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ウルトラマンエース総論 〜『A』総括・再評価・全話評完結!

ファミリー劇場ウルトラマンA』放映・連動連載!)
『ウルトラマンエース』#1「輝け! ウルトラ五兄弟」 ~超獣・破壊・防衛組織結成・先輩&新ヒーロー登場を豪華に描く!
『ウルトラマンエース』最終回「明日のエースは君だ!」 ~不評のシリーズ後半も実は含めた集大成!
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ウルトラマンA』総論1 〜エース総括!

(文・T.SATO)
(2021年7月執筆)

1972年の『ウルトラマンエース


 1972(昭和47)年4月に、『帰ってきたウルトラマン』(71年)の後番組として『ウルトラマンエース』が放映を開始する。


 前年71年の秋~年末の時期だと思われるが、原型となる3企画『ウルトラハンター』『ウルトラファイター』『ウルトラV』を脚本家の市川森一(いちかわ・しんいち)・上原正三(うえはら・しょうぞう)・田口成光(たぐち・しげみつ)が各々に執筆。それを混合させたものが、今ある『ウルトラマンA』だというのは、70年代末期のマニア向けムックで公表されて以来、第3次怪獣ブーム世代の怪獣博士タイプの子供たちにも広く知られてきた逸話である。


 上原による『ウルトラファイター』は、悪魔博士(正体は人間である竹中博士)が機械で操る怪獣軍団が人類を襲撃するといった内容。


 ちなみに、市川の『ウルトラハンター』でもアンドロメダ星雲から飛来する怪獣軍団。田口の『ウルトラV』でも超獣を繰り出すレギュラー悪のサタン星人。3企画とも統一された悪の軍団を設定している――「超獣」自体は『シルバー仮面』初期企画時の市川による造語だそうだが――。


 大空の一角がガラス窓のように割れて、その奥にある赤黒い異次元空間から出現する生物兵器・超獣!


 不定型に歪み続ける異次元でコンソールパネルを備えた司令室から、命令を発する異次元人ことヤプール人たち!


 対するは前作よりもメカニカルにスケールアップした、富士山麓にある広大な超獣攻撃隊の秘密基地!


 そして、電飾満載の司令室!


 テーマやドラマ性だけをモノサシにしてしまうと意識化されにくい要素だが、視覚的なゴージャスさに幼少時は眼が引きつけられたものである。


 前作『帰マン』に対して、放映当時の幼児はともかく小学校高学年や中高生に達していた第1世代の特撮マニアたちが、初代『ウルトラマン』(66年)と『ウルトラセブン』(67年)にあった近未来SF感や、怪獣攻撃隊の海外支部や大宇宙があまり舞台とならないことでのスケール感の欠如を指摘し、第2期ウルトラシリーズのみならず70年代実写特撮全般の弱点だとする批判も20世紀中には強くあったが、この指摘も実に正しい。
 70年代末期に宇宙SF洋画や宇宙SFアニメに児童層も飛びついたことからも、マニアのみならず子供たちにも潜在していたニーズに70年代国産特撮が応えてこれずに、後塵を拝してしまったことも事実だったからだ。


 近未来的な科学センターのビルを手前に初代マン・バルタン星人・怪獣ネロンガを据えていた初代『マン』のお披露目写真。未来的な宇宙都市群も登場させた東映特撮『キャプテンウルトラ』(67年)。第2期ウルトラのみならず平成ウルトラや21世紀のウルトラシリーズでも、透明チューブの中をエアカーが走行するメトロポリスな近未来ビル群のような背景美術や、太陽系の各惑星に宇宙戦艦を配備するなどして、子供たちの眼を引いて映像面でもワクワク感を抱かせようとするような動向がないことは残念に思うのだ。


 しかし、特撮の下請けは東宝で巨大な撮影スタジオを使えたことで、『エース』では基地近郊の施設を広大に見せたり、SF的なメカ・兵器・アイテム・美術を相応に登場させており、そこは評価すべきところである。上原もそこを活用してか、のちの初期スーパー戦隊でも多用したアイテム輸送警護ネタを#11「超獣は10人の女?」や#17「怪談 ほたるヶ原の鬼女(きじょ)」で披露している。


 市川も『エース』については「人情の入らない作品に戻したかった(大意)」と述べているが、その現れだとも見るべきだ。人間ドラマ性や社会派テーマ性を重視した円谷特撮『怪奇大作戦』(68年)と『帰ってきたウルトラマン』路線の否定だともいえるのだが、市川と円谷プロ側の熊谷プロデューサーの両者に賭けたゆえのGoだったという書籍『僕らのウルトラマンA ―検証・第2次ウルトラブーム』(辰巳出版・00年7月1日発行)での証言もあるので、橋本の同意もあってのものだろう。


――実際には、児童ドラマ&ホームドラマの排除のみで、青春ドラマ性や隊員たちのドラマ、ゲストキャラによる妄執ドラマなどは『エース』に残存していたが。橋本も単純に人間ドラマ志向の御仁だったと整理されがちだが、「木下恵介アワー」(67~74年)枠の一般の連続TVドラマなども手掛けてはいるものの、子供時代に海野十三(うんの・じゅうざ)の連載小説『火星兵団』に熱中、初代『マン』を観て「現実と非現実が混じった作品」をやりたいと志願してラジオからTVへ移動してきたような御仁でもある――


 上原は#12「サボテン地獄の赤い花」も担当。こちらは逆にゲスト親子を配して下町人情喜劇となっている。「DVDウルトラマンA Vol.12」(04年11月26日発売)解説書中のライター・マキノヨシミによる上原インタビューによれば、真船禎(まふね・ただし)監督の演出が鮮烈な#17「ほたるヶ原の鬼女」では車椅子のゲスト少女・民子(たみこ)との交流で意外なキビしさも見せるヒロイン・南夕子隊員、#22「復讐鬼ヤプール」でも実は悪人だった青年にヨロめく美川のり子隊員に、意識的にスポットを当てて彼女らの人物像を膨らまそうとしたそうだ。
 そして、上原は市川・田口との合宿でのディスカッションで男女合体変身&超獣という設定の斬新さには大いに感銘したものの、実作ではダブル主人公双方を立てることに苦慮して、同作からフェードアウトしていった旨も語っている。


ウルトラマンエース』の真の視聴率的実力とは!?


 『エース』は#1が視聴率30%目前を達成したのに#3で早くも20%を割っている――それでも、充分に高い視聴率で『仮面ライダー』に次ぐ2番手には付けているのだが――。


 その原因にメインライター・市川の発言も援用するかたちで異次元人や男女合体変身が抽象的で難解だったことを挙げる、後年になってからの論難がいまだに絶えないが、実にナンセンスな議論である。
 幼少時に『エース』を難解に感じた御仁はいないであろう。ヒーローvs怪獣の構図を採った作品一般が難解なハズもない。空中での変身を子供がマネできないことは事実だし、男女合体変身も男児には照れクサかったけど、ごっこ遊びのキモはヒーローvs怪獣怪人なので、変身の瞬間だけをスルーまたはフリをすればイイだけで、前作『帰マン』の不明瞭な変身シーンも同様だったが、欠点ではあっても致命的な弱点などではない。


 『エース』の視聴率の低落は、『帰マン』時代とは異なりウラ番組に同じく男児をターゲットとした番組が存在したことだ。すなわち、時代劇版『仮面ライダー』こと東映製作・石森章太郎原作の特撮時代劇『変身忍者 嵐』である。関東でのNET(現・テレビ朝日)『嵐』#1の視聴率は4.1%で惨敗だが、その後は10%前後は維持したのだとも推測される。それを考慮すれば、『エース』の素の実力は記録に残る視聴率にさらにプラス5~10%はあったと見るべきであろう。


――ついでに云うならば、『エース』もマニア間では評価が芳しくない第3クールのダン少年編が平均視聴率は一番高くて、ほとんどの話数が20%台を記録している。ダン少年編も長じてから観賞するとドラマ性は実に高く、『帰マン』「怪獣少年の復讐」と同様に、子供ゲストに過ちを犯してしまう主人公青年など劇中内での主役の絶対性に揺さぶりをかけたりしてテーマ面では深いといえる。しかし、ダン少年の人となりはやや鼻につくし(笑)、子供を楽しませるべき番組としては娯楽活劇編と児童ドラマ編を交互に配するなどの工夫はほしかったところだ。そして、この第3クールにかぎった話ではないのだが、怪獣が常住する世界観であるハズなのに隊員たちがその出現を信じないエピソードが多いあたりは、児童の眼から見ても不自然だったし、そこが『エース』の大きな弱点ではある――


