腹がいっぱいに感じるようになった。また、日によってはノンアルコールでなくアルコールを飲んだ(ビール1缶、もしくは日本酒は0.5合)。飲む日が週に4日、飲まない日が3日ほどであろう。


ぼくの場合は何が変わったのか

 これらの食事によって劇的に変わったのはまずカロリーだった。

 かつては総カロリーはおそらく2000kcal行っていたに違いない。

 特に、間食の根絶は大きかった。職場にお菓子が置いてあるのだが、会議の間や午後の作業の合間にクッキーだのチョコだのを食べていた。これをもう一切食べないことにした(職場で2ヶ月に1回くらいのペースで誰かの誕生日にショートケーキが振る舞われるのだが、それは食べることにした)。夜食はもう以ての外ということになった。月に1回程度飲みに行くことはあったが、その日は「解禁」ということで夕食は抜いて飲みに行った(その際にもまず野菜をつまみとした)。

 3食のうち、ごはん(米飯)の量が大きく減った。ご飯・お餅がだいたい1食150kcal、ミニ茶碗1杯ほどになった。それまでは1食でミニどんぶり1杯でどうかすると2杯食べていたり、家族の残りを「処理」していたので、うーん、ご飯を1食400kcalくらい食べていたものが大幅に減ったのである。

 肉の量はそれまで平気でブタ(アブラ身の多い切り落とし)を1食200gくらい食べていたかもしれない。それをトリのムネ肉やササミを中心に60g、多くても100gほどに変えた。

 果物についても警戒するようになった。思えば、果物はかなり問題のある取り方をしていた。朝、ビタミン補給するという口実でバナナを何本も食べたり、実家から送ってくる、糖度の高いメロン、リンゴ、ナシ、ブドウ……などを1日にたくさん食べた。家族があまり食べない上に、ぼく自身は無類の果物好きなので、1日数百gとっていた可能性があった(リンゴだと2〜3個)。これを「1日150g」に制限した。「昼休みの楽しみ」程度のものにしたのである。

 野菜をまったく食べていなかった食生活が激変した。どんなことがあっても野菜を食べるようになり、忙しくて弁当が持っていけない時は、昼休みにコンビニでサラダとおにぎりと納豆(もしくは蒸し鶏)を買って食べるようにした。ただし、野菜ジュースでの摂取はほとんどしなかった。糖度が高いと思ったからである。


 この方式で体重と体脂肪率はみるみる落ちていった。

 お腹が劇的にヘコんだ。ただし、久々に会った人の中には「肩や胸がげっそりした」という人もいる。また、一見して「痩せた」という言葉が多くの人から漏れるのは、顔つきがいかにも「痩せた」となったのであろう。ぼくのつれあいは日常一緒にいるのでこうした変化には気づかず、周囲のそうした反応にむしろ驚いていたほどであった。


 ぼくが一番警戒したのは、一つには、筋肉や骨などを退化させていないか、ということであった。野菜と少量の炭水化物だけになったら、老人のようになってみるみるやせ衰えてしまう、という危惧だった。そこでたんぱく質の必要量は意識的にとろうとした。

 他方、それ以外の点でも思わぬ危険な落とし穴にハマっているのではないかという不安がいつもあった。本人はいい気になってダイエットしていて、取り返しのつかない疾患を促進させる方策をしていた……などということにならぬようにしたかった。


ぼくが警戒していること

 一応医者に聞いて始めたことではあったが、何か一つの判断(例えば「肉はよくない」というイメージが肉の摂取を絶たせてしまい、その結果筋肉が衰える、というようなケース)が重大な偏りをもって自分の中で増幅されてしまうことはままある。3ヶ月後に一度自主的な健康診断を受けてみることにした。

 すると、体重はもちろん、中性脂肪コレステロール肝臓の諸数値も本当に驚くほど改善され、すべて基準値内に収まった。特に肝臓平均値に戻った。

 結果を見た担当医が「これは見事ですねえ」と感嘆の声をあげた。「まあ、大体の人は処方はわかっているんだけど、実践できないんですよね。よくここまでやりましたね。すごいですね」と手放しでの礼賛である。


 ただ、この医者は、例えば筋肉が落ちていないか、他に影響が出ていないか、そういうことについてトータルに診てくれているわけではない。意外な影響が出ているかどうかはまだ分からないというのが本当のところである。

 ぼくは、このまま体重を落とし続けるのは危険だと思ったので、少しだけ規制を緩めた。

 カロリー内であれば、アブラっぽいものを食べるようになってしまった。結局中性脂肪が高く、肝臓がやられていたのは、脂質が多かったという以上に、炭水化物糖質を中心にカロリーを摂り過ぎていたせいではないかと今では考えているからである。

 総摂取カロリー量も少し増やした。今1800kcalくらい行っているのではないか。また、土日はよく外食している。家でサラダなどを食べた後に回転ずしに行き、8〜9皿とノンアル1本か日本酒1合を飲む。

 ただし、野菜を大量に食べることとと、間食はしない、食べてすぐ寝ないなどの基本線はそのままにしている。

 こうした規制緩和の結果どうなったかというと、自主的な中間健診をしてから数ヶ月経ったが、体重(53〜54kg)も体脂肪率(12〜15%)はそれ以上下がりもせず、上がりもしなくなった。この範囲の規制緩和でも問題ないということなのだろう。

 ただ、もう一度現時点で、医者に行こうと思っている。アブラ(脂質)にやや甘くなった分だけ、肝臓腎臓などの数値が悪くなっている恐れがあるからだ。



 かつて幕内秀夫の本をいくつか読んだ時、「和食の粗食が良い」という認識でいたのだが、結果的にご飯を食べ過ぎていたのと、(これは幕内としても全く容認しがたいものであろうが)果物と間食がやめられなかった。幕内はカロリー制限に大きな意味を見出していないのであるが、カロリーを制限しないとダメだという認識に至るようになった。

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森永のような人がやるには非常に危険であることをまず認識を

モリタクの低糖質ダイエット  ぶっちぎりのデブが4カ月で19.9?減! (SB新書) さて、ようやく森永卓郎の本書である。

 本屋で表紙に度肝を抜かれた買った(後でkindleで。すいません)。度肝を抜かれたんだけど、この痩せ方は岡田斗司夫の時と違って、一瞬不健康に見えた。いやあまり意味のない、ホントただの印象なんだけど。

 ぼくが主にカロリー制限によるダイエットだったのに対して、森永ダイエットは徹底した糖質カットである。

 読み終わって、肥満糖尿病になり合併症になりかけていた森永がやるダイエットとしては相当に危険なものだという感想を持った。本書にくどいほど書かれているが、医者のアシストなしに森永的状態の人がこの低糖質ダイエットをやるのは危険極まる。

