福岡市を本拠地とするプロ野球チーム。パ・リーグに所属。
親会社は西日本鉄道。 ホームグラウンドは平和台野球場。 チームカラーは濃紺。 球団歌は「西鉄ライオンズの歌」。
リーグ優勝5回(1954・1956・1957・1958・1963)。 日本一3回(1956・1957・1958)。
福岡の40代以上のファンは今も西鉄ライオンズファンが多く存在する。 また、福岡ドームで西武ライオンズ(埼玉西武ライオンズ)の試合が行われる時は、西鉄ライオンズ時代の球団旗を掲げて応援している。
*1:1965年は病気のため、13試合のみ深見安博が代理監督となる。また、1969年は病気のため鬼頭政一が代理監督を務めた。
*2:1973年、身売りにより失効した。
こんばんは。クリスマスも終わったなあ…今年も残り1週間を切りました。 それにしても、今思えば昨日の記事でクリスマスソングを載せれば良かったかなあ? ジョンのハピクリとか教授の戦メリとか…まあ、来年の楽しみという事で^^ さて、ここ最近の野球関係の話題ですが… 埼玉西武ライオンズ源田壮亮選手のスキャンダルですね(呆れ)。 まさか、ナインやファンの信頼が厚い源田選手がああいう事になってしまうとは…。 源田壮亮(埼玉西武ライオンズ)
おつかれさまです。 前日はライオンズについて熱く語ったのですが、 まだ語りたい事がありますので引き続きお付き合いを^^ さて、埼玉西武ライオンズの永久欠番ですが、 現在は、かつて西鉄黄金時代に「神様・仏様・稲尾様」とまで呼ばれた大投手、 稲尾和久さんの「24」番のみとなっておりますね。 稲尾和久(1937-2007)
こんばんは。 声優の篠原恵美さんが亡くなられましたね…セーラージュピター役で有名でしたね。 それにしても、今年は亡くなる声優さん多いなあ…ご冥福を祈ります。 さて、昨日は埼玉西武ライオンズの3年ぶりの最下位が決定しましたね。 前回は北海道日本ハムファイターズとの激しい争いの末の最下位でしたが、 今年はダンッットツの最下位でしたね! ザ・トーケンズ『ライオンは寝ている』シングルジャケット
隅田ちーちゃんが、活躍したからということではなく、最近、豊田泰光さんの本が無性に読みたくなって、Amazonで取り寄せたものを開封した。 中古本だから、期待値低くしていたが、見開いてみたらビックリ❢ 何と、直筆メッセージ、サイン、そして押印付き。 反骨の水戸っぽ 尊敬してやまない、西鉄ライオンズ時代のレジェンドOB、豊田泰光さん。 patriotorca617.hatenadiary.jp 豊田さんを知ることになったのは、『ハッキリ言ってライオンズ贔屓・文化放送ライオンズナイター』戸谷真人さんとの毒舌コンビは、スポーツ放送の歴史に刻まれるクオリティだったと思う。 (戸谷さんの影響を受けたという…
門田さん、兆治さんと巨星が次々と🌈の橋を渡っていく、この頃。。。 飛び込んできた怪童・中西太さん、言わずと知れたライオンズS級レジェンドOBの大往生の報に心が揺れた今日。 お年もお年だけに、お元気かなぁと時折、思い出したりさせて頂きましたが90歳❗️ 多くの野球ファンを自らのプレイや監督としての指揮で楽しませた、或いは晩年名コーチとして後進を育てた充実した人生でいらっしゃったかと…。 patriotorca617.hatenadiary.jp patriotorca617.hatenadiary.jp 当然年齢的に、リアルタイムでその活躍を知る由もないが、西武ライオンズファンになってから、豊田…
懐かしの 平和台球場 福岡市 平和台球場のグラウンド 今はもうありませんが、福岡の大濠公園近くの舞鶴公園というところにあった西鉄ライオンズ、そしてダイエー・ホークスのホームグラウンド。 西鉄ライオンズの黄金期は過ぎていたけれど、中西太監督が一塁手を兼任し、稲尾和久投手もまだ活躍していたころです。 このときチームは遠征中だったのか、地元の社会人か、クラブチームが練習試合をやっていました。 入ってみると思いのほか球場は広い。後楽園球場も外から見たことがありますが、甲子園をはじめ、やはりプロの球場は広いなと感じました。 ライオンズはのちに埼玉に移転して現在の西武ライオンズになり、平和台球場はダイエー…