 土曜夜7時30分枠で放映中の『仮面ライダー』初作の2年目や『嵐』の他にも、『エース』と同じ72年4月開始の特撮ヒーロー番組は、東映が日テレ日曜夜7時30分枠で『超人バロム・1(ワン)』、ピープロもフジテレビ土曜夜7時枠の『スペクトルマン』の後番組として特撮時代劇『快傑ライオン丸』――そのウラがTVアニメ『海のトリトン』――、円谷プロも日テレ平日朝の帯番組枠で『レッドマン』。7月から円谷プロはTBS平日夕方帯番組枠で『トリプルファイター』、東映はNET土曜夜8時枠に『人造人間キカイダー』と8時30分枠でTVアニメ『デビルマン』。
 10月開始の特撮ヒーロー番組は、『レッドマン』の後番組で東宝製作『行け! ゴッドマン』、TBS日曜夜7時タケダアワー枠で『アイアンキング』、日テレ火曜夜7時枠で『サンダーマスク』と土曜夜7時30分枠で『突撃! ヒューマン!!』、NET金曜7時30分枠で川内康範(かわうち・こうはん)原作の東宝製作『愛の戦士レインボーマン』。TVアニメでも『科学忍者隊ガッチャマン』や巨大ロボットアニメ『アストロガンガー』がスタートして、世はまさに第2次怪獣ブームならぬ「変身ブーム」となっていく。そして12月には『ミラーマン』の後番組として人間搭乗型巨大ロボットアニメの元祖『マジンガーZ』が放映を開始する。
 同年は『正義を愛する者 月光仮面』や『赤胴鈴之助』も放映。コレらのTVアニメがリメイク作だとは、幼児たちは知る由もなかった(笑)。


 なお、本作『エース』や『デビルマン』に『マジンガーZ』、あるいは名作刑事ドラマ『太陽にほえろ!』などの、奇しくも72年にスタートした番組の主人公たちは、期せずしてナイーブな若者という以上にヤンチャ・不良性・猪突猛進性が増量。これなども当時の若者像の変容の反映なのだと私見する。これにより物語の牽引力も増して、彼らの失敗、周囲のフォローも含めてのドラマが、以降のジャンル作品の定型ともなっていく。


ウルトラマンエース』 ~レギュラー悪&兄弟設定投入の是非・異論!


 『エース』はレギュラー悪の導入によって怪獣の出自が一元化したことでその作劇や作品構造が単純化されたなどと、70年代末期から誠しやかに語られて、それに影響されてか当時のスタッフまでもがそのように言及することもある。とはいえ、『ミラーマン』のインベーダー一族が操る侵略怪獣なども同様なのだが、異次元人ヤプールは「根源悪」というより「媒介悪」である。超獣も最初から巨獣だったり、ひとりのヤプール人や10人の女ヤプールの合体変身、現生生物や超古代の翼竜やらと宇宙生物との合成、星座の精霊、地球人に家畜の怨霊を結合、母性愛の負の側面を増幅することでも超獣化させる等々、実にさまざまだが、コレを子供たちは設定の不統一ではなくヤプール人の万能性として受け取っていた方がフツーであろう。


 レギュラー悪の設定を作品の質の低下と等式にしてしまえば、東映特撮のほとんどは円谷特撮のほとんどの下位に列することが確定し、ウルトラシリーズ自体も元祖『ウルトラQ』には永遠に勝てない宿命となる。筆者個人はこの論法を採らない。むしろエンタメ活劇としてはレギュラー悪を設定することこそが進歩であったとすら考える――むろん、その枠内にて「善悪への疑義を唱える異色作」を投入することには賛成する――。そして、レギュラー悪が存在しようが、先のヤプールのように各社の特撮変身ヒーローや合体ロボットアニメでもその「悪」の内実は各話で実に多様である。そもヒーローvs怪獣の構図を採った時点で広義での善vs悪であり、レギュラー悪が存在する作品との差異などは微差でしかない。


 ウルトラ兄弟の設定が本格化するのも本作『エース』からだ。発案は小学館学年誌『小学二年生』編集長・井川浩であり、『エース』前年の71年9月号(8月1日実売)が初出で、間髪を入れずに夏休み期間中に発売された『小学二年生』71年9月増刊号では内山まもるによる、73ページもの大長編マンガ『決戦 ウルトラ兄弟対11大怪獣』が発表されている。
 これをさかのぼる71年7月10日付の読売新聞で、「『帰マン』の路線変更とウルトラセブンが貸与する帰マンの新武器・ウルトラブレスレット」に橋本は言及。つまり、路線変更も橋本の発案なのだろう。撮影は放映の1~2ヶ月前、ゲスト怪獣の着ぐるみ造形期間もあるので、脚本執筆も放映の3ヶ月前強あたりだとするならば、おそらくウルトラ兄弟の設定誕生よりもやや先行か並行して、『帰マン』放映開始直後の71年4~5月には7~8月放映回であるセブン客演が決定していたとも推測ができる。


 上原も『エース』#5「大蟻超獣対ウルトラ兄弟」ではウルトラ兄弟の長男・ゾフィーを参戦、大活躍させている。70年代末期の本邦初のマニア向けムック『ファンタスティックコレクション№10 ウルトラマンPARTⅡ 空想特撮映像のすばらしき世界』(朝日ソノラマ・78年12月1日発行)――82年に『ウルトラマン白書』に合本――での第1世代マニアによる記述で、当時の子供たちの熱狂とはウラハラにウルトラ兄弟の設定はヒーローの神秘性を毀損する悪しき擬人化として長らく否定的に語られてきた。しかし、『ウルトラマンの「正義」とは何か』(花岡敬一郎・青弓社・21年5月26日発行)では、「最初期からシリーズに関わっていた脚本家やスタッフたちは、思いのほか「ノリノリ」でウルトラ兄弟を描いていた(少なくとも、上原や田口にインタビューしたかぎりでは筆者はそう感じた)」との証言もあるのだ。


 はるか後年、スーパー戦隊超新星フラッシュマン』(86年)を論じたSF作家・中島梓(なかじま・あずさ)の著書『わが心のフラッシュマン』(筑摩書房・88年8月10日発行)でも、「善vs悪の1対1による1話完結形式は基本であってもルーティンで、子供であってもいずれ退屈をもよおす。そこに第3勢力などを投入することでパターンは破られ物語の可能性は無限になる」といった主旨の主張を展開している。


 レギュラー悪&ウルトラ兄弟の設定――あるいは同じく72年度作品である『ライオン丸』におけるタイガージョーや『キカイダー』におけるハカイダーといった話数をまたいで登場するライバルキャラの設定――。それらはルーティンを回避して物語のバリエーションやスケールを拡大させていく、21世紀の邦洋も含めたヒーロー大集合作品にも通じていく端緒ともなったのだ――『エース』には一方で、偽・郷秀樹が登場してもホンモノの帰マンが参戦してくれなかったり、ウルトラ兄弟勢揃いやウルトラの父が初登場しても颯爽と活躍せずに敗退してしまうなどの欠点もあるけれど(汗)――。


 上原が#5のシナリオに記した歌詞「ゾフィのバラード」は作曲・録音までされるも歌入れがされずに、放映20年後の92年に発売されたCD15枚組の『円谷プロ創立30周年記念盤』にてようやくアニメ特撮ソング界の帝王・水木一郎による歌入れがなされることになった。


 前作『帰マン』は84年に『宇宙船』Vol.19(84年8月号)にて再評価特集が組まれたが、『エース』ではそれが実現しなかった。しかし、84~89年にかけて女性ファン主体による『エース』再評価の大冊研究同人誌『全員脱出!』シリーズが4冊ほど発行。そのポップながらも理知的な作品解題は、筆者も含めた当時の特撮評論同人界にも大きな影響と第2期ウルトラ擁護のための理論武装の方法をもたらした――一般マニアのレベルでは、特撮ライター・切通理作(きりどおし・りさく)がその著作『怪獣使いと少年 ―ウルトラマンの作家たち 金城哲夫佐々木守上原正三市川森一』(JICC出版局(現・宝島社)・93年6月1日発行)のプロトタイプとなる『別冊宝島 映画宝島Vol.2 怪獣学・入門!』(JICC出版局・92年5月30日発行)に掲載された論考での市川森一の項目によって、はじめて『A』が再評価されたといえるだろう――


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2021年号』(21年8月13日発行)『上原正三』大特集「ウルトラマンエース」の項目より抜粋)


ウルトラマンA』総論2 〜エース総括!

(文・久保達也)
(2006年11月執筆)


「従来のヒーロー像の枠を超えた『男女合体』。ミステリアスな悪役『異次元人ヤプール』。そして怪獣を凌駕する『超獣』などの設定は、抽象的すぎて撮影現場は受けとめきれなかったんです」

(脚本家・市川森一氏)


「“超獣”にしても、怪獣を超える設定って何だろう? ということになる。デザインする人のためのイメージがないんですね」

(元円谷プロプロデューサー・熊谷健氏)


ヤプールという観念的な存在にしても、それをどう表現したらいいのか、具体的にならないんだな」

(元TBSプロデューサー・橋本洋二氏)


 以上はDVD『ウルトラマンA』Vol.1〜3(デジタルウルトラプロジェクト・04年7月21日発売・asin:B00024JIU2asin:B00024JJGKasin:B00024JJGU)の3巻同時購入特典として配布された『円谷新報・号外』における、当時の『ウルトラマンA(エース)』(72年)スタッフたちの証言である。


 「悲劇の神!? ウルトラマンA」「突然の主役女優降板」「小学館学年誌 ウルトラ兄弟独断設定事件」など、スポーツ新聞の芸能欄を彷彿とさせるセンセーショナルな見出しが踊る中、ウルトラシリーズ中唯一無二の、『A』独自の魅力について、まるで製作現場でスキャンダラスな困難が多発した要因であるかのように、当のスタッフたちが否定的な見解を示している。


「『A』はいろんなファクターが多過ぎたんだよ」


 先述の橋本氏が語っているように、ウルトラ兄弟ウルトラの父、ウルトラ6番目の弟など、試行錯誤を重ねる中で、意図的に行われた魅力的な仕掛けも『A』には数多く登場している。そんな「多過ぎたファクターを、ちゃんと消化しきれなかった」と橋本氏は語る。これは氏ならずとも、第1期ウルトラ至上主義のマニアが『A』を評する際によく云われることでもある。


 しかし、それらは基本的には、スタッフ自身もマニア評論に影響された後付けのリクツを語っているに過ぎないと筆者は見る。


 だが、そもそも「多過ぎるファクター」「路線変更」は、そんなに問題視されねばならないことなのであろうか? そして、『A』は本当に「ファクター」「路線変更」が多すぎた作品だったといえるのであろうか?