 森永は、運動もあわせてやっているのだが、糖尿に起因する眼底出血を抱えたまま無理な運動をしていると、大出血を起こす危険がある。そのことは本書にも書いてある。

 森永は徹底して専門家の指導に従っていた。

 まずこの点は本書に何度も書かれ、巻末には専門家(医者)からの意見まで添えてある。そういうものだということをまず知っておく必要がある。


本書の楽しみ方

 その上で、健康体の人が取り組むダイエットとして、モリタクダイエット体験を参考にし、また読み物として楽しむ、というのが本書のただしい読み方だろう。


 本書はモリタクがかつて、というかこのダイエットに取り組むまで、1日5食、コーラなどをガブのみ(清涼飲料水=砂糖水を1日5リットル)する無茶苦茶な生活を送っていたことがかなりの分量で書かれている。

 ダイエットだけを知りたい人にはこの部分は余計かもしれないが、モリタクという有名人の日常を知るには、ぼくにはむしろ興味深かった。


ぼくのダイエットと比べて

 脂質やたんぱく質の制限でなく、糖質ダイエットの仕組みは簡単に言えば次の通りである。

食べてカロリー(エネルギー)になるのは糖質、脂質、タンパク質という3大栄養素ですが、このうち血糖値を上げるのは糖質だけです。脂質やタンパク質をいくら摂っても、血糖値が上がることはありません。……糖質オフすると、肥満ホルモンとして振る舞うインスリンの過剰な分泌が抑えられます。それにより体脂肪の分解がスムーズに進み、過剰な血糖から体脂肪を蓄えるルートが遮断されるため、痩せやすくなるのです。/砂糖のように吸収が早くて血糖値が急激に上がりやすい糖質を摂りすぎると、追加分泌されたインスリンの働きで、血糖値が急激に下がります。血糖値が下がりすぎるとお腹が空きますから、間食をしたくなるというわけです。(本書kindle版No.600-609)

 ぼくがやったのはカロリー制限によるダイエットだったわけだが、思うに、ぼくのダイエットも、明らかにこの糖質ダイエットの要素が大きく働いていたと思う。ごはんやパン、果物が3食からかなりカットされるとともに、間食をしなくなったので、インスリンの過剰分泌が抑えられ、体脂肪の分解が進んだということが考えられるからである。


 とはいえ、森永もカロリー制限はしているのである。

 そもそも森永は1日5食で5000kcalもとっていたので、これを3食にして標準化したので摂取カロリーが制限されたからである。

 しかし森永はこれを「カロリー制限」とはしていない。

摂取カロリーが減るといっても標準的なレベルに近づくだけですからカロリー制限とは呼べません。(本書kindle版No.691)

 カロリー制限という看板にしたくないのは、それを聞くだけで「あ、無理」と思ってしまう人が多いからだろう。

 「病院で出るような粗食中の粗食を食わされストレスを蓄積させてリバウンドの要因を溜め込むんじゃなくて、できるだけ食べたいものを食べて、ストレスなく痩せたい」という虫が良すぎるダメ読者の気持ちにそっと寄り添うためである。


タンパク質の扱い

 3食にした上で、森永方針は、「量を減らすよりも質を変える」(本書kindle版No.745)だ。

 森永方針で面白かったのは、豆腐を主食にしていることであった。

痩せやすい体をつくるには、筋肉の分解を防ぐため、肉や魚、豆腐や納豆などの大豆食品などタンパク源の摂取を重視します。(本書kindle版No.833)

 やはり、筋肉の分解を防ぐためにタンパク質は意識して取らないとダメなのかと再認識させられた。

豆腐は安い、タンパク質が豊富、低糖質と3拍子揃っているうえに、味わいが淡白なのでご飯代わりになります。低糖質ダイエット中、私の主食は豆腐でした。(同前)

 加えて、

牛乳は身近なタンパク源ですが「乳糖」という糖質が多いので、低糖質ダイエットでは避けるべきです。(本書kindle版No777)

という記述があり、牛乳というものの特質を知った思いがした(単純に忌諱したわけではない)。


 結論的に言えば、量よりも質を変える=糖質を避けるという方針は、何に糖質が含まれているかを知る必要があり、少し面倒くさいという感じがした。

 むしろ、総カロリー制限をした上で、3栄養(赤・黄・緑)をバランスよく食べるという指針の方がわかりやすい気がした。わかりやすいというのは続けやすいということである。ただし、それをやっていくと自然と糖質のカットに踏み込むことになり、着地点はそれほどお互いに遠いものではなかった。


運動については?

 ところで運動はしないのか、ということを思うかもしれない。

 森永は相当慎重にではあるが、トレーナーをつけて運動もやっている。

 うーん。結局痩せるかどうかは、あまり特別な運動は関係ないのではないか。よほど目的意識的・科学的なトレーニングをする場合は別だが、素人判断でやるのは効果がないどころか危険である。食事改革で減るダイエット量の比ではない。


 ただ、日頃から体を動かすことにしておくに越したことはない。

 それゆえに、ぼくは1駅歩くのと、職場でも家でも途中でもエレベーターは使わないようにしている。10階以上、5階以上を毎日階段で上り下りしている。「そんなこと言って、時々は使うんでしょ?」という人がいるかもしれないが、ほぼ使わない。10階以上に上がってきて忘れ物に気づき、1階に降りて、また昇るときでさえ階段である。

2016-07-16 『主婦でも大家さん』『大家さん10年め。』『大家さん引退します。』

東條さち子『主婦でも大家さん』『大家さん10年め。』『大家さん引退します。』



投資は目的と必要額のために行うもの

 何のために投資をするのか。

 子どもの将来の学費を貯めるためとか、老後の不安とか、そういう生活上の具体的な目標がある場合は、本当ならその額をはっきり決めて、その額を得るために投資をするのがよい。

 うぅ、だけど、基本はそのお金は節約で貯めるのが一番手っ取り早いし確実じゃないのか。投資分で儲ける分なんて、ホントにあてにならないと思うけどね。「『節約で貯めたお金をどう運用するか』っていう設問だから、銀行預金じゃなくて投資なんだろ」という話かもしれないけど、この前提自体がワナ。そんなもん大して変わらん。「馬鹿だなあ。こんなに変わるんだよ」という説明を持ってこられるかもしれんのだけど、仮にうまくいって20年くらいで数百万円の差が出たとして、それが一体なんだというのか。必要なお金が溜まったかどうかが大事なんじゃないのか。20年後に銀行預金で必要なお金が貯まるのなら、それでいいではないか。

