生存報告
半年以上放置しておりました。
Twitterやはてなブックマークは、ちょいちょい触れていたので、別にこのブログの存在を忘れていたというわけでもなく。
でも、書けず、書かず。
しかし、ブログに限らず「書く」ことを遠ざけてしまっている自分がいることに気づいたのもあり、まず去年の6月で停止している状態を脱してみようと。
しかし、「とにかく更新する」だけなので特に中身もありません。
そして、2月中は別に書かなければならないものがあるため(無事に書けるとは言ってない)、3月以降にこちらを復活していければ。
以前に小田嶋隆さんの「書くためのモチベーションは、書くことによって維持される」という言葉を引用したけれども、その通りだなーという近況。
姉帯豊音の能力考察―暦占という仮説―
以前アニメの感想にかこつけて、六曜の各内容をもとに姉帯さんの能力を整理した。
今回は、では姉帯さんの能力がなぜ六曜なのか?という問題を考察したい。
1)「姉帯豊音=『遠野物語』における山女」の確認
姉帯さんのキャラクターデザインが山女を基にしたものであるという点は、アニメ全国編での石戸霞のセリフにて示唆され、また原作の時点で既にhannoverさんの考察にて詳しく論じられている。
山々の奥には山人住めり。栃内村和野の佐々木嘉兵衛という人は今も七十余にて生存せり。この翁若かりしころ猟をして山奥に入りしに、遥かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を梳りていたり。顔の色きわめて白し。不敵の男なれば直に銃を差し向けて打ち放せしに弾に応じて倒れたり。そこに馳けつけて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪はまたそのたけよりも長かりき。(後略)*1
また、その山女に占いのモチーフがあることはかんむりとかげさんの考察にて指摘されている。
上郷村に河ぷちのうちという家あり。早瀬川の岸にあり。この家の若き娘、ある日河原に出でて石を拾いてありしに、見馴れぬ男来たり、木の葉とか何とかを娘にくれたり。丈高く面朱のようなる人なり。娘はこの日より占の術を得たり。異人は山の神にて、山の神の子になりたるなりといえり。*2
山の神の乗り移りたりとて占をなす人は所々にあり。附馬牛村にもあり。本業は木挽なり。柏崎の孫太郎もこれなり。以前は発狂して喪心したりしに、ある日山に入りて山の神よりその術を得たりしのちは、不思議に人の心中を読むこと驚くばかりなり。その占いの法は世間の者とは全く異なり。(後略)*3
このように『遠野物語』には山女に関する記述が確認できるが、一方で「六曜」という語句は存在しない。そのためモチーフの推定が難航している。そこで本記事では、『遠野物語』の記述自体ではなく、六曜自体や遠野という地域を掘り下げることで推測していきたい。
2)「六曜」から「暦注」への能力由来の転換
まず六曜自体について、『日本国語大辞典』→『国史大辞典』の順で確認する。
先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六個の星。(中略)中国の小六壬法が、わが国で変化して六曜となったといわれる。江戸中期から暦注に記されて流行し始め、現在に至っている。六輝。*4
日の吉凶説の一つ。六輝ともいう。もと「六壬時課」「起例掌訣」と呼ばれた中国起源の時刻占いに由来する。これは、大安・留連・速喜・赤口・小吉・空亡の六つで、室町時代初めごろに伝えられ、近世を通じて行われた。江戸時代初めごろ日の吉凶に流用され、(中略)江戸時代には『大雑書』などに載るだけで、遊郭や賭場など遊び人や勝負師の間でひそかに行われるだけであったようであるが、暦注が公に禁止された明治六年(一八七三)に民間のおばけ暦に掲載されてより、最も普及する暦注となった。(後略)*5
これらから六曜は暦注の一種であると解釈できる。
次に同じように暦注を確認する。
古暦の日付の下に付した注記のこと。注記は二段に分かれ、中段には十二直を、下段には日の吉凶に関する諸事項を記すのが慣例。*6