 『ウルトラマンA』放映開始時の72年4月当時に放映されていた特撮変身ヒーロー作品としては、以下のようなものが存在している。


*『仮面ライダー』  71年4月〜73年2月
*『シルバー仮面』  71年11月〜72年5月
*『ミラーマン』  71年12月〜72年11月
*『快傑ライオン丸』  72年4月〜73年4月
*『超人バロム・1(ワン)』  72年4月〜11月
*『変身忍者 嵐』  72年4月〜73年2月


 これに加えて、72年度には以下の作品も放映されている。


*『レッドマン』  72年4月〜10月
*『トリプルファイター』  72年7月〜12月
*『人造人間キカイダー』  72年7月〜73年5月
*『サンダーマスク』  72年10月〜73年3月
*『行け! ゴッドマン』  72年10月〜73年9月
*『レインボーマン』  72年10月〜73年9月
*『突撃! ヒューマン!!』  72年10月〜12月
*『アイアンキング』  72年10月〜73年4月
*『ファイヤーマン』  73年1月〜7月
*『魔人ハンターミツルギ』  73年1月〜3月
*『ジャンボーグA(エース)』  73年1月〜12月
*『仮面ライダーV3』  73年2月〜74年2月


 72年度当時は夜7時台にこれだけの競合番組がひしめいていたのである。児童向けドラマやアニメ、特に変身・怪獣ものの変形・一種でもある『デビルマン』(72年)や『マジンガーZ』(72年)などを加えればもっと凄いことになるのだ。


 これに比べ、初代『ウルトラマン』の放映が開始された66年7月当時は、怪獣が登場する特撮ヒーロー作品としては『マグマ大使』(66年7月〜67年6月)しか存在しなかった――後番組の『怪獣王子』が製作の遅れで放映開始が10月にズレこんだことから、それまでの3ヶ月間は傑作選が再放送された――。しかも、主人公が変身を遂げる作品となると、事実上の独占状態だったのである。


 『帰ってきたウルトラマン』の放映が開始された71年4月の時点でさえ、競合する作品としては『帰ってきた』に先んじて1月にスタートした『宇宙猿人ゴリ』――5月に『宇宙猿人ゴリスペクトルマン』、10月に『スペクトルマン』と改題された――と、先に挙げた『仮面ライダー』しか存在してはいなかったのである。


 それに比べれば『A』放映当時のライバル番組の多さは一目瞭然であり、これらの強豪から勝ち残ろうと思えば、おもちゃ箱をひっくり返したような、賑やかで豪華多彩な感覚にあふれた作風になるのは至極当然なのである。


*悪の組織に改造された青年科学者が正義のヒーローへと転じる『仮面ライダー
*父の遺産である光子ロケットの秘密を狙う宇宙人たちからそれを守るために、その子らがさすらいの旅を続ける『シルバー仮面
*二次元人の父と地球人の母の混血である主人公がインベーダーの侵略から地球を守る『ミラーマン
*68年のパイロット作品『豹マン』(当時の講談社の月刊誌『ぼくら』にも漫画やグラビアが掲載されたものの、怪獣ブームの衰退でテレビ化はなされなかった)を時代劇に発展継承させた『快傑ライオン丸
*秀才少年とガキ大将が『A』の北斗と南のように合体変身を遂げる『超人バロム・1』
*『仮面ライダー』の時代劇版の趣である『変身忍者 嵐』


 ……今日の目で見ても、かなり設定に凝った工夫がなされた個性の強い作品が散見されるのである。


 そして、『仮面ライダー』は、72年1月の第4クール分から、ふたりの仮面ライダー・ダブルライダーが共闘する。第5クール~第6クールの変わり目では、悪の組織・ショッカーの大幹部交替劇。第7クール~第8クールの変わり目では、新組織ゲル・ショッカーに再編成を遂げている。
 現在に試みたならば「子供ダマし」とも受け取られかねない、第6クール中盤での「少年仮面ライダー隊」の登場なども、前年71年11月に創刊された幼児誌『テレビマガジン』(講談社)との連動も手伝い、子供たちの圧倒的な話題をさらった。


 『変身忍者 嵐』は、シリーズ中盤から敵が「化身忍者」から「西洋妖怪」に変わった。ナゾの戦士・月の輪が登場し、嵐と合体して光線技も使用するようになる。


 『超人バロム・1』は、『A』とは真逆なことに地上での合体変身から空中での合体変身に変更された。


 『シルバー仮面』は、当初は等身大のヒーローであったが、地味な作風と裏番組が『ミラーマン』であったことから視聴率が低迷したため、第11話から巨大ヒーローとなった。


 「ウルトラ」と異なるヒーロー作品を円谷プロが目指した『ミラーマン』も、当初は科学者集団的であった防衛組織・SGMが、後半は大型合体戦闘機・ジャンボフェニックスを駆使する戦闘集団へと変貌を遂げる。ミラーマンにもウルトラマン同様のカラータイマーがベルトのバックルに加わるなど、「ウルトラ」に近い作風へと変わったのである。


 要するに、当初から従来の作品とは異なる、様々な目新しいファクターを用意し、試行錯誤を重ねる中で、意図的に魅力的な仕掛けを行うという展開がなされていたのは、『A』ばかりではないのだ。当時の特撮変身ヒーロー作品のほとんどで、そういった試みが行われていたのである。したがって『A』に対して「多過ぎるファクター」という印象を筆者は特に感じないのだ(もちろん少ないとも思わないが)。


 この傾向は近年においても、平成仮面ライダーシリーズ(https://katoku99.hatenablog.com/archive/category/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC)において特に顕著である。当初から複数のライダーを配し、それらが幾種類ものタイプチェンジを遂げ、ライダー対怪人、ライダーの共闘、ライダー対ライダー、それらが入り乱れてのバトルロワイアル。更なるライバル的存在の新ライダーの登場といったシリーズ構成などを、毎年賑やかに展開させているのだ。そして出演男優には総じてイケメンを起用。恋愛的要素やロケ地スポットの選定にはファッション感覚を大いに発揮させている。


 これだけのファクターにあふれていなかったら、あのようなアダルトでダークで、かつ過激なバイオレンスにあふれた作品が就学前の幼児や女性に支持されるわけがなく、不健康なマニア(笑)だけが観るだけで終わってしまい、現在まで続く長期シリーズとはなり得なかったことであろう。


 いや、それは80年代以降の児童向けマンガやアニメや特撮、2006年現在放映中である『ウルトラマンメビウス』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070506/p1)でも同様である。ウルトラマンメビウスのみならずウルトラマンヒカリといった複数のウルトラマンを配して、それらが幾種類ものタイプチェンジを遂げ、ウルトラマン対怪獣、ウルトラマンの共闘、ウルトラマンウルトラマン、それらが入り乱れてのバトルロワイアル


 『メビウス』の場合は当初からのシリーズ構成だろうが、『A』以上に「多すぎるファクター」を抱えて、1〜2カ月単位で一種の「路線変更」を行い、月に1回は子供(とマニア)の注意を集める娯楽活劇的イベント編を用意する。


 『メビウス』や「スーパー戦隊」を指して、「多すぎるファクター」などと批判する御仁はゼロではないだろうが、むしろ時代にマッチした作劇であるとして評する人の方が多いだろう。いや、「ウルトラ」に関して云えばこの作劇に到着したのが10年遅かったくらいなのである。


 とはいえ、『メビウス』もまた圧倒的な高視聴率を獲得してはいない以上、この論の説得力も弱まってしまうのだが(汗)、現今の児童向け番組としてはその方向性はまことに正しいとは思う。


 平成ウルトラ第1作『ウルトラマンティガ』(96年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19961201/p1)において、ウルトラマンティガが本来のマルチタイプからスカイタイプ・パワータイプへとチェンジするという試みは、それこそ平成ライダー作品に発展継承を遂げた、極めて革新的な試みであったと現在でもそう感じる。


 しかしながら、『ティガ』にかぎらず、『ウルトラマンダイナ』(97年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971201/p1)にしろ、『ウルトラマンガイア』(98年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19981206/p1)にしろ、それ以上のおもちゃ箱ひっくり返し的な、豪華多彩な要素が呈示されることはなかった。