 必要だと思い定めた額を超えてお金を貯めることには意味はない。

 それでリスクをとるのは、馬鹿のやることではなかろうか。

 「あー、そういうこと言って、スズメの涙の利息しかない銀行預金に預けて、もし株に投資したらン百万円プラスしたかもしれん額を損失するわけですなあww」。みすみす数百万円をドブに捨てているような錯覚に襲われて、必要な額を手に入れるという当初の目的を見失い、そういうものに走ってしまうのである。*1


全面改訂 超簡単 お金の運用術 (朝日新書) いやまあ、例えば投資について、山崎元『全面改訂 超簡単 お金の運用術』とか『難しいことはわかりませんが、お金の増やし方を教えてください!』(大橋弘祐との共著)を読むと、国債買うか、せいぜいインデックス投資信託株価指数に連動したいろんな会社の株をおりまぜた商品)にしとけばいいんじゃない、という提案があって、それは感覚としてわかる。

難しいことはわかりませんが、お金の増やし方を教えてください! 日本経済がこれから10年くらいは年率2%くらいの名目成長をするから、んーまあ、いろんな株をおりまぜて10年くらい放っておいたら年率で2%くらいは儲かるんじゃない? というような大雑把な感覚がぼく自身にもあるからだ。「買った投資信託はずっと持っておき、いざというときに備える」(山崎・大橋前掲書877/1079)という通りである。短期的な上下は相殺して、長期的にはそういう経済の動向をインデックスは反映してくれるんじゃないの? とは思う。

 だが、まあ、その程度の話なのだ。

 やりたきゃやればいいけど、どちらがトクかみたいな問題ではなく、結局必要な額が手に入れられるかどうかが問題だということを忘れるべきではない。


アパート経営に庶民が乗り出すのは理解を超えている

 それなのに、マンション投資とかアパート経営とか、もうわけがわからない。シロートがこういうリスクや苦労をわざわざしに行くのは一体なぜなのか、と。

 夫はタクシー運転手、自分は主婦漫画家という「ザ・庶民」の東條さち子がそこでアパート経営に乗り出した理由は全く理解不能である。東條のアパート経営コミックエッセイ3部作『主婦でも大家さん 頭金100万円でアパートまるごと買う方法』『大家さん10年め。主婦がアパート3棟+家1戸! 大家さんシリーズ』『大家さん引退します。 主婦がアパート3棟+家2戸、12年めの決断! 大家さんシリーズ』には、その顛末が描かれている。3冊とも買って読んだ(Kindleで安かったので)。はたから見ると、完全にファンである。

主婦でも大家さん 頭金100万円でアパートまるごと買う方法 (朝日コミックス) なぜ東條はアパート経営など始めたのか。

 その動機が1作目『主婦でも大家さん 頭金100万円でアパートまるごと買う方法』の冒頭に書かれている。

もともと『節約』とは無縁だった我が家。(p.2)

で始まる。しかし株はやっていた、と。夫のタクシーの給料は生活費にあてて、自分の漫画の原稿料をそちらにぶちこんでいたというのである。それが、今度はアパートを買い、経営に乗り出した。

どうしてそこまでして大家さんになりたかったかというと……。

  1. おもしろそうだったから
  2. 株に飽きたから
  3. マンガの仕事がヒマで、エネルギーが余ってたから(p.3)

と自嘲気味に書いている。

 老後の資金とか子どもの学費とか、そういう必要なものを得るための方策として始めたのではない、ということである。


大家のツラさ

 『主婦でも大家さん 頭金100万円でアパートまるごと買う方法』というタイトルに象徴されるように、東條はまずお金など用意しねえ。いかに少ない頭金で綱渡りのようにお金を借りて事業を始めるか――こんなヒヤヒヤな瞬間を読まされるのである。

 そして、さらに実際にアパート経営が始まってみると、故障やリフォーム、空き部屋対策などにいかに金が出ていくか、そんなことを考えもしていなかった東條は、泥縄というか、その場しのぎというか、対応に大わらわになる。


 例えば、こうである。

 サブリースという、会社が丸ごとアパートを借り上げてくれるシステムを使い満室家賃の75%(毎月45万円)が15年保障されることになるのだが(他方で月々のローンも45万円)、リフォームの工事が引き渡しに間に合わず、このシステムが作動しない、つまり45万円を自腹切るかもしれないというところに東條は追い込まれる。

 リフォーム工事の会社は全くのんびりしたもので、間に合う間に合うといいながら、東條たちは本当に間に合うのかという不安を抱えたまま、日にちが過ぎていく。

 そして期日が近づいたギリギリの日に、駐車場の下が舗装されていない、ただの土であることが判明し、新たに工事が必要になる。しかも予算には含まれていないのだという。「ギリギリの値段でやるから大丈夫」という業者の言葉を信じたものの、74万円の見積もりを出される……。

 こんな具合である。


大家さん10年め。主婦がアパート3棟+家1戸! 大家さんシリーズ (本当にあった笑える話) 東條は2棟のアパートを経営するのだが(最終的には3棟)、他にも家賃滞納などの「不良入居者」に悩まされる。出て行ったと思って部屋に行ったら、まだいたり、本当に出て行った後に、ものすごい使い方をされていて、リフォーム費用がかさんだり……。


アマゾンカスタマーズレビューでも笑われる

 しなければならない気苦労、折り込まないといけないトラブル・出費、実際になかなか出ない儲け。そういう印象をバッチリ受けた。

 アホだろ、こんなもんやる奴は。


 アマゾンカスタマーズレビューを見ると、そういう意見が結構ある。(強調は引用者)

  下調べという言葉を知らないんだろう、でよくそんな借金する勇気がある。

  これはもう、成功、失敗とかのレベルではなく、頭の悪い無謀な行為だ。

  勉強もせずただ物件を欲しがるだだっこにしか見えない。

  怒りすら感じる

  不動産業をなめないでください。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2UL9X4KQV7CO9/ref=cm_cr_getr_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B00MFM3UG2

笑えないけど笑える。よくここまで何もわからないのにはじめたなぁと感心して笑いました。

事業として参考には全くならないですが

失敗の見本としては、かなりいいとおもいます。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RQNE9S0EUCF58/ref=cm_cr_getr_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B00MFM3UG2

著者はハッキリ言って不動産経営では失敗しています。

不動産屋さんに色んなことを任せて、流されるままに契約していくと食い物にされるかという部分が

非常に参考になります。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R2P3AQBH44SZ85/ref=cm_cr_getr_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B00MFM3UG2

巷の不動産投資本というと、既に成功した人間が書いていたりするので

失敗した話はなかなか表に出てこないように思います。

この本の著者は、言ってみれば不動産投資家としては素人に近い振る舞いで不動産に手を出しています。

おかげで数々のボロを出しているのですが、それが未経験者には貴重な教訓になり得ます。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R33YECQY9T203O/ref=cm_cr_getr_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B00MFM3UG2