暦に注記される歳月日時や方角などに関する禁忌。また年中行事や農事などに関する注記をも含めていう。真名の具注暦、平仮名(稀に片仮名)の仮名暦、絵による絵暦などがある。中国では暦の基幹となる歳・月・日やその干支、二十四節気・朔望などとともに、諸種の禁忌を暦に注することが早くから行われ、造暦用の『暦経』『暦議』などと一セットで、吉凶を解説した『暦例』や注記の手本となる『暦注』が編纂された。わが国でも中国の暦法の導入とともに中国の暦の体裁が採用された。(中略)注記は、平城天皇の代に一時廃止されたが、弘仁元年(八一〇)に復活し、『九条殿遺誡』にも毎日暦を見て日の吉凶を知るようにと記されるとおり、貴族・武家・僧侶などの生活を規律する一方、陰陽家や医家などの専門家が日時を択申する際に、八卦忌勘文の衰日などや各種陰陽書にみえる雑忌とならんで利用された。(中略)明治六年(一八七三)の太陽暦の採用の際、吉凶類の注記は公式には全廃され、同十六年以降の伊勢神宮司庁の暦でもこれが踏襲された。しかし、民間ではいわゆるおばけ暦が闇出版され、従来みられなかった六曜・九星・三隣亡などが新たに加えられた。第二次世界大戦後自由な編集・出版が許されてからは、各所神社など発行の太陰太陽暦には多くの禁忌が注され、太陽暦のカレンダーにも彼岸・六曜などを残すものがある。*7
つまり、暦注とは暦を用いた占い(暦占)であるといえ、六曜も占いであるといえる。それも「賭博」という側面*8をもつ麻雀という遊戯に親和的な。山女の占いの一面を小林立先生が能力化する際に、暦占としての暦注→その中の六曜、と採用されたと予想できないだろうか。
とはいえ、占いの種類は数多く存在するものであり、これだけでは能力の根拠としては弱いかもしれない。そこで占いの中から暦占が選ばれた理由を、遠野という地域から推測したい。
3)遠野と暦―「南部絵暦」の存在―
遠野の地では、戦後ある程度まで旧暦が用いられていたとの指摘が『注釈遠野物語』にある。
遠野郷での年中行事は、第二次大戦の直後まで旧暦によるものが多かった。明治五(一八七二)年に太陽暦が新暦として採用されてからのちの一世紀もの間、新と旧の二つの暦が併用されていた。公的な行事は新暦で、私的なものは旧暦によるのが普通であった。したがって、正月などは家によっては二重に祝っていたのである。*9
また、遠野やあねかわさんの推測する姉帯さんの出身地である九戸村は、江戸時代においては南部氏が領有していた。その南部氏の領地にて出現した特徴的な暦がある。それが「南部絵暦」である。
「南部絵暦」とは、旧南部藩領を中心として用いられた絵暦、すなわち「田山暦」と「盛岡暦」の総称で、古くは「南部盲暦」と呼ばれた。なぜ「盲暦」と称したかというと、文字を自由に読み書きのできない「文盲者」にも分かるように、絵文字で綴られている暦というところからである。今日では地元を除いて一般に「南部絵暦」と呼ばれている。近代以前には、文字を自由に読めない人々が存在していた。その人々にとって暦は猫に小判的存在であった。しかし、その時代には、暦は今日以上に日常生活の上で必要なものであった。(中略)したがって、文字の読めない人々にとって、どうしたら月の大小や閏月を知ることができるかは重要なことがらであった。それに応えたのが「南部絵暦」である。*10
盛岡暦の最上部は年号とその年の十二支で、年号も絵文字で、(中略)その下の右に大の月と朔日の十二支、左に小の月と朔日の十二支。月の数はサイコロの目を用いる。盛岡暦には、彼岸、社日、節分、八十八夜、夏至、三伏等、さまざまな暦注が記載されている。
盛岡暦は復活後も一貫して旧暦の日付を用いていた。これは東北地方では明治以後も昭和30年代までは、農村部を中心として旧暦が広く用いられていたためで、盛岡暦は農家にとって実用性の高いものであった。しかし、その後旧暦使用は急激に衰退したため、その実用性は薄れ、使用されなくなってしまった。今日では、郷土資料として購入される存在である。(中略)
それにしても、江戸時代に南部領だけに絵文字の暦が発行されたことは不思議といってよいであろう。これは、藩が暦の発行や出版に寛容であったことや、当地の寒冷の気候が暦に対する要求を高めたこと、中央の暦の供給が十分に行われなかったことなど、いくつかの原因が考えられる。*12
この南部絵暦は、その独自性において遠野地域の特徴であるといえ、暦占が姉帯さんの用いる能力として設定される根拠とできるのではないか。また、昭和30年代まで農村部を中心に旧暦も参照して生活が営まれていたという点は、「土地のしばり」の存在するような村の習俗がそうであっても違和感はなく感じる。