 それ以外の革新的な試みは、むしろドラマ面やテーマ面に関わる部分ばかりで行われ、子供の目に見えて分かりやすいキャッチーな部分でハッキリとしたかたちで呈示されなかったことが、平成ウルトラ3部作が前番組のアニメ『とんでぶーりん』(94年)~『ママはぽよぽよザウルスがお好き』(95年)の平均視聴率14%台から半減し、『ポケットモンスター』(97年)や『遊☆戯☆王』(98年)の児童間での圧倒的人気にも大敗し、特撮マニア連中が意図的に無視しているのか無知なのかは知らないが、特撮ヒーローものに限定しても実は同年の東映メタルヒーロービーファイターカブト』(96年)に視聴率で勝てずに、翌97年に日曜早朝へ移動した「スーパー戦隊」シリーズと「メタルヒーロー」シリーズ〜「平成ライダー」シリーズ路線に視聴率&玩具の売上高でも後塵を拝し続けてきた最大の要因であると筆者は考えるのである。
 よく21世紀の『ウルトラマンコスモス』(01年)から東映特撮ヒーローに負け始めたと勘違いしているマニアが多いのだが、『ティガ』の時点ですでに負けているので念のため。


 『A』にかぎらず、『シルバー仮面』にしろ『ミラーマン』にしろ、視聴率低迷や玩具の売上不振から脱却をはかろうと思えば、少しでも子供たちの目を引くために、当初の設定をかなぐり捨てて、さらなる新しいファクターを多数導入するのが当然ではないのか!?
 たとえば、『ミラーマン』商品の低迷が、『A』や次作『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)のブルマアクの商品ラインナップ縮小へとつながり、同社倒産の遠因ともなっているくらいなのだ(現在でも『ミラーマン』放映当時のソフビ人形が比較的安価で購入できるのは、大量の売れ残りがバッタ価格で処分されたからだという話も聞く)。


 当時、最も人気を得た『仮面ライダー』ですら、関東では当初1ケタの視聴率に苦しんでいた。しかし、主演の本郷猛(ほんごう・たけし)こと藤岡弘が撮影中の事故で1クールで降板する!(南夕子役の星光子降板どころの騒ぎではない!) しかし、2号ライダー・一文字隼人(いちもんじ・はやと)こと佐々木剛(ささき・たけし)に交替したのを機に両腕を大きく振りかぶるインパクトの強い「ヘンシン!」ポーズを導入し、作風を明るくして、アクション面を強化したことで常時20%以上を稼ぐ人気番組へと成長したのである。


 そして、『仮面ライダー』が最大の人気を得た理由は、以下の証言に尽きるであろう。



「私はこういう場合、現行番組が好調に走っているときでも、一年間52回も過ぎると疲れが見えてくるもので、それが視聴率の低下に現れないうちに、何かのリフレッシュ策を講じるのだ」

(元東映プロデューサー・平山亨氏。『キカイダー01(ゼロワン)』(73年)DVD−BOX(東映ビデオ・05年7月21日発売・asin:B00081U4Q6)のスペシャルブックレットより)



 ほぼ1クールごとに再生怪人軍団登場編や敵幹部交代劇があり、頻繁に2人の仮面ライダーである1号&2号のダブルライダー活躍編があるなど、大人気に奢(おご)らずに次々に新たな仕掛けを用意するこの姿勢こそ、『仮面ライダー』が最大の人気を得た要因ではないかと筆者は考える。


 こうした証言を聞くと、同じひとケタの視聴率に苦しみながらも改善策を講じることがなかった90年代以降の平成ウルトラシリーズのスタッフたちは、言葉は悪いが「怠慢」だったというほかはない。


 とかく特撮マニアは「路線変更」を「害悪」であるかのように批判することが多いものだ。


 平成ウルトラのスタッフたちもそれに影響されたのだろうが、ひとケタの低空飛行を続けていながらも、それに対してまったく「無策」であることを露呈させているかに思わせるほど、路線変更を潔しとせず、現実の子供人気よりもマニアに顔を向けているかのような、当初の設定を頑固に守り通そうとする頭の固さ、融通の効かなさには、筆者個人は歯がゆい想いをしていた。


 ひとケタのことばかり強調するようで申し訳ないのだが、『ファンタスティックコレクションNo.10 ウルトラマンPARTII 空想特撮映像のすばらしき世界』(朝日ソノラマ・78年12月1日発行〜『不滅のヒーロー ウルトラマン白書』(82年に初版・95年に増補第4版・asin:4257034505)に合本再録)では、第2期ウルトラシリーズ最終作『ウルトラマンレオ』(74年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20090405/p1)を批判する手段として、第17話『見よ! ウルトラ怪奇シリーズ 狼男の花嫁』が視聴率ひとケタに陥ったことを、「ウルトラシリーズはじまって以来の不名誉な記録」などとあげつらっていたものだ。


 第2次怪獣ブームが発展した世間の変身ブームは、74年にはすでに峠をこえていてロボットアニメブームに潮流は移っていたのだから、これは時代の空気ともいうべきもので、『レオ』や第17話ばかりに責任があるとはとうてい思えない。
 これは第1期ライダーシリーズ最終作である『仮面ライダーストロンガー』(75年・https://katoku99.hatenablog.com/entry/20201231/p1)にもまったく同じことがいえる。とはいえ、合体巨大ロボットアニメが王者の時代も長くは続かず、『ストロンガー』の後番組として始まった『まんが日本昔ばなし』(76年)が視聴率30%を記録して、しかし78年にはもう都合3度目の変身・怪獣ブームが到来するのだから、子供というのは実に移り気なものである(笑)。


 一年間放映の予定が3クールで打ち切りという、「ウルトラシリーズはじまって以来の不名誉な記録」を残してしまった『ウルトラマンネクサス』(04年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20041108/p1)もまた然りである。


 これも『A』に負けないくらいの斬新な多数のファクターを数々抱えていた。しかしながら、ウルトラマンに変身する人間がバトンタッチしていくという設定はともかく、防衛組織というよりはモロに軍事組織だったナイトレーダー、それが事件を市民にひた隠し、当事者や目撃者の記憶を消去してしまったり、怪獣に代わるスペースビーストの造形や演出に感じられたゾッとするような生理的嫌悪感、ライバルヒーローがヒロインを射殺してしまうなど、年長マニアはともかく、とても子供が喜ぶとは思えない要素ばかりであったにもかかわらず、それらを整理しようとはしなかった。


 私事で恐縮だが、筆者や弟の啓蒙によって、せっかくウルトラファンになりかかっていた甥は、『ネクサス』でウルトラから離れることとなってしまったのだ(笑)。



 番組の目玉として盛り込まれた斬新な設定も、視聴率に反映されなければ、見直しが図られるのはテレビ界の鉄則である。なにも特撮ヒーロー作品にかぎったことではない。


 講談社『KODANSHA Official File Magazine ULTRAMAN Vol.6 帰ってきたウルトラマンウルトラマンA』(05年6月24日発行・asin:4063671747)によれば、脚本家の市川森一(いちかわ・しんいち)氏は、ダンテの『地獄篇』の世界というくらいの気迫、悪魔がこの世を乗っ取りにきて、地球が地獄と化すような野望をヤプールに抱かせていたという。クリスチャンである市川氏が考えたヤプールは「悪魔王サタン」的な存在、あらゆるものの「内面に潜む悪の権化」という、抽象的な存在であったそうだ。


 とはいえ、その発言もまた、やや後付けの気配は感じなくもない。『A』第1話に登場したミサイル超獣ベロクロンなどはゲストの悪人や奇人変人の心の隙間に付けこむような悪魔・メフィストフェレス的な存在などではなく、単なるパワーファイターでもあったからだ(笑)。


 それはともかく、市川は自身のその観念がなかなか他のライターには理解されにくかったとしている。


 上原正三(うえはら・しょうぞう)氏は、


●第2話『大超獣を越えてゆけ!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060515/p1
●第5話『大蟻超獣対ウルトラ兄弟』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060604/p1


といった上記のエピソードで、異次元人ヤプールよりも超獣誕生のディテールにこだわっている。


 田口成光(たぐち・しげみつ)氏は、


●第3話『燃えろ! 超獣地獄』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060521/p1
●第6話『変身超獣の謎を追え!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060611/p1


 第23~24話でヤプールが壊滅したあとでも、


●第32話『ウルトラの星に祈りをこめて』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061210/p1


といったエピソードでは、人間に擬態できる工作員としての超獣を描いている。


(上原氏も、第11話『超獣は10人の女?』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060731/p1)で、人間に擬態する超獣、厳密には女ヤプール10人を描いていたが)


 ヤプール(と超獣)に対するアプローチの方法はまさに三者三様ではあったのだ。


 こうした脚本家によるヤプールや超獣の描写の相違が、むしろヤプールの侵略計画がバラエティに富むことに貢献することとなったと、筆者は好意的に受けとめている。


●第3話『燃えろ! 超獣地獄』
●第6話『変身超獣の謎を追え!』
●第11話『超獣は10人の女?』
●第17話『怪談 ほたるケ原の鬼女(きじょ)』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060904/p1
●第22話『復讐鬼ヤプール』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061010/p1


 やはり、ヤプールが壊滅したあとだが、


●第25話『ピラミッドは超獣の巣だ!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061021/p1
●第37話『セブンの命! エースの命!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070129/p1


 これらのエピソードでは、超獣や侵略宇宙人たちは、TAC基地や関連施設を直接に攻撃しているのだ!