実は成功譚ではないのか

大家さん引退します。 主婦がアパート3棟+家2戸、12年めの決断! 大家さんシリーズ (本当にあった笑える話) しかし。

 このように思わせるのが東條のテなのかもしれない。

 青息吐息の東條夫婦の表情や七転八倒のエピソードがこれでもかと誇張されているだけで、実際のところ、トータルの収支が詳細に書かれているわけでもない。何より、最終的に土地を売ることで儲けが出る可能性があるのだ。

 3部作の最後、『大家さん引退します。』では、そのうちの1つを苦労しながらトントンで売るエピソードが書かれ、他の2棟はまだ売れていない状態でシリーズは閉じられている。

 アマゾンのレビューにはこういう評価もある。

失敗談のように書いてますが、実際のところは、大成功した投資体験を書いてます。作者は、超掘り出し物物件(本来なら土地価格だけで5000万なのに、RCの上モノもついて全部で3700万で投げ売りされていた物件)をたまたま見つけて、投資を成功させました。ですが、はっきりいって、こういう掘り出し物はなかなか出てこないです。特に、今は競争も厳しいし、コネもない普通の人には難しいんじゃないかなーと思います。で、これだけすごい物件を格安で入手すれば、大家ビジネスが成功するのは当たり前だという気がします。面白おかしく書いている失敗談も、不動産価格プラスアルファのお金を準備しておくという、不動産投資をする人であれば、ごく当たり前のことをしていなかったから、当初の資金調達に苦労しただけの話です。ですので、当資本〔ママ〕としては役に立たないと思いました。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R21K0OL99M1DPS/ref=cm_cr_getr_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B00MFM3UG2

作者が購入した鉄筋コンクリートの物件は地方といっても大都市郊外にあり、リフォーム代を加えても表面利回り20%近い超掘り出しものでプロも血眼になって探しているものです。作者一家融資の返済を終えると所有の2棟合計で年間900万円近い家賃収入がある不労所得者になり超良好物件を購入できた成功者に間違いありません。ただ不動産取得税等の諸経費と築古物件にはつきもののリフォーム代等の余裕資金を用意しなかったから悪戦苦闘しているだけのことです。この購入価格の1割弱の余裕資金不動産購入にはイロハの常識でそれを忘れてさも破産しかかかったようなストーリに仕立てているのはあまりにもお粗末です。まったく不動産知識のない方ならともかく少しでも知識のある方は購入する価値はないと思います。多くの方が失敗談としての高い評価の点数をつけられていますが実は成功本です。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R5JY1SNIUH16K/ref=cm_cr_getr_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B00MFM3UG2

 細かいことはわからないし、何の根拠もないけども、実際のところはぼくが最後に挙げた2つのレビューの方が、真相に近いのではないか

 東條の別の本、『庶民の娘ですがセレブ学校へ通っています』も、「庶民が無理をしてセレブ学校に行って大混乱した話」として描いているけども、よく読めば「セレブ学校に行って、本当に必要なことだけを学んできた娘」の自慢とも読める。かといって不快ではない。そういう仕掛けだと思って読めばよいからである。

 『夫すごろく』シリーズをはじめとする堀内三佳もそうであるが、本当は自慢話であるものを「失敗談」や「大変日記」みたいにパッケージして読ませるのがこうした女性コミックエッセイストたちの得手なのであろうか

 だから、エッセイコミックとしてはとてもよく出来ている。作品としては面白い。

 

 さて、最初の問いに戻ってみよう。

 何のために投資をするのか。


 マルクスは「目的なんかなくってもGをG+Δにしたいっていうのが資本なんだよ」と言った。何かをするためにもうけるのではなく、自分を増やす、つまりもうけることだけが資本というものの本性なのである。

 アパート経営にしろ、株にしろ、何かの必要(そのための目標額)を稼ぐために、庶民はそれをやるべきなのだ。逆に言えば、漠然とした「もうけ」「もうかる」という理由のためにやるべきではない。

*1:「老後に〇〇万円必要」という話はいろいろある。公的年金と必要額の差額からはじき出した試算としてよく言われるのは「3000万円」である。。公益財団法人生命保険文化センターあたりは「1億円」と言う。荻原博子は「1500万円」だと言う。

2016-07-15 象徴天皇はどうあるべきか 『明仁天皇と平和主義』

斉藤利彦『明仁天皇と平和主義』



天皇明仁問題意識

 天皇生前退位が話題である。

 天皇が訪問できなくても、「調子悪い」って言って寝ておけばいいんじゃないの? 無理していく必要あんの? と思っている人も多かろう。(まあ、それでもいいと言えばいいのであるが。)


 そのあたり、天皇明仁が、象徴天皇というものをどうとらえているのかを知っておく必要がある。

 そこで本書斉藤利彦『明仁天皇平和主義』ですよ。


 『明仁天皇平和主義』が描く明仁像は、彼が日本国憲法に定められた象徴天皇とはどういうものかを模索してきた天皇だというものである。

 斉藤の本書で紹介されている明仁の言葉は、次のようなものである。

象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています。(本書位置No.1495=kindle版の位置情報、以下同じ)


明仁天皇と平和主義 (朝日新書) 「日本国憲法に定められた象徴天皇」ということは、政治への権能を一切持たない身でありながら、ロボットではなく、主体的な意志を発揮しながら憲法の定める平和主義などの価値を体現するという課題である。


 斉藤は次のように述べる。

日本国憲法の定めた自己の権能を厳しく律しながら、明確な意志と目標をもってその公務を実現しようとしてきた。(本書位置No.1492)

 明仁自身がどう育てられてそうなったのかは、本書にも記述があるし、本書が典拠にしている文献にもそれらの記述がある。興味のある人は読むといい。


公的行為の活用が理解のカギ

 憲法第4条には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とある。憲法に定められた天皇としての仕事は「国事に関する行為のみ」だから、ここから出てくる象徴天皇観の一つは「ロボット」ということになる。

 しかし、明仁は、「ロボット」を否定した。斉藤は明仁皇太子時代の次の発言を紹介している。

「儀式などでの言葉は、主催者側の希望を入れなければいけないが、それだけではロボットになってしまう。立場上、ある意味ではロボットになることも必要だが、それだけであってはいけない。その調和がむずかしい」(本書位置No.1471)