4)結論
ここまで辞典類からの引用を中心に冗長に考察を展開してきたため、要点を整理して結論を示したい。
- 『遠野物語』から、姉帯豊音=山女=占いの能力を持つ、と読める。
- 六曜自体は『遠野物語』には記載がない。だか当時の習俗として暦占は行われていたと考えられ、それには暦注が用いられた。現代に通用する暦注が六曜である。
- 旧暦が近年まで利用され、また南部絵暦の存在から、暦(占)に縁のある地域だといえる。
よって、山女の能力=占術:地域性+暦注としての知名度(メタ的に麻雀への当てはめやすさ)→六曜
……という由来なのではないかという仮説が結論。
いかがでしょうか…?なんでも気がつかれた点をご指摘いただけると幸いです。
それにしてもほぼ文献からの引用……(苦笑)
*1:『遠野物語』「三」。以降『遠野物語』のテキストとしては青空文庫版(http://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/52504_49667.html)を用いる
*5:小坂眞二「六曜」(『国史大辞典』吉川弘文館、1993年)。
*7:小坂眞二「暦注」(『国史大辞典』吉川弘文館、1993年)。
*8:「三」で山女を撃った佐々木嘉兵衛は「「嘉平ごかん」と陰口をたたかれるほど有名なばくち打ちであった」(遠野常民大学編『注釈 遠野物語』(筑摩書房、1997年、P54)。)という
*10:岡田芳郎『暦を知る事典』(東京堂出版、2006年、P151)。
*11:岡田芳郎『南部絵暦を読む』(大修館書店、2004年)より引用
*12:岡田芳郎『暦を知る事典』P155・P156。
2回戦大将戦の感想 -姉帯さんの能力描写・「かわいい→こわい」の描写の2点-
アニメでの2回戦大将戦が終局した。
現状最初の第4話だけしか感想を書いていないし、興奮冷めやれぬうちに思いつくままに記したい。
とはいえ、文字通り「思いつくまま」だと「末原さんの喋って動く姿を堪能した!」「名言連発いただきました!!」「改造後末原さん、ちょーかわいいよー」「すばら!!」……etcとなりタイトルの内容に触れられないので、(前略)が100個くらい(前略)されています。
では、(前略)(前略)(前略)(前略)(前略)(前略)(前略)(前略)
ところで、姉帯さんが今回使った能力は三種類、原作通りの「友引」「先負」と今回追加された「先勝」だと考えられるものだろう。
特に描写が禍々しかったのが「友引」。
これは、姉帯さん自身的には宮守女子の仲間達と引き寄せあった回想と共に描かれたこともあって「吉」なことなのだが、原義は「葬式を行うと死者が友をあの世に引いていくとの俗説」*1とある日。当てはめると「(死んでも)ぼっちじゃないよー」「(この世からあの世まで)友達がきたよー」なわけで、この禍々しさはこの「凶」の面を表しているのだろう。
「先負」の原義は本から引用。
・先負
「せんぷ」「せんぶ」「せんまけ」「さきまけ」などの読み方があるが、「せんまけ」が一般的。もともとは小吉・周吉といい、吉日であったが、現在では、何事も控えめにする日、急用や勝負事を避ける日、先に立って事を行うと不幸になる日、相手が仕掛けてくるのを待つのがよい日とされている。時間では、午前中は凶、午後は吉とされている。
岡田芳郎『暦のからくり』はまの出版、1999年、P109・110。
この文にあるように「相手が仕掛けてくるのを待つのがよい日」を活かした能力の設定であり、姉帯さんにとって能力発動時には「吉」だから、描写は光る感じなのではないか。
そして、オーラスで使用された能力。これは多くの方が指摘しているように「先勝」だろう。
とあるSS*2では「先負」の逆で「追っかけリーチされたらあがれる」といった予想で描かれ、それ以外でもこのような予想が多かったように思われるが、どうもそうではなさそうだ。こちらも先ほどの文献にあたってみる。
・先勝
「せんしょう」「せんかち」「さきかち」などと読まれているが、「せんかち」がもっともよく使われているようだ。先んずればすなわち勝つ、の意味で、早ければ吉、急げば幸運が舞い込んでくるとされている。暦の解説書ではどれも「急ぐることに吉」とあり、また、午前中は吉、午後は凶ともされ、訴訟事などは先手必勝となっている。この日は、何事も積極的に行動すべしということだろう。
岡田前掲書、P108・109。