●第13話『死刑! ウルトラ5兄弟』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060803/p1
●第14話『銀河に散った5つの星』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060805/p1


 上記の前後編では、防衛隊どころか、ウルトラ兄弟さえ直接攻撃の対象にしている!


 市川氏が当初に思い描いていた、人間の様々な「欲望」や「執念」をヤプールが利用する「心理悪用作戦」と並行して、「物理的な力押し作戦」もまた数多く描かれることとなったのだ。


 それは当初の狙いとは違うだの、ヤプールはやはり精神的・怨念的な存在でなければならないなどと批判するマニアがいる。


 だが、もし仮に精神攻撃ばかりをやっていたとしたら、それはそれで別の方向性でのパターン化はまぬがれえなかったところだろう。やはり今ひとつ地味で陰湿でスカッとせずに、作品世界のスケール感も大きくはならなかっただろうと思われるのだ。


 そもそも、他の特撮変身ヒーロー作品を論じる際は、当初はだいだいは物理的・力押しの侵攻作戦を展開していた悪の組織が、製作予算の都合もあってか(笑)、シリーズ中盤になると主人公のみを狙ったり、あるいは主役を精神的に揺さぶる作戦に転じてしまうことを、「悪の組織のくせにやることがセコい!」などと批判をすることが定番となっている特撮マニアたちが、ことヤプールに関してとなると、まったく逆の論理展開をしてしまって、しかもその矛盾にも気付けていない……


 市川氏以外の上原氏や田口氏が描いていた、カラッと乾いた科学的な攻防戦やスパイ戦は、むしろ本来は第1期ウルトラシリーズの事件中心・攻防中心ノリに近い感覚のものなのにだ!


 市川氏以外の作家が勝手にヤプールを殺したという批判は、たしかにまぁそのとおりではある。しかし、これもそう単純ではないのだ。「勝手にヤプールを殺した」といわれている、第23話『逆転! ゾフィ只今参上』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061012/p1)の脚本・監督を務めた真船禎(まふね・ただし)は、以下のように語ってもいる。



「なんだか勝手に僕がヤプールを殺しちゃったみたいだけど、別に殺したつもりはなかったんです。だから結局ヤプールはちゃんと復活するんですよね。そりゃそーだよ。不死身だもんね(笑)。いや僕は不死身でいいと思うの。つまり人間が続く限りね、マインドコントロールする要素っていうのは、永遠に続くはずだもんね。だいたいヤプールって実体のないモノなんだから、殺せるわけがない(笑)。ヤプールというのは意識の中のものと僕は思っていたからね。いくらでも表現できるし、そのときの都合によって、人間が生きている限り、存在はすると。姿がないから観念の所産であり、キリスト教でいう悪魔の存在」


「『ウルトラマンシリーズ』だからこそできる。『ウルトラマンシリーズ』でなきゃできない、というモノが凄くあるんだよね。なにもかもが許されるのが『ウルトラマンシリーズ』でしょ。23話だって、こんなの今テレビじゃできないですよ、過激すぎて。だけどそれをやれるのが『ウルトラマンシリーズ』。テーマ的にもなんでもやれる、どんな事件も扱える、どうしてもダメなときは特撮が入ってくる。こんな自由な世界はないよね。これが『A』というか、『ウルトラマンシリーズ』に対する、ひとつの僕の思い入れですね」


(『DVDウルトラマンA』Vol.6(デジタルウルトラプロジェクト・04年8月27日発売・asin:B00024JJHO)解説書掲載の真船禎監督インタビューより)



 これもまた後付けの見解である可能性はあるのだが(笑)、勝手にヤプールを殺したどころか、市川森一氏が創造したヤプールの設定を、上原正三氏や田口成光氏以上に、ある意味で最も忠実に描いてみせたのは、実は真船禎監督だったのだ!


 真船氏が「不死身だ」と語ったように、ヤプールは次作『ウルトラマンタロウ』(73年・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20071202/p1)、遠未来を舞台とするらしい90年代の児童向けマンガ『ウルトラマン超闘士激伝』(93〜97年・ISBN:4835444094ISBN:4835444108[asin:4063216853])、『ウルトラマンメビウス』(06年)第24話『復活のヤプール』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061112/p1)、そして劇場作品『ウルトラマンメビウスウルトラ兄弟』(06年・松竹 http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070128/p1)で見事に復活を果たしている。


 「人間が生きているかぎり存在する」という、実に都合よく使えるヤプールの設定を、「殺された」などと勝手に解釈するマニア評論の影響を受けるのではなく、後世の平成ウルトラのスタッフも自由にいくらでも利用すればよかったのである。



 ただ、筆者としても、まだ幼児のころの放映当時はともかく(笑)、長じてから残念に思えるのは、北斗と南の男女合体変身の解消のことである。


 これに関しては、第28話『さようなら 夕子よ、月の妹よ』評(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061111/p1)でも分析したとおり、本記事では『A』第3クール以降の強化案メモに夕子の記述があることから、彼女の公式ブログでの発言よりも、近年星光子氏が各媒体で披露してきたように、舞台の夢を捨てきれなかった彼女が降板の意向を示した可能性が高いという立場の仮説を取っている。


 だが、その一方で以下のような証言もある。



「北斗と南を合体させるため、最初はウルトラタッチだけで目新しかった。けれども話が進むにつれ、北斗と南という“男女”を描かねばならなくなった。ところが二人の仲がそれ以上深まらなかったんですよ」

(先述の『円谷新報・号外』より橋本氏)



「たとえば『ウルトラセブン』(67年)のダンとアンヌのように、“正体を知られるわけにはいかない”みたいな秘密があった方が、より二人の距離が縮む過程を描きやすいんですね。その意味ですでに“合体”してしまっている北斗と南の間には、あまり秘密らしい秘密がない。それ以上、二人の距離を縮めることは難しかったんですよ」

(同・熊谷氏)



 今回の12年ぶりの再見で、筆者も初めて気づかされたのであるが、


●第4話『3億年超獣出現!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060528/p1)における漫画家・久里虫太郎(くり・むしたろう)の美川隊員に寄せる歪んだ愛
●第7話『怪獣対超獣対宇宙人』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060618/p1)~第8話『太陽の命 エースの命』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060624/p1)前後編における山中隊員と婚約者・マヤとの間の悲しい愛
●第9話『超獣10万匹! 奇襲計画』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060708/p1)におけるじゃじゃ馬カメラマン鮫島純子と今野隊員のコミカルな恋愛
●第21話『天女の幻を見た!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061009/p1)における天女アプラサに寄せる地球人の若者の愛
●第25話『ピラミッドは超獣の巣だ!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061021/p1)におけるオリオン星人ミチルに対する北斗の同情的な愛(そしてミチルに対して夕子が見せる、まさに嫉妬からと思われるムキになった態度!)
●第37話『友情の星よ永遠に』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070114/p1)における北斗の友人・加島(かしま)に対する真弓の献身的な愛


 子供が喜ぶ娯楽作品、良質な児童向けドラマだと思いこんでいた『A』に、これほどまでに恋愛的な要素が散見されることに意外の念を覚えたものだ。


 特に第4話・第21話・第37話などは、まさに大人になってから観た方がより理解できる感情表現が描かれた、大人同志の人間ドラマが濃密に描かれているのである。筆者はドラマ至上主義者では決してないのだが、第2期ウルトラにはドラマがないだなんて批判はそれこそ的ハズれである。


 だがその反面、肝心の北斗と夕子に関しては、


●第5話『大蟻超獣対ウルトラ兄弟』での買物デート
●第6話『変身超獣の謎を追え!』での、夜間パトロール中に夕子が夜空を見上げて北斗が「父親の記憶がない」ことを語ってみせたことを回想するシーン
●第8話『太陽の命! エースの命!』での、ウルトラバーリアの使用でエネルギーを消耗した夕子を介抱するシーン
●第9話『超獣10万匹! 奇襲計画』ラストで、夕子が北斗のお尻をつねるシーン(笑)
●第11話『超獣は10人の女?』で、北斗がそうと語らず潜入捜査に入ったと信じて、徹夜でTAC指令室で通信を待ち続けるシーン
●第19話『河童屋敷の謎』で、北斗と行動を共にして、屋台のゲスト少年に肩入れすることで本心を見せるシーン
●第25話『超獣はピラミッドの巣だ!』で、ゲスト女性のミチルと北斗の関係に嫉妬の情を垣間見せるシーン


といった魅惑的なシーンはたしかにけっこうあるのだが、夕子の黒髪ショートのおかっぱ頭で幼げな風貌、そして男性や周囲に対していかにも愛敬や媚びを露骨に売るような見た目や人となりではないので、男女間の仲としてはそれ以上の進展はたしかに感じさせにくかったかもしれない。橋本氏や熊谷氏が分析してみせていることも正鵠を射ているのだ。


 しかし、それもまたやはりスタッフたちの後付けによるリクツであって、当時のスタッフたちは子供番組において主役の男女描写があまりに生グサくなってしまってもよくないという配慮を、意識的・無意識的にしていたゆえのセーブ・抑制もあったのではなかろうか?(笑)
 そして、女児はともかく、男児の身で考えれば、男女の仲の意味は実はわかっているにしても、わかっているだけに本能的に気恥ずかしさを感じてしまったことも事実なのだ。よって、このへんの塩加減もまた重要なのだ。