 国事行為ロボットであることを脱出するカギは、公的行為であった。

 斉藤は、「天皇の行為として制度的に認められたもの」(位置No.1460)として

  1. 国事行為
  2. 公的行為
  3. 私的行為

の3つを挙げている。

 斉藤は次のように指摘する。

 象徴としての行為は、「公的行為」に分類されるものであるが、それは「国事に関する行為」とは異なり、明文上は内閣の助言と承認を必要としていない。そのことは、憲法の規定と原則の範囲内であれば、天皇の意思を反省させることが可能となることを意味している。ここに、制度的にも天皇の意志が重要な意味をもつ根拠が存する。

 ただし、内閣の助言と承認は不要というものの、「国政に関する権能を有しない」(同第4条)とされている以上、中立性や公平性、非宗教性、非作用性、非政治性などが厳密に貫かれるべきであることはいうまでもない。(本書位置No.1471)

 この斉藤の指摘は、園部逸夫皇室法概論』によっている。天皇平和主義(ガルトゥングのいう積極的平和主義的な意味)を表現する被災地訪問や旧戦地訪問、そこでの談話などは、まさにこの公的行為だとされている。


 ただ、この「公的行為」には憲法の逸脱という批判もある。例えば憲法学者の一人、浦部法穂は「公的行為」概念そのものを批判し否定する。

天皇天皇としてなしうる行為は、憲法に列挙された国事行為だけである。このことは憲法4条がはっきりと定めている。……問題は、天皇が、国事行為でもなく私的な行為ともいえない公的な行為を、現に行ってきていることである。たとえば、国会の開会式への出席と「おことば」、外国訪問、外国原種との親書・親電交換、国務大臣などによる「内奏」(所管事項について天皇説明すること)、国内巡幸、園遊会、正月の一般参賀国体植樹祭そのほかの各種大会への出席、などなどである。……憲法4条の規定の文言からすれば、これらの行為は当然違憲という結論になってしかるべきだ……(浦部『憲法教室 全訂第2版』p.498-499)

 しかしまあたとえば日本共産党でさえ、公的行為そのものは容認する。

私たちは、それ以外のいわゆる「公的行為」について、「国政に関する権能を有しない」という憲法の規定に反するものでなければ、一概に反対するものではありません。たとえば、天皇が大震災被災地を訪問したり、追悼式典に参加することなどを、否定するものではありません。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-04-23/2013042301_02_1.html

 そこに政治的性格を持たせようとすることに、共産党憲法逸脱として反対するのだ。

こういう国事行為以外の天皇公的行為については、政治的性格を与えてはならないというのが憲法のさだめるところなのです。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-12-16/2009121602_01_1.html

 つまりだ。

 これほど論争的性格を持っている領域ではあるのだが、どうにか学界の多数は公的行為を容認し、合憲的な解釈での運用ということになっているのである。

 明仁は、これを活用してきた。

 いわば、憲法を守るという線でギリギリの主体性を発揮するという離れ技を、この公的行為によって成し遂げているのである。



「本来の天皇の在り方としての象徴天皇」という理解

 本書を読むと、明仁が受けてきた教育のうち、例えば慶応義塾大学の学長であった小泉信三が施した「天皇学」の一つとして、イギリスのジョージ5世の伝記があるということがわかる。第一次世界大戦後、ヨーロッパ各国で君主制が崩壊する中で、イギリス君主制が守られたのは「君臨すれども統治せず」をよく守ったからだというのである。

 明仁は、このようなありようを象徴天皇制と重ね、さらに近代以前の日本の天皇の在り方をこうしたものだと解釈し、現憲法の下での象徴天皇制こそ、むしろ天皇としての理想のありようとしてその開拓に苦心した、ということが本書から読み取れる(明治〜昭和前半こそが異常)。


明仁平和主義

 また、明仁が戦争に対する深刻な反省という問題意識を持っていることは、すでに様々な報道で知らされてきたし、本書でもわかる。

 著者の斉藤は、明仁平和主義は、単に戦争のない状態ではなく、人々が「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」した、ガルトゥングの言う「積極的平和主義」(安倍のいう軍事介入主義としてのそれではなく)的なソレであろうと見ている。したがって、被災地訪問のような福祉的な行動も、明仁平和主義の一つだと見なす。

 本書では、東日本大震災の折に、明仁が単に用意された視察に出かけたという受動的な存在ではなく、その前から周到に行政関係者や現場機関担当者から説明を受けて、現地の状況などをつかんだ上で精力的に出かけていることを書いている。

 斉藤が描き出そうとする明仁像は、このように憲法が持っている平和主義の価値を貫きながら、象徴天皇としての役割を開拓しようとしている、というものだった。


なぜ代行や摂政ではダメだと明仁は思うのか

 こうした視点で、明仁を見た場合、まず皇太子などが「代行」として天皇の代わりに行くことはそもそも象徴天皇の「公的行為」ではない、と明仁が考えていることはすぐにわかる。だから、高齢になって公的行為が果たせないというのは、象徴天皇制の根幹に関わるものだろうと考えたに違いない。

 高齢を理由に摂政を置くのはどうか。これなら憲法の精神に合致する。*1しかし、やはり象徴天皇自身が公的行為をすることへのこだわりが明仁にはあるらしい。毎日新聞で、「元側近」が次のように語っている。

陛下皇太子時代、昭和天皇の「名代」として外国を訪問したが、やはり外国にとって「天皇の訪問」とは異なることを実感されたという。摂政や名代としてではなく「天皇」として国内外の人々とふれあうことの大切さを誰よりも痛感なさっているのだろう。

http://mainichi.jp/articles/20160714/ddm/041/040/087000c

 こうした天皇明仁の模索は、現憲法を生かし、その価値を発展させようとするもので、ぼく自身の考えと重なるところがある。いや、象徴としての天皇は、もっと大胆に庶民化してその特権性を剥ぎ取ってもいいんじゃないかとはラディカルに思っているんだけど、そこまでいかなくても明仁が模索している方向は、まずはプラスに評価できるものである。


宮内庁が公表する?