姉帯さんやチームメイトの発言に「スピード重視、後半になると危険」「前半の内に決めないと」とあったのは、先勝の原義としての「早ければ吉、急げば幸運が舞い込んでくる」「午前中は吉、午後は凶」が反映された能力だということなのだろう。最短であがりに向かえば報われる的な…?*3
こちらは「凶が迫ってきている吉」なので禍々しさと光るのがまざった感じなのかなという印象。
以上が姉帯さんの能力描写からの考察。
旬なうちに何故姉帯さんが六曜を用いるのかの私見も書いてみたい……*4。
もうひとつが咲さんの豹変ぶりを見ていて思い出したことをこじつけての感想。
「咲さん」とくれば「かわいい」とつながるのがテンプレなくらい*5、普段咲はかわいく描写されている。
アニメ視聴時に、「そういえば大学での講義で「かわいい」について論じられていたことがあったな」と思い出した。それを以下に引用。
小さなもの、どこかしら懐かしく感じられるもの、守ってあげないとたやすく壊れてしまうかもしれないほど脆弱で儚げなもの。どこかしらロマンティックで人をあてどない夢想の世界へと連れ去ってしまう力をもったもの。愛らしく、綺麗なもの。眺めているだけで愛くるしく感情で心がいっぱいになってしまうもの。不思議なもの。たやすく手が届くところにありながらも、どこかに謎を秘めたもの。
四方田犬彦『「かわいい」論』筑摩書房、2006年、P15。
うん、あてはまるな(確信)
この講義を担当していた教授によると、「かわいい」という概念は、「悲劇によって得るカタルシス」の対抗装置なのだそう。*6
つまり、普段「かわいい」咲のキャラクターが「ちょーこわい」になる時、それが「悲劇(相手にとっての)」の始まりだといえそう、そもそもこんな定義をもってきてまで指摘することでもないかもだけど。
要は、連載での準決勝大将戦で咲さん目線が描かれるなら、末原さんの「ちょーこわい」姿が見れるのかも!!という妄想しちゃったけど期待していいよね!?という感想。
いやー、あの改造後のちょーかわいい末原さんが目を赤光りさせて蹂躙するとか妄想するだけでぞくぞくすr(後略)(後略)(後略)(後略)
*1:岡田芳郎『暦を知る事典』東京堂出版、2006年、P117。
*2:http://sssakich.blog.jp/archives/30835372.html
*3:具体的な麻雀への落とし込みは、私が麻雀に詳しくないので、どなたかの考察にお任せします…
*4:「南部絵暦」に手がかりを感じています……
*5:この流れは『咲-Saki-』 「咲さんかわいい!」→「コモンセンスだよ~」の流れはこうして作られた…ネタ歴史ヒストリア - ToLOVEる☆LOVEに詳しい
*6:これだけではわかりにくいですよね…、成績Dだった科目なので勘弁してください……
「男子インハイチャンプ=二条泉」から考える男子インハイチャンプ像
2月という個人的な山場を越えて、どうにか一安心といったところです…
まぁまだまだ不安定ですが・・・
とはいえ漫画を買う余裕は一応でき、一昨日にやっと既刊をそろえました…
一冊も持っていないのに考察ブログを開いたとは
ともかく、阿知賀編を読了したので、(今更感があるお題だけど)一つ愚考をば。
絶賛放送中のアニメでは女子インハイが盛り上がっているわけだが、男子インハイはその気配すら感じられないながらも*1、作者が男子のインハイチャンプの存在は言及されているので、一応開催はされているのだろう。
この「男子インハイチャンプ=二条泉」の設定は、割と驚きをもって受け取られていたようにみえる。
ここでは、男子インハイチャンプがどのような場合この設定が妥当なのかを考えてみたい。
まず二条泉の実力から。準決勝次鋒戦で「は・・・!?」「は?」*3と射られたり、「日本の高1で最強のつもり」*4が高1の魔物達と比べられてしまったりなどと、どこか強さが感じられない印象を受けがち。
だが「全国2位のチームのレギュラー」*5 *6と捉えると、並以上の3年生よりもずっと高い実力を有しているといえよう。高校野球で喩えて考えてみると想像しやすい*7。
では、何故上位校レギュラーの中でも上級生のそれなりの実力者(真瀬由子・江口セーラら)ではなく、1年生である二条泉なのか。それにあたり、準決勝次鋒戦での新道寺・安河内美子と対比して考えたい。