 とはいえ、円谷プロの『恐竜大戦争アイゼンボーグ』(77年)や東映の合体ロボアニメ『マグネロボ ガ・キーン』(76年)などの同じく「男女合体変身」をモチーフとした作品と比較しても(前者は兄妹であったが)、『A』の主役男女の描写が特段に劣っていたともまたいえないのだが。



 DVD『ウルトラマンA』Vol.13(デジタルウルトラプロジェクト・04年11月26日発売)の映像特典『明日のエースは君だ!〜制作回顧録〜』において、脚本の上原正三氏は


「男女を突き詰めて描くとウルトラマンが見えなくなる」


と語り、監督の山際永三氏は


「どれもこれもウマくいかないから単純なところに戻そうとした」


とも語っている。先に幾度も述べたとおりで、筆者個人はそれらの見解は、70年代末期以降のマニア評論の影響による後付けのリクツではないのか? と思っているのだが(笑)、スタッフの一部では男女合体変身という設定が、やはり扱いにくくなっていたことはあったのだろう。


 そこに星氏側から降板の話が持ちこまれたことで、双方の思惑(おもわく)が合致。設定の消滅に至ったというのが事の真相だと筆者は考える。



 しかし…… コジツケでオカルト・神秘主義的に解釈するのであれば、北斗と南はともに7月7日生まれであった。つまり、織姫と彦星の「七夕伝説(たなばた・でんせつ)」とも合致するのだ。現代の織姫と彦星でもあった男女の別離の悲運とは、不可思議なことではあるが、結果的に、いや製作者の表層意識の思惑すら超えて、超自然的に見事に符合してしまったのだとも感じさせなくもないのだ!?


 しかも、皮肉にも北斗と南の別離によって、良くも悪くも子供の視聴者であった我々の心の中に「未練」や、人の世のさまざまな出来事に関する「不条理」といった感慨が何十年も残り続けてしまって、北斗と南の物語として完結するハズであった可能性には満ちあふれていた、実に惜しまれる未完の大作! といった感慨をも抱かせて続けてきた観もあるのだ。


 織姫と彦星は年に一度、七夕の日にしか会うことはできなくなってしまった。しかし、第38話『復活! ウルトラの父』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070121/p1)や第52話(最終回)『明日(あす)のエースは君だ!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070429/p1)と、夕子が月に帰ってからも、北斗と夕子は半年あまりの間に二度も再会を果たしている。次作『ウルトラマンタロウ』第39話『ウルトラ父子(おやこ)餅つき大作戦』でも、夕子は出演を果たすことなったのだ。


 第28話『さようなら 夕子よ、月の妹よ』のシナリオを見た際に、山際監督は脚本の石堂淑朗(いしどう・としろう)氏に対して、


「石堂氏が押しつけがましく夕子を月星人(げつせいじん)にしてしまった。自分で勝手に決めるなよ!」


と先述の映像特典の中で笑いながら語っていた。もちろん、ご承知のとおりで、ひとりの下請けの脚本家に過ぎない石堂氏が独断で南夕子を月星人にしたといったことはアエリない。『A』という作品のチーフ・プロデューサーである橋本プロデューサーとの合意、橋本プロデューサーの指示で南夕子は降板したのだ。


 実に唐突な処置ではあった(汗)。しかし、山際監督はこの「なんとかしなくちゃいけない」という緊張感が、同話の画面の最初から緊迫した雰囲気を作りだしていたとも評している。


 とはいえ、橋本プロデューサーは「面白いからどんどんやっちゃえ!」と容認したのだと発言している(笑)。



 話は変わるが、「面白いからどんどんやっちゃえ!」で思い出した(笑)。石堂氏は「あなたが書くホンは面白いけど、なんの役にも立たないね」と評されるのが最大のホメ言葉であるそうだ。「僕のホンは落語だ。古今亭志ん朝だ」と自負しているそうだ。「テーマ性よりもデマゴーグ」であり(笑)、前後の意味がつながらなくても「面白ければいいじゃないか」とも語っている。



 話を元に戻すが、TV局のプロデューサーやスポンサーや広告代理店を差し置いて、本当にそんなに簡単なノリで主演女優の降板が決まったのだろうか? という疑問は大いに残る。よって、このへんの特典映像での発言も、大枠ではともかく細部の真偽については、話半分に受け取った方がよいだろうと筆者は考えるのだ。


 主演女優の降板という危機に対しては、語られているかぎりでは一見、実に軽いノリで臨(のぞ)んでいるかに見受けられるが、


「最初のころに『A』が持っていた、観念的なカセは途中で全部はずしたから、後半はもうなんでもやりましょうとなった」


などと先の映像特典の中で橋本氏が語っている。そのとおりで、こうした明るく前向きな発想だけではなかっただだろうが、夕子が降板して以降の第3クールの方が実際にも視聴率の数字が高くなっている(汗)。


 先述の『ULTRAMAN VOL.6』によれば、第1話『輝け! ウルトラ五兄弟』は28.8%もの視聴率を稼ぎ、同時にスタートしたNET(現・テレビ朝日)の『変身忍者 嵐』の4.1%に圧勝している。しかしながら、第2話『大超獣を越えてゆけ!』は22.6%、対する『嵐』は6.7%と、視聴者がわずかに『A』から流れたとおぼしきフシが見られる。以後、第23話『逆転! ゾフィ只今参上』に至るまでの間、『A』が20%超えを記録することがなかった。
 この結果を見ると、『変身忍者 嵐』は意外と健闘していたのではないかとも思われる――関東では一度も再放送がなかった『嵐』であるが、名古屋地区では放映が終了した73年に早くも夏休みの午前中に再放送されており、名古屋地区の筆者の周囲では同作は相応に人気があった。ちなみに、名古屋地区では『嵐』の本放送は夕方であったような記憶があり、筆者も夢中になっていた!――。


 だが、ヤプールを消滅させた第24話『見よ! 真夜中の大変身』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061015/p1)が20%台を回復!


 第27話『奇跡! ウルトラの父』が26.3%を記録!(「みんな新しいキャラクターを待ち望んでいたんだよね」・先述の「円谷新報」より橋本氏)


 そして、第35話『ゾフィからの贈りもの』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061231/p1)に至るまでは、常時20%台をキープする。


 この時期が実は視聴率的には黄金時代だったのである。


 災いを転じて福と成したのは、『仮面ライダー』同様、『A』もそうだったのである。とはいえ、この視聴率の上昇を夕子降板や、第3クールでの自由な試みだけに帰結させることもまた難しい。例に挙げたとおりで、各話の内容というよりも、第23話でウルトラ兄弟の長男・ゾフィーが客演したから第24話の視聴率も上がって、第26話でウルトラ兄弟が勢揃いしたから第27話の視聴率も上がって、第27話でウルトラの父まで登場したから、その余韻で第3クールは視聴率が高かった! とも分析できるからだ。そうなると、第3クールの各話の内容ではなく、視聴率の上昇はひとえにウルトラ一族のゲスト客演ゆえだったのかもしれない(笑)。


 そして、さらにいえば、裏番組に同系の特撮変身ヒーローものがまったくなかった前作『帰ってきたウルトラマン』、特撮変身ヒーローものではないが藤子不二雄原作の子供向けアニメ『ジャングル黒べえ』が裏番組にあった次作『ウルトラマンタロウ』の視聴率は、『A』と同列には論じるべきではないだろう。


 裏番組と視聴者を喰い合っていた『A』の真の実力は、その視聴率に『嵐』の視聴率(4〜10%?)を加算して考えるべきではなかろうか!? そう考えると、『A』の視聴率的実力は前作『帰ってきた』を実は凌駕していたと見てもよいのではなかろうか!?
 『帰ってきた』の平均視聴率は22.7%、『A』の平均視聴率は18.7%で、その差は『嵐』第1話の視聴率に相当するわずかに4%なのだ! 『A』の視聴率的実力を侮(あなど)るべからず!!


 ちなみに、放映終了のはるかに後年のことであるが、『A』再評価同人誌『全員脱出! 3』(89年5月吉日発行・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070331/p1)において、『ウルトラマン80(エイティ)』(80年)終盤が放映されていたころの81年3月14日付の新聞(出典不明)に掲載された〈視聴率ベスト20〉(81年3月2日〜8日)に、当時はフジテレビ系の関西テレビで再放送されていた『A』が26.1%という驚異的な高視聴率を上げていたことが紹介されている。……これって本放映以上の視聴率だろう!(笑)


(編註:1984年に関東は日本テレビで平日夕方6時に放映された『エース』の視聴率も、当時の6時半台で放映されていた日テレのニュース内の1コーナーにて、同局の番組の視聴率がTV番組表形式にてチラッと公表された際に、たしか「18%台」を記録していて驚愕した記憶がある。ちなみに、『80』の関東・中部・関西の全話平均・各クール平均視聴率は以下に掲載。「『ウルトラマン80』総評 〜あのころ特撮評論は思春期(中二病・笑)だった!」・http://d.hatena.ne.jp/katoku99/19971121/p1



 この具体的な数字を見れば、『A』は初期話数だけがいい! とか、市川森一脚本回だけがよくて石堂淑朗や田口成光の話はつまらない! とか、ダン少年編は全然ダメだ!(笑~某巨大掲示板の特撮スレ「登場することで作品をつまらなくしたキャラ」でもしっかりと挙げられていた!) などといった、特撮マニアたちによる『A』に対する評価が完全な思いこみに過ぎず、まったく現実を見ていないことが明白である。


 市川氏がメインライターを務めて、重厚な造形が魅力の超獣が登場していた初期編よりも、市川が離れて石堂や田口が台頭し、口の悪いマニアからは「ちんどん屋」呼ばわりされた超獣が登場し、それこそボロボロに酷評されまくりのダン少年編がスタートする前後の約3ヶ月間の方が、視聴率的には勝っていたのである!