 ところで、日経新聞の本日(2016年7月14日付)の見出しは、「天皇陛下生前退位の意向 皇室典範改正が必要に  宮内庁、近く公表へ」とある。

 いや、これマトモに宮内庁が公表したら、天皇法律改正要求することになり(生前退位皇室典範改正が必要)、憲法が禁じた天皇の政治関与になっちゃうだろ。

 だから、宮内庁は当然否定するのである。

 他方で、NHK報道は、微妙である。

天皇陛下は、数年内の譲位を望まれているということで、天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表わす方向で調整が進められています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160713/k10010594271000.html

 生前退位させろというと完全にアウトだけど、今から数年後に「憲法に定められた象徴としての務めを十分に果たせる状況に、俺、今ないよ」的な、直接表現でない、「あいまいな何か」を明仁がいう。そして、すでに今回報道されて大騒ぎなっている下地があるので、その「あいまいな何か」を聞いた国民は「ハハーン、生前退位したいって意味だな」と知る……そんな感じではないのか。


 ぼくは、日の丸の掲揚や君が代斉唱を強制される場面になると(子どもの学校の入学式とか、県の社会教育施設などに宿泊した日の朝の集会とか)さっさと退場するような人間である。

 そうした人間ではあるが、現在の明仁憲法価値(特に平和主義のそれ)を生かそうとする模索には、基本的に共感を持ってこれを見つめている。

 いやね、前に棋士米長邦雄東京都の教育委員だった時「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌斉唱させることが私の仕事でございます」などと誇らしげに園遊会天皇明仁に報告した際に、明仁が「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と切り返したのは、本当にスゲエって思ったよ。つうか、これ、本当にいつもそう思っていないと、とっさにこんな切り返しできねえよ。

 そういう意味で、明仁パネエ、って思ったもん。もともとそこに本物さを見てたわけ。

 

*1日経新聞などは現在の皇室典範でも摂政を置けるかのように論じているが、多くの新聞は皇室典範改正が必要だとしている。皇室典範は17条1項で「天皇が成年に達しないときは、摂政を置く」とし2項で「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」とあり、2項の方に該当しそうであるが、単なる高齢での体力不足というのでは2項適用は難しいから、ぼくも皇室典範という法律改正が必要になると考える。

2016-07-12 参議院選挙の結果を見て

参議院選挙の結果を見て


野党共闘の、「驚くべき」と言ってよい「成果」

 参院選が終わって一番の注目すべき点は、何と言っても野党共闘をした1人区で11も勝利したことだろう。1人区での野党の勝利は前回わずか2だったのだから、正直驚いた

 民進党は前回2013年参院選の17と比べれば32を獲得した。民進党内でどう評価され、どう表現されるかよく知らんが、「ウハウハと言っていいんじゃないか。民進党にとっては『起死回生の野党共闘』だ」とか言ってた民進党関係者もいた。

 「共産党と一緒だと損だ。民進党は目を覚まして共産党を切り、健全野党になれ」的な意見をネット上でチラホラ見たけど、こういう目の前のソロバン勘定だけで考えても、この種の意見は説得力に乏しい。だけど、そういう目の前の利益だけでなく、長期的に考えて、日本の政治文化にとってもこの道が一番いいだろうとぼくは思う。


安倍首相支持率はなぜいつまでも高いのか

 安倍首相ではないが、野党共闘は「道半ば」である。

 野党共闘に決定的に欠けているのは、政権合意だ。

 野党には政策合意がある。共通公約もある。しかし政権をつくる合意はない。

 自民公明側の「野党は野合であり不安定だ」という批判が“効く”とすれば、それはまさに政権合意がないからである。その意味で確かに野党共闘はどんな政権の形になるかわからず、「不安定」なのだ。


 安倍政権はなぜいつまでもこんなに支持率が高いのか? と言われることがあるが、基本的にはオルタナティブ代替)がないからである。

 オルタナティブである野党共闘はようやく生まれたばかりだ。政権合意となり、さらに政策協議、現実の共闘法案を共同提案する経験が重なって行けば、野党共闘は育っていく。それが次第にオルタナティブとして姿を現していくことになる。


 だって、このきっかけになった共産党の「国民連合政権構想」提案の時から考えてみれば、ずいぶん進歩したと思うぜ?

 あれが出た当初、「そんなんうまくいくわけねーだろwwww」的な嘲笑が読売新聞を含めて圧倒的だった。

 ところが、「とりあえず参院選挙協力やろうぜ?」みたいな合意ができてしまった。

 「まあ、どっちみち棲みわけ程度ダロwwww」と思われていたが、実際に熊本を皮切りに「棲みわけ」どころか一本化して、共産党を含めた全野党が一本化候補を熱心に推すという動きになった。

 「う…いや、せいぜい2つとか3つくらいの選挙区でしょ?」と思われていたのが、(実際野党の中でもそういう受け止めの空気があったわけだけども)あれよあれよという間に、1人区すべてで野党一本化が実現してしまった。この中で驚いたのは、香川のように共産党公認を一本化候補にするところまで出たことである。

 そこへきて衆院北海道5区の補選で実際に与党を追い詰めてしまった。あと一歩だったのである。

 与党筋はだんだん青ざめてきて「政策のない野合」という批判に転じたのだが、これもかなり広範な分野を網羅する15本の野党共同提案法案をベースにして、野党共通公約を作ってしまった。

4野党の共同法案15本 4野党の共同法案15本

安倍暴走との対決鮮明/参院選 野党「共通政策」豊かに 安倍暴走との対決鮮明/参院選 野党「共通政策」豊かに

 こうして歩みを振り返ってみると、短期日のうちに、実に早く野党共闘を成長させてきたものである、と驚く。

 しかし、現時点でもっとも大事なもの、政権合意が欠けている。野党側は、確かに与党が言うように、安倍政権を倒した後の、合意されたビジョンが存在しないことになっているのだ。ということは、オルタナティブとしてまだ最小限の要件を満たしていないのだと言ってもよい。だからこそ、安倍政権はまだ高支持率を維持している。


 野党共闘は、ここに進むべきである。

 すでに15本の共同法案をベースにした共通公約という「種」がある。これを育てていけばいい。政権合意をきちんとして、それを育てるうちに、オルタナティブとしての実体が生まれてくるのだ。

 こんなものはどこまで育てても大した花にはならん、という人がいるかもしれないが、それは「言わせとけ」と言いたい。とりあえず、雑音にとらわれずに、育てることだ。



「根本理念が違うから連立できない」?