益田啓一郎[2014]『伝説の西鉄ライオンズ』,海鳥社 本書は,2010年10月~12年9月の2年間,『産経新聞』九州・山口版に連載された「伝説の西鉄ライオンズ 生誕60周年」を題材に,著者が加筆・修正したものである。 2008年に西鉄ライオンズの親会社である西日本鉄道(株)が創立100周年を迎え,その『百年史』に球団の歴史を刻んで以来,福岡では西鉄ライオンズの歴史を再評価する動きにある。それ以前にも,たとえば三原脩監督の一代記を著した立石泰則[1999]『魔術師』,文藝春秋や,稲尾和久[2002]『神様,仏様,稲尾様――私の履歴書』,日本経済新聞社といった著作を通じて西鉄球団のエピソードを把…
はじめに 仰木彬さんについて書かれたノンフィクションです。イチロー選手が在籍していた頃の、オリックス・ブルーウェーブの監督というイメージではないでしょうか。本作品では、仰木さんの生い立ちから、晩年までの来歴が丁寧に書かれています。登場する方々も魅力のある方ばかりです。パ・リーグを代表する名監督だった方の、来歴を詳しく知りたいと思い、本作品を読むことにしました。 目次 はじめに 目次 全体の感想 キーワード3選 1.他人のメシを食う 2.西本幸雄監督 3.日本シリーズ 印象に残った文章 おわりに 全体の感想 仰木彬さんのイメージが変わる作品だと思いました。粋で、勝負強い、頭がよくて、度胸がある、…
コロナ禍の中、日本のプロ野球界は、11月に日本シリーズが開幕。 福岡ソフトバンクホークスが、4年連続の日本一を達成し、幕を閉じた。 今回は、長きにわたりホークスファンである私の、地元球団を巡る物語である。 伝説の西鉄ライオンズ、黄金時代を知る福岡の町。 かつて、福岡には西鉄ライオンズというチームがあった。 稲尾和久という大エースを擁し、中西太、豊田泰光、大下弘などの打棒で日本シリーズ3連覇を成し遂げた、伝説のチームである。 なかでも稲尾和久はすごかった。 大分県別府市の漁師の子として生まれ、幼い頃から漁を手伝い、沖へ出て櫓を漕いだ。 その大海原で鍛えられた強靭な足腰で、年間42勝、3年連続30…
数々の名監督が誕生したライオンズの歴史の中でも、輝かしい勲章だ。辻監督がチーム史上6人目の通算300勝。就任4年目、通算537試合目での達成は、西鉄時代の三原脩監督の530試合に次ぐ球団2番目のスピード達成だ。「選手に恵まれ、選手が活躍してくれての数字。本当に感謝しています」と喜びをかみしめた。 (出所: 西日本スポーツ) その、名将・三原脩。 (出所: 週間ベースボールオンライン) 新・名将と言ってよいだろう、辻発彦監督。 個人的には、秋山幸二監督誕生を待ち侘びていた者だが、黄金時代の燻銀の様な、プロ中のプロの辻発彦の仕事ぶりを知っているオールド・ファンとしては、そうと決まれば、歓迎しない理…
生産者(ドメーヌ):ボデガス・トロ・アルバラ 国:スペイン 生産地(テロワール):アンダルシア地方(D.O.モンティーリャ モレリス) 年代(ヴィンテージ):1951年 品種:アモンティリャード(パロミノ種) アルコール度数:21% 楽天価格:24,990円(税抜) 人生で初めて古酒を飲んだ。夏に24年熟成の貴腐ワインも飲んだが、古酒と呼ぶには若い。酒齢73年の正真正銘の古酒。場所は東京の森下にあるフレンチ「uto(うと)」。常に出すわけではなく、ワインに詳しい常連にだけ提供。ご一緒した方が常連だったので特別に飲ませてもらった。2万円以上する高級品だが、ぜひ人生で一度は飲んでほしい。普通のワイ…
booksch.hatenablog.com 『永久保存版』週刊ベースボール70年代初期コレクション、圧巻の21冊 Introduction BooksChannel meets Amazon : 新着商品UP 第2弾です。どうぞ、よろしくお願い致します。前回同様 amazonに出店のお店の皆様も 馬鹿馬鹿しくて あまり おやりになられないであろうCM SONG「amazon出品の唄」の今回はAI versionで始めさせて頂きます。どうぞ、よろしくお願い致します。 soundcloud.com 『永久保存版』週刊ベースボール70年代初期コレクション 🏟️✨ 『永久保存版』週刊ベースボール70…