 たしかに初期の意欲的な試みは持続されなかったものの、それに代わる新たな魅力を次々と生み出し、結果としてバラエティに富んだ作風となり、すべてが成功したとはいえないまでも、きちんと視聴率的成果を上げたという事実はもっと評価されて然るべきである。初志貫徹できなかっただの再三、路線変更したなどと、頭ごなしに否定するのは誤りではないのかとも思うのだ。



 市川氏のキリスト教的な世界観とはまさに対極に位置すると思われる、アニミズムの権化ともいうべき石堂淑朗氏ではあるが、上原や田口とは異なり、


●第16話『夏の怪奇シリーズ 怪談・牛神男(うしがみおとこ)』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060903/p1
●第33話『あの気球船を撃て!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061218/p1
●第38話『復活! ウルトラの父
●第41話『冬の怪奇シリーズ 怪談! 獅子太鼓』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070209/p1
●第43話『冬の怪奇シリーズ 怪談 雪男の叫び!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070224/p1
●第47話『山椒魚(さんしょううお)の呪い!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070324/p1
●第51話『命を吸う音』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070423/p1


 上記のエピソード群でこそ、市川氏が第4話『3億年超獣出現!』において描いた「ひとりの人間の心に渦巻く欲望と執念が超獣を生み出す」という概念が実はきちんと踏襲されているのだ! そして、そこに石堂氏独自の魅力的な解釈が加えられることにより、様々な名編が生み出されていったのだ。


 もちろん、そういったゲストの情念や怨念を前面に出したエピソードばかりではなく、


●第45話『大ピンチ! エースを救え!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070310/p1
●第50話『東京大混乱! 狂った信号』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070415/p1


といった、完全な攻防バトルに徹した超娯楽作品も存在している!


●第21話『天女の幻を見た!』
●第28話『さようなら 夕子よ、月の妹よ』
●第38話『復活! ウルトラの父


といった、ロマンチックな風味の作品も生み出すなど、氏の功績ははかり知れないものがあるのだ。いささか暴論ではあるが、『A』の真のメインライターは石堂氏であると断言しても過言ではないほどだ。


 そして、途中参加の石堂氏とは異なり、企画時から最後まで『A』に携わった唯一の脚本家・田口成光は、


●第13話『死刑! ウルトラ5兄弟』
●第26話『全滅! ウルトラ5兄弟』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061030/p1
●第27話『奇跡! ウルトラの父』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20061105/p1


 以上の前後編をはじめとするイベント編も手掛けている。


●悲劇の名作であった第18話『鳩を返せ!』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20060907/p1
●第42話『冬の怪奇シリーズ 神秘! 怪獣ウーの復活』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070219/p1


 上記の2編は、子供と超獣(怪獣)との心の交流を描いた泣かせる話であった。


 つまり、イベント性とリリカル風味といった対極である二本柱を武器に大健闘! その功績が認められてか、次作『ウルトラマンタロウ』ではメインライターに昇進しているのだ。


 こうした両氏の活躍を無視して、『A』を評する行為自体が完全に無理があるのだ。



 さらに、北斗とダン少年を軸にして、少年ドラマやホームドラマ的な要素を強調した第3クールの「ダン少年編」も、たしかに前作『帰ってきた』の次郎くんや次作『タロウ』の健一くんと比較すれば、ダン少年自身にキャスティング的にもナマイキそうでクセがある少年といった欠点はあるのだ(笑)。しかし、前後して描かれたウルトラ兄弟ウルトラの父の客演も手伝って、視聴者の子供たちの作品への訴求力は高まったことで、高視聴率は獲得ができていた。


 不充分でも確たる実績を上げていたにもかかわらず、そうした要素をまったく軽視、無視、そして敵意まで抱いて、第1期ウルトラシリーズ至上主義者が排除してしまった要素が、その後の特撮変身ヒーロー作品低迷の遠因になったのだと、筆者は考えるのだ。



 逆に云えば、商業的には完全に失敗していたにもかかわらず、『シルバー仮面』のアダルトな作風・人間ドラマを「早すぎた傑作」などと賛美する一方で(2006年現在に放映しても商業的には失敗すると思うが・笑)、同作に登場する敵の宇宙人たちのSF考証のいい加減さ、第1期ウルトラシリーズに登場した「宇宙の神秘」とも程遠い、泥クサくて垢抜けない怪人であったことや、その宇宙人たちを演じた声優たちの演技も完全に下品に哄笑する「チンピラ」系で表現しているのに、それらは非難せずに、第2期ウルトラシリーズに登場する宇宙人のことだけは「チンピラ」呼ばわりしてしまうのは、どういうことなのか?


 特撮雑誌『宇宙船』が1984年に『シルバー仮面』再評価特集を実施したことはよいのだが、そこでストップしてしまって、あとは権威主義的に崇め奉って思考停止になってしまい、『シルバー仮面』にも存在している第2期ウルトラシリーズ的な欠点についてはスルーをしてしまう! そういったダブルスタンダードについては疑問を感じてならないのだ。


 そして、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、光学合成を駆使したエースの華麗で多彩な光線技までも、口汚く「ご都合主義だ!」などと批判する連中については、もうロジックもクソもない(汗)。エースの多彩な光線技はカッコいいだろう! ヒーローのヒーローたる所以(ゆえん)! 万能性の極北で、子供のころには憧れたハズだろう!
 放映当時、すでに中高生であれば、初代ウルトラマンウルトラセブンと比較して万能すぎて反則だ! と思ったのかもしれないが、それはアナタたちが年齢的にもターゲットから外れていて、しかもジャンル作品を一番キビしく観てしまう年頃だったからだろう(笑)。



 先述の講談社『ULTRAMAN VOL.6』でも、ミサイル超獣ベロクロン・異次元超人巨大ヤプール・黒雲超獣レッドジャックの写真を並べて、


「ベロクロンは第1話超獣とあって、それまでの怪獣と違う強烈なインパクトを与えたが、レッドジャックのころになると脚本とデザインの有機的な結合がなされなくなり、見た目の派手さと反比例し、没個性となった」


なる説明が加えられている。


 実際には『A』後半の超獣たちは、「脚本」と「怪獣デザイン」がある意味で即物的なまでに安っぽく有機的に結合していただろう!(笑)


 先述の朝日ソノラマのファンコレ『ウルトラマンPARTII』においても、「外見的にケバケバしいだけ」だとしてレッドジャックのデザイン画が掲載されたりと、つくづくレッドジャックも浮かばれない。四半世紀を経てもファンコレ『ウルトラマンPARTII』の記事を芸もなく引き写し、まったく変わることのないマニア上がりのライターたちによる、悪意に満ちた表現は、彼らの「ご都合主義」的知性の典型であるかと思うのだ。


 『A』の美術を担当した鈴木儀雄氏は、宇宙の生物と地球の生物とを融合させた多面的なものを具体的な形にするのは非常に難しく、複雑怪奇・形が不定形で実際の着ぐるみにすると演技がしづらい、金も時間もかかるなど、造形の開米栄三氏をはじめ、撮影現場からも叱られていたなど、苦労が多かったことを先述のDVD映像特典の中で語っていた。


 それこそ試行錯誤の連続であったことと思うが、熊谷氏も語っていたように「デザインする人のためのイメージがない」抽象的なものを、毎回よくぞまとめあげたものだと、敬服せずにはいられないものがあるのだ。


 それをまさに実感したのが、2006年7月15日から9月10日まで世田谷文学館で開催された『不滅のヒーロー・ウルトラマン展』(http://d.hatena.ne.jp/katoku99/20070325/p1)を「話のタネになれば」と最終日に訪れたときだった。


 そこに展示されていた異次元超人エースキラー・殺し屋超獣バラバ・地獄宇宙人ヒッポリト星人。『タロウ』に登場した怪獣である火山怪鳥バードン・極悪宇宙人テンペラー星人・暴君怪獣タイラントなどのデザイン画は、鮮やかな色彩に彩られているばかりではなく、中には淡い色で背景までもが描かれているものもあって、怪獣デザインというよりはパステル画の芸術作品が描かれているような印象を受けたものだ。


 表現が適切ではないかもしれないが、第1期ウルトラ怪獣をデザインした成田亨氏が、ダリや岡本太郎を彷彿とさせる、現代芸術に顕著な「抽象」作品の大家と考えるならば、第2期ウルトラの怪獣デザインにはモネやルノワールなど、「印象派」画家の趣を強く感じるのだ。
(ちなみに、川崎市岡本太郎美術館で06年7月11日から9月24日まで開催された『ウルトラマン誕生40年の軌跡 ウルトラマン伝説展』では、成田氏の怪獣デザイン画が多数展示されていた)