 よく「根本理念が違う政党が連立などできない」などという、連立政権というものの性格を知らないか、知っていて「ためにする攻撃」をしているか、どちらかわかんないけど、とにかくそういう議論がある。

 例えば9条をはじめとして現憲法を根本から作り変えようとしている自民党と、現憲法を「平和憲法として親しまれ、日本の成長を支えてきた」として現憲法の枠組みはそのままにして時代の新要請を条文で加える「加憲」を掲げ、「第9条の改正は必要ない」という公明党とは「根本理念が違う」ということにならないのか。まあ、そもそも根本理念が違うから別の政党を作っているはずなのだが。



 連立政権とは、きちんとした合意に基づいてその合意の範囲で政権を運営し、現状変革(あるいは現状保守)の仕事をする政権である。

 自公政権連立政権のはずですでに1999年から15年近くやってきているのに、こういう感覚に乏しい。結局、公明党の役割は、消費税増税は「軽減税率」、アベノミクスは「福祉給付金」、安保法制は「国会承認」、集団的自衛権は「限定的」などといった、反動政治の巨大なストリームを承認した上で小さな「おこぼれ」をつけて「なんとか食い止めた」と飾ることがもっぱらになっていて、「ブレーキ役」とか「限定した合意の範囲内での政権」というふうになっていないのである。


 野党共闘は、まさに根本理念の違う政党間の、合意による限定的な政権運営という、本来の意味での連立政権の嚆矢になるべきだ。そのような政治文化を育てるのだ。

 一つの大きな政党が、様々な派閥族議員を持つことで、多様な民意を色分けして表現できるというのが自民党のこれまでの強みだった。しかし、それは単一・単色政党化しつつある。自民党憲法草案をもし真面目に国民が読んだとしたら、あれ自体を支持できる層は少ないのではないか。民進党が「健全野党」として大きくなるという幻想もこれに似ている。*1

 それよりも、様々な政党が組み合わさることで、民意を多様に表現し、明確なルールと合意のもとで、その多様性を反映する政権をつくり、その役割を終えれば、パッと解体して、新しい枠組みを作る――こういう道を新たに作り出した方が、はるかに民主主義としては、リアルだ。

 そのような「寄木細工」を時々に作るという、連立政権本来のあり方に、まだ国民も政党も習熟していない。その文化をこれから育てていけばいいのである。そして、先ほど述べたように、すでにそれは野党共闘として急速に育ちつつある。



自衛隊を合憲として運用するということ

 さて、「限定的な合意を任務とする連立政権」という場合に、今回選挙野党側に課せられた一つの問題は、自衛隊問題であった。

 というか、問題としてクリアになっているはずなのに、もたついていた。

 「共産党自衛隊違憲だとしているではないか」「憲法違反だと言っているのに自衛隊を使うのは立憲主義に背く」的な議論への対応である。これに対して共産党小池晃が、選挙のテレビ討論で次のように言っていたことは、反論の基本点を示している。

小池 今度の選挙野党共闘の中に、われわれの独自政策は持ち込まない。われわれは「国民連合政府」という提案をしていますが、その際でも(改悪前の)自衛隊法の適用もするんだと(言っています)。


 もし日本に対して急迫不正の侵害があれば、自衛隊のみなさんに活動していただくということは明確にしているんです。


 谷垣さん、自衛隊をなくそうということが(参院選の)テーマではないですから、争点そらしはやめていただきたい。自衛隊を海外に出すのかどうか。海外の戦争に自衛隊員を出すのかどうか。それが問われている選挙ですよ。それが今回の最大の争点じゃないですか。争点そらしはやめてください。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-07-04/2016070402_01_0.html

 小池の発言で基本点は述べていられているのだが*2、さらにきちんと言ってほしいのは、共産党自身が唱えている「国民連合政府」ができた場合、その「国民連合政府」は自衛隊をどう扱うかといえば、自衛隊を合憲として扱うということ、自衛隊憲法に基づいた組織として運用し、災害救助と急迫不正の主権侵害対応(つまり国防)に使う、ということだ。共産党は党としては自衛隊違憲だという立場だが、そのことを政権には持ち込まないからである。

 ちなみに、共産党が目指す「民主連合政府」ができた場合でも、その「民主連合政府」は自衛隊をどう扱うかといえば、やはり自衛隊は合憲だとされる。共産党としては自衛隊違憲だという立場だが、安保解消後に北東アジアの環境が変わり国民が「もういいんじゃない?」というゴーサインを出すまでは、そのことは政権には持ち込まないからである。

 ここまでは共産党政策や綱領から自然に出てくることであるが、政権における扱いについては、以上のようにもっと明示的に言った方がよい。*3



 似た問題で、政党助成金がある。

 政党助成金は、共産党にとっては憲法違反の制度である。国民の思想信条を侵すから。

 しかし、もし政党助成金に頼っている民進党がこれを政権合意に入れなかったからどうなるのか。

 その場合、政党助成金は合憲として運用される。共産党違憲だと思っているが、そのことは連立政権には持ち込まないからである。

 それが連立政権というものである。*4



 いずれにせよ、本当の意味での連立政権の政治文化をつくる、歴史上かつてない実験が目の前で今行われているのである。

*1:絶対ないとは言わんけど、二大政党制が破綻した今、当面はそういう政党になるのは自民も民進も難しいんじゃないか。

*2:だいたい、谷垣の論法で言えば、現行憲法を否定すべきと思っている自民党が現行憲法をそのままにして政権を運用するのはおかしいではないか、ということになる。

*3:さらに、長期間、災害救助と国防(専守防衛)に使うのであればその2つの任務にそった活用の方向を具体化して、この実力組織を民主的に管理しておくようにする政策にまで発展できれば、なおいいだろう。そうした原則や政策を作っておくことで、共産党自公政権下の自衛隊の活動も是は是、非は非として判断できる明確な基準を持つことになる。

*4:ちなみに、これは余談であるけども、共産党政策展望に関わって言えば、安保解消後の将来に平和的な国際環境が実現されて自衛隊を解消してもよいと国民が判断したとしても、政府が「自衛隊違憲」という憲法解釈に切り替える必要はなく、政策判断として自衛隊を解消すればいいだけだろう。それは政党助成金についても同じである。

2016-07-09 『カブトエビの飼育と観察』『カブトエビは不死身の生きもの!?』

谷本雄治『カブトエビの飼育と観察』『カブトエビは不死身の生きもの!?』


 仕事帰りに近所の田んぼを熱心にのぞきこんでいると「なんかおるとですか」と地元のばーちゃんが声をかけてきた。

カブトエビがいるんですよ」

と答える。その田んぼだけに、カブトエビが大量にいるのである。

 そのばーちゃんは、カブトエビを知らなかったらしく、カブトエビとは何か、どんな生態なのかいろいろと疑問を投げかけてきた。

  • カブトガニに似ているが、まったく別の生きもので、カブトエビミジンコに近い仲間であること。
  • いる田んぼといない田んぼがあり、その理由は謎であること。
  • トラクターのようにして泥をかきあげ、泥の中の微生物を食べているほか、浮いているワラくずや浮き草の根など、なんでも食べるということ。
  • 50日くらいが寿命であること。
  • カタツムリのように雌雄同体で、卵を産むこと。
  • 田んぼが干上がるとカブトエビは死ぬが、卵は乾燥に強く、10年以上たっても卵はかえること。
  • 産み落とした卵は水が干上がってから、またもう一度水がやってきたときにかえるけども、そのうち3分の1しかかえらない。他の3分の2はまた水が干上がり、もう一度水がやってきたときにかえる、ということ。
  • カブトエビは3億年前から姿形がほとんど変わっていない「生きた化石」であるが、今言ったような適応戦略が非常に優れていて、早くに進化を完成させているのではないかということ。

