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豊田泰光

(スポーツ)
とよだやすみつ

プロ野球選手、野球指導者・野球解説者。右投右打、ポジションは遊撃手。
1935年2月12日、生まれ。 2016年8月14日、死去。
茨城県出身
1952年、茨城県立水戸商業高等学校全国高等学校野球選手権大会に出場。
1953年、西鉄ライオンズに入団。1年目より一軍に定着、遊撃手となる。打率.281、27本塁打という高卒新人としては、異例の好成績で新人王を獲得。27本塁打は1986(昭和61年)清原和博西武ライオンズ)に破られるまで、高卒ルーキーの最多記録だった。
1956年から1958年まで、日本シリーズ3連覇を達成。中西太稲尾和久と共にライオンズの黄金時代を形成。
17年間の現役生活は「大舞台に強い打者」として一世を風靡した。
豪放磊落な野武士野球の象徴的な選手*1。屈指の色男でもあった。
1963年、国鉄スワローズ(後のアトムズ)に移籍。
1969年、現役引退。
1972年、三原脩に招聘され、近鉄バファローズのコーチに就任し、1シーズン務める。
文化放送フジテレビ野球解説者を務め、切れ味鋭い評論で人気を得る。
1990年代以降は、黒い霧事件で処分された選手への名誉回復や、バットの原材料であるアオダモの育成にも尽力した。
2006年、野球殿堂入り。
1994年から2013年まで週刊ベースボールにてコラム「豊田泰光のオレが許さん」を掲載。
1998年から2013年末まで日本経済新聞スポーツ欄でコラム「チェンジアップ」を掲載。

*1:その守備については小西得郎により木綿と称され、吉田義男=麻、広岡達朗=絹と共に例えられた。

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