目の前に広がる別府湾から振り返ると、視線の先に山々が聳える。由布岳、大平山、鶴見岳。これほど海と山の距離が近い場所は日本でも多くない。別府は、荘園の租税を特別扱いにすることを表す「別府」に由来しているといわれ、温泉にまったく関係ない。 温泉は奈良時代の『豊後国風土記』や『万葉集』に載っているほど歴史は古い。西鉄ライオンズの稲尾和久やソフトバンクの今宮健太も出身。源泉数は2300ヶ所以上、これは日本の総源泉数の約10%にあたり、温泉数、湧出量ともに日本最多。ここ別府には年間800万人以上が訪れる。大きく8つにカテゴライズされ、「別府八湯」と呼ばれる。そのうちの一つが「別府温泉」である。 別府温泉…
「プロ野球90年」ぺこぱ・松陰寺太勇さんのマリーンズ愛 「俺たちがついてるぜ」の横断幕を見て「かっけーな、ロッテファンやめんとこ」と思いました | 47NEWS 発足から90年を迎えたプロ野球への思いを聞くインタビューシリーズ。お笑いコンビ「ぺこぱ」の松陰寺太勇さんは大のロッテ好き。熱い応援で知られるマリーンズファンの心情を熱弁してくれた。(聞き手 共同通信・小林陽彦、児矢野雄介) 「発足から90年」とは、1934年の「大日本東京野球倶楽部(現:東京巨人軍)設立」からのカウントでしょう。 なお、現在の「日本野球機構」の前身に当たる「日本職業野球連盟」が設立されたのは1937年で、 ◆大日本東京…
街おこしならぬ駅おこし。一時代を画した有名漫画家たちが若き日の修業時代に、まるで共同生活でもするかのように、入れ替りたち替り入居したアパートがこの地にあったというので、漫画ファンの聖地と視做されているという。街路から高架の改札口へと昇る階段の踊り場の壁いっぱいに、でかでかと飾り看板がかかっている。 年内最後の仕事らしい仕事へ出かけるので、ふだんは通らぬ階段を昇ってみた。しばし立ち停まって、あれこれのことを考えた。人の流れを邪魔してまで、今さらのように大看板に眺め入る老人の姿は、過ぎ行く乗降客がたからどう思われたことだろうか。 今日の仕事は、とある文芸雑誌の新人賞の選考委員会である。未来の作家が…
東尾 修【21】 ケンカ投法 防2.38 23勝15敗 【獲得タイトル】 最多勝利、最多奪三振 【プロ経歴】 1968年 ドラフト1位 西鉄ライオンズ,太平洋クラブライオンズ,クラウンライターライオンズ,西武ライオンズ (1969〜1988) 西鉄から西武まで激動の時代だったライオンズを支えたエース。プロ入り直後は野手転向も囁かれていたが、黒い霧事件でエースクラスが抜けた為投手としてマウンドに立ち続けた。1975年には最多勝のタイトルを獲得したが、冬の時代を過ごしたこともあり、リーグ最多敗を5度記録。200勝よりも200敗を先に達成したが、晩年は常勝と化したライオンズで勝ち星を量産し通算成績勝…
稲尾 和久【24】 神様、仏様、稲尾様 防1.69 42勝14敗 【獲得タイトル】 最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、ベストナイン 【プロ経歴】 1956年プロ入り 西鉄ライオンズ (1956〜1969) 西鉄ライオンズのエース投手として活躍した右腕。打撃投手としてプロ入りしたが、1年目から主戦投手として活躍し新人王を獲得。1958年には33勝を挙げてリーグ優勝に貢献すると日本シリーズでは自らのサヨナラ本塁打もあり逆転日本一も達成した。1961年シーズンには現在もNPB記録であるシーズン42勝を達成したが、翌年からは今までの無理が祟ったのか怪我に悩まされることになる。最終的に鉄球を…
池永 正明【20】 消えたエース 防2.31 23勝14敗 【獲得タイトル】 最多勝利 【プロ経歴】 1965年プロ入り 西鉄ライオンズ (1965〜1970) 西鉄の時期エースとして将来は300勝投手と期待されたが、黒い霧事件で球界から消えた右腕。高校時代から完成されたピッチングで甲子園準優勝を経験。プロ1年目から20勝を挙げて新人王を獲得すると3年目には23勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得した。プロ入りから5年間で99勝を挙げて迎えた1970年シーズンは通算100勝を達成するも黒い霧事件への関与もあり球界からの永久追放処分を受けて退団。他の永久追放者に比べると賭博の事実は無く、処分が重すぎ…