などを疑問が出るたびにていねいに答えた。

「はー……」

と、ばーちゃんはひとしきり感心し、

先生は、〇〇大学(この近所にある)の先生ですか

とぼくに言った。ぼくはあわてて、

「は…? いえ、ちがいますよ。ただの聞きかじりのシロウトです」

と否定した。

(おばあちゃん、こんな話は、子ども向けの本に書いてある程度のことなんですよ…)と心の中でつぶやく。

 こうした話は、すべて近くの市立図書館から借りてきた、子ども向けのカブトエビの本の受け売りである。谷本雄治『カブトエビの飼育と観察』(さ・え・ら書房)、谷本『カブトエビは不死身の生きもの!?』(ポプラ社)の2冊である。

 

 著者の谷本は、新聞記者であるとともに在野の研究者でもある。

カブトエビの飼育と観察―ふしぎな生き物“トリオプス” (やさしい科学) 『カブトエビの飼育と観察』は1998年に刊行された本で、上記に述べた基本点がほとんど出てくる。付け加えると、カブトエビのうち、アジアカブトエビ西日本に多い)はオスの個体、メスの個体がいるようである。

 カブトエビについてそうした基本的なことがわかるとともに、後半で「飼い方」が載っているので借りてきたのである。

 カブトエビは、ぼくの田舎(愛知)にもいたのだが、滅多に見なかった。小さい頃に実際に田んぼで見たのは、一度だけである。だから、「まぼろしの生きもの」感がぼくの中でハンパなく、これを見つけた時は、例えばミヤマクワガタを見つけた時の子どものように、胸が踊ってしまうのである。そして、何としても飼ってみたいという衝動に駆られていた。

 そして、実際に田んぼですくってきて、4匹飼い始めてしまったのである。子どもの教育とかそんなんじゃなくて、純粋にぼくの興味で。ぼくの子どもの頃のノスタルジーで。

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 ぼくから見ると、動きがユーモラスで、いつまで見ていても飽きないのであるが、つれあいから見ると「ゴキブリのようだ。見ていてキモい」ということになる。

 しかし、結局1週間経たずに全滅した。

 寿命であったと見ることもできるが、飼い方が悪かった可能性も高い。

 『カブトエビの飼育と観察』で示された飼い方に、いろんな点で背いた。

 例えば、田んぼの泥を持ってくるという点。

 これは以前ホウネンエビを飼った時もそうだったのだが、田んぼの泥を持ってくると、水槽全体が濁ってしまい、肝心のカブトエビがまったく見えないのである。他の本でも必ずしも泥を入れていない写真を見るので、ぼくは無視した。しかし、だいたいどの本でも「田んぼの泥をいっしょに」などと書いてあり、悩んだ。

 水は指示通り「くみおき」を使った。

 エサは、「いろいろ試してネ」として「メダカのえさ」(ミジンコを砕いたもの)、「ごはん」(ご飯粒)などが推奨されていたのでその2つをやった。

カブトエビは休まずに動いていて、ひっきりなしに何かを食べています。その時、どんなふうにしてくちに運ぶかを観察したところ、くちでけずるようにして食べたり、土にへばりつくようにしたり、背泳ぎのかっこうのまま、おしりの方から、からだの溝を通してえさを送り込むような食べ方などをみせてくれました。えさの種類によって食べ方もちがってきます。(『カブトエビの飼育と観察』p.58)

 他に「土の中の小さな生き物をかき出して食べる」(同前)ともある。

 メダカのエサを与えた時にはあわてて水面のエサの方に近づいてきて「背泳ぎのかっこうのまま、おしりの方から、からだの溝を通してえさを送り込むような食べ方」をした。ごはんつぶを落とした時には、その上に乗って「土の中の小さな生き物をかき出」すようにその上に乗っかり、「くちでけずるようにして食べたり」した。

 そして「ひっきりなしに何かを食べています」というのは本当で、いつエサを与えても、それに飛びついた。したがって、どれくらいの間隔で与えていいのかがわからなくなってくる。また、浮き草を与えるといいと書いた本も多いし、本書でも浮き草を浮かべるように推奨しているのだが、田んぼには全く浮いておらず、どうしようもなかった。

〔エサを――引用者注〕いつまでも水の中に入れておくと、それらが腐って、カブトエビを死なせる原因になります。(同p.57)

とあるのだが、「休まずに動いていて、ひっきりなしに何かを食べています」ということと矛盾するのではないか、と思ったし、そもそも田んぼでは腐敗したものがいっぱいあるのではないか、などの疑問が頭に浮かび、解決されなかった。

 また背泳ぎをしていることが多かったのだが、

暑い時にはおなかを上にする背泳ぎが多く見られました。おそらく水中の酸素が足りなくなったからだと思います(同前p.56)

だったのかもしれないとも思った。

 結局1週間でカブトエビが全滅した理由は、

  1. 食べカスが腐ってしまった?
  2. 水中の酸素が足りなくなった?
  3. 家を空ける日などがあり、餓死した?
  4. 与えたエサは結局食べられなかった?
  5. 田んぼの土を入れなかった?

などが考えられるが、どれかよくわからなかった。


カブトエビは不死身の生きもの!? (いきものだいすき) 同じ谷本の『カブトエビは不死身の生きもの!?』の方も、やはりカブトエビの生態の概要と、飼い方が載っているのだが、後半から「紅カブトエビ」の話が載っていて、カブトエビと観察者たちの関わりや地元の関心などが書いてある。新聞記事的な読み物の性格が強い。

「それが、この近所の人たちはあんまり関心がないみたいなんですよ」(谷本『カブトエビは不死身の生きもの!?』p.72)

という農業者の声を書いているが、カブトエビは、近隣の人たちも、子どもたちも、そして田んぼの持ち主である農家も、関心が薄い場合がある。

 ぼくの近くの学校で取り上げられることもないし、地元もあまり関心を寄せているという話を聞かない。こんなにおもしろい生きものはいないのに、と思うのだが。


日動 生きた化石飼育セット エビ伝説 「近所にカブトエビなんかいねえ」「そもそも田んぼなんかない」という手合いのためには、カブトエビは、実は卵付きの飼育キットが売られている。(Amazonのレビューを見ると、「卵が孵化しねえ」「1匹だけだった」という苦情も結構ある。そして先ほどのべたように卵の属性からいってそういうことはあるらしいのだが、それはどうも釈然としないというのも非常によく分かる)

 泳ぐ姿もユーモラスなので、飼うと楽しいぞ。