二条泉と安河内美子の実力に大きな差はないと思われる。となると、何が明暗を分けたのか。作中では試合後に船Q先輩の口から3年生ブーストの存在が語られるが、さらにそれだけではなく、描写から「対応力」の差が見て取れると指摘したい。
阿知賀・松実宥のあったかい牌、白糸台・弘世菫のシャープシュートに対し、二条泉はその打ち筋を知りつつも翻弄される、松実宥には先日手こずったにも関わらず。それに対して、安河内美子は早上がりという対策で弘世菫に射らせる隙を与えない。これは先日との打ち方とは違うことが示唆されている*8ことからも、対応策だと考えてよいだろう。
つまり両者における差は、「さまざまな能力者(またはそれに準ずる打ち筋)との対局経験」と言えるのではないか。前年2位だったインターミドルも、エトペンを抱く前の「デジタル打ちが不完全な」原村和が制していることから、強力なオカルト打ちが参加しているとは考えずらい。能力の存在への認知と事前に指示された対策の執行能力はあると2回戦の様子から推測できるが、その場で対策を練って対応する力(末原恭子・加治木ゆみら)や能力を超える自身のスタイル・ペース(愛宕洋榎・江口セーラら)はまだ準決勝での二条泉からは見えない。
「男子インハイチャンプ=二条泉」から推測できる男子インハイチャンプ像としては
(1)非能力者*9 *10
(2)実力は女子ベスト8校のレギュラーレベル以上
(3)能力者との対戦経験が少ないorない*11
とできるのではないか。*12
あまり目新しさはないですが、整理しておきたかったので。いかがでしょうか。
あとは、今後の泉の成長に期待したいところ。*13
とりあえずは、来週からのアニメの大将戦での、能力者達に立ち向かう末原さんの勇姿が楽しみです!!
*1:男子の部の存在感の皆無さはhttp://seela.maid-servant.jp/blog/?p=818に詳しい
*2:作者公式サイト http://www.sciasta.com/ritz/ 参照
*3:小林立/五十嵐あぐり『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A 4』スクウェア・エニックス、2012年、121・131頁。
*4:小林立/五十嵐あぐり『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A 4』スクウェア・エニックス、2012年、129頁。
*5:部員数は少なくともバス4台分 小林立/五十嵐あぐり『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A 1』スクウェア・エニックス、2012年、205頁。
*6:全国1位のチームのレギュラーの実力は「そこらの県代表エースをしのぐ」らしい、発言者の成績から信憑性が薄くなってしまったが… 小林立/五十嵐あぐり『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A 5』スクウェア・エニックス、2013年、102頁。
*7:「今丁度、夏の甲子園がやっていますけど、準々決勝まで勝ち抜いている高校で一年生レギュラーは片手で余裕なくらい。背番号1〜10までを貰ってる一年生って僅か二人しかいないのです。それに野球のレギュラー枠は九人だけど、麻雀は五人。より狭き門だ。」 【咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A】 第13話・再会 より。
*8:小林立/五十嵐あぐり『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A 4』スクウェア・エニックス、2012年、127頁。
*9:以下のエントリ等で男子に能力者がいない可能性が挙げられている。 男子のインハイチャンプの実力=二条泉の設定から導き出される、インターハイに隠された真の目的とは? とっぽいとっぽい。「異常な麻雀ぢから(BY透華)は無垢な少女にしか発現しない」・http://seela.maid-servant.jp/blog/?p=818「「男子には魔物(能力者)がいない」という可能性」・ひっそりとホタテを目指すブログ コメント返し+驚愕の事実について「男子は色々な色々で能力とかが使えないんでしょうかね」
*10:個人的には巫覡の問題等からもっと考えていきたいところ、それとも結論出てましたっけ?