特集「日本古代国家形成史研究の最前線」 ◆国家形成史研究の歩み(森田喜久男*1) (内容紹介) 特集の総論的な内容。 ・藤間生大*2『日本古代国家』(1946年、伊藤書店) ・石母田正*3『日本の古代国家』(1971年、岩波書店→後に岩波文庫) ・吉田晶*4『日本古代国家成立史論』(1973年、東京大学出版会) ・都出比呂志*5『前方後円墳と社会』(2005年、塙書房) ・広瀬和雄*6『前方後円墳国家』(2003年、角川選書→2017年、中公文庫)、『古墳時代政治構造の研究』(2007年、塙書房) ・寺沢薫 『弥生時代国家形成史論』(2017年、吉川弘文館)、『弥生国家論』(2021年、敬文舎…
清原 初男【9】 主将 .239 5本 69打点 【獲得タイトル】 なし 【プロ経歴】 1946年プロ入り ゴールドスター,金星スターズ (1946〜1948)ー東急フライヤーズ (1949)ー西日本パイレーツ (1950)ー西鉄ライオンズ (1951〜1952) 熊本済々黌中のコーチをしていた所に偶々来ていた坪内道典に出会いプロ球団に入団した選手。プロ入団当初は投手もこなす謂わば二刀流であり、1946年、1947年は投手としての出場機会もあった。東急から新規球団西日本パイレーツに移籍した1950年は主将に任命されて開幕戦で初代4番打者としてスタメン出場を果たすなど期待されて、低打率ながらも勝…
漫画「巨人の星」でも描かれていた、星飛雄馬入団の1968年の読売ジャイアンツのドラ1ルーキー、高田繁氏。V9ナインとしても有名な高田繁氏ですが、当時のV3読売ジャイアンツで、1年目からレギュラーを獲得するのは並大抵の事ではなかった筈です。前年、V3の読売ジャイアンツの外野手で、100試合以上出場したのは柴田勲氏、国松彰氏の2人だけで、外野手の確たるレギュラーは、このお二人だったと言えるでしょう。で、あと一人が大変で、広島カープから移籍の森永勝也氏が83試合、生え抜きの相羽欣厚氏が80試合、末次民夫氏が77試合。西鉄ライオンズからの移籍組の田中久寿男氏が74試合、同じく高倉照幸氏が73試合。41…
打撃の極意を追い求めすぎた孤高の天才 .306 21本 77打点 7盗塁 ベストナイン 【寸評】 1936年12月5日-2012年3月14日 享年75 大毎オリオンズ・東京オリオンズ・ロッテオリオンズ(1955-1971)-西鉄ライオンズ(1972) ご存知「打撃の神様」。2年前には自己最高の.351を記録するなど「安打製造機」と呼ばれた孤高の天才だったが、既に奇行が目立ち始めていた。そんな中この年3割を達成するが、結果的に最後の3割達成となり、以後は野球界から静かに去っていくことになる。 パワナンバー 12200 20631 09666 基礎能力 ミートC68 全盛期補正でBでもよかったけど…
両リーグでベストナイン受賞 .314 12本 70打点 18盗塁 ベストナイン ダイヤモンドグラブ 【寸評】 1946年11月10日- 西鉄ライオンズ(1967-1978)-大洋ホエールズ(1979-1984) 西鉄時代、巧打の二塁手として知られた名二塁手。(黒い霧とかあったけど……) チームが西武へと変わり、埼玉移転が決定するとセリーグへの移籍を希望し大洋へトレード移籍。自己ベストの.314を記録するなど充実の1年となった。 パワナンバー 12100 80278 15963
完全試合を達成したが…… 56登板 23勝 12敗 防2.34 ベストナイン 最多奪三振 完全試合 5月12日対南海ホークス戦 史上9人目 【寸評】 1939年10月10日-2004年? 西鉄ライオンズ(1961-1967)-中日ドラゴンズ(1968-1969) 稲尾の配置転換後の西鉄投手陣の柱として活躍し、66年には完全試合も達成した。しかし翌年は肘を痛め、オフの契約更改で起用法への不満を語り、広野功との交換トレードで中日に移籍。2年で19勝を挙げるがオフの「週刊ポスト」が出した八百長告発記事(いわゆる黒い霧事件)の関係者として実名で名をあげられ、事実上の現役引退に追い込まれる。更に4月22…