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ミハエル・シューマッハ

スポーツ

ミハエル・シューマッハ

みはえるしゅーまっは

Michael SCHUMACHER

F1ドライバーフジテレビ地上波中継では“紅い皇帝”と呼ばれていた。

1969年1月3日、ドイツ生まれ。

略歴

 メルセデスの英才教育を受け、1990年ドイツF3チャンピオン、同年マカオF3優勝の経歴をひっさげて1991年ベルギーグランプリで当時新興チームのジョーダン・フォードからF1デビュー。翌戦、ベネトン・フォードに電撃移籍。同年7月の全日本F3000選手権(現フォーミュラニッポン)にもスポット参戦し、2位で表彰台に上がっていた。

 早くからその能力には注目が集められたが、1992年ベルギー・グランプリにてデビュー18戦目にして初優勝。1994年最終戦で、デーモン・ヒル(当時ウイリアムズ・ルノー)と接触し両者リタイヤ。その時点で、ベネトン・フォードで初のワールド・チャンピオンに輝く。

 1995年にもタイトルを獲得すると、1996年、フェラーリ移籍。ジャン・トッド(チーム代表)やロス・ブラウン(テクニカルディレクター)、ロリー・バーン(チーフデザイナー)らと共に名門復活へと邁進し、遂に2000年、フェラーリに21年ぶりのドライバーズタイトルをもたらす。

 以降、5年連続のワールドチャンピオンとなり、セカンドドライバーのルーベンス・バリチェロらと共にフェラーリ黄金時代を築きあげる。

また、2003年の6度目のワールドチャンピオンを獲得し、ファン・マニュエル・ファンジオの記録(5回)を半世紀ぶりに塗り替えた。

2006年、セナの持っていた最多ポールポジション記録を更新(66回)。2006年現在、歴代最多勝記録を始めとするあらゆるF1の記録を更新し、同年シーズンを最後に現役引退。

2010年、メルセデスGPペトロナス・フォーミュラワン・チームからF1復帰。

 ダーティーなブロック*1などを他のドライバーから指摘される事も多く、2005年モナコGPゴール後には実弟のラルフ・シューマッハ幅寄せして接触。実弟から激しくなじられてしまう。

 

 趣味のサッカーはプロ級の腕と言われ、現にプロサッカーチームにも所属していた事がある。

 また、スマトラ島沖地震の際には多額の寄付をしたことが話題となった。しかし、一方では税率の関係でドイツからスイスへ居住を移している一面もある。

実弟のラルフ・シューマッハF1ドライバー

 セナの死後、F1人気を保つためにフジテレビ地上波中継が彼を主役的な扱いをしたため、歴代最強のF1ドライバーという扱いを受けることが多い。その一方で、マシンの能力と絶対ナンバー1待遇での勝利も多数あることや、当時所属したフェラーリが、他チームの有利なデバイスがあると、FIAを味方につけてそれを禁止すると言うパワープレイも見られたなどの理由で彼の才能を実績ほどには評価しないという見方もある。フェラーリほどの大チームを彼中心の体制にせしめ、一定以上の成功に導いたという、セナやプロストでも為し得なかった事実をどう評価するかは引退後もファンの意見の分かれるところである。彼を快く思わない向きからは、下記の様に主観を交えた事実を特に強調されることもある。

※【汚点を残してしまった主な出来事】

 1990年F3マカオGPでトップを走っていたミカ・ハッキネンに接触。リタイヤをさせてしまいミハエル総合優勝

 1992年GPの1周目にアイルトン・セナに激突、赤旗中断時にセナに叱責される。

 1994年最終戦でデーモン・ヒル(ウイリアムズ・ルノー)と接触。両者リタイヤで年間タイトルを獲得。

 1995年ベルギーGPで、再びデーモン・ヒル(ウイリアムズ・ルノー)と接触。執行猶予付き出場停止処分を受ける。

 1997年最終戦のヨーロッパGPで、ジャック・ビルヌーブ(ウイリアムズ・ルノー)と接触。ランキング剥奪の裁定とオフシーズンの交通安全キャンペーンを命じられる。

 1999年イギリスGPの1周目にブレーキトラブルでクラッシュ。足を骨折する。

 1999年、当時最強であったマクラーレンメルセデスのエンジンに使用していたベリリウム合金を発癌性があるとしてFIAに禁止された。2000年からベリリウム合金を使用できなくなってしまったメルセデスは失速してしまう。これは、フェラーリベリリウム合金を使いこなせなかったからと言われている。

 2000年イタリアGPで通算勝利数41勝となり、アイルトン・セナの記録と並ぶ。記録達成で涙を流して大喜びするが、同レースでは多重クラッシュで死亡してしまったオフィシャルがおり、自己中心的だと批判される。

 2006年モナコGP公式予選中にコース内でマシンを停車させてしまう。テレメトリ等の情報から故意と判断され、予選タイム抹消のペナルティを受ける。

 2006年ルノー・チームが使用していたマス・ダンパーをFIAに働きかけて禁止させる。アドバンテージを奪い取ったルノーにポイントで肉薄するも日本GPミハエル・シューマッハはエンジン・ブロー。最終戦を残してワールドタイトルの可能性がほぼ絶望的なものとなってしまい、フェルナンド・アロンソに2年連続のワールド・タイトルを奪われる。

 2006年最終戦で引退。2007年からフェラーリ移籍が決まっていたキミ・ライコネンと同等の待遇では、ドライバーズ・タイトル争いができなくなるのを懸念したためといわれている。

その後

2009年にフェリペ・マッサの負傷離脱により代役の最有力候補といわれていたが、シーズン前にバイク事故で痛めた頸椎損傷が完治しておらず断念。

2010年、メルセデスGPF1復帰したものの、ブランクもあってか成績はフェラーリ時代と比べるとあまり芳しくない。

2012年、今シーズンで再び引退する意向を表明。

2013年12月29日、フランスのリゾート地メリベルでスキー中に転倒して、岩に激突し頭部に重傷を負った。その後、グルノーブルの病院に搬送され2度の手術を受けたが、脳内出血および脳の損傷で意識不明の重体に陥った。

2014年6月15日、意識を回復し、フランス・グルノーブルの病院から退院した事が発表された。

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*11997年の最終戦ヨーロッパGPでは、ワールドチャンピオンを争っていたジャック・ヴィルヌーヴ(当時ウィリアムズ)と接触しリタイアをしてしまう。(ヴィルヌーヴは3位)後に、それが故意によるものとして彼の1997年のドライバーズランキングが剥奪されている。