*11:「ちょっとした能力者ぐらいは軽くいなせる力」はあるだろうという指摘泉ちゃんについていい加減本気出して考えてみた【若干ネタバレあり】 : さくやこのはながあり。実際2回戦第2試合の途中までの様子からその通りだと思う、ただ松実宥が「ちょっとした」ではなかっただけで。
*12:他には男子インハイチャンプが1年生という可能性や「高1最強になる能力二条泉「三年生に負けただけで高1では最強ですから」 - ひとよにちゃんねる | VIP SSまとめブログ」・・・?
*13:公式ガイドによると「自分の強さに自信があり、何事にも動じない臨機応変な麻雀スタイル」だそうだが、どう伸びうるのだろうか。『TV ANIMATION 咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A OFFICIAL FANBOOK』スクウェア・エニックス、2012年、29頁。
「咲-Saki-まとめアンテナ」様に掲載させていただきました
タイトルの通り「咲-Saki-まとめアンテナ」様に掲載していただきました!
あと、初咲記事も投稿しました。
引用の仕方とか他サイト様のURLの貼り方とか(一言断った方が良いのだろうか・・・)色々と不安があるのだけれども…
わざわざ見てくださった方は、生温かく見守りまた声をかけていただければ幸いです。
今後とも当ブログをよろしくお願いします。
咲-Saki-全国編 第4話 感想 山から下りてきた⇔海から上がってきた?
咲-Saki-全国編 第4話「東風」の感想です。
個人的には末原さんのセリフが増えてきてすばら!!
今回の内容で気になったのが、霞さんのこのセリフ。
「私達が山から下りてきたこの時に、同じく山の中から下りてきた彼女達がいたのはただの偶然なのかしらね」
アニメオリジナルのようだが…*1
宮守と永水、そしておそらく清澄や阿知賀も「山から下りてきた」系だろう。
そしてタイトルにしたように「山から下りてきた」⇔「海から上がってきた」と反転させてみると、臨海*2や姫松*3が海側か。
では白糸台は?
位置的には川の近くだから水辺!…とするのはこじつけが過ぎるか。
山と海の対決となると思い浮かぶのが、「山幸彦と海幸彦(ヤマヒコウミヒコ)」*4の話。
兄弟喧嘩だし、弟が会って謝っても許されないし、兄の名前は「火照命」だし…
まぁその通りいくと、弟が兄を「屈服」させることになるが…
同じく霞さんのコメントに着目した他サイト様の感想で、気になったのはこちら。
インハイに集まる山々の頂きに咲く華
その高みから照らす太陽と月、さらに山は川をつくり、水面は輝きを映し出す。
なにか立先生が描く構図がおぼろげに見えたような気がしました。
全国編4話 山: あっちが変
景色に当てはめてみるのは面白いなと。
私風にやってみると…
阿知賀:山奥(水源)
清澄:山・沢(上流)
白糸台:台地・川沿い(中下流)
臨海(姫松・有珠山):海沿い(河口)
・・・とか?
とりとめない感じですが、考察ではなく感想なのでということで。
御意見御批判や、このような記事は初めてなので引用方法など書き方の問題で何かありましたらコメントしていただければ幸いです。
*1:単行本は立ち読んだのみでまだもっていないのです…院試が終わり次第購入したいところ…
*2:港という舞台での留学生と元締めの「組」の方という勝手なイメージ
*3:姫松高校竜宮城説http://blog.zaq.ne.jp/jafernomad/article/22/を参照
*4:山幸彦と海幸彦 - Wikipediaや武光誠『知識ゼロからの日本神話入門』(幻冬舎、2008年、72-77頁)等を参照