 これらの表現方法を比較して優劣をつけることなどは、意味がないと筆者は考えている。要するに、ダリや岡本太郎が、モネやルノワールよりも格が上だの優れているなどと論じることは、個人の好悪は別にすれば、客観的には不可能なのである。
(関連記事:特撮意見② 怪獣デザイン〜今こそ成田3原則の絶対化を止め相対視を!〜抽象芸術と具象芸術に優劣なし


 「写実主義」が盛んだった19世紀中盤に「印象派」の画家が出現したころ、当時の美術界はこれを徹底的に酷評したものだ(それこそ第1期ウルトラ至上主義者並みに!)。それと同じ愚を繰り返してはイケナイということなのだ。


 だいたい、そもそも見た目が派手な怪獣の存在がナゼいけないのか? 以下の証言を見れば、やはりそれは筆者だけの感慨ではないことが判明する。



「私どももいろんな縫いぐるみ作っていましたけどね。ともかく色がアニメと合体したようなカラフルなものになってきた。カラーテレビの画面に合うような縫いぐるみになってきた。ああいう色をつけると小さい子供には受けがいいわけですね。あとデコラティブ(引用者註:装飾的)な形も。だから、今はどこの会社の怪獣も、超獣的な色合いやデザインでやってますけど、それなりにみんな成功してるんじゃないですかね。エースの造形自体もね、当時は「変わった形だな。これからは、こういう変わったウルトラマンになるんだろうな」と思った。ですから今現在のウルトラマンにしろ、形がちがう。だんだん、こう超獣的になったでしょ。今はみんな超獣的なんですよ。今の人間が装飾的でカラフルですからね」

(DVD『ウルトラマンA』Vol.4(デジタルウルトラプロジェクト・04年8月27日発売・asin:B00024JJH4)解説書掲載の開米プロダクション代表・開米栄三氏インタビューより)



 『A』放映当時には『ミラーマン』の怪獣や『人造人間キカイダー』(72年)の敵怪人ことダークロボットなども並行して手掛けていた開米氏は、怪獣はだいたい色も黒や茶色と決まっていて、模様もないので全体像がよくなければならないが、超獣は原色を使ってカラフルに、デコラティブにしてある分ハッタリが効き、画面に映って見栄えがいいとも語っている。先の証言とも併せて、開米氏は色彩がカラフルでデコラティブな形である点が、超獣としての最大のアイデンティティであると考えておられるようだ。筆者もこれには大いに同感である。


 「怪獣との明確な違いが不明」などと超獣を批判する輩も多いが、そうか? 見た目一発判然で違っていただろう。……たしかに次作『タロウ』第1話に登場した超獣オイルドリンカーだけは、どのへんが超獣なのかがわからなくて、ただの怪獣にしか見えなかったものの(笑)。


●『サンダーマスク』(72年)に登場する、魔王デカンダに操られる怪獣は「魔獣」と呼ばれた。
●『流星人間ゾーン』(73年)で、ガロガバラン星人にミサイルで地球に送りこまれた怪獣は「恐獣」と呼ばれていた。
●TVアニメの『デビルマン』(72年)の悪魔・デーモン族が、各話で繰り出す刺客たちは「妖獣」と呼ばれていた。
●同じくTVアニメ『マジンガーZ』(72年)で、ドクター・ヘルが繰り出すゲストのロボット怪獣は「機械獣」であった。


 当時、乱立する他社のライバル作品と差別化するために、開米氏が云うように「ハッタリを効かせて」、それで「超獣」というネーミングを新たに用いたといった面もあるのだ。


 だからといって当時、「魔獣」や「恐獣」に対し、「どこが怪獣と違うんや〜!」などと批判をするようなリアルタイム世代の皆さまの周囲にいただろうか? 「エースは男と女で変身するからオカマや」(爆)などとヌカした憎たらしい奴はいたものだが、まだその方がもっともらしいくらいである。



 特撮面では、第1期ウルトラシリーズ~『帰ってきた』までの東京美術センター(現・東宝ビルト)から、東宝撮影所の第九ステージという最も広いスタジオ(ホリゾントも高かった!)が使用可能、というよりも東宝に下請けに出されたことによって、東宝所有のミニチュアの数が圧倒的に増えて、超獣の大暴れやエースとのバトルも迫力あふれるダイナミックなものとなっていた。
 本作はのちに平成『ゴジラ』シリーズ(89〜95年・東宝)で活躍することになる川北紘一特技監督のデビュー作でもあって、その担当回には後年の東宝特撮映画の片鱗(へんりん)も多々見られるのだ。


 もっとも、超獣とエースとのバトルになると突然大きな「広場」ができている(笑)。実は後年の平成ウルトラシリーズだって、UPにならないかぎりは、その中ほどは「広場」になっているのだけど。
 ただし、これに関しては、後年のウルトラシリーズのように、たとえ実際は「広場」でも、その地面をカメラマンが写さなければ問題はなかったので欠点ではあるのだ。しかし、実際にはナゾの「広場」が堂々と写されてしまうエピソードはそんなにたくさんあるわけではないのである。たしかにシリーズの印象を決める第1話をはじめとして幾回かで「広場」が写ってしまったことによる刷り込みの事実を否定するわけにもいかないので、狂信的に何がなんでも正当化しようというのではないのだが。


 特に、シリーズ序盤はともかく、シリーズ中盤になると、超獣のデザイン、あるいはデザインはよいのだろうけど造形で残念なことになっているとおぼしき個体が散見されることは、たしかに残念なことではあったのだ。


 しかし、そのような欠点ゆえに、『A』における下請けの東宝スタッフ陣による特撮美術・ミニチュアの精巧さやその数の膨大さ、そしてそれらをローアングルでナメて巨大感を出していた特撮演出のすばらしさまでをも、見過ごしにしてはならないのだ!



 そう。当時の製作に携わったとはいえ、記憶違いもあるかと思われるスタッフの証言、そして自分たちが勝手に定めた尺度によってしかモノを見ないマニアたちによって書かれた誤解と偏見に満ちた酷評、そしてそれらに毒され、観た気になっているマニアの継承者たちに惑わされてはならない。


 そうした先入観に染まっていないマニア諸氏が、新鮮な気持ちで作品を観ることによって、『A』に対する最も正当な評価が下されると、筆者は信じて疑わない。

2006.11.23.


(了)
(初出・特撮同人誌『仮面特攻隊2007年号』(06年12月30日発行)『ウルトラマンA』再評価・全話評大特集より抜粋)



『假面特攻隊2006年号』「ウルトラマンA全話評」#1〜23関係記事の縮小コピー収録一覧
静岡新聞 1972年4月7日(金) SBSテレビきょうのハイライト新番組ウルトラマンエース 輝け!ウルトラ五兄弟(安心堂、はごろも缶詰提供) 〜大枠紹介記事
静岡新聞 1972年3月20日(月) SBSテレビ春の新番組〈7〉ウルトラエース 男女の空中合体で変身 〜まだこの時期は「マン」抜きの「ウルトラエース」名義
朝日新聞 2005年4月3日(日) 受刑者家族の会設立へ監獄法見直し「要望、当局に伝えたい」 〜「獄中者の家族と友人の会」呼びかけ人は山際永三監督
・『小学一年生』72年9月号ふろく「小一怪獣ひみつ百科」 〜美川隊員・西恵子のサイン付(笑)2005.2.2
毎日新聞 1972年4月5日(水) TBS春の新番組宣伝広告 〜エース・日本一のおかあさん(水曜夜7時、司会・萩本欽一)・1・2・3と4・5・ロク(ちばてつや原作、木曜夜7時)
静岡新聞 2005年10月25日(火) 根上淳訃報記事「白い巨塔」など脇役 〜『帰ってきたウルトラマン』伊吹新隊長役
朝日新聞 2005年10月26日(水) 根上淳訃報記事



『假面特攻隊2007年号』「ウルトラマンA全話評」#24〜52関係記事の縮小コピー収録一覧
・「ケイブンシャの原色怪獣怪人大百科(第2巻)(昭和48年版)」(1973年発行)
 〜巨大ヤプール・ギタギタンガ・サボテンダー・バクタリ・ウルトラの父・マザロン人・アングラモンの写真&解説パノラマ見開きページ。父は3万歳以上との記述。カイテイガガン・アクエリウス 
朝日新聞 2005年8月16日(火) 訃報欄・「中学生日記」脚本 山田正弘さん死去 〜10日、肺がんで死去。74歳
・「ウルトラ・オリジナルBGMシリーズ ウルトラマンエース」(84年)ジャケット
・「ウルトラ・オリジナルBGMシリーズ ウルトラマンエース」の発売日問合せ返答ハガキ・キングレコード㈱テレフォンセンター
静岡新聞 2006年1月30日(月) 客船「スカンジナビア号」 保存へ買い取り運動 GW三島など出資募る 1億5000万目標 〜客船スカンジナビア号保存へ買い取り運動開始
静岡新聞 1973年3月30日(金) TV欄・ウルトラマンエース=最終回=(安心堂、はごろも缶詰提供)超獣の王者が出現 〜「大超獣ジャンボキング」の記述・大枠紹介記事
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